151 : 乙女心
──Side Weiss──
「ん」
「なにか見えたか? グリューン」
頭の上でグリューンが声を上げる。俺の問いかけに、ブラウ達もこちらを見た。
異常事態発生から早二週間。未だ俺とロゼは大人に、ブラウとグリューンとリラは子供になったままである。俺らより目も耳もいいグリューンだが、今の格好のまま索敵に行かせるわけにもいかないため、俺が肩車しているのだ。
以前までの俺ならば、いくら仲間だし見た目が子供になったとはいえ、女を肩に乗せるなんてことは拒否していただろう。過去と向き合い、幻とはいえ母さんと再会したことで何かを乗り越えたように感じる。
「奥になにか、壁みたいなのがある」
「壁ぇ?」
「うん。岩壁……みたいな感じ。地面が隆起したみたいな」
「なにかあんのかな」
「少し止まって」
頼まれて俺は足を止める。ロゼが手を掲げてグリューンの視線の先を見た。俺もそれに続くが、何も見えない。
「俺らは駄目だな」
「壁は近寄らなきゃわかんない。でも待って……今あの茂みで、なにか動いた」
「また何か獣?」
リラの問いにグリューンはふるふると横に首を振った。
「魔物の大きさじゃない。獣とかじゃなく……人くらい」
「え」
人!? こんな迷宮七層、つまりそれは。
「シュヴァ」
「シュヴァルツ様達ですのっ!?」
俺の言葉を遮りロゼが目を輝かせて叫ぶ。思わずグリューンを落とすところだった。彼女の脚が思いっきり首を絞めたおかげでそれは避けられたが……代わりに首が持っていかれるところだった。
「どこに、どこにいられましたっ!?」
「おおおお、落ち着いてロゼ。まだ確証は……」
「落ち着いてくださいロゼ嬢」
「今飛び出したら危険ですよロゼさん」
羽ばたいて行きそうなロゼを押さえ、俺はグリューンにゴーグルを下ろしてもらう。暗視用だが、なんとなくこれをつけたほうが視界が鮮明になる気がするのだ。見回すが……たしかに、遠くに見える茂みが動いた。それは獣の大きさではない。
だが妙だ。五人がいきなり茂みに入っていくだろうか? しかもあの揺れ方、五人もいるとは思えない。かと言ってあいつらが単独行動を取るとも思えず……怪しい。
「グリューン」
「了解」
頭上で矢を番える音が響く。警戒は怠れない。ここは迷宮、しかも最奥とされる七層。それを忘れてはならない。
「弓引けるか?」
「流石にこの体じゃ前ほどの距離は飛ばせない。もっと接近して」
「オッケー。ブラウ、リラ、行けるか?」
俺達の背後で、サイズの合わない服を折り曲げ締め付けたふたりが頷く。どちらにせよ現状、遠くから奇襲を仕掛けるのは困難だから近づくつもりだった。
「走るぞ!」
「了解」
俺は宣言と共に地面を踏み込む。いつもより重い体──グリューンが乗っているからなどという失礼なことは言わない。普通にプラス十歳に慣れてない──だが一歩の踏み込みは強く、前に進む。
茂みに接近。頭上から聞こえる弦の音。枝葉を掻き分け矢が突き刺さる。何かにあたった音はしなかった、おそらく地面にでも突き刺さっているのだろう。
「何するんだよ! ヴァイス!」
茂みの中から聞こえた声。思わず刃を握る手が緩んだ。それは紛れもないシュヴァルツの声。だが──何故、姿を見せない? ロゼは目を見開き、指輪のはまった手をぐっと握りしめた。
「よーやく見つけたわ! あんた達無事?」
快活なロートの声。その茂みに──ふたりも隠れていられるはずもないのに。
「みんな〜! ボク寂しかったよ!!」
「大丈夫かグリューン! 心配したぞ」
「兄貴ー! リラー! 探したっすよ〜!」
どんどん増えていく声。ブラウが肩を叩いた。わかってる。俺は短剣を握り直すと、しっかり構えて目を伏せた。グリューンが肩から降りる。
「双牙抜剣」
刃同士を擦り合わせるように交差させ、俺は「承認」を口にする。茂みの中から聞こえる声から、耳をそらす。
「嘆き声!!」
一気に刃を引く! 火花と共に響く金属同士がぶつかる悲鳴。それは対象の内部から破壊を招く。茂みの中から上がった絶叫、幻聴として取り繕うつもりはもうないらしい。
がさり、と茂みから伸びた手。醜く膨れ上がった肉に覆われた手の先には汚れた鋭い爪。ずんぐりむっくりとした体型に、額から伸びる一本の角。頭や胴体、手足といった作りは人に似ているが、明らかに人ではない苔のような色をした皮膚。現れたのは二体。こいつは何だ?
