152 : 革命の狼煙
夕日の差し込む礼堂の中、長椅子に座った女は被ったフードを直しつつ意識を向ける。人々の囁きに耳を傾け、雑多の音に意識を澄ます。
「聞いたか? まだ迷宮への立ち入りは禁止されてるってよ……」
「燕の旅団捜索……だっけ? 何したんだろうなその人達。おかげで俺らも探索再開できねえよ……」
「結構進んでたらしいし、もう追いつけないんじゃねえの?」
「商会すら入っちゃいけないらしいぞ」
「俺は燕の旅団が迷宮の中で何かを作ってるって聞いたな。国ひとつ吹き飛ばせる爆弾だとか……」
「え、大量の武器を作ってるって聞いたぞ?」
「そんなのデマだろ。あーあ、早く迷宮行かないと金がなくなるよ……」
集まる冒険者達の雑談を女は背もたれに身を委ねながら聞いていた。フードから覗く真紅の髪、きらりと光る金の瞳。話の渦中にあったギルド「燕の旅団」、彼らの滞在した宿の店主ツュンデンである。
燕の旅団が十二貴族「トルマリン・スコーピオン」に手配をかけられ、迷宮内に逃亡してから早くもひと月半が経過した。その間迷宮への立ち入りは禁じられている。
迷宮都市ゾディアックの経済は、迷宮により支えられていると言っても過言ではない。迷宮より採取、採掘ができる動植物に鉱物、またそれらを加工して生まれた品々を他国に輸出しゾディアックの経済は回っていた。
迷宮の中は異なる世界、木材ひとつをとっても組織構成や耐久面は大きな違いがある。魔物がはびこる厳しい環境にある迷宮内、そこで生まれたものは皆頑丈なのである。
それらを加工する技術を持ち合わせる職人もゾディアックの外にはなかなか見られない。鍛冶師、細工師の夢とも呼ばれるゾディアック。しかし迷宮内に立ち入りが禁じられてしまった今それらはすっかり途絶えてしまった。
冒険者達とは、故郷に仕事も居場所もなくどうしょうもなくなった連中の集まりである。最初にそういったのは誰だったか。実際、地味な仕事に嫌気が差して一攫千金を求めて飛び出した若者や故郷にいられなくなるような悪事を働いた者はゾディアックに多い。
迷宮内は危険な場所だ。法も秩序も一切なく、無慈悲な魔物の暴力に怯える世界。そんな場所に飛び込む連中を、あざ笑う者がいるのも仕方がない。冒険者の申請が名前と出身領の記述だけで、という簡素さも冒険者の地位の低さを証明していた。
確かに、目的も目標も夢もなにもない連中もいる。ただその日暮らしの金を稼げばいいと思っている者もいる。冒険者であるという資格さえ手に入れれば、ゾディアックでは生きていけるからだ。迷宮内の素材を回してくれ、商品を買ってくれ、利益をもたらし経済を回してくれる冒険者達をゾディアックは無下にはしない。
外の民からすれば迷宮の中は宝箱であり、無限の資源と可能性を秘めた土壌であり、多くの人々を飲み込んだ墓場でもある。
世界中から迷宮内の資源を求めて技術者が、研究者が集うこの国は、世界で最も「先」を行く国であり世界で最も「危ない」国でもあった。
世界は国境線で分けられる。一生を生まれた国から出ずに過ごす者がほとんどだ。国から国への移動は認められてはいるが、移住はほとんど認められない。故郷を追われこっそりと国境線を越え、衛兵の目を逃れて移り住む者はいるがごく少数。
その線をまたげば、世界は変わる。三千年の月日が培ったそれぞれの文化、思想は大きな溝を生む。それらがぶつかり起こるのは争いだ。国同士がぶつかり合うことが万にひとつ起こってしまえば。多くの被害を生むことになる。
各国で国境線を定め、他の文化を侵さないように努めた結果か、「大災禍」にて文明の七割が白紙となってから千五百年間、国同士がぶつかり合うような戦争は起こっていない。各地域での紛争や革命まがいのことは、歴史上にもいくつか記録が残されているが。
そしてこのゾディアック。かつて世界地図がまだ生まれてなかった時代、迷宮近辺の国境線は非常に曖昧だった。人々は世界の中心まで意識が回らなかったのだ。
その名残もあり、監視の目は甘かった。人々が迷宮という宝に目をつけ集ったことで、ごく一部ではあるがなし崩し的に国境線は消え去り、街が生まれた。
各文化は混ざり合い、ぶつかり合い、対立した。結果として治安は悪化し、技術により発展してなお諍いは続いた。
そして二十年前、ゾディアックは独立権を獲得し国として立ち上がる。十二貴族と並ぶ地位を得た王の名の元に、衛兵は各地へ配属され街は取り締まられ、文化は対立ではなく融合を遂げた。
だが未だ、どうしても混ざり合わぬ思想もある。冒険者全体がそうではないとはいえ、短気で思慮の浅い連中が諍いを生むこともある。
この国に、この国で生まれた「文化」は存在しない。他所から集まり勝手に混ざり合い生まれた、不安定な「なにか」があるだけだ。
それ故この国は「危ない」国でもある。
