23 : 二人の母
「ツュンデンとこの客だぁ〜?」
咥えた煙草を噛みながら、シスター・フランメはそう言った。俺はいつもの──女性アレルギーとでも言うべき反応──ではない理由で固まっている。俺だけでなく、シュヴァルツとロゼも硬直していた。
「────」
彼女がシスターと言って「嘘だ!」と言わない人間はいない、そう思うほどの外見。まず煙草咥えるな! 一目見た瞬間撃ち殺されるかと思った。
「ふぅ〜ん……」
ブラウが軽く説明してくれたおかげで、あの獲物を見る蛇のような目はやめてくれたが、それでも訝しげに俺達を見ている。震え上がる俺達をひとしきり眺めたあと、にぃっと目を細めて笑った。
「ロートについて聞きたいのか! 教えてやるとも! さあ中に入りな!」
けらけらと声を上げて笑うその姿に、すっかり俺達は気が抜けた。その笑顔に敵意は無く、おどろおどろしさも全く無い。まるで、子供の友達が遊びに来たときの母親のよう。
「ちょっとま──」
俺とシュヴァルツは襟首を引っ掴まれ、教会の中に運ばれる。若いシスターがブラウに向かってひらひらと手を振った。引きずられながらシュヴァルツが小声で問う。
「ヴァイス、この人も大丈夫なのか?」
「おう。なんか、初見のインパクトが──ゔェッ」
一瞬首が締まった。何も言わないでおこう。
表の大扉を開け、礼拝堂へ。中にいた数名の人影が、俺達を見てぎょっとする。それも気にせず奥の廊下へ。
「だ、大丈夫なんです……? シュヴァルツ様……」
「意外と」
廊下や内装は古びているが、木の光沢がしっかりと浮き出ていることから、日々の掃除の丁寧さがわかる。軋む廊下に浮かぶ斜陽の影。結構置くまで引きずられ、部屋の中へ連れられた。
「ほら座りな!」
長椅子にぽいぽい投げられ、ロゼはシュヴァルツの隣に座る。ブラウは扉を閉めた後、座らず背後に立った。向かいの椅子にシスター・フランメが腰掛ける。長いスカートに包まれた脚を組み、白い手指を組み交わし膝の上に置く。
「さぁて……狭いところで悪いね。でも懺悔室よか、ましだろ?」
懺悔室、その言葉にブラウの眉が動く。何故だろう。
「懺悔室にこんだけの人数は入んねえよ」
「そりゃあそうさ!」
何が面白いのかけらけら笑う。ひとしきり笑った後、前屈みになり俺達に視線を合わせた。
「ロートが世話になったね。ご存知の通り私はフランメ、この教会のシスター長さ」
彼女のスカーフェイスが、窓から差し込む日に照らされる。
「私の話をする前に、ロートとツュンデンについて聞けるかい?」
ロートとの冒険、ツュンデンさんとの日常。俺達は語れる限りで語り尽くした。フランメはうんうんと頷きながらそれを聞く。一通り話し終えたあと、咥えていた煙草を灰皿へと落とす。
「なるほどねぇ……。あいつらは、楽しくやれてたわけか」
新たな煙草を咥え火を付ける。先から上がる煙が天井に吸い込まれるのをゆっくりと見、それから彼女は笑った。
「ありがと。よぉくわかったよ。……じゃ、私の話をしようか」
鳶色の瞳がきらりと光った。
「まず私とあいつらの関係を説明しないとね。ツュンデンとは、若い頃からの知り合いだ。そうそう、冒険者時代からのね。私は冒険者じゃあなかったけれど。……何歳かって? 女性にんなこと聞くんじゃぁない。
とにかく、ツュンデンとは昔からの付き合い。あいつが『ゼーゲン』にいたことも、そこで最奥を見たことも……そのせいで、国を追放されそうになったのも知っている。全部見てきた。側にいたからね。そんでロートとの関係は……うん、第二の母親みたいなもんさ。本当の母親と同じくらい面倒を見てやったんだよ。
──さて、あんた達はツュンデンの事情についてどこまで知っている? ……ゼーゲンのメンバー、指名手配、そんなもんかい。うん、ここから説明が必要か。ゼーゲンのメンバーはまとめて手配され、この国を追われた。それなのに何故ツュンデンはこの国で宿屋をやっているのか、疑問に思ったことはあるだろう。宿屋をやって、街の人と交流しているのにも関わらず、衛兵や役人など王宮に繋がる人間が多くいる場を避ける。
その理由は簡単さ。あいつは、とある奴と『契約』している。その契約主は目立たず、この街から出ずひっそりと生きるのなら、お前を無罪にして生かしてやると言ったわけさ。もちろん、それに大人しく従う奴じゃぁない。逃げ出そうとしたんだ、あいつも。まだロートが生まれる前だったねあれは。それであいつは……いや、ここまでは言わなくていい。とにかく、あいつは一生飼い殺しにされることを選んだ。そうすれば、命だけは助かるからね。
……ん? 契約主は誰か? なんで衛兵達を避けるのかって? それは──うん、これは言える。あいつの契約した相手は、王宮の人間さ。だからその王宮に繋がる衛兵達も、評議会連中もあいつは避ける。血気盛んな新兵達は、ツュンデンから他の仲間達の情報を聞き出そうとするからさ。……まあ今の世代、あいつの顔を知ってる若い子も少なくなったから、もう気にしなくてもいいんだけどねぇ。
さてさて、そんな事情でひっそりと身を潜める中、ロートが生まれた。もうそりゃあそりゃあ可愛がってたね。毎日人に自慢をたらたらと……。聞かされる側からしたらたまったもんじゃない!
