36 : 偽物
次期当主達が一室に集い挨拶を交わしたのと同時刻。王宮の最上階、そこにある大広間には十二人が揃っていた。円卓には一席だけ空きがある。十一人の男と一人の女は何も言わず座っていた。
「遅れて申し訳ありません」
扉が開く。その奥から現れたのは猫の耳を持つ、長い髪を高い位置でまとめた男。豪奢なマントに身を包み、空席の前に立つ。深々と頭を下げて謝罪してから席についた。
「皆様、約束の時刻より早くの集合、誠にありがとうございます」
「ははは、そう畏まるな若造」
豪快に口を開いて笑う初老の男。その横で線の細い暗い雰囲気の男が嫌そうな顔を浮かべた。
「謝る必要はなくってよ? なんたってこんな街を治めているんだもの、忙しくって当たり前ですわ」
華美な着物に身を包む女が、扇子で口元を覆いながら笑みを浮かべた。その横でむっつりとした表情のまま動かない、顔色の悪い男。
座席は遅れて入室した彼を挟んで、十二星座順に並んでいる。着物の女は乙女領主、顔色の悪い男は天秤領主だ。初老の男は蟹領主である。
「そのとおりだなァ、この『クニ』をまとめ上げてる王サマだ、忙しくってしゃあねえだろうよ。よく頑張るぜ?」
け、け、けと笑う褐色肌の男。意地の悪い目つきを浮かべて長身の男を見やる。蠍領主だ。
「おい蠍、彼をいじめるでないわ。一度痛い目に遭っても、全くお前は変わらんなぁ」
その言葉に蠍領主の顔が引きつる。しかしすぐに表情を戻して軽口を叩いた。
「はっ、蟹の爺はまだ引退しねェのか? とっととこの席から降りればどうだ?」
「がはは、生憎儂には子も孫もおらんわ! おいルフト君、お前さん養子にならんか?」
「御冗談を、蟹領主様。私はこのゾディアックをまとめるだけで精一杯です」
「そりゃあ残念じゃ、は、は、は!」
笑い声が収まると部屋の中はまた静まり返る。
「なんじゃお前達、つまらんのぉ。そうじゃそうじゃ、羊、牡牛! お前達の子がようやく来たらしいの」
それまで黙っていた羊領主アーベント、その隣の牡牛領主が話を振られて顔を上げる。
「ええ、まあ」
「うーむ懐かしいの、この間までお前達がああして部屋に集まっていた気がするんじゃが……」
「やめてくださいよ、そういうことを言うのは」
「儂からすればお前らは息子みたいなもんじゃし、その子となれば孫のようなものよ。今度顔を見せぃ」
「御冗談を」
そんな歓談、とは言い難い会話の中一つ手が叩かれる。乙女領主が手を叩いたのだ。
「さあ、いつまでもお話している場合ではなくってよ。今年の司会役は私です。約束の時刻ですわ、早く始めてしまいましょう」
その言葉に一同背を正す。深く腰掛け、中央を見据え口を開く。
「三年に一度の、定例会議を」
昼過ぎ、俺は城内の図書室を目指して歩いていた。昼食を済ませて暫く、タイミングを見計らって席を立つ。場所はわかる、隣のブラウは影の如く静かについてきていた。
「ブラウ」
「はい」
正直言って、昼食は味がしなかった。最高品質の食材を使い、最高クラスの料理人に作らせた料理だ。まずいはずがないのだが……俺にとっては、魔物を使ったロートの飯の方が美味く感じた。ツュンデンさんの豪快だが温かみのある飯が恋しい。
「めっちゃ帰りたい」
「もっと声を抑えてください。通常、このように騎士へ話しかけるというのがありえないことなのですから」
想像以上に十二貴族というのは、面倒でやりづらい相手らしい。
「もう息が詰まりそうなんだよ」
午前中、まるで世界に自分しかいないように振る舞う奴らと同じ室内にいて、非常に不快だった。寝るのにも、本を読むのにも堂々としてふてぶてしい。
「俺的に飯を残すのが気に食わねぇ。出されたものはちゃんと食え!」
「坊っちゃん」
