32 : 再会
第三層、飛翼の天廊。
眼下に広がるのは、分厚い雲に覆われた青空。空から落ちているのだから当然といえば当然だが──見渡す限り、どこまでも青いのだ。遥か下にも雲が広がり、大地などどこにも見当たらない!?
「いや──あれを見ろ!」
シュヴァルツの言葉、指さした方向を見る。そこには、雲に隠れて小さな島があった。海に島があるのなら当たり前なことだが、その島は空に浮かんでいた。
「浮き島!?」
「よく見てみろ! 一つじゃない……いくつもあるぞ!」
大きな雲の塊を抜けたのか、視界が晴れる。
「うっわあぁ……!」
青い空の中に浮かぶ島々。一つや二つではない。今現在確認できるだけで両手の数は超えている。上下左右お構いなしに配置されていた。そのそれぞれが木の吊橋で繋がれているのが確認できる。
「下! 見えねえぞ!?」
「この階層は……左右だけじゃなくて縦にも広いんですか!?」
「そう……みたいだな!」
吹き荒れる風の中、次第に地面が近づいていく。そろそろか、と身構えた瞬間下から突き上げるように吹いた風に体が浮いた。それから地面に叩きつけられる。
「ぶえっ」
「うわっ」
「きゃっ」
計り知れないデジャヴを感じながら、シュヴァルツとロゼが俺の上に降ってくる。痛む体を押さえて立ち上がった。
「おお!」
穏やかな風、揺れる木々。これだけ見れば一層「沈黙の樹海」と変わらないが、生えている植物の姿形が大きく異なる。つるんとした硝子玉のような花弁を持つ植物。薄紫色の海藻のような茎と葉を持つ木々など変な夢のような光景が広がっていた。
「なんっだこりゃ……」
「迷宮内とはいえ、いよいよおかしくなってきたな」
シュヴァルツの言葉に大きく頷く。七つの階層に七つの世界、とは聞いていたがこんな世界があってたまるか。
「小島をどんどん渡って、下っていく仕組みなのね」
「島同士は橋で繋がれていましたからね」
「橋を渡るときに脚が震えそうですわ……」
各々の言葉にうんうんと頷きつつ、とりあえず俺は座り込んだ。
「なにはともあれ、一旦帰ろうぜ。風に煽られたとはいえ砂まみれだし、何より疲れた! 街で休みてえよ!!」
「アタシもさんせー! 十日ぶりに家帰りたいわ!」
「賛成です」
「あんたはクヴェル君に会いたいだけでしょ!」
ロートのツッコミ。ブラウのことだから十中八九そうだろう。俺は頷き、懐に手を差し込んだ.
「じゃ、帰るぞー!」
取り出すのは白い杭、帰還の楔だ。後ろの部分を押し込みながら、地面に──一応木の根元に──突き刺す!
体がぐっと浮き上がる感覚。その後周りの視界が暗転する。なんとも形容し難いが、そこから体が一度溶けて戻るような感覚がするのだ。ぱちりと瞬きをすれば眩しさに目を細める。
「────うぇっ!」
目の前に広がる棚、足元がふらついてよろめく。これを使うといつもこうだ。足元がおぼつかなくなり、軽い頭痛とめまいがする。これをシュヴァルツに伝えると、「お前は転移系に弱いんだな」とのこと。
「何回やってもなれないな……」
「蛇肉の件といい……野生児のくせに繊細さんなのね、ヴァイス」
「うるせー」
これはこの前からの変化なのだが、ロートが俺達のことを名前で呼ぶようになった。色々あっての心境の変化か、とにかく悪い気はしない。……まあしかし、ブラウとは合わないのか未だ「騎士サマ」呼びだが。
「まず風呂だ風呂! 服の中まで砂まみれだ畜生!」
俺の言葉に、皆頷き歩き出す。楔置き場の部屋を出て廊下を歩いた。胸に時計を象ったバッジをつけた職員達とすれ違う。皆俺達を見てぺこりと頭を下げて行った。いつもの事なので、俺らも頭を下げ返す。
「はいこちら黒猫支部です警備の方ですね了解しました。冒険者の方々へ依頼を出しておきます」
「すみませんギルド申請はこちらではなくてですね……」
「各領への馬車の手配と宿の準備をお願いします」
「申し訳ありませんがそちらの方は各地の衛兵にお願いできますでしょうか?」
様々な会話が繰り広げられる建物内を通過し、俺達は外に出る。さっきまでの非現実が遠くに感じる穏やかな光景に大きなため息が出る。さっきまで俺達、とんでもない嵐の中でどったんばったんしてたんだぜ?