──ロートが五歳になった頃だったか。あいつは私にロートの面倒を見ることを頼んだ。もちろん理由を尋ねたさ。そしたらあいつ、なんて言ったと思う? ……『私では、ロートと共に外で遊ぶこともできやしない』ってね。
その頃はまだ今みたいに、【ゼーゲン】は過去の存在じゃぁなかった。ゼーゲン最奥到達の報が流れてからまだ十年も経ってない頃だもの。
もし外に出て、衛兵にでも見つかればそこで二人は離れ離れ。まだ幼いロートにはわからなかったんだろう、幼いあの子に言われたそうだ。『どうして母さんは一緒に外に出てくれないの?』と。
そしてあいつは、私にロートの面倒を見るように頼んだのさ。日中は教会に通い、私の元で一般教養や体術を学ぶ。夜になると宿に帰り、ツュンデンの元で冒険者としての知識を学ぶ。
そんな中で、ロートは自分の置かれた状況に気がついたのさ。誰も、直接言うことはしなかったけどね。母親が、世紀の大嘘つきとして手配されたギルドのメンバーであること。母親は身を潜める代わりに、命だけは見逃されているということ。
──十歳になる頃には、あの子はそれを知ったのさ。
それから、あの子はこの教会に住み込みで修行することになった。私みたいなシスターになるんだと言ってね。次第に宿にも戻らなくなった。ロートが何を思っていたのかはわからない。母親は大好きだし、尊敬している。それでも……少しだけ、遠慮をしていたんじゃないかな。
とにかくまあ、ここでシスターとして暮らす中で立派なレディになったのさ。この教会は、子供達が多いからね。冒険者だった親を迷宮で亡くした子供や捨て子、みなしご達……なんでかうちに集まるのさ! 金もないボロ教会だってのにねぇ!
そんな子供達を、ロートは可愛がった。一緒に遊んで、勉強を教えてやって、母親から聞いた冒険譚を寝物語に伝えてやって……。それが、今から三年前。あの子が、十五になるまでの日々さ」
長い長い語りを終えた。短くなった煙草を落とし、灰皿をじっと眺める。
二人は互いをどう思っていたのだろう。当事者にしかわかり得ないことだが、考えずにはいられない。俺達が知る限りでは、とても仲の良さそうに見えたが本当は、そんなフリをしていただけなのかもしれない。
「……ヴァイス?」
ふと親父のことを思う。親父は親父なりに、俺のことを大事にしてくれていたのだろうか。母がまだいた間、よく三人ででかけていた気もする。十歳になった頃には、ほとんど屋敷に父はいなかった気もするが。
そんなことをぼんやりと考える俺の目の前で、シスター・フランメはじっと視線を下ろしたまま。組み交わしている手に力がこもる。
「そういえばまだ、何故ロートが迷宮案内人になったのかという話はわからないままだぞ」
彼女が集めている金といい、まだこの話には続きがある。俯いたまま、フランメは言葉を続ける。
「急かすな。……ある奴らがいた。非合法な手段で土地を奪い、市民から金を巻き上げ、違法な店を開く破落戸集団。多くの市民が訴えても、王宮と繋がっている奴らは無罪放免。
そんなどうしようもないクズ共のリーダーが、三年前に変わった。いけ好かない若い男、まだ二十歳かそこらの男さ。
そいつは、この教会。広場の隣に建つこの教会に、目を付けた」
膝の上の手に力がこもる。血管が浮き、小刻みに震えた。後悔、怒り、悲しみが合わさった表情を浮かべ、彼女は続きを語るのだった。