手も付けずに残された葉物野菜を見たときは鼻の穴に突っ込んでやろうかと思った。……そんなことをしたら国際問題だが。
「帰りてぇ」
「同意です。クヴェルに会いたいです」
「……ブレねぇなお前」
図書室に着く。中に入るとそれは見事なものだった。天井まで届くような巨大な本棚、歴史書や論文、詩集ばかりでさっぱりだが。
「シュヴァルツが見たら大喜びするんじゃねえの?」
「そうですね」
とりあえず奥に向かう。俺でもわかるような童話や民話の並ぶ棚を見つけた。王宮といえども、こういう本はあるらしい。誰が読むんだろう。
少しして扉が開く。俺は壁際で詩集を読むふりをしながら懐かしい童話を読んでいた。
「詐欺野郎」
「遅えぞニワトリ野郎」
隣に並ぶニワトリ野郎。護衛の騎士はついていないらしい。
「騎士は部屋の外に待たせてる。あいつらも、俺の見張りなんて嫌だろうからな」
「……そのあたりなんだが、詳しく教えてもらうぜ?」
いつ誰が来ても構わないよう、適度な距離を保ちつつ小声で話す。ニワトリ野郎──オランジェの口から語られる出来事は、手元の童話よりも嘘みたいな話だった。
「俺はまあ、確かに牡牛領の息子だ。ただし、跡取りじゃない。兄貴がいるのかって? 惜しい、俺が兄貴だ。ただし、双子のな。
そうだ、双子。一卵性でな、お互いそっくりだ。……本来、十二貴族家に双子が産まれるなんて最悪だ。兄弟ですら争いの種になるってのに、双子だぞ双子。産まれてすぐに片方が間引かれるはずだったんだ。
でも俺達は二人共生かされた。親父が……牡牛領主は俺達によく言った。
お前達は二人同時に人前へ出てはならない。より優秀で相応しい方に息子の証、『エメラルド』の名をくれてやる。
赤ん坊のときに、どっちの出来がいいかなんてわからねぇ。ガキの頃の俺達は呼び名すら与えられなかった。ずっとおい、とかお前、とかな。だからずうっと、必死だったよ。
でもま、俺は不出来で弟はそりゃあそりゃあよくできた。俺の分を持ってかれちまったんじゃないかってくらいな。
弟に『エメラルド』の名が与えられたのは十のときだった。晴れて俺は不要になったわけさ。城の中の人間はみんな知ってる。出来のいいエメラルド様と、不出来な名無し。いつ処分されるかわからねぇ恐怖に震えながら、六年を過ごした。
十六になって、俺は家を飛び出した。目指したのはこの迷宮都市ゾディアック。冒険者になろうとしたわけさ」
「……頭おかしいな」
俺の言葉が、どっちを指しているのかピンと来なかったらしい。奴は自嘲気味に笑った。
「保険だ、保険。どっちかが死んだらお飾りだけでも置けるようにな。
さてさて、旅に出た俺だが……まずグリューンと出会った。あいつは森の中に住んでた狩人の一族でな。……なんやかんやあってスカウト、それから船に乗ってゾディアックを目指そうとした」
羊領はゾディアックとは地続きだ。牡牛領は羊領の南にある。そこ二つは繋がっていない、間に海を挟んでいた。そして牡牛領とゾディアックもまた、間に海を挟んでいる。
「となればお前らは船に乗って、ゾディアックに来たということになんのか。壮大な旅だな」
俺は準備して屋敷を飛び出したが、こいつはどうだったのだろう。その時ふとした疑問が頭をよぎる。
「ん? そういえばゲイブとか言うのとリラとか言う仲間は、蟹領出身とか言ってなかったか? ブラウと昔一緒に蟹領で住んでいたとか」
一体どこで出会ったのか。二つの領はかなり離れているが。俺の質問に苦い顔をしてニワトリ野郎は答える。
「……船に乗った俺達は、何故か蟹領にいた」
「は?」
羊領からすれば牡牛領より蟹領の方が近い。蟹領は東にあり、陸続きだ。しかし牡牛領から蟹領となれば……かなりの距離だぞ?
