26 : 俺らの勝手
悪趣味な内装の部屋、薄暗い明かりに照らされて男達は酒を飲む。女の尻を撫で服を引っ張り、男達は下品に笑う。
「────」
無法地帯な部屋の中を見ながら、黒髪の男は酒を呷った。中年代の男達の多い空間に、彼は場違いに思える。しかし上座に座り、最も上等な酒を飲む姿は貫禄すら感じられた。大柄な男が隣に座る。
「へへっ……頭ぁ、あんた本当に良かったんですかい?」
「……なんのことだ? 見に覚えがないな」
「よく言いますねぇ。あの小娘、ショックで頭イッちまうんじゃあないですか?」
大柄な男の言葉、男は無視してグラスを傾ける。
「にしても、結局教会ごと燃やしてパァにさせるんなら、わざわざ三年も猶予を与えてやる必要なんてないと思いましたがねぇ」
夕刻起こった教会の火事。それを引き起こしたのは、破落戸集団──『烈火団』だった。怪我人の有無は定かではない。しかし全焼は免れないだろう。
「三年前から、あの教会に立ち退きを迫り嫌がらせ行為を繰り返したのも俺達! そして、その教会に火をつけたのも、俺達烈火団!」
「あんたもいい趣味してますぜ、お頭!」
そしてこの黒髪の男こそが、三年前に先代の椅子を奪った若き頭である。
「十五歳だったあの小娘に契約をふっかけ、迷宮案内人として働かせたとか、最高に滑稽だ! でもなんでそんな手間なことを?」
黒髪の男はにやりと笑い、酒で濡れた唇を舐める。
「この酒は何年寝かしていた物だ?」
などと、ボトルを指して男は言った。大柄な男がボトルを手に取りしげしげと眺める。
「五十年もの……ヘェ、中々」
「それと同じだ。三年間、必死に足掻かせ寝かしておいて、解放されるその瞬間に絶望に叩き落とす──きっとその時の表情は」
男はうっとりとした顔でグラスを撫で回す。
「酒のつまみに丁度いい」
「ははっ、いい趣味してやがるぜあんたは!」
大柄な男が笑う。賑やかな室内、その外から微かに騒ぎ声。物の割れる音、倒れる音。それは段々と近づいてくる。黒髪の男は眉をひそめた。
「何事だ」
「止まれ貴様!」
扉の向こうからはっきりと、静止の声が聞こえてくる。その瞬間に扉が吹き飛んだ。寸前まで扉だった板切れと、見張りだった下っ端がまとめて床の上を転がる。
「────────ッ!!」
部屋の中を睨みつけ、肩で荒く息をしながら獣の如き形相で声を上げるのは、燃えるような赤毛に猫の耳を持つ修道服に身を包んだ女──ロートだ。身の丈ほどある銃砲を振り回し、見張りを蹴散らしここまで飛び込んできた。
「──見つけたァ!」
部屋中に視線を回し、長椅子に座る黒髪の男を捕まえる。
床を踏み込む脚、床板が捲れ砲弾のようにロートは飛ぶ。机の上の酒は空を舞い、商売女の高い悲鳴が上がる。ロートは椅子ごと黒髪の男を床に押し倒し、怒りに歪めた表情で向かい合った。
「約束と──違う!!」
「……なんのことだか」
「しらばっくれるなッ!! お前が……お前が! アタシの家に、あの子達の家に!!」
果実のように頭部を潰してやろうと振りかざされた銃砲。それを持つ手は怒りに震えていた。
「お前は言った! 三年間、金を払い続ければ、教会から手を引くと! はじめに提示された額の、三倍も、アタシは、ずっと──!!」
金の瞳はこみ上げる涙の膜で潤んでいる。凄まじい剣幕、ここに来るまでの猛獣のような勢い、それらに押されて周りの人々は何も手出しができずにいた。
「なんで火をつけた! 金を払い続けてさえいれば! 教会に……家族に! 手出しはしないと言っただろ!」
三年間、二つの家、両方の家族を守る為にロートは足掻き続けた。誰にも助けを求めず、必死に駆け回った。
「それなのに、それなのに……!」
この結末。教会には火が放たれ、愛する子供達は行き場を無くした。耐え難い怒りの炎が彼女を蝕む。全身の血は煮えたぎるように、心臓は早鐘を打つ。
「……」
男は追い詰められた状況の中にいて尚、落ち着いて彼女の目を見ている。宝石を鑑定するように、値踏みをするようにその金の目を覗く。それから口元を三日月のように歪めて笑った。
「本当に、なんのことだかさっぱりだ。私達はここで気分良く酒を飲んでいただけ、君の教会に手出しなどしていない」
「嘘を……つくな!!」
「証拠は?」
