146 : 最後の世界
──Side Weiss──
「なんっだこの階層はあぁぁぁ!!」
目を覚ました俺は開口一番そう叫んだ。
夜、とも言えない夜──迷宮特有のいきなり暗くなる時間帯──が明け、差し込む陽気に一息ついた直後、いきなり空から礫のような雹が降り注いだのだ。
「これは……廃墟がこんなにぼろぼろになるわけだね」
「明らかに風化した跡ではなかったですからね」
大慌てで荷物をかき集め、階下に降りて雹を凌ぐ。ジルヴァの親父さんから渡された包みは俺か預かっていたが、正直重いしデカい! 凄まじい音にグリューンが眉をひそめた。ブラウの言うとおり、確かに廃墟の荒れ具合は尋常ではなかった。荒れたというか破壊されたというか……。壁は崩壊し、天井も無い。てっきり魔物が暴れでもしたのかと思ったが、この雹なら納得だ。
「石つぶてが降ってきてるようなものですわ……」
「直撃したらいいとこ昏倒ですよ、これ」
かと言って留まり続けるわけにもいかない。なるべく動き回り、シュヴァルツ達と合流しなければ。
「リラ、行けるか?」
「五人分なら余裕です」
空中に張られる防御壁、俺達はなるべく一塊になり外へ飛び出した。頭上で音を立て、見えない壁に弾かれる雹。よし、大丈夫。
向こうはシュヴァルツがいるから大丈夫だろう。ひとまずこの雹が止むまで移動し続けるしかない。
──Side Schwartz──
「どうなってるんだよこの階層は!!」
寝起き早々に僕は叫ぶ。廃墟の影で縮こまって寝ていた僕らを叩き起こしたのは、凄まじい落雷の音だった。天を引き裂き地を割るとはまさにこのことか、そう言わんばかりのおぞましい天候。雨も風もなく、ただ強烈な雷が降り注ぐ。
「下手に出たら落雷で消し炭よ!」
「あいにく金属はたっぷりっすからね……」
ロート達の言うとおりだ。ひとまず雷が止むまでここで凌ぐしかない。近場の廃墟に雷が落ちた、オランジェとジルヴァがぎゃあと悲鳴を上げる。ゲイブさんは急いで荷物を集め、かばうように抱き込んだ。
「ほほほほ、ほんとに止むのかよ!!」
「この廃墟に落ちたら終わりだよー!!」
「屋根があるからとはいえ油断できないな……。金属から離れて、身をかがめよう。少しは確率が下がる……!」
とにもかくにも、この雷が止むまで動けそうにない。魔物の姿は未だに見ていないが……この場で戦うとなったら厄介だ。崩れかけの廃墟、そこに生まれた横穴のようなスペース、下手に暴れれば崩壊して押し潰される。
「このままだとヴァイス達を探しに行けないぞ……!」
「向こうは無事かな? この時間まで変に夢見てたら!」
「死んでるわね」
僕のぼやきにジルヴァが最悪の想定をして顔を青くする。冷たすぎるロートの言葉に彼女は頭を抱えていた。そんなことを言いつつロート自身も顔色は悪い。彼女は彼女で心労が凄まじいはずだ。
「詐欺野郎はいいけどよ……うん……」
「グリューンが心配なら心配って言ったほうがいいと思うっすけどねー」
もごもご言うオランジェに、ゲイブさんが肩をすくませる。相変わらず緊張感のない会話。思わず笑いがこぼれた。
「ひとまずこの雷が止むまで……待つしかないか」
見上げた視界、廃墟の壁から覗く空。立ち込める暗雲を見ながら僕はヴァイスの青い瞳を思い浮かべていた。
──Side Weiss──
リラのガードの下、走り続けること小一時間。突然はっと空が晴れた。見上げる空を覆っていた灰色の雲が、ここで突然途切れている。眼の前、ほんの数メートル先、降り注ぐ雹は変わらない。だが今立っているこの場、見上げた空は青く空気は澄んでいる。
「どうなってやがる……!」
本来雲は風に流れて空を動く。流石の俺でもそのくらい知っている。たとえ迷宮内、偽物の空であろうともそれは変わらなかった。今までは。
だがこの七層、立ち込める雲は動かない。その場に固定されたように留まり続ける。
「ヴァイスさん、あちらを!」
ロゼの声に首を向けた。方角はわからないが、俺達がいた場所と反対側、そこには真っ黒な分厚い雲が浮かんでいる。その下では小刻みに光が爆ぜていた。雷……だろうか。
そのまた別の方向、汚水を含んだ綿のような雲が陣取る空。その下の空気は灰色に染まっていた。
「あちこちで……異常な天候が?」
ブラウの言葉が遠く聞こえる。なんだここは、本当に何なんだ。広い世界、すべての場所で同じ天気ということはない。雨が降る場所もあれば、晴れる場所もある。曇りの場所も、雪の場所も。だがそれは外の世界の話。
迷宮、広大すぎる閉鎖空間。目に見える距離でこんなに天候が異なるなんて、おかしすぎる!!
