17 : 森の魔女
前回までのあらすじ。
元気に迷宮探索をしていたヴァイス一行「燕の旅団」。まず一層攻略と張り切っていた最中、口にした蛇肉でヴァイスが食中毒を起こし気絶して──?
走馬灯……ではなく、回想編。
「坊っちゃーん! お待ち下さい!!」
「お断りだ!」
「あっ、ブラウいいところに! 手伝ってくれ!」
「休憩中なので」
「同僚が酷い思いしてるんだぞ!?」
屋敷の廊下を走り、開け放たれた窓から飛び出す少年の影。追いかけるのは黒衣に身を包んだ星見の騎士。
「トロい方がわりいんだよ!」
地面に着地し、二階の窓から身を乗り出す騎士に向かって舌を突き出すのは、白髪に青い目を持つ少年ヴァイス。
「夕飯までには戻ってくるよ!」
「あっこら! 待ちなさい、待て!! ヴァイス坊っちゃぁ────ん!!」
泣くような呼び声を背中に浴びて、少年ヴァイスは丘を駆け下りる。穏やかな昼下がり、夏の眩さを残す日差しに照らされる町。大通りを抜け噴水の広場を曲がり、東の出口を目指す。
「おや坊っちゃんこんにちは」
「こんちわぁ!」
「ヴァイス坊っちゃん、まぁた逃げ出してきたのかい?」
「逃げ出してきたんじゃねえ、抜け出したんだ」
通りを歩いていた少年達が声をかける。
「ヴァイス! 今お前が来ないと女の子達が集まらねえんだよ! 頼むから来てくれよ!」
「ぜってぇー嫌だ! フラれるのはお前らのせいだろ!」
お年寄りが巾着をヴァイスへ見せる。
「ヴァイス坊っちゃんお菓子食べるかい?」
「ちょーだい!」
すれ違う人々は皆笑顔、走り抜けるヴァイスに手を振り挨拶をし差し入れを渡す。もう彼らにとって、ヴァイスが町中を走り回るこの光景は見慣れているからだ。
「ちょっとぉ! 坊っちゃんを応援するんじゃなくて捕まえて──!!」
「やっべえ来た!」
「いってらっしゃ~い!」
飴玉を口に放り込みながら加速していくヴァイスを、若い騎士は追いかける。手には槍、鬼のような形相で穏やかな通りを風のごとく過ぎ去る。
「あんのクソガキィィィ!!」
「頑張れー騎士様ー」
「ありがとうございます! できればアイツ捕まえてほしかったですねぇ!!」
若い騎士は街の外れ、敷き詰められた石畳が無くなる場所で立ち止まる。ぜえぜえと肩で息をしながら、目の前に広がる平原を睨んだ。その向こうに見える森、そこを眺めて大きくため息をついた。
「旦那様に……なんて報告すりゃあいいんだよぉ……」
小道を軽快に駆ける足音。少年ヴァイスはご機嫌に道を進む。目指すのは平原の向こう、鬱蒼と茂る森の中。こんな少年がうきうきと立ち入るには似つかわしくないように思えた。
「へっへん。今日もチョロいぜ」
まるで遊びに出かける様な雰囲気で、少年は薄暗き森の中に入っていく。慣れた様子で先に進む。岩を飛び越え大きなもみの木を左に回る。それから大きな声で呼んだ。
「シュヴァルツ──! ババア──!」
立ち並ぶ木々以外なにもない、うす暗闇の中に向かって叫ぶ。その途端何もない空間がきらりと光り、そこから細い棒が飛び出した。ヴァイスはとっさに首を捻り躱す。
「あっぶねぇだろババア!!」
何もないうす暗闇が、捻れて曲がって変化する。ぱっと切り替わった視界、森の中に現れる広場。その奥にある小さな小屋、そこの扉が開いている。かつ、かつと足音を響かせて、奥から影が現れた。
「当たり前じゃ、手前の額に穴を穿つつもりで放ったのじゃからな」
古臭い口調、その喋りに似つかわしく無い高く幼い声。奥から現れたのは、長い濃紺の髪を揺らし、黒いローブに身を包んだ十歳前後に見える童女であった。髪の隙間から覗く長い耳、知恵の民だ。
その瞳は金に、緑にゆらゆらと色を変える。その目でじろりとヴァイスを睨んだ。