余裕綽々な男の顔に、ロートは唸り声を上げる。確かに、烈火団が火を放ったという証拠などなにもない。真っ赤に染まる教会を見て、怒りのままに飛び出したロートはそれを失念していた。
「頭から離れろ!」
ロートの両脇に大柄な男達が立つ。彼女が振り返る刹那その体を拘束、男の上から引き剥がす。それでもまだ藻掻くロートに、男は上着の襟を正しながら近寄る。
「頭、危ないのでお近づきにならないよう……」
「殺してやる! 殺してやるッ! あの子達の家を……アタシの帰る場所を!! 返せェ!!」
「構うな」
男は吼えるロートの顎を掴む。ロマンチックな優しさを込めたものとは程遠い、力任せに視線を合わせるための行為。ロートは歯軋りをし、その手に喰らいつこうと足掻く。男はしげしげと瞳を眺めたあと、その耳に囁いた。
「今回の件は御愁傷様だな、ロート君」
「ッ……ざけんなァ!!」
振り上げられた脚を押さえ、骨の軋む音がするまで握る。痛みに喘ぐ声を堪能した後、男はその手を離した。
「さて、君が守り続けた教会は灰になったわけだが……。流石に私にも人の心はある。来月の支払いは、遅らせてあげよう」
「ふざけるな……。お前達のせいで、もう教会は無くなったんだ! なのになんで金を払う必要がある!!」
「おやおや、それもそうだな。……ああそうだ」
そう言って、男はロートの耳に囁いた。
「君が今まで納めた金で、教会を建て直してやろうか? ……ああ安心するといい!」
彼女から手を離し、にやにやと笑う。
「また三年かけて払い戻してくれればいいさ」
その言葉に、ロートは抵抗する手を止めた。だらんと腕を投げ出し、瞳孔の開ききった目で男を見る。涙すら流れない。ただ、怒りを超えた無が襲いかかる。
「────してやる」
声にならない声を紡ぐ唇が、微かに震えた。男が聞き返すように耳を澄ます仕草を取る。ロートは二度三度、唇を開いて言葉を発した。
「殺してやる……絶対、殺してやる。アタシは、お前を許さない。お前達を、許さない」
その言葉。その瞳。深い絶望をたたえながら、怒りの火を灯し続ける金の月。男はそれを見、嬉しそうに笑った。声を上げ、顔を手で覆いながら。探しものを見つけたときの子供のように、無邪気な顔をして。
「報復すると? やってみるがいいさ。もっとも君に、共に牢屋まで来てくれるような仲間は、いるのかな?」
ロートは答えない。連れ出せという命を出せば、男達に引きずられながらロートは去った。見えなくなる最後の瞬間まで、その目は男を捉え続けていた。
荒れ果てた部屋の中、男はどかりと長椅子に座る。顔を手で覆い、くつくつと笑った。不安そうに眺める部下のことも気にせず、笑い続ける。
──三年待ったかいがあった。
夜は更けていく。
ロートが教会の跡地に戻ってきたのは、火事が起こってから二時間以上経過してからだった。何も考えず烈火団のアジトを襲撃し、何も得ずに戻ってきた。
「あ……」
火は消えている。立ち上る黒い煙も夜の闇に吸い込まれていく。まだ何人かの人達が広場に集まり、その様子を眺めている。
「ロートちゃん……」
ふらつきながら歩くロートの姿を見て、人々は道を開けた。元の原型もないほど焼け焦げた教会を、ロートはぼんやりと眺める。誰も声などかけられない。ただ遠巻きに見守るだけ。
「ねえ、みんなは?」
掠れた声でロートが言った。ここにいる皆、ロートの事情は知っている。酒場のマークが恐る恐るその問いに答えた。
「みんな、無事らしい。何人かは火傷や怪我をしていたけれど、死人はいないって」
「どこにいる?」
「あ……えっと、とりあえずみんな、いろんな宿や店屋に匿ってもらっているよ。ロートちゃんも早く……」
「うん、わかった。ありがとう」
よろめきながら、ロートは教会跡地まで歩み寄る。火は消えたものの、まだ薄っすらと煙が上がるそれ。付近の人は彼女を引き留めようとしたが、やんわりとそれを流す。振り返り、笑顔を浮かべてロートは言った。
「ちょっと燃え残りがないかみるだけ。大丈夫! 教会のことは、アタシ、なんとかするから!」
皆の伸ばした手は行き場を無くし、ゆっくりと引き下げられた。ロートは何食わぬ様子で、崩れた柱の向こうに消える。その後ろ姿を眺め、彼らはただ立ち尽くす。貼り付けたような笑顔の歪さに、彼らは気がついてしまったから。
燃えた床板を踏みつける音。靴底と炭が擦れ合う感触。ロートは目の前に広がる光景を眺める。
