21 : 契約満了
蛇肉食中毒事件から一週間後──。
「ついたぁぁぁぁ───!!」
俺達「燕の旅団」はついに、一層中心部へ到達した! そこは、大きな広場になっていた。なにもない、本当になにもない。中心部に大きな樹があること以外は、公園と言われても納得する原っぱだ。
「ババアの家ににてんな。木に囲まれてる広場って」
「あそこよりもっと広いだろ……でもなんなんだここ」
さっきまで立っているだけで魔物の声が聞こえてきたというのに、今聞こえてくるのは風の音と枝葉の揺れる音のみ。迷宮の中とは思えない静けさに包まれていた。
「ここはホントに魔物も出ない、数少ない安全地帯なのよ」
「へぇー」
「なんのための広場かは知らないけどね」
ロートの言葉に三人揃って返事をした。
「んで、とりあえず次の階層への階段はどこだ?」
「奥」
ロートは広場の中央を指差す。大樹の根本、よしあそこか!
「競争だ!」
「あっ、待てヴァイス!」
「私も行きますわ!」
三人揃ってどたどたと走る。途中から、飛んだロゼに追い越された。
「ずるいぞロゼ!」
「正々堂々走れ!」
「ハンデということでお願いします」
結局一番乗りはロゼだった。シュヴァルツがぜえぜえ言うのを聞きながら、大樹の根本を覗き込む。大きな虚になっており、中には空間があるようだった。シュヴァルツが木の表面を擦る。
「どーした?」
「魔力の残滓を感じて……このあたりに、何か書かれてないか?」
こいつのこういう勘はよく当たる。そのあたりをきょろきょろ見回し、表面をさすった。ざらついた木の感触、一見なにもないように思える。
「……気のせいかな」
「気のせいじゃね?」
首を傾げるシュヴァルツを置いて、虚の中を覗き込む。
「この虚の中に階段が?」
眺めた途端息を呑んだ。冷えた風を感じる。それから後ろを振り返り、ブラウと並んで歩いているロートを向いた。
「あのーロートさん?」
「何よ」
「どこが階段?」
そこにあったのは、ただの大きな穴だった。真っ暗闇、そこの見えない大きな闇。ロートはああ、と声を出すとゆっくりこちらに歩いてくる。
「言ってなかったっけ?」
ブラウも穴を覗き込んだ。並ぶ四人の背後に、ロートが一人だけ立つ。
「これが各階層を繋いでるの。別名『風の通り穴』」
どんっ、と、背中を押された。四人揃ってだ。体がぐらりと傾いて、視界が闇の中に突入する。
「え」
振り返りロートの顔を伺う。イタズラが上手くいった子供のような、いやそんな生ぬるい言葉で言い表せやしない。凄く、口では言い表せないような悪い表情を浮かべていた。
「うわああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ──────っ!!」
「ぎぃやあぁぁぁぁぁぁぁ────────ッ!!」
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ────!!」
俺、シュヴァルツ、ロゼの悲鳴が響き渡る。真っ暗闇の中を落ちていく感覚、頭上に見えた明かりが遠ざかる。
「ころっ、殺す気なんだあのヤロー!! 二層までとか言っといて、あいつ、俺らを!!」
「失敬ね! あんたら殺したら報酬貰えないじゃない」
上から響く声。こいつも一緒に落ちてきているのか?
「よーく目ぇ凝らして下見なさい!」
下? その時気がついた。遥か下に見える光、いや、どんどんと近づいていく。一体何があると言うんだ。光はどんどん迫り、眩しさに目を細めた。
「────あ……」
まず感じたのは乾いた空気。そして、目の前に広がる青空。眼科に広がる茶色の大地、砂と岩に覆われた荒野。複雑に入り組み、谷間が存在し、どこまでも広い。
「ここが第二層──『砂塵の荒野』よ!」
ロートの声が響く。下から吹き上げられる風を浴びながら、俺は眼下の光景に見惚れていた。ここが、第二層!