話し込んでいた冒険者達は、ひとしきり不平不満を吐き散らした後教会を出た。誰もいなくなった聖堂で、ツュンデンは伸びをひとつ。肩の関節が音を立てる。ヴェールを被り、ねじくれた木の杖を持った創造主を象った聖像を、夕日の赤が照らしている。奥からかつ、かつと床を叩く足音が響いた。
「口を開けば愚痴ばっかり。とっとと迷宮が開けばいいのにねぇ」
ふわりと香る煙の匂い。黒のヴェールから覗くくすんだ金髪に、鳶色の瞳。降ろされた前髪で隠れた顔の右半分に走る傷跡。火のついた煙草を咥えたシスターの女。ツュンデンの友にしてロートにとっては第二の母、フランメだ。
「うちらの頃なら駄目って言われたら逆に突っ込んだけどね」
「若い頃は、なんて言い出したらそろそろ終いだよ」
ツュンデンの軽口をいなしたフランメは、長椅子の端にどさりと座る。
「無事かな、あの子達」
「無事じゃないのか? 他はともかく、ロートが死ぬタマかい」
煙を吐き、フランメは天井を見上げた。吸い込まれるように薄まる煙、それから再度煙草を咥える。
「七層は厄介さ。充満する魔力によってたえず現れる幻覚、異常気象、幻聴を聞かせてくる魔物、挙げ句に体や精神までめちゃくちゃにされちまう」
「そんなに恐ろしい場所なのかい? ツュンデン」
「ああそうさ。私も昔酷い目にあった。性別が反転してね……」
「どういうことなんだいそりゃあ」
へっ、とふたり揃って力無く笑った後、ツュンデンは金の瞳をすっと細めた。
「街の様子、おかしくないかい」
「奇遇だね。私もそう思った」
ここしばらくの間聖堂に集まる人々の話に耳を澄ませ続けた結果、ツュンデンは気付いた。フランメもまた、教会へ寄せられた相談や行き交う人々の噂話を聞いていた。
「長期に渡る迷宮への立入禁止……御役所からの依頼も止まり、冒険者達が路頭に迷い始めてる」
「それに伴って店屋の連中も……利益が上がらず赤字続き」
迷宮内の資源でこの国は潤っている、ということは逆に迷宮内の資源が途絶えればこの国は枯れる、という意味でもある。この国が生まれて二十年、迷宮への立ち入りが禁止されたことはあったが長くても一、二週間の話。ひと月以上も続いたのは初めてだ。
「しかも、王宮じゃなくて十二貴族からの指示……。そうそう逆らえはしないね」
「早めに解禁しなきゃ、まずいことになるね」
ゾディアックは独立権を獲得したものの、未だ立場は弱いままだ。他所の国へ様々な物品を輸出し、なんとか地位を保っているが……。弱みを見つければ、いつだって付け込まれる。
「独立権が奪われない限りは、そうやすやすと国が滅ぶことはないだろうけれど」
「内乱ばっかりはどうしょうもないからね。それを鎮圧するためって言えば、どんな殺戮も許される」
ツュンデンは胸元を漁り、そこに仕込んだ筒を眺める。ロートが手に入れた、この国の独立権。王と手を組んだ裏社会の長が預かり、ロートが掠め取り、今はツュンデンの手の中にある。
「そうなりゃ戦争さ。十二対一、荒れ狂う市民を止めるために全力を尽くしました。でも止められず王は死んでしまいました。市民にも被害が出ました。これでは国を保てません。我々が預かります。あっという間に畳まれる」
フランメが手振り混じりに話す。ツュンデンは静かに頷いた。
「銀月教や烈火団との繋がり、深層で知った情報を公にすりゃあ、十二貴族なんてあっという間におしまいなんだけどねぇ」
「……それを明かしておしまいになるのは、十二貴族だけじゃないんだ。それがわかってたから、私らは言わなかったんだ」
それきり押し黙ったツュンデンを一瞥し、フランメは煙草の灰を皿に落とす。聖堂の奥、孤児達が過ごす部屋から笑い声が響いた。
「……クヴェル君か」
「あの子もよくやってくれてるよ。ホントなら、あの子も外で走り回ってる年頃だろうに。外に出れないからって自分から率先して、チビ達の面倒見てくれてる」
死を覆すほどの力を秘めた「竜の眼」。それを託され生かされた少年。世界にひとつしかないそれを求める者は数知れず。彼を守る家族が遠くへ行った今、彼は外に出ず姿を隠し過ごしている。
「あの子、私に向かって『鍛えてほしい』だってさ。ロートが話したのかねぇ」
「……体術はフランメに勝てる気がしないね流石に」
遥か地下、遠いそこで戦う燕達に思いを馳せながらツュンデンは目を伏せる。このまま、皆が帰ってくるまで何事も無ければいい。そう願う。
燕の旅団達が最果てを見て、何を思うかはツュンデンにはわからない。知ったことを公開しても、自分達と同じ決断をしたとしても、彼女は何も言うつもりはない。
──早く迷宮に潜らないと。
──どうして王宮は何もしないんだ?
──燕の旅団が何をしたっていうんだ。
──俺らが稼いだ金で経済を回してるのによ。
そんな彼女の祈りも虚しく。ゾディアックに漂う不平不満は、着実に形を成し始めていた。
ストック切れと完結に向けたストーリー練りのため週二更新は本日までです。次回更新はひと月後を目安にしていますが詳細は未定です。
いつも読んでくださる読者の皆様、本当にありがとうございます。