「相変わらず、容赦ねえなババア」
「師匠をババアと呼ぶ不届き者に、容赦などいるものか」
彼女こそ、幼きヴァイスとシュヴァルツを徹底的に扱き上げた張本人である。
「何騒いでるんですか師匠……。うるさいぞヴァイス」
続いて出て来たのは黒髪に赤い目の少年、シュヴァルツ。睨み合う二人を見、呆れた声を出した。
「ババアが俺を殺そうとしてくるんだぜ?」
「今度こそ殺してやろうかクソガキ」
「やめてください師匠。ヴァイス、師匠に対してなんていう態度だよ」
思いっきりヴァイスを引っ叩く。渋々引き下がったヴァイスが童女に向かって思いっきり舌を突き出した。
「徹底的に厳しくいこうかクソガキめ」
「上等だやってみろババア」
シュヴァルツはヴァイスの襟を掴んで引きずり広場の中央に立つ。ん、とシュヴァルツがヴァイスにベルトを差し出した。そこに収まる二本のダガー、ヴァイスは無言でそれを受け取りベルトに巻く。
「馬鹿も来たことですし、師匠、始めましょうよ」
「……そうじゃな」
彼女は小屋の横にあった大きめの切り株に腰掛け、杖を地面へかつんと打ち付けた。
「始めるぞ、小僧共」
ぼこぼこと隆起する地面、そこから飛び出す土でできた腕。後にヴァイスが語った──ゴーレム百鬼夜行である。
「動きが甘い! その油断が死を招くと思え!」
「うるっせえババア! やってんだよこっちは!!」
「トロい!」
「僕は前衛じゃあないんですよ師匠!!」
ヴァイスがダガーを振るう度に迫りくるゴーレムの腕が吹き飛ぶ。その隙をついてシュヴァルツの炎の精が胸部にある核を壊す。いつもの二人の戦い方だ。
「いいか? お前は短剣使いじゃ。剣や槍や斧などと比べ、圧倒的に一撃が軽い。それを補うための速さじゃろうが」
「速さは文句ねえだろ!」
すでにヴァイスの動きは目視で確認できる限界点に来ている。風のように早く、音よりも鋭い。
「まあの。じゃが、お前の動作には無駄が多すぎる! 動き自体は早くとも、無駄のせいで時間を使うから意味がない。無駄を無くせ」
無茶を言うなと毒づけば、ゴーレムの出現速度が上がる。
「ヴァイス!!」
「わーったよ! どーすりゃいいんだよぉ!」
ヴァイスの言葉に頷いたレーゲンは指を突き立て解説を始めた。
「視覚を閉ざし六感を鍛えよ。目に映る情報に惑わされるから無駄が生まれるのじゃ。手始めに目隠しをした状態でこれを二セット……」
「無理ぃぃぃ!!」
二人の悲鳴がこだまする。二人同時に、それぞれがゴーレムの核を撃った。最後の二体が崩れ落ちる。四年の特訓の末、百体倒すのに要する時間は一刻ほどまでに縮んだ。大きな進歩である。
「ふん、甘いのぉ。そんなので生き残れるやら」
「大丈夫だよ、俺は」
荒い息を吐いて座り込みながら、ヴァイスは言った。
「シュヴァルツがいれば、俺の無駄も隙もちゃあんとカバーしてくれる。今みたいにな」
「……いやなんでお前と冒険すること前提なんだよ」
不服そうなシュヴァルツの声。呆れ顔のシュヴァルツを、きょとんとした顔でヴァイスは眺める。それから当たり前だと言うように告げた。
「最強の冒険者の相棒には、最高の魔法使いが似合うだろ?」
シュヴァルツはぽかんと口を開け、それからぷいと横を向いた。
「死ぬほどどうでもいい。お前のおべっか腹立つ」
「なんだとテメー」
「ほらほら言い合いはやめじゃやめ。とりあえず今から森の走り込みと個人鍛錬を──」
「本日は、そこまでにしていただいてよろしいでしょうか」
童女の声を遮る低音。背後から響くその声に、ヴァイスは肩を震わせた。ぎこちない動作で振り返ると、そこには黒衣に身を包む緑の瞳を持つ青年。指折りの実力者にしてヴァイスの護衛──ブラウだ。
