1 : All be one!(後編)
俺が大立ち回りをしている間に逃げてもらったが、動揺していたのか相当の方向音痴なのか、二人は入り口とは逆に逃げたらしい。とりあえず昨日の場所につければいい。
川を飛び越え、木の上に登りあたりを見回す。赤毛の熊が木々をなぎ倒した跡がよく見えた。それを辿れば近いだろう。
大胆なショートカットのおかげで案外早く辿り着いた。昨日の不良達がいない。血の跡も変な匂いもないことから、熊が俺らに釘付けだったうちに逃げ出したのだろう。
そこに立ち、目を閉じる。風の流れ、草葉の匂い。全身で感じる。これはシュヴァルツの育ての親──森のババアに教えてもらった。
真正面、熊が飛び出した方角から獣臭。どうやらこの先に巣穴がある。だが違う。血の匂いはしない。西の方角から、少しひんやりとした風と据えた匂いを感じた。
こっちだ! 走り出す。道がわからなくなれば立ち止まり、目を閉じる。
倒木を飛び越えた向こうには岩壁があった。そしてぽっかりと空いた洞窟。間違いない、ここから風がしている。
頭にかけるだけだったゴーグルを下ろした。このゴーグルを付けていれば、暗がりだろうが日の下と変わらず見ることができる。
奥に進む。徐々に強くなる嫌な気配に肌がぞわぞわした。ぴちゃりと暗がりから液体の落ちる音。目を向ける。微かな声、何かを言っている。
──たすけて。
か細い声、その方へ走った。洞窟の天井から、いくつもの糸が伸びていた。そしてそこに絡まり、吊るされているのは。
「誰か……!」
昨日見た、不良に絡まれていた二人組。なるべく視界に入れないようにし、俺は二本のダガーを抜いた。
広間の向こうまでおよそ十メートル。糸は不規則に張り巡らされている。大きな塊があった。それを糸から切り離せばいい。
息を大きく吐く。そして吸い込む。地面を踏み込み、アキレス腱を張り─蹴る! 闇雲に動かすわけじゃない。確かに、視界に捉えた蜘蛛の巣を狙って刃を振るう。右腕を力いっぱい、引っ手繰るように強く薙ぐ。
目を開けば、広間の対岸。背後からどさどさと音が響く。糸を切り刻んだ。
俺は昔から、素早い動きが得意だ。地面に転がる影に駆け寄る。
「大丈夫か?」
揺さぶるが反応はない。俺は歯を食いしばり、繭玉を転がす。一つ一つ開放してやる余裕はない。入口近く、昨日の二人に声をかける。
「あんたら無事か!?」
「はい、その、本当に……!」
咳き込む声に混じって返事が帰ってくる。
「礼なら後だ! 早く逃げ──」
俺はうっかり、振り返ってしまった。
そしてゴーグルをつけた状態で、見てしまった。
糸に絡まり震える二人。うさぎの耳を持つ、同い年くらいの少女達。頬は赤く染まり、目を潤ませたその顔を、俺は思いっきり視界に入れてしまっていた。
「あ、が……」
途端に手を止めて震えだした俺を見て、二人は首を傾げた。
「あ、う、あ……」
告白しよう。俺は超がつく程──女が苦手だ! むしろ、恐怖の対象だ!
心の底から俺をなんとも思ってない──すでに好きな人がいる人や、結婚している人、冗談でからかってくるおばちゃんや下心の一切無いお姉ちゃんタイプの人に対しては全く恐怖心がない。そういう人に関しては、初対面でもわかるのだ。
ツュンデンさんだってその部類に入る。そういう人もわかるが、逆に俺を好意的に見ている人物も察することができるのだ。その的中率、十割。
そして今、それが反応した。全身がざわつく。思いっきり、彼女達を視界に入れてしまった。
この女性アレルギーとも言える発作が出れば軽くて蕁麻疹、重ければ気絶する。今回は後者だ。
「後ろ……!」