「船を間違えたんだ」
「どんな間違い方だよ」
俺の質問を無視して続ける。
「んで、そこで働いてたゲイブにリラと出会った。色々あってスカウトして、そこで働きながら旅費を集めた。……すっからかんになってたからな。家出してから一年近く経って、ようやくゾディアックに訪れた。それが今から半年以上前」
「大冒険じゃねえか」
「家出したあたりで、俺は自分の名前を決めた。エメラルドの名は貰えなかった。だから、自分で決めることにしたんだ。それがこの名前、オランジェだ」
冒険者申請には署名が必要になる。逆に言えばそれ以外は必要ではないため、犯罪者でも要人でも登録ができるのだ。偽名でも、構わないのだ。
「それから自由に冒険者を謳歌してたらよ、三層の神霊にボコボコにされて入院だ。半月前な」
「お前らの仲間にはあったぞ。そんなにとんでもねえのか三層の神霊は」
「やばかったぞ、マジで。死んだかと思った。……んで退院した直後、親父の使者を名乗る奴らに囲まれた。何されるかわかんねえから、あいつらを置いてついてきてみれば……身代わりになって定例会議にしか出ろって命令だ」
思わず渋い顔をする。なーんか気に食わねえな、それ。
「聞けばまあ……弟? 本物のエメラルドは体調不良だとよ。でも欠席させるだなんて格好つかねぇ。その時そうだと思いだしたんだろ。もう一人いたなって」
「……それまで死んだものとして扱ってたのに、思い出してわざわざ探して、連れてきたのかよ」
非常に、非常に胸糞が悪い話だ。俺は本を机の上に置く。
「そーなる。にしても顔が割れてるとはな……。バレねえように髪型変えたり、あいつがぜってぇしねえ顔したりしてたんだが、意味なかったらしい」
「内面は似てんのか?」
「似てねぇ似てねぇ。みただろ? 猫被りの俺。弟はアレを地でやってる。根っこは最悪だがな」
さっきまでのこいつを思い出す。常に女相手にしてるみたいなもんなのか。
「はは、そりゃ似てねぇわな。お前みたいな女狂いのクソバカヤローとはな」
「お前こそなんだあの似合わねぇ丁寧語。その着られてる見てえな礼服」
「んだとコラ」
「やんのかテメェ」
「やめなさい二人共」
ブラウの仲裁。俺らは互いにふんと鼻を鳴らし、そっぽを向いた。
「ここにいる騎士共は、俺のことを『不出来な偽物』ってわかってる。だからほっといても何も言われねぇ。周りに怪しまれない程度ならな」
「気に食わねえ」
「お前には関係ない話だろ。そんでお前は、なんで冒険者なんてしてるんだ。人格者、民の父アリエス領主の一人息子──宝石を継がないヴァイス坊ちゃまがよ」
本来次期当主達には、当主になるまでの間宝石の名が与えられる。当主としての立場に立ったとき、初めて自分の名前を教えられるのだ。
「他の家は皆代々受け継ぐ宝石の名を引いている。しかしお前は、代々続いた『ダイヤモンド』の名は受け取らなかった」
「……俺の親父が、それを振り切ったからな」
記号としての名に意味はない。
親父はそう言い張り俺に「ヴァイス」と言う名をつけた。意味をなさない音の羅列。その事実を知ったのは十を超えた頃だったか。
「親父は十二貴族という立場を嫌っている。だからだ」
というより、十二貴族だからといってその立場に甘える思考を拒んでいる。民と共に力を合わせ発展させることを第一に掲げ、自ら領地を駆け回っている。
「……そうかよ」
それは他所からするとおかしな行動に見えるそうだ。俺はそんな親父が嫌いではない。立派な俺の「夢」の形だ。
それから俺はニワトリ野郎に経緯を話した。
それらに耳を傾けながら、ニワトリ野郎はどこか淋しげな目をする。一言「そうか」と呟いた。
「お前は、きっと『幸せ』なんだな」
その言葉に込められた深い感情。それを汲み取り、寄り添えるほど俺は出来た人間じゃない。だからただ一言俺は返す。
「そうだな」
それからは無言だった。一刻も早くこのクソ長え会議が終わらないかと思いながら、内容が全く入ってこない本を読む。
これがあと四日続くのだ。愛想もクソもねぇ奴らに囲まれて、何もしねえ時間がただ過ぎるのを待つ。
長いため息を付きながら、変わらない窓の外の景色を眺めた。あいつらは何をしているんだろうか。
「────暇よ」
「暇ですねぇ」
「暇だな」
「僕らも割と暇なんだよね」
「腕が鈍るんでちょっくら解剖したいっす」
「はは、怖いこと言わないゲイブ」
「情けないの、お前達は」
二股の黒猫亭、一階ホール。僕らはみんな伸び切っていた。
「あんたら伸びてるならちょっと手伝い──」
奥の厨房からツュンデンさんが顔を出す。その途端にみんな一斉に動いた。
「教会行ってくるわ!」
「師匠、ちょっと新しい魔法教えてもらえませんか!?」
「私も是非!」
「よしこい若造共!」
「弓の手入れしてくる」
「近所の病院に手伝い行ってくるっす!」
「俺も付き添いで!」
「コラァ! 逃げてんじゃないわよ!!」
「ぼくおてつだいします!」
「ありがとうねクヴェル君……」




