149 : 異常事態
──Side Schwartz──
ぜえぜえと、全身を震わせながら呼吸をする。動きにくい体を叱咤して杖を構えた。周りから迫りくる攻撃の手を杖で受け止め、流し、反撃する。
「くっそ……! まずいな!」
聞こえるのは誰の声? 長剣が動く屍を切り飛ばす。だが攻撃の手は止まない。迫りくる屍達は僕らの息の根を止めようと襲いかかって来てきりがない。
「ああもう! まとめて焼き尽くす!!」
相手が死体ならば、火だ。僕は炎の精を実体化し、目の前に掲げた。煌々と光る白い炎、イグニス。指を鳴らす。その軽い音と共にイグニスは爆ぜた。
「爆ぜろイグニス!!」
僕を中心とする半径十メートルが白の炎に包まれた。この火は僕が意図したもの以外は燃やさない。半径内にいる仲間達や茂る木々に被害はない。これでひとまず、と息をついた途端、背後から思いっきり殴られた。敵襲かと振り返ればそこにいたのは、肩に届くくらいの赤髪を踊らせる、猫の耳を持った金色の瞳の────青年。
「アタシ達ごと燃やす気か!! こんな異常事態に!!」
羽織った黒のマントは僕のもの、背負うのは身の丈ほどの銃砲。その声色は低く落ち着いた男性そのもの。
「まあまあロート、とりあえずこれで落ち着けるしさ」
そんな青年の肩に手を置くのはこれもまた美丈夫。風に翻るのは灰色のコート、裾に行くばつ紫に色づく銀髪を踊らせる男性。爛々と光る銀の瞳、異形の耳に頭から生えた角、背に生えた羽根。握った大太刀を鞘に仕舞い、背負う。
「これで落ち着けってのも無理な話っすよ……」
「くっそ……! 俺はどうなっちまったんだ!!」
尖った長い耳、眩い金髪に空色の瞳。白衣を脱いで腕に抱えた女性が髪を掻き回した。その横、膝を付き頭を抱えた女性が恨めしげに地面を叩く。
「ひとまず状況確認をしよう! みんな、体の不調は……」
僕は緩くなったベルトを掴み、ズボンを持ち上げる。腹や脚周りはぶかぶかなのに、腰や太腿はきつい。肩にかかる髪が邪魔だ。
赤毛に猫の耳を持った男性がきっと鋭い金の瞳を僕に向けた。
「不調しかないわよっ!! なによこの体! この声!!」
見た目にそぐわぬ口調に度肝を抜かれるが、慣れるしかない。下手に口を開けば更に怒らせるだろう。
「ボクはまあ、慣れればこんなものかなって。いつもより関節が硬い……かな?」
銀髪の男性は大太刀を握り、振る。自身の可動域を見るかのように手足を回した。
「俺は服がとにかく重いっすね……。サイズがぶかぶかで身動きが……」
金髪の女性は肩からぶら下げた鞄の紐を調節し、斜めにかけた。ずり落ちないようにベルトを締め直すが、今の穴では緩いらしい。
「俺はレディに奉仕するために生まれてきたのであって、俺自体がレディになりたいわけじゃねぇ……! あくまで男としてレディに仕えることが俺の……」
チャームポイントだったつんつんと立てた髪は自重で落ちてしまっている。そんな髪と同じようにぐったりと項垂れる女性。額の鉢金がずり落ちて、刻まれた傷跡が晒されていた。
……うん、僕も含め全員正気ではない。こんな障害物の多い森の中で留まるのはごめんだが、下手に移動してこの不自由な体で魔物に囲まれるのは遠慮したい。
「状況確認だ。わかると思うけど……まず僕がシュヴァルツ」
次、と指差せば赤毛の男性は「ロート」と名乗る。その次に「ジルヴァ」と銀髪の彼。「ゲイブっす」と金髪の女性が名乗り、死にそうな声で「オランジェ」と残りの彼女が言った。
「僕らは全員、何らかの影響により性別が逆転している……!」
改めて口に出すと、頭がおかしくなりそうな発言だった。
──Side Weiss──
「世界がイカれてるとかのレベルじゃねぇだろおい!!」
俺は叫びながら両手の短剣を振り回し、屍達を斬り刻んだ。いつもと違う重い体に、思わず舌打ちをする。俺の背後で風のように駆け抜けたグリューンが、屍の頭骨へ蹴りを打ち込んだ。いつものように蹴り砕くことができないことへ、彼女もまた舌打ちをひとつ。
荒野を抜けたことにより屍以外の魔物も出るかと思ったが、そんなことはなかった。目につく魔物はあいも変わらず屍ばかり。稀に獣を見つけたとしても、向こうから襲ってくることは少なかった。この屍達だけが、ひたすら俺達を追い回してくる。
「一旦ここを突破しよう! それから考えるんだ!」
リラが地面を槍のように隆起させるが、いつものような範囲でできないらしい。だが動きは止めれた、感謝を告げて動けない屍達を再起不能にする。
「まとめていきますわ、不浄洗華!!」
ロゼが素早い動きで両腕をしならせ、屍達の体に触れた。彼女の持つ浄化の力は、屍を動かすなにかにも作用するらしい。ばたりと崩れた奴らを蹴散らし、空を駆ける。
「動きづらい……!」
「お前とブラウは無理すんな!」
歯噛みするグリューンにそう告げ、俺は獲物を振るい続ける。俺だって動きやすいとは言い難いが、彼女らよりマシだ。
「坊っちゃんに任せるわけには……」
ブラウは歯を食いしばり槍を構える。無理すんなと言い放ち俺は走った。いつもより高い目線、広い一歩、ええいやりづらい!