「とか言っても信じてもらえねーんだよなー」
「? 何が? ヴァイス」
御役所を出て通りを歩く。とりあえず道端の水路に向かい、被っていたローブやマントを脱いで砂を落とした。三層はいた感じ過ごしやすそうな気候であったため、もうこの上着は必要ないかもしれない。
「溜まった素材はとりあえず風呂に入った後だな」
腕にローブを引っ掛け俺達は二股の黒猫亭目指し歩き始めた。
「ただいま────!」
「!! おかえりなさいっ!」
扉を開ければすぐさま、嬉しそうな顔をして奥からクヴェルが飛び出してくる。受け止めようと一歩踏み出した瞬間、ツュンデンさんの目がぎらりと光った。
「ちょっと待ちなあんたら────ッ!!」
その声に思わず脚を止める。クヴェルまでもが固まった。ツュンデンさんは俺達の頭の先から爪先までをじろりと眺め、それから叫ぶ。
「そんな砂塗れで入るんじゃないよ! ロート、ロゼちゃん! あんた達はすぐに上の風呂! 着替えは私が持っていくから。それから野郎共! 速攻で銭湯行ってきなさい銭湯!!」
追い立てられるようにして階段を上がるロートとロゼ。カウンター裏から出てきたツュンデンさんがクヴェルに指示を出す。
「クヴェル君! ヴァイス達の着替えを取ってきてやって」
「わかりましたっ!」
「待ってくれツュンデンさん僕ら銭湯の場所なんて……」
「ちょっと私は銭湯という場は避けたく……」
「ごちゃごちゃ言うんじゃないよ! 砂塗れの床を誰が掃除するっていうんだい!?」
その言葉で反論は封じられる。こうなれば僕らは逆らえない。少ししてクヴェルが着替えを抱え降りてきた。
「宿を出て右に進んで、三つ目の十字路を左! そしたらすぐに見えてくる。早く行ってこい!!」
「アイアーイ」
そうして俺達は素材袋や荷物を残して、宿を追い出された。
そして、
「貸し切りだぁぁぁぁ────ッ!!」
大理石の床をかけ俺は浴室へ飛び込んだ。ツュンデンさんに紹介された風呂屋は、昼間ということもあってから全然人がいなかった。着ていた装備は入浴中に洗濯され、魔法具により乾燥されるという。
「これがセントーか! 広いな!!」
「他のお客がいないからってはしゃぐなよ、ヴァイス。転ぶぞ」
「転ばねえよ! は〜気持ちよさそーだな!」
湧き出す湯をすくって頭から浴びる。少し熱めなのが気持ちいい。
「早く体を洗って大人しく湯に浸かってください」
「アイアーイ」
ブラウの忠告。俺は手を上げ元気よく答えた。
髪から足の爪の間まで石鹸を泡立て洗う。泡塗れになりながらふと横を見たとき、ふと気づいたことがある。
「────」
ブラウの弟であるクヴェルは知恵の民である。知恵の民の最も大きな特徴はその尖った長い耳。異なる民同士の子でも、母親の民を引き継ぐことになる。クヴェルは知恵の民の証である尖った耳を持っていた。
「……?」
対するブラウはそれに当てはまらない。耳元は髪で隠してしまっているが、知恵の民であればそこからでも耳の先が覗くはずだ。だから俺はてっきり腹違いの兄弟なのかと思っていた。
「……私になにか?」
「あ、いや」
隣で頭を洗うブラウの横姿。顕になった耳は、先端が切り落とされていた。我々心の民と同じくらいの長さに、切断されていたのである。泡に覆われた隙間から、体に刻まれた無数の傷が覗いていた。
「いやーさっぱりしたわー!」
「生まれ変わった心地ですね!」
頭の先から爪先までを洗い終わり、綺麗な着替えに身を包んで脱衣所の扉を開く。素材の売却などもあるので、ヴァイス達が帰ってくるまでは下にいた方がいいだろう。
ロゼと二人で階段を降りようとした際、上の階から床の軋む音が聞こえてくる。この宿にいるのは、アタシ達燕の旅団メンバー以外にはクヴェルと母さん、それ以外だと──
