150 : 先行き不鮮明
──Side Schwartz──
「全然戻らないんだけどぉ!?」
「その口調でその見た目だと頭がおかしくなりそうだ……!」
異常事態発生から一週間。僕らは未だ森の中をさまよっていた。見渡す限り同じような視界、森を出ようにも……今どのあたりをさまよっているのかもわからない。七層に来てから二週間、ひたすら迷子で徘徊しているのはどういう状況なんだ。というか、七層に来てから半分性別が逆転しているってなんだ!!
見た目が凛々しい美丈夫となったロートが、元の口調のままな絵面に永遠に慣れる気がしない。六層で着込んでいた服に着替えたりはしたものの……不便極まりない。
「食べたもののせいならいい加減戻ってるはずなんすけどね」
「もう戻れないのは流石に嫌だよ……」
「同感だぜジルヴァちゃん……俺も戦いづらい……!」
性別が反転した日の朝、僕らの周囲はどんよりと濃い霧に包まれていた。食べ物や魔物に原因がない以上、あの霧に何かがあったと考えるのが自然だ。確かに何かしらの魔力は感じたが、あの一回じゃ掴めない。もう一度あの霧が発生すれば……と願ったが、今日まで一切発生することはなかった。
性別が逆転してから一週間。筋肉の使い方や手足のリーチは掴めたものの、思うようにとは言い難い。特に肉弾戦のゲイブさんや、剣を握る腕が重要になるオランジェには厳しいだろう。一撃の振り下ろしが、元の性とは大きく異なる。流石に二十年近く共にあった体と、使い勝手が同じとはいくまい。
逆にロートは肉弾戦よりになっている。先日木の姿に擬態した魔物が現れた際には──久しぶりに死骸の形をしていない生き物と出会えて少しテンションが上がった──、思いっきり生身で幹を蹴り穿っていた。ジルヴァは相変わらずだ。
「こんな状態でヴァイス達と合流したくないんだけどな……」
「とりあえず、頑張って森を出ようよ。もしかしたらあと少しかもしれないよ?」
それもそうだ。ひとまずこの森を抜けよう。……と言ってすでに数日経過したが。どれだけ歩いても似たような景色の場所についてしまう。印をつけて移動しても、その印の場所に戻ってくるのだ。これは何かしらの術がかかっているに違いないと思ったが……。魔力は一切感じない。どうなっている第七層。
「にしても、ここは本当に広いな」
オランジェがぽつりと漏らした言葉に同意する。座標が滅茶苦茶になっていることを除いても、この階層は相当広い。
例えば一層。あそこは森で入り組んでいたが、正しい道を進み続ければ一日で突破できる。縦に長い三層や六層は手間がかかったが……この七層、二週間彷徨い続けたが何も見当たらない。
「そもそも、迷宮って七層までって言ってなかったっすか? 何を見つけたらゴールなんすかね……」
「それなのよね……」
ロートが帳面をめくる。深層を知るゼーゲンの人達が残した手記。彼女……いや、今は彼か? ややこしい。とにかく、ロートは眉をひそめた。
「七層について言及されている文章で読めるのは……。ほぼ、第七層について書かれた部分だけなのよ」
そこの文章。ここに来た際に目にしたものだ。七層が人々に夢を見せるということと、その危険性が書かれたもの。そこだけ文字の形が異なる。他のページ……ツュンデンさんのいびつな走り書きではなく、整った文体。なにより最後のサイン。──Luft。ツュンデンさんの兄、ロートの叔父。そして……師匠の、両親の、かつての仲間。ゼーゲンの裏切り者、そして、ゾディアックの王。
それ以降のページはすべて塗り潰されて、最後の方に至っては引きちぎられていた。それを誰がしたのかはわからない。ロートはこの帳面を、ツュンデンさんの部屋で見つけたという。こっそり運び出して持ち歩いていたようだ。ツュンデンさんはロートが帳面を持っていることを知っていたが、咎めることもしなかったらしい。
「何か知られたくないことがあったのかな……」
「そうなんてしょうね。ところどころ読めるけど……こんな状況の解決策は書いてたとしても読めないわ。こんな真似、母さんがしたのか他の人がしたのかは知らないけど……困るわよね」
目的が不確かなため、とりあえず僕らは動き回るしかない。ひとまずの目標はヴァイス達との合流。その後は深層に向けての探索だが……迷宮の伝説、最奥に眠る神秘。それが一体何を指すのかはわからない。ゼーゲンの皆が何を目にしたのかを、僕らは知らない。だが今この場にそれらがあるとは思えない。ならば、進むしかないだろう。
「それにしても……」
ロートが自分の体を見、僕らを見る。その表情はげっそりとしていた。
「とにかく早く戻りたいのよ!! アタシのパーフェクトスタイルを返しなさいよ!!」
「いや今も相当いい体型してるじゃないか……」
高い身長に長い脚、引き締まった体に整った顔立ち。街を歩けば女性陣が振り返るだろう。だがロート本人は不服でたまらないそうだ。
「アタシは女に生まれて女の体の自分自身を磨き続けたのよ!? いきなり与えられた男の体が、ちょっとばかし整ってるからって喜べるほど単純じゃないわ!! あんた達もそうでしょ!!」