「──って、このまま行ったら俺らミンチにならない?」
そうこうしている間にも、段々地面が近づいてくる。
「ごちゃごちゃ言ってんじゃないわよケツの穴の小さい男ね」
「いやごちゃごちゃも言うわ!!」
涼しい顔して落下していくロート。スカート捲れてんぞ。流石のブラウも、悲鳴こそ上げないものの驚いているようだ。
「俺こんなところで死にたくね──ッ!!」
「僕だってゴメンだ────!!」
「シュヴァルツ様っ、最後は共に……!」
「ひっつくな!!」
「……これ、どうなんですか」
「見てなって」
ぐんぐん地面が近づく。乾いた岩壁が隣を通過し、いよいよ着陸だ。一瞬、明るい髪色をした人影が見えた気がした。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ────────ッッ!!」
ぶつかる、と思ったときにぐんと体が浮いた。思いっきり下から押されたような感覚に息が詰まる。浮き上がった体は先程までの勢いを殺され、跳ね上がるようにして地面に着地した。
「ぶえっ」
「うわっ」
「きゃっ」
まず俺が腹から着地、その上にシュヴァルツのケツ、その上にロゼが降ってきた。重い早く降りろ。ブラウはすたりと降り、ロートもそれに続く。
「あっ、シュ、シュヴァルツ様ごめんなさい……」
「大丈夫だから……早く、降りてもらえるか?」
「なあ一番重いのは俺だからな? 二人共降りろ」
二人が退いて、ようやく立ち上がった。乾いた地面にじんわりと暑い風。外はもう冬だというのに、ここはまるで別世界だ。
「よーこそ! 第二層へ!」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
いきなり背後から響いた声、思わず大きな声が出た。振り返ると、明るい髪色をした二人の男女。双子だろうか、よく似ている。二人は胸に時計を象ったバッヂをつけていた。
「ななななななんだ!?」
「どーも自分ら、御役所のものですぅ」
「一層突破おめでとーございます!」
人懐っこい口調で拍手される。とりあえず女の人の方からは目を背けた。一歩下がり、シュヴァルツに任せる。
「御役所の方々が……なんでこんなところに?」
「自分ら、一層突破者にこれを渡すためにここで万年おるんやがな」
「御役所仕事も楽でないですわ」
これ、と言って差し出されたのは二本の白い杭のようなもの。銀のレリーフが施されている。シュヴァルツが目を細めてそれを眺めた。
「何らかの魔術が込められていますね。これは……」
「兄ちゃんええ目しとるな」
「これは街までの一発帰還アイテム、『帰還の楔』言いますねん」
街までの一発帰還アイテム? 転移の類か?
「二本ありまっしゃろ? 一本は迷宮入り口にある砦に預けるんですわ。んでも一本は持って中に入る」
「後ろに突起ありますやろ? 迷宮の中から街に戻りたいときは、それを押しながら地面にブスッと刺すんです。したらあっちゅーまに街に戻れるんですわ」
わからんことは砦におる人に聞いといて、と笑う二人組。よくわからないが、これがあれば行き帰りが楽ということか? たしかにそれは便利だが……。
「どこにおっても瞬時に帰れる! ほんで街から一発でそこまで帰ってこれる! 便利でしょ?」
「便利ですけど……どうしてもっと早くくれないんですか?」
シュヴァルツの問いは最もだ。迷宮と街を行き来できる道具さえあれば、俺らはわざわざ迷宮に泊まり込みで探索する必要などなかったのに。一層突破までに何回街と迷宮を往復したと思っているのだ。
「よぉけの人が一層突破前に諦めてベソかいて逃げんのに、いちいち一人ずつにこんな物渡せませんわ。これかて楽に作れるもんちゃいまっせ?」
冷めた口調で男が言った。背筋がぞくりと寒くなる。損益でしか動かない、人間の嫌なところを見た気がした。
「まぁとにかく! 兄ちゃん方は見事二層まで来なさったからな。受け取ってもらいますぅ。説明するよりつこてもろたほうが早いわ。まあ今すぐは使えへんけど、次の探索から役立ててもろて」
「御役所の依頼こなしてくれたら嬉しいわぁ。よろしく頼んますぅ」
二人はからからと笑いながら俺らに手を振った。たくましい人達だ。二人ははたり、とロートを見た。
「あらあらあらぁ! ロートはんやないの!」
「早かったねぇ、流石やわぁ」