「未来の姿なんて!! 今!! 知りたく!! ねぇ!!」
二十代後半ほどの体になった俺はそう叫びながら、行く手を邪魔する屍達を一掃した。
「……で、現状報告だけどよ」
一通り片付け、肩で息をしながら皆を見る。
「見たままですわね……。皆さんの肉体年齢がしっちゃかめっちゃかみたいですわ」
髪も背も伸び、大人っぽくなったロゼが困ったように眉を寄せる。短くなったスカートの裾を押さえながら言った。
「ヴァイスさんとロゼさんは大人に……残りの俺達は子供に、と言うわけですか」
顔の大きさに合わない眼鏡を手で持ち、だぼだぼになった服を引きずりながらリラが言う。彼の見た目は十代前半ほどだろうか、その横で更に小柄になったグリューンが舌打ちをした。
「不快。不服。気に入らない」
「全く同意です」
グリューンの文句にブラウも首を縦に振る。ブラウはリラと同じくらいだが、グリューンに至っては十歳もいかない見た目だ。
「大体俺とロゼがプラス十歳、お前らがマイナス十歳って感じか?」
「そうらしいね。全く頭が痛いですよ……」
二日間、廃墟地帯を目指して草原地帯を走っていた俺らは、濃い霧に覆われた地帯を駆け抜けた。それから数時間後の今、何故か俺たちの体は変質していた。
俺とロゼは戦えるとして、残り三人。通常時より筋力や体力は低下しているし、錬金術の出力もかなり劣るだろう。おまけにブラウやグリューンは、扱う武器と体格が合わない。
「何が原因だ?」
「わかりません……へんなものを皆で食べた覚えもありませんし」
「昨日食ったもの?」
「いや、流石に獣の肉にこのような作用があるとは……」
昨晩食ったのはこのあいだ狩った獣の肉だ。そういう魔物だったのだ、と言えば解決するだろうが……そんなことを言ってたら何も食えなくなる。
「やっぱりあの霧か?」
「しかし魔力は感じませんでした」
「謎気候ってやつ? 無茶苦茶だよ」
食い物のせいでも、魔物のせいでも、ましてや気候のせいだとしても……治る方法がわからないのは変わらない。
「一生このままは嫌だぞ!!」
「同感ですわ!! 歳下のシュヴァルツ様なんて……私の方が歳下なんて……」
十年も人生を損してたまるか!! そう叫ぶ俺にロゼは同意の声を上げる。が、彼女はしりすぼみに声を縮めた。
「歳下のシュヴァルツ様……アリ、では?」
「落ち着けロゼ、ナシだ」
彼女も混乱している。グリューンはぶかぶかのブーツに包まれた脚をぶんぶん振りながら再度舌打ち。
「冗談じゃない。ようやくあの馬鹿リーダーに自覚させたのに……こんな子供の見た目じゃいよいよ逃げられる……!」
「どうにかしてもとに戻らなくてはなりませんね」
尋常じゃない殺気を放つグリューンをたしなめつつリラが言った。そうだ、まずは戻る方法を探そう。このままではシュヴァルツ達と合流したところで、馬鹿にされるのがオチだ。
高い位置の視界。明らかに背が伸びている。今の身長でシュヴァルツを見下してみたい気持ちもあるが……不愉快極まりないと言わんばかりのブラウ、グリューン、リラをこのままにはしておけない。
「もしかしたらまた七層の不思議気候とかではありませんか? 肉体年齢を弄る魔力がこの付近に満ちてて……」
「怖すぎませんか七層」
ここまで来たら何でもありな気がする。
「もしヤバ気候ならシュヴァルツ達も巻き込まれてたりしてなー!!」
「小さいシュヴァルツ様見てみたいですわ〜」
「大人オランジェ……よりかはガキオランジェかな」
「ロート嬢やジルヴァ嬢とは鉢合わせたくないのてすが」
「俺も今ゲイブと顔を合わせたくはないです。向こうも子供になっているならまだしも……」
俺はベルトを少し緩めて肩に羽織った上着を脱ぐ。腹から腰にかけての厚み、そして肩の厚み。それらは今増している。俺はあと十年、成長期を残しているのだ。それを今知ってしまったことへの不満はある。もちろんある。
鏡がないのが残念だ。体がたくましくなったのなら、この顔も随分凛々しくなったのでは? 今までは母にそっくりとばかり言われてきたこの顔だが、二十歳後半にもなれば女性と間違われることもないだろう。
「なあなあブラウ、俺の顔どんな?」
「は?」
試しにブラウに聞いてみた。奴はいきなりの質問に疑問符を返すと、無言で俺の顔を見る。
「……いつものように何も考えてなさそうな顔ですね」
「そうじゃねえわ!!」
お前ホントに俺の従者か!? せっかく幼い顔立ちになったのに、いつものように眉間にシワを寄せて奴は言った。それから歯噛みする俺に、奴はふっと顔を緩める。
「旦那様によく似てますよ」
「────へ」
親父に? ブラウに聞き返そうとしたが、奴はすぐに踵を返して歩き始めた。俺は自分の頬を撫でる。親父、親父に似てるのか。そうか。
少しにやける顔を押さえて、俺は一気に駆け出した。