そんな声が聞こえたがもう遅い。完全に意識が飛ぶ、暗転する視界の隅に、誰かの脚が見えた気がした。
「爆ぜろイグニス!」
目の前で起こった小爆発。意識が覚醒する。じぃじぃと耳に障る声、視線の先には十の脚をもつ巨大な蜘蛛らしき化け物がいた。
「全く」
足音と声、そしてさっきの爆発。俺は感動で身を震わせながら振り返る。
「こんの馬鹿!! お前が女の子を助けるなんざ、無理に決まってんだろうが!!」
「ジュヴァルヅ〜〜っ!」
杖を構え、青白い炎の塊を辺りに侍らしたシュヴァルツがそこにはいた。ふんと鼻を鳴らしながら、あたりを見回す。一つの火の玉を二人の元に飛ばした。
「二人共、こいつの後を追いかければ入り口まで帰れるから」
口調はぶっきらぼうだが、きちんと案内できるような準備をしてきたらしい。何度も何度も頭を下げる二人に早く行けと促す。
「助かった、シュヴァルツ」
「礼とか言うな気持ち悪い」
「でもよく追いついたな、お前体力全然無いのに」
「予め追尾用の使い魔をお前につけてた」
「……まじ?」
「まじ。ほら、無駄話してる暇ないぞ」
立ち上がりダガーを構え直す。広場の奥からまたジジ、ジジジと声が聞こえてくる。
「これだけの広間に巣張ってたんだ。一匹な筈ないわな」
「この蜘蛛、素材剥いだらいくらになるかな」
「さあ。でも結構いるんじゃない?」
自然に口角が上がった。きっとシュヴァルツも同じだろう。
「んじゃ、これで借金返済だ!」
「ここで僕らがやられなけりゃな!」
飛び出してきた蜘蛛、向けられた脚を早業で切り刻み、剥き出しになった胴体にダガーを深々と突き刺してやる。
「脚は切るなよ! 売れるかもだろ!?」
「でも切らねえとやられんだよ!!」
そういうシュヴァルツだって燃やしてんじゃねえか! 燃やす方が売れなさそうだ。
「じゃあ氷漬けなら?」
「賛成!!」
吐き出された糸を切り刻み、シュヴァルツが氷の魔法を放つ。流石は十年来の腐れ縁、言葉にしなくてもタイミングが読める、わかる、測れる! 蜘蛛の数は減っている。まだ疲れはない、高揚感のせいだろうか。
気づけば俺は叫んでいた。だってこれが、俺の夢見た姿だったのだから!
「俺は! 冒険者ヴァイス様だぁぁぁぁ──!!」
「──で、その有様と」
「そのとーりな訳よぅ」
夕方、ここは二股の黒猫亭。ひとっ風呂浴びていい気分な俺らは、今日の武勇伝をツュンデンさんに語っていた。
あの後シュヴァルツが呼んでくれた街の衛兵達が色々と手伝ってくれたのだ。
「でもヴァイスの奴、女の子達見て速攻気絶したから倒した後のこと知らないんですよ」
「言うなシュヴァルツ!!」
げらげらとツュンデンさんが笑う。
その後シュヴァルツが衛兵に遺体のことを伝え、遺体とともに倒した蜘蛛の素材を運び出してくれるように頼んだ。
「行方不明者の話は衛兵の間でも広がっていたらしいけど、あの辺りは熊の巣が近いこともあって捜索できなかったらしいですよ。だから僕らに感謝してるって」
「俺お手柄じゃない?」
「馬鹿は誇れることじゃない」
「なんだとテメェ!!」
「やめんか!」
二人まとめて、銀のトレーで叩かれた。
「んで、蜘蛛の死骸は売れたの?」
「売れました売れました。安い素材でも数凄かったんで」
「借金返済だ〜!」
シュヴァルツの置いた袋を受け取り、中身を確認する。にっと笑うとツュンデンさんはそれをしまい込んだ。
「まいどあり〜今後ともご贔屓に」
「んじゃ早速飯! 腹減った!!」
「そういうと思ったよ。お手柄冒険者さん達に、今日はサービスしてやるよ!」
どんっとカウンターに置かれる野菜スープにバゲット。美味しそうな匂いと湯気!
