22 : 母と娘と男と女
「うおおおおおおおおおお!!」
正しく猪、そんな勢いで迷宮一層を爆走する。目指すは街、最短距離で入り口を目指す。行きは探索しつつ寄り道しつつでゆっくり潜ったが、帰りはもう気にすることもない。最短、最速が重要だ。
「後方から魔物! 猿型だ!!」
「無視すんぞ!」
ロートが欠けたことにより、遠距離の攻撃が困難になった。短剣使いの俺は勿論、槍使いのブラウも遠距離攻撃は困難だしシュヴァルツの魔法も限界がある。やはり銃使いというのは必要な役割だなとつくづく思った。
「あのヤロぉ……」
歯を食いしばりながら走った。今は昼過ぎ程、このペースで寄り道せずに戻れば、明日の朝にはつけるだろうか。
「ただいまァ!!」
激しい音を立てて扉を開ける。奥で座っていたツュンデンさんとクヴェルが目を丸くしていた。続いて入ってきたブラウの姿を確認し、クヴェルが駆け寄っていた。
「ロート、帰ってきてるか!?」
カウンターに手をつき問う。それに、ツュンデンさんは少し眉を潜めた。
「帰ってきたよ。……荷物をまとめて、出ていった」
「……そうか」
水を出してもらい思いっきり呷る。全身に染み渡るようだ。
「あの子、挨拶もロクにせずに帰ったのかい」
「そーだよ。だから必死こいて追いかけてきたのによぉ……」
現在はロート離脱翌日の朝、昨日予想した通りの時間だった。ロゼに肩を抱えられて、シュヴァルツが遅れて入ってきた。貧弱め。
「……あんたらでも、止められなかったんだね」
空いたグラスのふちを指先で撫でながら、低く沈んだ声を出す。皆が揃って一息ついた後、質問を投げかけることにした。
「ツュンデンさん」
「何さ」
「なんでロートは、迷宮案内人なんてやってるんだ?」
あいつはまだ二十歳にもなってない。それなのに、迷宮に対して慣れた言動をし、戦闘の技術も並ではない。契約時にこそ、俺達のギルドに入って引退してしまえと言っていたツュンデンさんが、今何も言わないのも謎が多い。
「私からは、何も言えない。何も言う資格がない」
しばしの沈黙をあけて口を開く。それから取り出した紙にさらさらと何かを書き記した。それからその紙を俺達に差し出す。
「今日はゆっくり休んでくれ。御役所に顔出すなり、素材を売ってくるなり、ロートのことは一旦気にせずにね。それから明日、ここに行っておいで。私より詳しく話せる奴がいるから」
そう言って、上の階に促す。何も言う資格がないとは、どういう事だろうか。いつになく沈んだ様子のツュンデンさんに、深く聴き込める程能天気ではない。
「……行こう」
とりあえずは皆揃って上の階に上がることにした。階段で「後で俺達の部屋に集合」と言うのを忘れずに。
三階建ての「二股の黒猫亭」には、客室が合わせて八部屋存在する。二階に三部屋、三階に五部屋。
そして現在、三階一番奥の俺とシュヴァルツの部屋に全員揃って集まっている。各々楽な格好に着替え、軽く体を洗っての集合だ。
「ロゼ、ロートの部屋は?」
俺は二段ベッドの下の段に座り──下の段はシュヴァルツのものだが、文句を言わないので今は座らせてもらっている──、遠慮がちにカーペットに腰掛けるロゼに質問した。
「ロートさんの荷物……全部無くなってました」
ロゼは眉をひそめて答える。ロゼとロートは二階の部屋で共に過ごしていた。その答えに頷き、俺は切り出す。
「ロートとツュンデンさんには、何があるんだと思う?」
シュヴァルツが書き物をする机の椅子に腰掛け、ブラウが入口付近の壁に持たれて立ち、何故か連れてこられたクヴェルがロゼと並んで座っている。皆何も答えない。俺にも答えはわからない。
「……仲は良さそうだけどね」
シュヴァルツが言った。確かに、いつも宿にいる間は良く話すし一緒に笑っている。不仲だということはない。
「普通に、あの年代だからこその気軽に接せない部分があるのでは」
ブラウの答えもあり得る。十八にもなって親の過干渉は嫌だと思うかもしれない。実際ツュンデンさんが俺達にロートをギルド入りさせろと言ったときは、困った顔をしていた。しかし、
「ツュンデンさんがそのくらいで引くかぁ?」
