1 : All be one! (前編)
柔らかなランプに照らされる店内。すべすべとした木のカウンター。かちゃかちゃと響く食器のリズム。洗い物をする店主の鼻歌。
「んで、あんた達」
店主がこちらを振り返る。燃えるような長い赤毛にぴょこんと見える猫の耳、勝ち気な金の目を持つ一見若々しい美女だ。……まあ俺は彼女が見た目通りの年齢でないことを知っている。
「なんでそんなコトになった訳?」
そんなコト、と言ってカウンターに座る俺達を指差す──包帯やガーゼ塗れになった俺達を。
さて、ここでざっと説明に移ろう。
俺の名は「ヴァイス」、新米冒険者だ。この迷宮のある街、いや国にやってきたのは三日前の晩。しみったれた故郷から飛び出して、「夢」を叶えるためにここに来た。
隣で不貞腐れたように座る野郎は「シュヴァルツ」。黒髪に赤い瞳、眼の下に隈を作った不健康そうなやつだ。いや不健康そうというか実際体力も無く不健康なのだが。
本日は記念すべき迷宮潜入初日! ……だったのだが、そんな俺達は二人仲良くボロ雑巾になっている。
迷宮に飛び込んですぐ、チンピラ連中に絡まれるうさ耳の二人組を見かけた。……ここからは察してほしい。
二人組を助けるために俺が突っ込み、チンピラ共を薙ぎ倒した。奴らは女の子達をいじめただけでなく、俺のことを「お嬢ちゃん」と呼びやがったのである。
俺は自分の顔を気にしている。ぱっと見女にも見える顔立ち。だからこそ、髪を短くしたり体を鍛えたり、身長を伸ばしたりと努力をしているのだが……。それでも顔だけ見た時、女だと勘違いする奴は多い。
嘲笑うようにそういう不良連中は俺の逆鱗に触れた。大暴れして全員ぶちのめしてやった……のだが。
その騒ぎのせいで──近くに巣穴を持っていた魔熊を刺激したのだ。
「んで、全く敵わず吹き飛ばされ、そのおかげで大幅ショートカットできて帰ってこれた、と」
「そのとーりで」
差し出された果実水を呷る。口の中の噛み傷に良く滲みる。俺達の滞在しているこの宿屋、「二股の黒猫亭」の店主ツュンデンさんはげらげらと笑った。
「そんなに笑わないでくださいよ」
シュヴァルツが不機嫌そうに言う。
「いやーごめんごめんでも面白くってさぁー! 初日からあの熊と遭う奴なんてあいつ以外いるとは思わなかったわ」
あいつ、と語るときの目はどこか遠くを見ていた。深入りしないほうがいいだろう。
「でもま、これでとにかく〜」
そう鼻歌交じりにくるりと後ろを振り返る。棚に貼り付けたメモを何枚か手に取った。それらをひらひらとさせながらこちらに突き出した。
「宿契約代飯代諸々、このようになっておりまーす」
それを眺めたシュヴァルツが凍りつく。俺も直様凍りついた。
「本来ならツケにしといてやるのもナシなんだよ? それを許してやったのは、あんたらがまだ迷宮入りしてなかったから。あんた今朝言ったこと忘・れ・た・わ・け?」
ぶにぶにと頬を突かれる。
「……迷宮で集めた素材売り払って、ツケ倍にして返してやるぜ……」
「馬鹿ガキめ」
凍りついたままのシュヴァルツを突き、ツュンデンさんはため息をついた。
「流石の私も今直ぐに身ぐるみ剥いで放り出すほど鬼じゃあない。とゆーわけで」
そう言って、カウンターの下から出してきたのは──。
「体で支払え、ガキ共」
胸に黒猫の描かれたエプロンとホウキにチリトリ、バケツに雑巾。
「は〜い……」
借金まみれの俺達に拒否権など、無い。
タイル張りの床に箒をかける。シュヴァルツはしゃがんで雑巾がけだ。
「全部、ぜぇんぶお前のせいだ。馬鹿、単細胞、猪」
「過ぎたことをごちゃごちゃ言うなよシュヴァルツ。それにあれは『せーとーぼーえー』だったんだって」
「そもそも悲鳴なんて無視すればよかったんだ。今の僕らに、人助けする余裕なんてないんだから」
「おいおい人助けは余裕関係なくやらなくちゃだろ?」
シュヴァルツからぶちっという音がする。凄まじい勢いで雑巾が飛んできた。
「それは明日の飯代が確保できる奴の言うことだっ!」
「なにっすんだボケェ! これ雑巾じゃねえか!!」
「もう何度も思ったが、やっぱりお前と旅になんて出なきゃよかったんだ!!」
「俺が着いてくるか? って言ったら着いてきただろてめぇだって!!」
「師匠に『着いてってやれ』って言われたからですー!! 本意じゃないですー!!」
「あぁ!? 何だお前ババアの言いなりか? ウソつけあのとき目ェきらきらさせて手を取ったじゃねえか!!」
「違うわ記憶を捏造すんな!」
「いいやしてねぇ! 事実だ!!」
「うるっせえよクソガキ共! 口の前に手ぇ動かしな!!」
