18 : 親と子
前回までのあらすじ。
元気に迷宮探索をしていたヴァイス一行「燕の旅団」。まず一層攻略と張り切っていた最中、口にした蛇肉でヴァイスが食中毒を起こし気絶して──?
走馬灯……ではなく、回想編その二。
昨日のことである。ブラウに連れ帰られたヴァイスは、即座に自室へ軟禁された。いや、もはや監禁だったかもしれない。唯一の入口はブラウに塞がれ、窓の外にも騎士が立つ。
「ここまでしなくても逃げねえよ!」
「毎度毎度旦那様が来るとなったら逃げ回るのは誰ですか」
ヴァイスの家でもあるアリエス家は、十二貴族の中でも人格者で知られていた。独裁政治を続けたり、領民を所有物として扱ったり、重税を架してそれで豪奢な城を建てたりする領主もいる中で、アリエス家は大きく違っている。
「なぜ毎回毎回坊っちゃんは逃げ出すのですか。旦那様は、各地に名が轟く人格者ですよ」
地位に驕らず立場に甘えず、常に領民を思い気を配り生活することを信条に掲げており、いつもいつも各地を飛び回っている。各町各村への視察、他領への交流、公爵家への挨拶などなど……。
「外ヅラは、な!」
十二貴族とはいえ、いつも椅子にふんぞり返っていればいいと言うわけではないのだ。ヴァイスの父が明るい時間に屋敷に戻るのは月に一、二回。今回も二週間ぶりの帰宅だった。
「なんでこんな時間に帰ってくるんだよせめて夜なら……」
「寝たフリで逃げる気でしょう。そうするだろうと思って、わざわざこんな昼間に戻っていらしたんですよ」
椅子をがったがったと揺らしながら暴れるヴァイスを、ブラウは冷ややかな目で眺める。
「ぜぇえったいめんどくせぇ話じゃんよぉ!!」
その時、背後の扉からノック音がした。ブラウが扉を開けると、ヴァイスが動きを止める。ブラウが一歩下がり頭を下げる。
「では退室させていただきます」
「ああ、頼むよ」
室内に入ってきたのは、シルバーブロンドの髪を撫でつけ、ヴァイスのものより深い青をした目を持つ男。ヴァイスの父、アーベント・アリエスだった。
「お、やじ」
「望み通り、面倒臭い話を持ってきてやったぞ」
アーベントは部屋の隅にあった椅子を持ってき、ヴァイスと向かい合って座る。ヴァイスはバツの悪そうな表情を浮かべて口を噤む。
「椅子に縛り付けられてとは……随分なお出迎えだな」
「ブラウに言えブラウに。俺は別に逃げやしねえってのに、こんな拘束しやがって」
「そうか。……私が帰る晩にたまたま体調不良で早く寝ることが多いと言っただけなんだがな」
もちろん、仮病である。
「まだ、彼女の元へ通っているそうだな」
「わりいかよ」
「まあ、通うことを認めたのは私だ。彼女は腕は確かだし学ぶことは多い。多くの人から狙われる立場になるお前が、今のうちから護身術を教わるのは悪く無いと思ったしな……」
護身術どころではないと思うが。
「ヴァイス、まだ夢を諦めていないのか」
ヴァイスは何も答えない。唇を噛み締め、目を逸らす。
「お前ももう十六なんだ。年の暮れには十七だ。私の後を継ぎ、お前がこの領を治める人間にならなければならない」
窓の外、坂の下に広がる街、その向こうにどこまでも広がる平原。それでさえもまだ、領地のほんの一部なのだ。世界の十二分の一を治める人間になることが確約された存在、それがヴァイス少年だ。
「お前の友人は既に多くが、親の仕事をついで働き始めている。……ヴァイス、お前はもう子供じゃないんだ。今まではかなり自由にさせてきたが、もうそろそろ、子供のような夢は諦めて現実を見ろ」
その言葉に、ヴァイスは床を蹴り上げ抗議した。
「子供みてえな、じゃねぇ!俺の夢は──」
「母さんだって、お前がずっとそんな風ではいつまでも安心できないだろう」
母のことを出されて、言葉が詰まった。何も言えず、言おうとしても唇を震わせるだけ。ヴァイスは項垂れ床を眺める。
ヴァイスの母親、彼女は一般市民でありながら若い頃に現当主である父に見初められ結婚した。普通十二貴族に嫁ぐものはそれなりの家柄の生まれだというのに、彼女はただの町娘。
だがそれを跳ね除けるほどの優しさと、芯に秘めた強さがあった。ヴァイスの顔立ちは彼女によく似ている。彼女は美しく、とても勇敢だった。
ヴァイスに十二貴族としてではなく、自由に生きることを認めてくれた唯一の存在。彼の夢を、まっすぐに応援してくれた存在。領民皆から慕われて、愛されていた。
そんな彼女は、ヴァイスが五歳の頃に亡くなった。夫婦で視察へ向かった街にて、馬鹿な金持ちが隠れて飼っていた魔物に、馬車を襲撃されたのだ。遺体は酷い有様で、言うまでもなく即死だった。
彼女の死は、ヴァイスにとって唯一の味方がいなくなったことを意味していた。
「今回はそんな話をしに来たわけではない。……これを見ろ、ヴァイス」
父親の手に握られるのは、1枚の写真。金色の緩く巻いた髪をふわふわと揺らし、愛らしい笑みを浮かべた少女。同い年か、少し歳上かくらいだ。
「最近協定に加わった辺境公爵家の令嬢だ」