その時のことを思い返せば、あんなふうに沈んだ顔はしていなかった。むしろ本気で迷宮案内人に反対していた。何よりあのツュンデンさんが娘に強く言われたくらいでヘコむとは思えない。
「じゃあ、他の理由は思いつくのか?」
「思いつきません」
「ほらね」
頭を抱える俺を見て、ブラウは疑問を投げかける。
「そもそも、ロート嬢は正式な仲間ではないと承知の上で契約したのでしょう。何故深追いするのですか」
「あんなお別れ、私は嫌です!」
ロゼが大きな声を出す。白いスカートの裾を握り、俯いて声を絞り出す。
「短い間だったとはいえ……それでも……」
ロゼの気持ちもわかる。俺は立ち上がりロゼの肩を叩いた。
「俺も同じ気持ちだ、ロゼ」
それからブラウに指を突きつける。
「俺はあいつの『冒険者』としての野心に、あの目に惹かれたんだ。条件が良かったとかそういうやつじゃねぇ」
指差すなと言わんばかりの顔。大人しく指を引っ込める。
「だからこそ、せめて話をしたい。必死に金を集める理由があるのなら、何か苦しんでいることがあるのなら、礼金代わりに手助けしてやりてえ。これが動機じゃぁわりぃか?」
俺の言葉に、ブラウはゆっくり瞬きしてからため息をついた。
「……いえ。とにかく、坊っちゃんが無駄に人情に厚いということはわかりました」
無駄って言うな。俺はまたベッドに腰掛ける。
「えっと……」
おそるおそる、クヴェルが言った。そういえばブラウが連れてきて、場の空気にかなり萎縮してしまっていたらしい。
「わりい、クヴェル。変な話聞かせちまってんな」
「それはだいじょうぶ。……その、ロートねぇのことだけど……」
クヴェルはこの宿にいる。ツュンデンさんとよく一緒に下でいるはずだ。ならば、荷物を取りに来たロートと会っているかもしれない!
「ロートがどうかしたのか!?」
「きのうのおひるに、ぼく、ロートねぇをみたんだ。教会で……」
教会? クヴェルはずっと宿にいるはずでは……。代わりとでも言うように、ブラウが続けた。
「近頃、クヴェルは昼から街の教会に通っているんです。そこに友達ができて、午後になると迎えに来てくれるのだとか」
「へぇ……。んで、その教会であいつと……」
教会、教会? そういえば、ロートと初めてあった日──
「その教会って、『出会いの広場』のところか?」
「ええ」
そうだ、あいつは一応シスターをやっていると言っていたじゃないか! そういえばと思い出し、ツュンデンさんに渡された紙を見る。そこに刻まれたのは地図と、人の名前らしきもの。
「この位置……あの教会だ。それと……『シスター・フランメ』?」
あの教会で、ロートは子供達と遊んでいた。あそこに行けば、確かにロートに会えるかもしれない。だが気になるのはこの名前。「私より詳しく話せる奴がいるから」という言葉、この人に話を聞けと言うことか。
「あっと、それでクヴェル、ロートを見て何があったんだ?」
「あ、うん……。ぼくがロートねぇに声かけたら、ロートねぇがわらって、あたまをなでてくれたの。『もうくろねこていには帰らないけど、げんきでね』って……」
──帰らない? ツュンデンさんの口ぶりからして、以前からちょこちょこ宿には帰ってきていたらしい。同行している冒険者達の契約宿に泊まり込む場合もあったらしいが。
「仕事のないときは戻ってきてたみたいだよな。鷹の目連中の話からするに」
どういうことか、俺は考え込む。聞きたいことがまた増えた。
「今から行くか?」
「いや、ツュンデンさんの約束通り今日はゆっくりしよう。俺がこの楔とやらを砦に持って行ってくるから、シュヴァルツとロゼで素材を売ってきてくれ。ブラウはここで異常がないか見ててくれ」
ブラウはゆっくりクヴェルといてもらおう。長い間会えなくて殺気立っていたからリフレッシュもかねてだ。
「んじゃま、解散!」
街の一角にある屋敷にて。
薄暗い部屋、悪趣味な装飾、長椅子に座る男と女。黒髪の男は、若い女が着ている薄っぺらい服を引っ張り困らせる。
「いやだぁ、そんなところ引っ張っては」
女は身をくねりくねりと動かして、それから逃げる。黒髪の男は何も言わない。扉を叩く音がして、黒髪の男が返事をした。扉を開け、深々と頭を下げるのは若い男。
