145 : 目覚めの先で
──Side Weiss──
勢いよく飛び起きた俺の視界は、まばゆい星に彩られた夜空で埋め尽くされていた。二度三度、瞬きをして意識を覚ます。六層の空ではない。今は夜なのだろうか。
「あ、ふたりとも起きた」
グリューンの声。焚き火に草を投げ込みながら彼女は座っていた。その向かいでロゼが安堵の息をつく。崩れた壁の向こうから顔を覗かせるリラ。そうだ、段々思い出してきた。五人に別れて七層へ……ん、そういえば、ふたり?
「坊っちゃんも今目覚めましたか……」
「ブラウ、お前も?」
なんだか、長い間眠っていた気がする。不思議な夢を見たような気も……だが夢は夢。起きたらもうはっきりとは思い出せない。
「みんな寝てたのか?」
「いえ、全員が寝ていたのは七層突入直後だけ。俺とグリューン、ロゼさんはすぐに目覚めて、ふたりを運んだんです」
ぐーすか寝てたってことか。申し訳ない。
「あのまま草っぱらに居続けるわけにもいかないしね……ここに来たのが昼過ぎだったから……」
「ごめん、迷惑かけた」
「気にしないでくださいな。ついでにゆっくり休めましたし」
昼から夜まで、数時間も眠っていたのか? 情けない。
敷かれた布の上から身を起こす。その時気がついたが、ここは何かしらの建物の中のようだ。布越しに感じる地面は硬い。岩や石畳のように思ったが、どうやら違う。長年雨風にさらされた様子は伺えるものの……なんだか直面で、ざらついている。磨いた石とはまた違う感触。なんだこれ。
「ロートさんの帳面を覗いていたけど……この七層、『虚影の廃都』は、突入した人の過去やトラウマを夢として見せるらしい」
リラは眼鏡のずれを直しつつ、焚き火の側に座った。六層のような寒さではないが、明かりを求めて火の側による。ブラウも座った。
「この大気、明らかに魔力が濃い。それがおそらく幻覚として俺達を捕まえるんだろう。……それに引き込まれたらもう、魔物からすればいい獲物だね」
「七層じゃあ内面の強さが求められる……ってことか」
俺の言葉にリラは頷いた。俺とブラウは長い間寝てたってことは、かなり危ないところだったのかもしれない。他三人がすぐに目覚めて運んでくれなければ、あそこで終わってた可能性だってある。
「本当に助かりました。不甲斐ない……」
「リーダ……ブラウ君が不甲斐ないのは今に始まったことじゃないですよ」
リラの言葉にブラウはぶすっとした顔をした。グリューンが枯れ枝をへし折り、火にくべる。ロゼが鞄に残っていた干し肉をくれた。礼を言って受け取り、かじる。
「今はオランジェもいないしリーダーって呼んでもいいでしょ。僕らも気にしないし」
リラやゲイブは彼らの方が歳上にも関わらず、ブラウを慕っている。ゲイブはよく「兄貴」と呼んでいるし、今更気にしない。彼らにとっての「リーダー」はブラウただひとりなのだろう。オランジェをそう呼んでいるのも聞いたことないしな。
「じゃあ、遠慮なく」
「ん」
リラが頷く。それに俺も答えた。そういえば、俺は干し肉を噛み千切り問う。
「先に向かった五人は? 俺達が飛び込むまでの間に、そんなに時間は経ってないよな?」
向こうも夢にやられていたなら、下手したら落下時点で合流できそうなものだが。それとも、向こうは速攻で起きて探索へ向かったのだろうか?
「おそらくそれは……」
「おふたりとも、こちらへ」
三人が立ち上がり手招き。大人しくついていく。奇妙な石……らしきものでできた壁が崩れ、外の景色が見えている。グリューンが簡易の松明で照らす周囲。驚いたが、今俺達は廃墟の上階にいるらしい。地上、草が交じる荒野は数メートル離れた下に見えた。
石のようなものが崩れた中、細長い棒のようなものが突き出している。ゴーグルを下ろして見た。表面に浮いた赤茶の……サビだ。ならばこれは鉄? 鉄の棒を中に備えた壁? よくわからない。
「ほら、見えるかな」
ここは五層までと同じように、定刻になると明かりが灯るように日が出て、時間が過ぎると入れ替わりで月明かりが灯るらしい。だから夜とはいえ、辺りは見渡せる。
「六層の中心部から僕らは落ちた。だから落下点は七層の中心部──の、はずだよね。今は移動したから少しずれてるけど」
グリューンの言い方、「の、はず」。なにか引っかかる。
「あれを見て」
リラが指差す先。薄暗闇の中、同じような廃墟が見えた。崩れかけた直方体、とでも言うべきか。それは草っぱらが広がる荒野の中に、ひとつふたつと点在している。遠い向こう、見渡す先に山とは異なる、黒っぽい影が見えた。その手前には木々が茂る黒黒とした森が広がっている。
「ここと同じような廃墟の密集地帯があるみたいだ。それはまあ、置いといて。あっち、ほら、何かが動いているだろう?」
リラが次に指差した方へ視線をやると、確かに見渡す先で何かが動いているのが見える。本当に遠く、小さく、微かな動きだが。あれは……何かが落ちている?