「とにかく敵だ! 幻覚に気をつけ────」
速攻で倒す! そう意気込んだ矢先目の前をひとつの影が通り過ぎた。凄まじい風が髪と服の裾を揺らす。目の前の魔物が一匹、瞬きの間で後方へ吹き飛んでいった。
「……?」
ぽかん、と俺は固まる。風が吹いてきた方を振り返ると、掌を向け俯いたロゼの姿。何故だろう、背後に暗黒のオーラが見える。……狐に憑かれた際でもここまでの威圧感はなかったぞ。
「……ようやく愛しい人の声を聞けたと思えば」
かつてないほど低い声。彼女の肩が震えているのは何故か。吹き飛ばされた仲間を見て、残された魔物が耳障りな叫びを上げる。
「似ても似つかない真っ赤な偽物! 幻を語るなら、せめてもう少し寄せてくださいませ!!」
最初にシュヴァルツらしき声が聞こえたとき、彼女が拳を固めていたことを思い出す。あれは、似ても似つかない偽物への怒りだったのか。……俺は正直いつもの声と変わらないと思ったのだが。
「乙女心を弄んだ罪、許すことはできませんわ!!」
狐の力である存在抹消を使わず、自力の魔法弾なあたりマジの「本気」じゃねえか。思わずドン引きした俺の耳に届く声。
「兄上! リラ! ぼくだよ!」
幼さを残す高い声。茂みという隠れ家もないのに、魔物は相変わらず騙すことを続けたらしい。
「神槍抜錨、風花」
「アクチュエータ」
それが次の言葉を紡ぐより早く響いた声。圧縮された空気の一撃と、鋭い槍のように隆起した大地が二匹の魔物を撃ち抜いた。手前の一匹は左肩から先が消し飛び、一匹は右脚を吹き飛ばされた上に上空へ打ち上げられた。隣を見れば、俯き武器と手を掲げるブラウとリラ。
「これほどまでに腹立たしいものなのですね……。得体のしれない生物が、愛しい人を騙るのは」
「なるほど、なるほど。ロゼさんの気持ちもわかります」
……怖すぎだろこいつら。見た目が幼い分更に不気味だ。そんな中、ひとり落ち着いた様子のグリューン。確かに目に見えてブチ切れるタイプではないにしろ……一切怒りの様子が見えない。結構毒舌なところはあるが、割と温厚なのだろう。ぎいぎいと喚く魔物を蹴り飛ばすブラウを見ながら、俺は方をすくめた。
「オランジェが引っかかってたらぶん殴らなきゃな」
「お前も怖いな……」
流石に許してやれよ。
魔物を完全に滅したロゼ達が戻ってくる。俺はまたグリューンを肩車し、彼女が見つけたという岩壁を目指して歩き始めた。
──Side Schwartz──
気分の悪い幻聴を響かせた魔物が地面に落ちる。わずかに人の形を持つ魔物、食うのは気分が悪い。地面に放ってその場を離れる。直に消滅するだろう。そろそろ日が暮れそうだ。僕らは野営をするため、開けた場所を探す。しかしずっと森の中、開けた場所と言っても限りが────
「あれ」
見渡す向こう、木々の隙間。枝葉が茂る闇ではなく、光が見える。そこから吹く涼しい風。これは、まさか。
「森の外!?」
「どこどこ!? 早く行こ!!」
ロートとジルヴァが同時に叫ぶ。僕は索敵のためウィルオを放った。もしかしたら幻覚かもしれない。あんな幻聴を喰らえば疑心暗鬼になるのも仕方ないだろう。
「でも外に出れたところでコレは治んないんすよね……」
「全くだ……グリューン達と再会できても、この恰好ってのはゴメンだな」
ゲイブさんとオランジェの声が聞こえる。全くの同意だ。たとえ迷子を脱却できても、性転換は戻らない。ウィルオと視覚を共有する。