「なんだ」
「頭、来客です」
「つまみ出せ。今は王宮に献上する女の具合を見ているところで──」
「ロート嬢です」
その名前を聞いて、男は長椅子に座り直す。服のはだけた女を促し部屋の外へ追い出した。脚を組み、膝の上で手を組み落ち着いた様子で言った。
「早く連れてこい」
「了解しました」
若い男は部屋を出る。それから少ししてまた扉を叩く音。
「入れ」
入ってきたのは若い男と、迷宮に潜る際の武装をしたロート。銃砲こそ持ってはいないが、手足の装甲はつけたままだ。鞄を下げて臆することなく部屋に入る。
「相変わらず悪趣味」
「はっ、変わらずだな。いつになったらその武装は解いてくれるんだか……」
「あんた相手に油断も隙も見せられるわけないわ。……ほら、今月の分よ」
そう言ってロートは、投げつけるようにして鞄を突き出す。男はゆっくり口を開き、中を見た。
「……ご丁寧なことだな。ロート君」
「……『契約』でしょうが。あと名前呼ばないで、気持ち悪い」
顔を歪めてロートは吐き捨てる。
「忘れたとは言わさないから。来月で、この悪趣味な屋敷に来なくても良くなるって考えたらせいせいするわ」
「忘れはしないよ。……せっかく三年間、毎月必死に金を集めてくれてるんだからな」
にやりとした笑みを浮かべる男に、ロートは嫌悪を隠しきれていない。むしろ、隠すつもりはない。
「あの子達のため……あんたと会うのは死ぬ程嫌だけど、耐えてきたのよ」
「死ぬ程嫌ときたか! 面白い」
「何がよ。吐き気がする」
それからロートは身を翻し、扉に手をかけた。その背に男は声を投げかける。
「ロート君」
「……名前を呼ぶなと言わなかった?」
「また来月会えることを、楽しみにしているよ」
その言葉に、何も言わず部屋を出た。腹いせだと言わんばかりに力一杯、壊れるのではないかと思うほどの勢いで扉を閉めた。
「──────」
閉じられた扉を眺め、男は乾いた唇を舌で潤す。その目はまるで捕食者のような目をしていた。
「えーっと……ここだったよな」
俺の言葉に全員が手元の地図を覗き込む。
「あってるな」
「あってますわ」
「あっています」
「あってるよ!」
……クヴェルも含めた全員に言われるほど俺は方向音痴だと思われているのだろうか。
「相変わらずだなー。ここ」
会議から翌日、ロート離脱からは二日後。俺達はツュンデンさんのメモに従い教会を訪れていた。いつぞやの「出会いの広場」。子供達がはしゃいで走り回り、黒衣に身を包むシスターがそれを追いかける。その中にロートはいない。
「ええと……シスター・フランメねぇ……」
女性相手の聞き込みは俺には無理だ。そのとき、向こうにいた若い女性シスターがこちらを向く。
「あら! ブラウさんじゃないですか」
「おはよう御座います」
「クヴェル君もいらっしゃい! 今日も遊んでいく?」
「はい!」
どうやらブラウはだいぶ顔が知られているらしい。……物凄く目が死んでいるが、顔立ち自体は悪くないからだろう。目は怖いが。クヴェルを子供達の元へ送り出し、ブラウは俺に問いかける。
「ロート嬢について直接聞き出しますか?」
「いんや、とりあえずシスター・フランメって人のことを聞こう」
「マザーのこと?」
どうやら女性にも聞こえていたらしい。マザーということは、シスターの中でも偉い人なのだろうか。
「マザーなら──」
「私になにか用かい」
彼女の背後から声がした。彼女が振り返り、ぱっと笑顔を浮かべる。
「ああマザー! 出てきていらしたんですね!」
「陽の光が浴びたくてね。ところで……」
思わず俺、シュヴァルツ、ロゼの三人は凍りついた。黒いヴェールに黒い装束、それは多くの人が思い浮かべる一般的なシスターの格好である。
「……貴女が、シスター・フランメ?」
金の前髪は長く顔の右半分を覆う。ぎらりと覗く鋭い三白眼、右目に走る大きな傷。口には火のついた煙草、腰に手を当て俺達を見下す。マザーと呼ばれたシスター・フランメは、蛇のように俺達を一瞥した。
「なんだい、あんた達」
後にシュヴァルツはこう言った──「もしかして僕達が訪れたのは、教会ではなくてならず者のアジトなんじゃあないかと思った」と。