びしり、と指を突きつけられる。ロートは激しく舌打ちをした。
「なぁに? まさか女の子の体ひゃっほー! とか思ってるんじゃないでしょうね?」
「ち、違う違う! 戻りたいよ僕らだって!!」
あらぬとばっちりを受け僕は弁明する。後ろでオランジェやゲイブさんもそうだそうだと拳を上げた。
「戻りたいに決まってるじゃないかロートちゃん!! あと俺の名誉のために言っておくとこの体になってからやましい感情を抱いて触れたことはない!! 自分の体だろうとなんだろうと不躾な真似はしない!!」
「この体じゃ生身で木を蹴り倒すこともできないんすよ!? 手術するにも胸が邪魔だし早く戻りたいっす!!」
ふたりの発言を受けてロートは唸りながらも怒りを抑える。彼女……いや、彼? が腹をたてるのも無理はない。僕らもいい加減元に戻りたい。
「とにかく原因がわからない限り解きようがない。一週間も経過した以上食べ物の線は無し、気候の場合……ここを抜け出すまでわからない」
「じゃあ魔法のせい? ならそれを調べてみようよ」
僕の推測に疑問を持つジルヴァの言葉に、首を横に振る。
「わかるならとっくにやってる。でも……魔法の場合、それをかけた人物がいるんだ。魔物が魔力を使って魔法じみたことをする前例はあったけど……魔物が意志を持って『魔法』を使うってのはどうにも考えにくい。一応僕は、七層の大気中に漂う何かしらの魔力のせいって説を推してるよ」
さらに首を傾げるジルヴァ。この七層は明らかに大気中の魔力が濃い。迷宮内部は全体的に外と比べて濃いが、この七層は格が違う。魔法を扱い、魔力と近い僕だからわかる。
ロートは二度目の舌打ちをし、ゲイブは不満げに地面を蹴る。その時だった。
木の陰、森の暗がりに影がちらついた。何かしらの見間違いかと僕は目を擦る。幹の影、白い翼が一瞬見えた──気がした。僕は視線でそれを追う。顔は見えない。通り過ぎる一瞬の去り姿を僕は見逃さなかった。
「ロゼ……?」
そこにすでに影はなく。見間違いかと辺りを見回した。反対側、ジルヴァの背後。青の装束が一瞬見えた。
「ヴァイス!?」
僕が声を上げるより先、ロートが困惑の声を上げる。僕だけではない、見間違いではない! だが、彼ならば何故僕らを無視する? 気づいていない? こんな森の中、こんな迷宮の最果てにいるのは僕らだけなのに?
「え!? ヴァイス!? どこどこ!! おーい!!」
「ちょっとお嬢! 待ったほうがいいっすよ!」
今にも駆け出しそうなジルヴァを抑えるゲイブさん。周囲を見ながら僕は杖を握り、イグニスやウィルオを呼び出す。こんな森の中、第七層。何が現れてもおかしくはない。例えば────大気中の魔力が見せる幻覚、など。
「シュヴァルツ様!」
「オランジェ!」
同時に森の奥から聞こえた声。僕とオランジェは即座にその方を向く。ロゼとグリューンの声だ。間違えようがない。駆け出したい気持ちを堪え、足を踏みしめる。
「どうしました? ようやくお会いできましたわ! さあ、早くこちらへ来てください!」
「何やってるのさオランジェ。ほら、早く来なよ」
「おっ! シュヴァルツ達にニワトリ野郎じゃねえか! なんだおもしれえ格好になってんな!!」
「ゲイブも皆さんも無事でしたか」
「オランジェ君、ゲイブ、皆さん。よかった……ようやく合流できましたね」
たった二週間しか離れていないはずなのに、とても懐かしく感じる声達。それは僕だけではない。ロートやオランジェ達も同じだ。だが、だが────何故彼女達は姿を現さない。森の奥、暗がりの中、闇の中から響く声。
「シュヴァルツ様」
「オランジェ」
何度名前を呼ばれようと──揺らがない。僕は喉を鳴らし唾を飲み下す。ロートが僕の肩に手を置いた。切れ長の目が僕を見下ろす。それから髪をかき上げた。そんな仕草が、羨ましいほど様になる。
「わかってるでしょうね」
「もちろん」
「俺もだよロートちゃん」
あれが本当のロゼならば、ヴァイスならば、仲間達ならば。呼ぶだけなんてことはしない。今こんなことになっている僕らを見て、駆けつけないわけがない!! 幻覚、幻聴、そんなもの僕らには効かない!!
「爆ぜろイグニス!!」
白の炎を暗がりに放つ。一気に放たれる凄まじい閃光。周囲の木々に被害はないものの、おそらく目の前の敵は焼き尽くしたはずだ。
「ふ、ふふ、ははっ、あは、ははははは」
壊れたような笑い声。様々な声が混ぜこぜになったそれは、未だ立ち上る煙の中から聞こえてくる。枯れた枝葉を踏み、地面を転がる岩の破片を蹴る音。
奥から現れた姿、手足は醜く膨らみ、指先には長い爪を持ち、赤らんだ皮膚を持つなにか。人に似た形をしているが、人であるとは思い難い。頭頂部に覗く一本の角。ジルヴァの持つ角とはまた形状が異なる。イグニスの火に焼かれても無傷か。肩に落ちてきた髪を振り払う。
仲間の姿を騙り、油断した隙を襲うつもりだったのだろう。奴は獣に似た唸り声を上げ、濁った瞳で僕らを見る。杖を銃砲を、剣を刀を、それぞれ獲物を構え魔物へ向かった。