二股の黒猫亭、一階フロアの床磨き。これも任された雑用のうちの一つだ。迷宮初潜入から俺らは丸一日こうして宿の手伝いをしている。
なんとか街に出てきたものの、行き倒れていた俺達を救ってくれた上、今日までの宿代をツケにしてくれている店主のツュンデンさんには頭が上がらない。
「それが終わったら買い出し! メモに書いてるやつを買ってきな」
「アイアーイ」
「二股の黒猫亭」があるこの「黒猫通り」。
その通りから少し中に入った細路地。表ほど人も多くなく、少し鄙びた雰囲気が広がる。メモを眺め、煙管を吹かしながら店番をするおっさんに声をかけた。ツュンデンさんのメモには「ここで買え」と地図が描かれていた。
「ペンラの実三個とマイマイ草八束ある?」
「あるよ。……あんたらツュンデンとこの客かい」
ペンラの実は美味しいジュースに使えるし、マイマイ草はスパイスに使う。この黒猫のアップリケがついたエプロンはいい目印のようで、おっさんは大きく目を開く。
「借金返済のために働いてるんだ。いくら?」
「おうおう頑張れ新米冒険者! サービスしてやら」
「ありがとーございます!」
サービスと言って袋に詰め込まれる追加の果実。その声を聞きつけたのか周りにおっさんおばさん連中が集まってきた。
「ツュンデンさんとこのお客だって? これも持っていっておくれよ」
「今度飯食いに行くって言っといてくれ」
「ツュンデンさんに相変わらず美人だねって伝えとくれ!」
「こんな野郎の言葉伝えなくていい! ツュンデンちゃんに酒場のマークが今度一緒に呑みてぇって伝えとって!」
「抜け駆けかコノヤロー!」
「坊ちゃん達怪我だらけじゃないか! 薬薬! これはよく効くよ!」
ツュンデンさんは大人気らしい。最終的に俺らの腕には、最初に渡されたメモには載ってないような色んなもので溢れかえっていた。
「いい人達だったなー」
「みんなツュンデンさんを慕ってるんだな」
落とさないように品物を抱えて帰路につく。一時はどうなることかと思ったが、案外この「黒猫通り」では上手くやっていけそうだ。英気を養って、後日また迷宮に潜ろう。
「次はリベンジだな、シュヴァルツ」
「次変なことに突っ込んだらいよいよ解散だからな」
「気ぃつけるよ……」
会話が途絶えて静かになる。そうしていたら、市のテントから話し声が聞こえてきた。
昨日からうさぎの嬢ちゃん達が見えないね。
ああ、昨日迷宮に入ったらしいよ。
ええ、初日から戻ってきてないのかい? 大丈夫かね。
わからないよ。心配だね。
何かが引っかかる。足を止めた。シュヴァルツが怪訝そうな顔でこちらを見る。
女の子二人、初潜入で夜を明かすとは度胸あるねぇ。
大丈夫かな、一層とはいえ最近物騒だし。
昨日は新米二人が赤毛の魔熊を入口近くに呼び寄せたらしいよ。
何やってんだいその子達は。
俺達の話だ。どうやら少し有名になっているらしい。
少し前から黒猫通りの入口近くで、行方不明が出てるって言うしねぇ。
人さらいじゃなくてかい?
ええ、何でも、いきなり姿が消えるんだってさ。
怖いねぇ。
「おっさん、おばさん! そのうさぎの子ってどんな!?」
「ヴァイス!?」
突然声をかけられた二人は驚いた顔を浮かべた。それに構わず頼み込む。
「教えてくれ! もしかしたらその子達、昨日見たかもしれないんだ!!」
剣幕に押されたのか、二人は戸惑いながらも教えてくれた。その特徴は、昨日見た二人と一致する。
「行方不明者が出るあたりは?」
「そこまでは知らねえが、結構入口近くだとしか……」
「ありがとうございます」
二人に頭を下げ、シュヴァルツの元に戻る。
「何やってんだヴァイス、お前……」
「シュヴァルツ、お前昨日あの後、二人組の女の子を見たか?」
「はあ? ……見てない、けど」
やっぱりそうか。
「おい、ヴァイス。お前まさか……」
「わりいシュヴァルツ。俺、わかってて見捨てられる程、薄情じゃあねえや」
「ヴァイ!」
幼少期のあだ名で呼び止められる。が、その前に駆け出した。一目散に宿に飛び込む。
「おかえ──」
「ちょっと出てくる!!」
カウンターの上に品物とエプロンを置き、階段を駆け上る。愛用のゴーグルを頭にかけて、二本のダガーがぶら下がるベルトを腰に巻く。俺は宿から飛び出した。
取り残されたシュヴァルツは、ヴァイスの駆けた方を眺めたまま大きなため息を付いた。
「馬鹿、くそ馬鹿。猪野郎、闘牛野郎……」
もう一度大きな溜息。
「お前が『女の子』達を助けるなんて、到底無理だろうが……!」
そう言ってから、宿に向かって走り出した。