「あ、戻ってきてたんだ。ロート」
ギルド「鷹の目」のメンバー達。彼らとはしばらく会っていない。ヴァイス達との一件以降はずっと顔を合わせることがなかった。
「そっちこそおかえり、グリュ────」
そこで思わず、声を止めてしまった。
上の階から降りてきたグリューン。フードから覗く額に、ぐるぐると包帯が巻き付けられていた。頬には大きなガーゼ、右腕は白い三角巾に吊られ、見るからに痛々しい装いだった。
「え?」
「あっ……」
凍りついたアタシ達の視線に気がついたグリューンは、その瞳を少し伏せ、恥ずかしげな表情を浮かべたのだった。
「いやーさっぱりしたぜ!!」
湯上がりに水をがぶ飲みする俺の横で、椅子に座ったシュヴァルツが呆けている。生まれ変わったような心地である。ブラウは頭から雫を落としながら、ふとポケットを確認し眉を顰めた。
「少し席を外します」
「おーう。俺らはちょっと休んでから帰る」
ブラウが立ち上がり奥に消える。カウンターのお婆さんから装備を受け取り上機嫌で椅子に座った。柔らかいクッションが疲れた体にぴったりと寄り添い心地いい。
「ねっみぃ……」
窓から差し込む日差しと柔らかな椅子。思わずうとうとと微睡む俺達から少し離れて、声が響いた。
「もし、人を探しておるのじゃが」
幼さを残す高い声に似合わない、古臭い口調だった。
「如何なさいましたか、旦那様」
静かな室内に声が響く。卓上に置かれた銀のベル。ほの青い光を放ち微かに浮いている。「遠呼びのベル」、遠距離でも会話ができると言う魔力の込められたアイテムだ。
「ブラウ、そんなに畏まらなくていい。少し頼みがあるだけだ」
「なんなりと申し付けください」
会話相手は──ブラウの正式な主にしてヴァイスの父親、アーベント・アリエスである。姿も見えぬというのにブラウは深々と頭を下げ、ただ静かに指示を待つ。
「五日後、『定例議会』が開かれる。そこに息子を連れてきて欲しい。そして息子の護衛として君も。詳しい指示は送った使いの者に教えてもらってくれ」
「は?」
かつてブラウの口からは飛び出たことのない、素っ頓狂な疑問符が部屋の中に響き渡った。
もし、と響いた声。その声と口調に俺とシュヴァルツは凍りつく。まさか、きっと他人の空似だろう。俺は手ぬぐいを顔にかけ、ブラウが戻ってくるまで仮眠モードに移行する。なぁに、心配し過ぎなだけだ。
「あらあ、どんな子かしら? お嬢ちゃんも大変ねぇ」
「ん、ああ、どうやら見つかったようじゃ。心配かけたの。あと儂はお主より歳上じゃ。『お嬢ちゃん』などと呼ばれる歳じゃあない」
「あらあら見つかったのなら良かったわぁ。お嬢ちゃん、冗談がお上手ねぇ」
手ぬぐいで塞がれた暗い視界にも関わらず、今の俺にはシュヴァルツの表情が手にとるようにわかった。きっと俺と同じようにだらだらと冷や汗を流しているに違いない。
「さてさてさて……」
つかつかと足音が迫る。俺は狸寝入りを決め込み目を瞑った。きっと気の所為、他人の空似──な声! に違いない!!
「相変わらずじゃなぁ」
人違いです!!
ばさりと視界が晴れる。眩しい光、木の天井。そして覗き込む──深い濃紺の髪、そこから覗く長い耳。それから光の加減で色を変える瞳。瞳に映る俺は、酷く引き攣った表情を浮かべていた。
「──────あ」
閉じられた口がにいと上がる。三日月のように歪められた口から白い歯がちらりと姿を現した。
「師匠に向かい狸寝入りとは、随分大きくなったもんじゃなぁ。小僧共が」
俺とシュヴァルツは湧いて出てきた疑問や衝撃を表すために、揃って大きな声を上げる。
「ババアッ!?」
「師匠っ!?」