木々の隙間を抜け、光の方へ────そこにあったのは、目を焼くような光、光。空だ。迷宮の中とは思えないほどの、美しい空。苔が生え、柔らかな草に覆われた地面。
そして何より……空へ伸びる木々のように乱立した、石のようなもので築かれた建物の残骸。錆に覆われた鉄の柱が突き出し、崩壊した破片があたりに散らばる。植物に飲み込まれた、なにかの跡だ。
周囲は背の高い木々に囲まれ、その外側には木々より遥かに高い灰色の壁がそびえ立つ。薄暗い森の中に突然現れた広場、それはどこか僕の育った森を思い出させた。
「何かあった?」
ロートが覗き込む。いきなりイケメンが眼前に迫ってびっくりした。心臓に悪い。二週間で慣れるものか。
「巨大な壁と木に囲まれた……広場、みたいな感じ。最初に見た廃墟地帯と似てるけど、それよりかは緑が深い。見た感じ敵はいないよ」
「やっりぃ! 広いとこ出られるならこっちのもんよ! 行くわよジルヴァ!!」
「オッケーロート!」
元気よく進み始めたふたりの背を追いかける。僕らは二週間近く森の中をさまよっていたのに、何故あの魔物を倒した途端出口が見え始めたのだろう。もしや、あの魔物は幻聴だけでなく幻覚まで操っていた……とか? 考えても無駄か。ここは迷宮七層、何があっても不思議ではない。
とは言っても流石にそろそろ性別は戻りたいのだが!!
「……ん?」
後ろからついてきていたオランジェが歩みを止めた。
「どうしたっすかー?」
「いや……なんか」
振り返って彼、いや今は彼女? を見る。その姿はどこかぼやけて、なんだか白く煙っている?
「霧か?」
「やっぱりか。気の所為じゃなかったんだな」
霧……霧? 頭の中で何かが繋がる。
「ロート! ジルヴァ! 戻ってきて!!」
先へ進んだふたりを呼び戻す。ふたりはなんだなんだと言いながら、白く煙る中を引き返してきた。どんよりと立ち込める霧、自分の手すら霞むようなそれ。
「覚えがあるだろ」
「なになにまさか……」
性転換という異常事態が起こったのはいつだった? 森の中を歩き始め、立ち込めた霧に足を留めたとき。そして今、その時と全く同じような霧が立ち込めている。
「戻れるってこと!? やったー!!」
「うおおおお戻れるぜ!!」
「まだ確定はできないっすよ!」
「ボクはちょっと名残惜しいかな〜」
「早く戻りたいよ……」
ため息交じりに空を見上げる。不思議な気候とかそういう問題じゃない。これで戻れるならいいのだが。
指先にぴりっと痺れる感覚。僕は目を閉じる。目を開けていても、もう仲間の顔は見えないのだ。
目を伏せ、皆押し黙る。それからしばらく待った。このまま戻ってくれれば────その時体に感じた異変。ぱちんと瞬いた光に目を開く。
「……は?」
霧は晴れていた。しかし何故か目線が高い。あたりを見回すと、見覚えのある顔が三人。しかし皆、どこか大人っぽい。
「え」
「うっそでしょ!?」
「勘弁してくださいっす……」
「ふざけんな!!」
常より立派になった角と羽根を持ったジルヴァ。
長い赤毛を踊らせ、僕が貸していたコートを胸の前で必死にたぐる幼いロート。
頭を抱える、少し老けた雰囲気のゲイブさん。
ベルトを掴みながら地団駄を踏むオランジェらしき少年。
そして、明らかに背と髪が伸びた僕。袖と手袋の間、皮膚が見える範囲が広い。
「次は年齢が無茶苦茶かよ!!」
思わず僕らはずっこけた。どうなっているんだこの階層は!!