「油断したら夢に食われて、方角も不明、天候はしっちゃかめっちゃか……あんまりにもあんまりだね」
グリューンが嫌そうな顔をして鼻を抑えた。彼女の獣の鼻には何が届いているのか。
「グリューン、どうした」
「……魔物が来る」
彼女は弓を構えて矢を取り出す。俺とブラウもそれぞれ獲物を構えた。ロゼやリラも技の構えを取り、俺達は互いの背中を守るように立った。
周囲の地面がぼこぼこと隆起する。地面から出てくるタイプ、モグラか? それとも虫か?
「嫌な臭いがする……これは、何か変だ」
グリューンの言葉が途切れた刹那、隆起した地面から何かが現れた。伸びたそれは、細い棒────いや、手だ。土に汚れた白い手、骨だ。骨の手が地面から伸びている。
「え」
ずるずると姿を現した魔物。ぼろぼろになった衣服をまとった骨。頭にはよれた糸のように髪の毛が絡まっている。唇が震えた。人の死体? まとう服、長い年月によって汚れきっているが、およそ一般人が着るものではない。肘や膝についたのは錆びた甲冑、背負った剣、あれは──冒険者?
「なんで……人の死体が!!」
それをかたどったもの? だとしても趣味が悪い。獣、虫、鉱物、不定形。様々な魔物と相対し、それらをなぎ倒してきたが……人、ここに来て、人。それが周りからどんどん距離を詰めてくる。考える時間もくれない。
「構っていられません、倒します」
「……! 待って!!」
ブラウが構えた槍の刃先を逸らし、リラは叫ぶ。その目はしっかと死体集団を捉えていた。骨の体を蹴り飛ばし、距離を取りながらリラは眼鏡の位置を直す。鋭い瞳で奴らを視る。導き出した結論、それは。
「人の姿をかたどったものじゃない!! あれは、本当に人の死体だ!!」
リラの目は世界の「式」を読む。故にその構成が理解できる。それが魔物であるか、人間であるか、見極める程度彼の前では造作でもない。
死体は鈍い動きで剣を抜き、振りかぶる。それを受け止め流し、蹴倒した。緩慢な動作だから当てるのも躱すのも容易い。足裏に伝わった軽く砕ける感触、乾いた音。こんなもの蹴ったことも触ったこともない、それなのに何故かわかる。これは、本物だ。
「なんでこの七層にこんなに人が!!」
「いや……! 七層だけとは、限らない!」
たしかに、七層へ訪れる実力を備えた冒険者とは思えない装備。中には武器すら持たないものもいた。長い年月で獲物すら失ったのだろうか。
「三千年の歴史の中……この迷宮で亡くなった人間の、体だ」
一層から七層まで、積み重なってきた屍達。それらが今、俺達の目の前に立ちふさがっている。
「行方不明になった死体は全部……ここに来てたってのか」
「死体とはいえ」
ロゼは指輪をはめた手を構える。ぐっと唇を噛み締め、前見据えた。そうだ、彼女はその覚悟を等に済ませている。
「人を倒せとは、趣味の悪いことですわ」
死してなお、この場でとどまることしかできない哀れな存在。俺も、覚悟は決めた。ロゼを救ったあの日に、人に手をかける覚悟はできたはずだろ!!
「邪魔すんじゃねえ! そこをどけ!!」
振り下ろされる錆びた剣、短剣で受けて跳ね返す。揺らいだ体、むき出しの胴に蹴りを入れて砕く。風化した骨は崩れやすく軽い。
グリューンも矢をしまい、飛んだ。奴らの上空を舞い頭部に手をかける。二体をぶつけ、まとめて頭骨を割った。
ブラウは槍というリーチを活かし、まとめて薙ぎ払う。リラも長い脚を振り回して蹴り砕いた。覚悟はあれど──人相手に刃を向ける気にはなれない。
暗い眼孔に指をねじ込み、思いっきりぶん投げる。頭骨が飛んでなお動く体、足払いをし転倒させ、その肋骨に肘を落とす。
動きを縛る悪天候、晴れりゃきりがない魔物の軍勢。頬を叩いて気合を入れた。構わねえ、やってやる!
「そこをどけてめぇら!! 俺らは先へ進むんだ!!」
自分を奮い立たせるために叫び、俺は前方を塞ぐ屍に蹴りを打ち込んだ。