「ん、まあね」
そういえば、ロートは二層までなら何度も来たと言っていたか。この双子ともよく顔を合わせているのかもしれない。
「ほな、ここで?」
「そうよ。契約満了ってね」
そう言って、ロートは俺らの方を向いた。俯いていた顔を上げる。その顔は、さっぱりした笑顔を浮かべていた。
「ってなわけで、アタシはここで上がらせてもらいまーす」
ひらひらと手を振るロート。
「は?」
「忘れた? 言ったでしょ、冒険案内人は『報酬を受け取る代わりに二層到達までをサポートする』のが仕事だって」
そうだ、こいつはあくまで「迷宮案内人」。契約によって力を貸してくれていただけ、そう本人が言っていたじゃないか。
「アタシはギルドメンバーとして登録しているわけではないし、サポート期間は二層到達までって言ったでしょ?」
ロートと出会った日を思い返す。商談成立、そう手を握ったあの日。でもだからといって、こんないきなりお別れだと言われても。ロートはいつの間にか俺達から奪っていた素材袋を掴んでいる。
「契約内容は採れた素材の二割……だったわね。まあこんだけで勘弁してあげる」
有無を言わさず袋を分ける。そういえば、長期潜入以前にもいくつか素材を取られていた。ロートは袋を握りしめたまま、こちらに背を向けた。
「んじゃ、母さんによろしく言っといて」
「待てよ、ロート」
いくらなんでもこんな、あっさりした別れだなんて。俺の声に、ロートは背を向けたまま立ち止まった。
「──じゃあね」
そう言って、ロートは胸元から先程見た楔を取り出した。その姿が揺らめいて、俺の伸ばした手が空をきる。そこには何もなかったかのように、乾いた風が吹き抜けるだけ。
「そんな……」
シュヴァルツは口を開いたまま固まり、ロゼは困惑して、ブラウだけは変わらず無表情。
「……ロートはんにしては、キレイなお別れやったなぁ」
「いつもあの子、喧嘩別れやものねぇ」
双子の声が遠くから聞こえる。まるで最初からいなかったように消え失せたロート。困惑と混乱、こんなにあっさりし過ぎていると、脳の処理が追いつかない。
「隨分ロートはんと仲良くしとったみたいやねぇ。御愁傷様」
ぽん、と肩に手を置かれた。まだ頭が回らない。
「ショック受けるんももっともやけど、そういうときは頭空っぽにしたほうがええで」
「せやせやぁ。ロートちゃんはお仕事で一緒におってくれただけなんやから。元々お仲間でもなんでもなかったと諦めなぁ」
「まあ、一旦」
そう言って、思いっきり突き飛ばされた。既視感を覚える衝撃、体が前に傾いて、思い切り浮かび上がる。
「街ぃ帰って、ゆっくり休みなぁ!」
先程までとは真逆、体がぐんぐん上がっていく。流石に二度目なため悲鳴も出せない。ただ、皆黙って苦い表情を浮かべていた。
「……納得行かねぇ」
「わかるよ。こんなあっさりした別れ、納得できる方がおかしい」
風を浴びながら互いに言った。ロゼが不安そうな顔で顔を伺う。
「こんなお別れの仕方……私嫌です! お仕事だったとしても……もう少し、あると思います!」
「そのとおりだ、ロゼ」
この一月半寝食を共にして、一緒に馬鹿騒ぎして、苦楽を乗り越えてきた。契約の関係だということも忘れるくらい楽しかった。そう思っていたのは俺達だけか? 違うはずだ。
「会って話そう。そのうえできちんと、お別れするべきだ」
視界が闇に包まれる。一層に戻れば、大急ぎで街まで戻らなくてはならない。説明によると、楔とやらは一度街に戻らないと使えないらしいからな。最短ルートでどれだけかかるだろうか。
小気味良いベルの音が響いて扉が開く。奥のカウンターに座る母さんと目があった。
「おかえり」
こういうとき母さんは何も言わない。ただ黙って、悲しそうな目をするだけ。
「終わったの?」
「終わったよ」
アタシの言葉に一言、そう、と呟くと目を伏せた。
「じゃあ、また暫く出るから」
「……うん」
ただ黙って階段を上がる。みんなが帰ってくる前に、荷物を全部出さないといけない。
「あの子達との冒険は、楽しかったかい?」
母さんが、ぽつりと言った。その言葉に思わず足を止める。少し悩んでから、アタシは答えた。
「楽しかったよ。仕事だってのを、忘れるくらい」
答えてから、アタシは荷物をまとめに二階へ上がった。母さんの顔は、見なかった。