「あれは滝だ。おそらく、四層から五、六層を落ちてきている水」
まだ落ちてきているのか。ジルヴァ曰く落ちる水の量と湧き出る水の量は釣り合っており、枯れることは無いとのことだが……それでも凄まじい規模だ。だが、あの滝が何だというのだろう。
「覚えてる? 六層……神樹ユグドラシルと対面した最下層、あの広場。僕らが落ちた場所を時計の中心だとすると、滝は北東、二時の方角にあった。中心部からさほど移動してないから、見え方は変わらない」
時計の中心部へ降りてきた俺達、そこが現在地。ならば、二時の方角の滝は変わらず──北東に、見えてなければおかしい。リラに頼んで方位磁針を出してもらう。滝が見える方角は……北西。
「は??」
「ここで考えられることはふたつ」
リラは指を立て、ゆっくり言った。
「もう磁針が効かない。方角なんて、なんのアテにもならない。太陽……明かりの位置は固定だし、頼りになる目印らしきものもない」
それから、ともう一本。
「この七層と六層の境には、なにかの壁がある。突入地点と落下地点の座標をずらし、全く異なる位置に飛ばす──まあどっちも、恐ろしいのに変わりはないけどね」
とんでもない、場所だ。気を抜けば過去の夢に引っ張り込まれ、方角や今いる位置もわからない。深層、深い底の果て。そう呼ぶにふさわしい場所、ここが迷宮第七層。
「おそらく座標がずれているのだと思われますわ。方角が乱れているだけなら、落下時点でシュヴァルツ様達がそこまで離れているはずはありません。近い場合、シュヴァルツ様を感じるはずですもの」
ロゼがさらりと言ったが……感じるってなんだよ。
「俺もそう思います。なのでひとまず……アテもなく歩くしかありませんね」
方角もわからず、地図もない。ロートが所持しているギルドゼーゲンの帳面なら何かヒントが書かれていてもおかしくはないが……俺達の手元にその帳面はない。
「とにかく……日が明け次第、廃墟の密集地帯へ向かうのはどうでしょうか。高い場所から見下ろせば、五人を見つけられるかもしれませんし……向こうも、同じことを思うでしょう」
ブラウの言葉に、一同頷く。異論はない。
「よし! まずの目標は五人との合流! それから、地図作りだな!!」
拳を勢いよく打ち鳴らす。向こうにいるのはシュヴァルツ、ロート、ジルヴァ、ゲイブ、オランジェ。不足はないが、今頃俺達が恋しくて泣いているだろう。
「死ぬんじゃねえぞシュヴァルツ達! 俺達もすぐに追いつく!!」
──Side Schwartz──
「……ヴァイス達無事かな」
「もう落ちてきてもおかしくないはずなのにね」
「もしかしてユグドラシルにやられたとか……!」
「ちょっと金髪クン! 滅多なこと言うんじゃないわよ!」
「いてぇ!!」
ぽつりと僕がつぶやいた言葉に、やいややいやと騒がしい声が響く。落下地点から僕らはほとんど動いていない。落ちてくる影があれば気づけるはずだ。
僕らがいるのは、崩れかけた背の高い廃墟が並ぶ密集地帯。影に隠れて身を潜めているおかげか、魔物の気配は現在無い。索敵から帰ってきた黒い炎、アグニを迎え入れる。
「どうした? シュヴァルツ。グリューン達は来てるのか?」
オランジェの問い。彼はなんだかんだと言いつつ、かなり心配している。
「……この周囲一帯を見させたけど、いないって」
「……そんだけ過酷なのか……ユグドラシルとの戦いはよ」
おそらく、そうだろう。僕は頷く。だが、ここで待ち続けるわけにもいかない。
「明日の朝、出発しよう。あいつらが追いついたとき、神霊なんて倒してやってるくらい、余裕を見せつけてやろう」
ヴァイスの驚いた顔が目に浮かぶ。思わず笑う僕に、他のみんなも笑った。
「そうよね! じゃんじゃん進みましょ!」
「俺の新武器もお披露目したいっす!」
「俺も俺も!」
大賑わいを見せる一行。僕は空を見上げる。
早く来いよ、ヴァイス、みんな。