「……もう少し慎重に来れんのか、お主。お主が来ると毎度毎度結界が綻ぶんじゃが」
「生憎私には魔術の教養がございませんので。ですが、できるかぎり善処はします」
「ふん、食えぬ若造じゃな」
童女はぴょこんと切り株から飛び降り、ブラウの元まで歩み寄る。
「まだ今日の鍛錬は始めたばかりじゃが?」
「旦那様からの招集です。そのためにわざわざ私が呼び出されたのです」
その顔には、「よくも人の休憩をブチ壊しやがって」という私怨が漏れ出している。ヴァイスがげぇ、と声を上げた。
「親父の呼び出しぃ!?」
「はい。というわけでお戻りください」
「やだやだやだ嫌だー! 親父ぜってめんどくせぇもん!」
駄々をこねるヴァイスの襟首を掴み持ち上げる。
「お戻りください。同僚が泣いてうるさいんですよ」
「嫌だ──!」
拒否をし抵抗を続けるヴァイスの頭に、氷の礫が激突する。ブラウの足元で、杖を持って腕を組んだ童女がその金にも緑にも見える目で睨みつけていた。
「早く戻らんか、父親に迷惑をかけるでないわ」
そこで諦めがついたのか、ヴァイスはムスッとした顔で黙り込んだ。大人しくなったヴァイスを担ぎ上げ、ブラウは童女に頭を下げる。
「感謝します、レーゲン女史」
「うんにゃ、気にするでないわ。……あやつに、なんぞ困り事がないか聞いておいてくれ」
了解しました、と頭を下げて退散するブラウ。その背を童女──レーゲンは、静かに見送った。
「師匠、とりあえず僕にだけでも……」
「無論そのとおりじゃよ。さあ、行くぞ」
この羊領北西、「ネック地方」の森に住む彼女は、幼い童女の見た目でありながら、それに似つかわしくない年齢を生きる存在だった。神秘の残る魔術を扱う稀代の魔女。
「師匠が先程言っていた『あいつ』とは、まさか領主様のことですか?」
「ん、そうじゃ。あいつとは旧知の仲じゃからな」
十数年前、旅をしていたレーゲンはネック地方の民衆を悩ませた「妖精事件」を解決したことにより、この森に住まう権利を与えられた。それからは民衆とも良い関係を築いている。
「……ほんとに師匠何歳ですか」
「三千と……少しかの」
そんな彼女が一体どうして、いつからシュヴァルツという少年と暮らし始めたのか。それは誰も知り得ない。そしてその少年が、この羊領を治める十二貴族の跡取り息子と親密な関係にある理由、それも誰にもわからない。
「適当こかないでくださいよ」
「ふん、これを適当と思うか真実と思うか、それはお主次第じゃな」
シュヴァルツは物心ついたときから魔女レーゲンの元で暮らしている。幼いながら、自分が捨て子だと言うことには気がついていた。両親の話はレーゲンがしたがらなかったため、彼女から聞いたことはない。
「今夜は何にしましょうか」
「菓子」
「ご飯ですって……」
五歳の頃にヴァイスと出会い、なんやかんやで共に修行を始めることになる。──その際に、かつてレーゲンが解決した「妖精事件」が関わってくることになるのだが、これはまた別の話。
悠久の時を生きる魔女と、幼い少年。二人は今日も穏やかで、少しだけ騒がしい日常を過ごす。
翌日のこと。結界を解いて出迎えたヴァイスは、非常に不機嫌な表情を浮かべていた。愛らしい少女のような顔を歪め、時折脚を踏み鳴らす動作に堪えきれない苛立ちが現れている。
「……何あったんだよお前」
聞くのも面倒だと思いつつ、シュヴァルツが問うた。レーゲンが厄介なことを聞きやがった、と言わんばかりに頭を抑えて天を仰ぐ。
「俺は、二週間後に屋敷を出る」
「あ?」
「俺は、冒険者になるぞ」
シュヴァルツの手に握られた、簡素な杖が音を立てて落ちる。
「はぁ?」
素っ頓狂な声が森に響いた。