子供達と遊んだ礼拝堂、長い廊下。静かにしないと怒られる、シスター・フランメの部屋。半地下への階段、その奥にある懺悔室。子供達が毎日、寝物語をねだった寝室。
真っ黒なのは、夜の暗さのせいじゃない。すべて焼け落ちて、崩れ落ちて。もう戻らない。
「──────あ」
闇の中、掠れた声。がしゃりと音を立てて膝をつく。焼けた地面に拳を打け、赤毛を振り乱しロートは口を開く。
「ああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
堪えきれない嘆き、怒り、悲しみ。言葉に表せないほどの後悔が波のように押し寄せる。彼女は海など見たこともないというのに。
「あっ、あぁっ、うわぁぁぁ! あああああああああ!!」
声にならない叫びが響く。涙という言葉には収まりきらない慟哭が、絶望が闇にこだまする。ごめんなさい、とも違う。許せない、とも違う。怒り、悲しみ、後悔、絶望、すべての負の感情が合わさった嵐が彼女を襲う。
こみ上げる怒りは全ての元凶へか、彼らに踊らされていた自分自身へか。わからない、わかりようがない。ただ彼女は泣き喚く。
癇癪を起こした幼い子供のように、涙や鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら彼女は叫んだ。無意味に、踊らされ続けた三年間。あんな奴らに、人の心などあるはずもないのに。見逃してくれる優しさなど、持ち合わせていないのに。
それを信じた自分自身が、愚かさが憎らしい。繰り返し繰り返し、炭と化した床板を殴り続ける。
どれだけの時間が経過しただろう。次第に声も弱まる彼女の背後に、人影が現れた。何も言わない。何をするわけでもなく、彼女の背後に立ち続ける。彼女もその存在に気がついていた。それでも、何も言わなかった。
「──────っ」
影は四つ。遠巻きに彼女を見守るように、少し離れた場所に立つ。ロートはゆっくりと立ち上がった。人影に背を向けたまま、問いを投げかける。
「──何しに来たの」
影は答えない。
「もう、関係ないって言ったでしょ」
何も答えない。
「さよならって挨拶も、もう会わないってお別れも、全部したじゃない」
ただ、闇夜に声は吸い込まれる。痺れを切らし、ロートは背後を振り返る。暗影に向い声を張った。
「もうアタシとあんた達には、なんの関係もない! 勝手にしなさいよ! いつまでも構ってないで……早く、深層でもなんでも行きなさいよ!」
手元にあった瓦礫を投げつける。それは適当な地面に落ちて、軽い音を立てて弾んだ。ロートの体が崩れ落ち、焼けた床板に座り込む。
「もう放っておいて……。アタシに、これ以上眩しい景色を見せないで」
項垂れ、顔を手で覆いロートは呟く。かつて見せたことのない弱々しい声と態度。夢を捨てざるをえなかった彼女に置いて、彼らの姿は──夢を追いかける姿は、眩しすぎたのだ。
「ああ、勝手にする」
ざり、と床を踏む音がした。天井が崩れ落ちた、月明かりの差し込む真下まで、影は出てくる。
「俺達はもうお前と関係がない。だから、何をしようと俺達の勝手。お前に頼まれたからなんかじゃない。もう、『助ける』なんかは言わない」
白い髪、同じ色をした長い睫毛は月光に照らされきらきらと。澄んだ海のような、空のような瞳はゆらゆらと燃えている。それは怒りか、悲しみか。
「俺達はただ、あいつらがしたことにムカつくから、やり返しに行くだけだ」
ロートは、顔を上げる。目の前に立つ四人。彼らは皆、彼女を見ているわけではない。焼け落ちた教会を見、ただ静かに、心へ火を灯す。
「お前が言ったよな。『そんな覚悟あるの』って」
白髪の少年──ヴァイスは、そこでようやくロートの目を見た。涙と鼻水、煤で汚れたその顔を見ても何も言わず、ただ金の瞳を見据える。交差する空の青と、暗闇で灯る金。
「俺から聞くぞ、ロート」
そして、座り込む彼女に手を伸ばす。
「俺と、地獄まで墜ちる覚悟はあるか?」
月を背負って、闇の中に立つ白。
いや、それはもはや月ではなく──己が燃え上がる、星そのもの。
ロートは眩しさに目を細める。そこで気がついた。
ああずっと、自分は彼に憧れていたのだと────
「地獄だろうがなんだろうが、どこまでだってついていく。
いや……ついていかせて、リーダー!!」
そして彼女は、星の手を取った。