「よっしゃ──!」
「ありがとうございます」
今客は俺達しかいない。ツュンデンさんの美味い飯を独占できるのは最高のご褒美だ。
「あんたら明日どうするつもり? しばらく無理に迷宮入りして小銭稼ぎしなくても良くなったわけでしょ?」
料理をしながらツュンデンさんが問う。俺らはああと声を上げ、問いに答えた。
「しばらく余裕できたしな。明日からは……」
「仲間探しでもしようかと」
夜更け、路地裏に影が歩く。向かいから酔っ払いが歩いてくる。酔っ払いは、影が肩から背負った長い筒に足をぶつけ壁に当たった。
「ろこ見へ歩いてんだてめぇ!」
呂律の回らない舌で捲し立てる。酔っ払いは赤らんだ顔で影を睨んだ。
「らんだぁ、てめぇ、そんな邪魔なもんもっへよぉ、常識がなっちゃねえんじゃねえのか? ああ!?」
酔っ払いは影の胸ぐらを掴み上げる。その時消えていた街灯が瞬き、影の姿が明らかになる。
黒に近い濃紺の髪、その隙間から覗く深い緑の瞳。その目は見るものの温度すら奪うようだ。黒衣に身を包み、肩に青い布を下げている。そこに刻まれている紋様。酔っ払いは思わずその手を離した。
「な、な、なんで、なんでこんなところに『星見の騎士』がいるんだよぉ!!」
古より存在する十二の領地。星の名を与えられた領主達に仕える、世界最高峰の守護騎士団。それが星見の騎士。
男は酔っ払いの肩を掴んだ。酔っ払いは悲鳴を上げる。それに構わず男は問うた。
「ある少年を探しています」
低く、冷たい声。
「だ、誰だよぉ!! お、オレは見逃してくれよぉ! 酔ってて、暗くて、見えなくてぇ……」
「白髪に青い目をした、少年を知っていますか?」
同時刻。迷宮都市ゾディアックの何処かに存在する巨大礼拝堂。上段以外に灯りはなく、暗い階下で人々は闇と同化して項垂れ続ける。
唯一の明かりが灯る上段に、黒い布に身を包んだ影に囲まれ、桃色のヴェールを被った小柄な影が現れる。小柄な影は壇上、燭台の置かれた卓に立った。
「皆様──」
自然とよく通る声。まだ年若い少女のものだ。あたり一面が静まり返る。皆が少女を見る。
「急なお呼び立てにも関わらず、集まってくださったこと、誠にありがとうございます」
場の空気に気圧されることもなく、少女はヴェールの下で微笑んだ。
「近々、待ち望んでいた『勇者様』が現れる──そう、神託を得ました」
その言葉に、人々はざわめいた。徐々にざわめきは歓声に変わる。少女は小さく呟いた。
「全ては銀月の御心のままに──」
遠い「ソラ」。でもその「ソラ」が偽物だということを知っている。偽物の「ソラ」に手を伸ばして、何度も手を握ったり開いたり。
「早くここまで来ないかなぁ」
誰に向けてでもないその言葉が、夜の闇に吸われていく。
かんらかんらとベルが鳴る。賑やかな酒場に、一人の影が立ち入った。奥のカウンターに座る店主の男は、彼女の姿を見て顔をほころばせる。
「おかえりぃ! 帰ってきてたのかい!?」
「おひさ〜。ようやくあいつら二層に抜けてね、やっとこさ自由の身ってわけさ」
「おかえりおかえり! お母さんのところ顔出した?」
女は唇に指を当て、少しの間思案する。それからにっと笑って店主に言った。
「まだまだ」
「行っといでよぉ! きっと喜ぶよぉ、ついでに俺のところに呑みに来てって誘っといてね。ところで、今回はどうだったのさ。報酬の方は!」
「ぼちぼちってトコ。最後の最後でケチりやがったあいつら。あーあ、マークさんいいカモいないの?」
彼女は背負った大きな黒い箱らしきものを床に置き、カウンターについた。果実水を注文し、足をぶらぶらとさせる。
「ド素人で、まだギルド申請すらしてなくて、迷宮慣れしてなくて、なるべく若い男! そんなのいないの?」
酒場のマークは顎に手を当て少し考えた。
「そういやぁこの街に来たて、迷宮初心者おまけに若い二人組がいるぞ」
その言葉に、彼女は頭の上から伸びた猫の耳をぴくりと動かす。
「それ、どこ?」
「ちょうどツュンデンさんところ。白髪と黒髪のコンビの子さぁ」
注文した果実水がカウンターに置かれる。彼女はそれを思いっきり呷った。肩に届くか届かないかの、燃えるような赤毛を手で払う。勝ち気な金の目がぎらりと光った。
「そりゃあいい。この迷宮案内人ロート様が……」
そして、八重歯を見せて笑う。
「お手伝い、してやろうじゃあないの」
「仲間は四人は欲しい!」
「僕ら以外に? 含めて?」
「六人パーティーはロマンだろ!」
俺の言葉にシュヴァルツは渋い顔をする。
「バランス考えろよ? 力馬鹿みたいなの四人とかやだぞ!?」
「俺がナイフでお前が魔法! となりゃぁ……銃とか弓とか?」
「回復役は欲しいぞ。攻撃しながら薬使うのは難しい。それに徹せる枠が欲しい」
慎重派なシュヴァルツらしい考えだ。俺は攻撃に全部振るのが好みだ。
「俺は近接型というよか速さ重視だしな〜。銃とか弓とかも決め手にかけるし。剣なり槍なりもう少し攻撃特化な枠も欲しー!」
俺たちの話を聞きながら、ツュンデンさんはにやにや笑う。
「夢を語るのは結構。でもあんたら、どーやってそんなの探すつもりだい?」
「勘!!」
「単細胞!!」
「……どうなるんだいあんたら」
これは、俺達が「夢」を叶えるまでの物語。
世界が一つに繋がるまでの、俺達の旅路だ。