協定とは、十二貴族の他に存在する古臭い公爵家の集まりのようなものだ。そこに最近加わったということは、集まりの中ではかなり肩身の狭い思いをしているだろう。
「年末、お前の十七の誕生会に彼女を呼ぶ。有り体に言って、見合いだ」
「は?」
やっと声が出たと思えば、飛び出したのは素っ頓狂な疑問符だった。目をぱちぱちとさせるヴァイスに構わず、アーベントは続ける。
「いつまでも社交界に関わろうとしなかったお前が悪い。いつもいつも夜会の度に抜け出して……。家柄も人柄も、悪くはない。相手もお前を好いてくれているぞ」
「か、勝手なこと言ってんじゃねぇよ! 俺の女嫌い知ってるだろ!?」
下手な女性と触れ合えば、蕁麻疹を始め気絶すらも起こす可能性がある。
「知っている。だが、お前に跡取りが生まれなければこのアリエス家は終わりだぞ」
「だ、だからって勝手に見合いとか……ふざけんじゃねぇ!! ぜってぇ嫌だぞ!」
「また御令嬢に馬糞を投げつけるような真似をしたら許さんからな」
「いつの話だ!!」
六、七歳頃の話だ。その現場を見見かけたアーベントと令嬢の親達が大騒ぎすることになった。ヴァイスがアリエス家の者でなければ協定から除名されていたかもしれない騒ぎである。
まあその令嬢達は皆「やんちゃ素敵」と逆効果だったそうだが。
「とにかく俺は!」
「それと、来週から森に行くことを禁ずる」
一際激しい音を立てて、ヴァイスが床を踏み鳴らした。
「……なんだと」
「もう充分、お前は力をつけた。これからはアリエス家の者として──」
「好き勝手抜かすんじゃねぇ!! んなこといきなり言われて聞く訳──」
「今まで好き勝手してきたのは、お前だ」
アーベントは立ち上がる。じたばたと暴れるヴァイスを無視して、扉に手をかける。
「きちんと別れを告げるように。では二週間程また屋敷を空ける」
「………………」
扉の向こうに消える影。誰もいなくなった部屋の中で、ヴァイスは歯を噛み締めた。
「ふざけやがって……」
扉が開いて、ブラウが入ってくる。無言でヴァイスの縄を解く。ぶるぶると肩を震わせているヴァイスを見、八つ当たりされるのはごめんだとブラウは部屋を立ち去った。
「────ソが、クソが……」
自由の身になったヴァイスは立ち上がり、わなわなと拳を震わせる。力強く握りしめ、窓枠に飛びかかるようにして掴みかかった。大きく息を吸い、全力で叫ぶ。
「ふっざけんなクソ親父ィィィィ────ッ!!」
屋敷の外、ヴァイスの私室の真下。脱走防止用に見張りをしていた若い騎士が、突然響いた怒声に驚き大きく跳ねた。
「……って訳だ」
「帰れ」
ヴァイスの話を聞き終え、シュヴァルツは即座にそう答えた。
「ふざけやがってクソ親父が! 俺はもうあんな家いたくねぇ、ぜってぇ家を出る」
「まあ今までが割と放任されてたからな、お前。仕方ないって。あと一週間でお別れか、元気でな」
シュヴァルツがひらひらと手を振る。ヴァイスはそれを止めて言った。
「話聞け。とりあえずあと一週間、修行をしながら旅立ちの準備を重ねる。以降の一週間はほぼほぼ監禁されるからな。作戦決行は二週間後、月祭の夜だ」
一年を通して最も美しい満月の夜に行われる祭り、月祭。羊領においては一年で一番盛り上がる夜だ。その夜に、人混みに紛れて街を抜け出すつもりらしい。
「一週間もおとなしくしとけば、みんな俺が諦めたと思うだろう。その隙をつくんだ。何より月祭の日は、ブラウがクヴェルのために休みをとる。休みの日のブラウはぜってぇ俺を捕まえはしない! スケジュールはバッチリだ!」
「あっそ」
どうでも良さそうに答えるシュヴァルツ。ヴァイスは笑いながらその肩を叩いた。
「お前も準備しろよ、シュヴァルツ!」
「は??」
本日二度目の素っ頓狂な声。シュヴァルツは開いた口が塞がらない。いつものきらきらした目を向けたまま、ヴァイスは首を傾げた。
「当たり前だろ? 昨日も言ったじゃねえか」
「知るか聞いてない勝手なこと抜かすな!!」
胸ぐらを掴みぎゃんぎゃんと吼えるシュヴァルツ。
「いいか! 僕は、お前となんて絶対旅に出ない!!」
「なんでだよつれねぇこというなよ!!」
「お前みたいな馬鹿の猪野郎、一緒にいたら命がいくつあっても足りやしない!!第一……」
シュヴァルツは、ちらりと視線を背後にやった。切り株の上であぐらをかくレーゲン、彼女はむすっとした表情で二人を眺めている。
「僕は、師匠を置いていけない。師匠を一人にはできないよ」
シュヴァルツは掴んでいた手を離し、ヴァイスを解放した。
「あと一週間修行したらお前とはもう会わない。五歳の頃から十一年、長かったけどもうお別れだな。最悪な腐れ縁だった」
落とした杖を拾い上げ、ヴァイスに突きつける。
「ようやくお前と別れられると思うと、せいせいするよ。ヴァイ」
その言葉にヴァイスは鼻を鳴らした。
「へっ、お前に拒否権はねぇ。お前は絶対俺と一緒に来るんだよ、ルッツ」
懐かしい呼び名で互いを呼ぶ。静かに火花を散らす二人の影で、魔女レーゲンはため息をついた。




