142 : 少年が見た夢
──Side Schwartz──
音を立て火花を立て燃える薪へ、枯れ枝を投げ込みながら僕ら五人は向かい合う。奇妙な石でできた廃墟の影で、僕らは夜を迎えている。
「第七層……虚影の廃都。幻覚と非現実の世界……」
迷宮についての情報が刻まれた帳面をめくったロートが呟く。ヴァイス達から逃された僕らはこの七層に降り立ち、自分達の過去と向き合った。
「まーさーか! 全員揃って速攻で起きるとはねぇ……」
そのとおり。僕らは多少の時間差はあれど、全員短時間で目を覚ましたのだ。ゲイブさんが保存食の乾燥肉を齧りつつ言った。
「まー、俺は大して後悔もやり直したいことも無いっすからねー。兄貴達がいなくなった一件……は、まあ、今は兄貴いますし」
クライ君も兄貴が生き返らす方法探すっすからね! と笑った。
「ボクは未来しか見てないからね!!」
高らかに笑うのはジルヴァ。このふたりがほぼ同時、最速で起きたのだ。
「意外だったな。ロートはあんなことがあったし……」
「は? アタシが過去でメソメソする女に見える? なーんか胸糞悪い顔が出てきたけど、速攻でブチのめして目ェ覚ましたわ」
……三年拘束され、一度は帰る場所を焼かれた女の発言とは思えない。流石、とコールを送るオランジェ。彼は僕らの中では最後に目を覚ました。存在を望まれなかった跡継ぎ、十二貴族の一員ながら、名前すら与えられなかった彼。
「色々見たぜ。父親とか、双子の弟とか。そのへんは蹴散らしてやったけどな! もう他人だ!! ……でもまあ、あのときの、子供達、は……堪えたな」
第五層で出会った子供のことだろう。僕はその姿を見てもいないし、話をしたこともない。ことの顛末は聞いていないし、何があったかは知らない。
「でもまあ、あの子達の分も背負ってくと決めた。過去を振り返ってる暇はこのオランジェ様にはねぇさ!」
いつもの調子な彼に安堵の笑みが漏れる。
「残りのみんなは大丈夫かなぁ?」
ジルヴァが呟く。ロゼやブラウさんなど、かなりの過去を抱えたメンバーがいるのだ。無事目覚めることはできるのだろうか。
「……ヴァイスがここに来て見るのは、母親が出てくる夢か、大人数の女の子に追われる夢か、かな」
「何すかその二択……」
後者だった場合、あいつは戻ってこれるだろうか。
「そういやあ、ヴァイスさんって何があって女性が苦手なんすかねぇ」
「それは俺も気になってたぜ。レディに囲まれて失神なんて、俺には信じられない」
「うーん……それも僕と出会う前からだしな」
大人子供問わず、好意を持って迫ってくる女性はヴァイスにとっての天敵だ。その地位と整った顔のせいで、昔から女子に追いかけ回されることはあったが……その度気絶していた。
その発作が一体何を基準に起こるのかは知らない。一件少年のように見えるグリューンや、……ヴァイスに全く関心がないロゼは対象外。
しかし、大人の女性であるツュンデンさん。その娘、年若い「女子」そのものなロート。「そういう感情」が無いにせよ、距離感の近いジルヴァ。彼女らに対して「反応」が起こらないのは全くの謎だ。抱きついたりされれば流石に拒否していたが、他の人相手のように気絶するなんてことはない。
僕と出会う前に、好意を持たれた女性からよっぽど恐ろしい目にあわされたのだろうか? いや、詳しくは知らないが。
「まああいつらは大丈夫でしょ」
ヴァイスの女性アレルギーについて頭を悩ませる僕ら男性陣をロートはそう一掃。彼女は追加の枯れ枝を火へ投げ込んだ。
「にしても意外と早かったわよねシュヴァルツ。根暗なのに」
「一言多いよ……」
だが事実だ。僕はロートより少しだけ先に目を覚ました。それは僕自身に、辛い記憶や悲しい出来事がないことが影響しているだろう。
「両親がゼーゲンの一員だった、とかはわかんないしね。顔も声も覚えてないし、父さんに至っては生まれる前に死んでるし」
僕には師匠がいてくれた。その師匠だって、底に行けばまた会える。過去を見る暇なんかない。
「だからかな。両親が死んでる、なんてことは気にもしたことない。一緒にいたヴァイスも、母親は亡くなってるしね」
「え」
全員の声が重なった。何か、変なことを言っただろうか。
「ヴァイスのお母さんって、亡くなってるの?」
「え……うん。僕と出会う前に。だから僕もよく知らない」
「お父さん……領主サマとは確かに言い合いしてたけど……」
なんだ、みんなには言ってなかったのか? ヴァイスは意外と、自分から自分の話はしたがらない。僕が勝手に言っていいものか。
「病気、とかっすか?」
「いや、事故らしい。遠征先で……密輸された迷宮の魔物を飼っている家があったらしい。そいつが脱走して、襲われたって聞いた。……あいつが夢を叶えるって必死なのも、母親との約束が理由らしい」
迷宮内の植物を持ち出すことは認められている。倒した魔物から得た素材も同じく。そうして冒険者達は生計を立てる。冒険者が売った植物を乾かし、すりつぶし、薬にする。魔物から剥がした素材で武器を作る。そうやって街の人々は生計を立てていた。
だが持ち出した植物を育て、移植すること、魔物を連れ出し飼育することは許されていない。厳重な罰がくだされる。
迷宮内の植物による生態系の破壊。魔物による大きな被害。その理由は明確だ。だが、一部の愚かな集団はその危険を顧みない。その一件により、迷宮内の資源持ち出しは更に厳重な警戒がされるようになった。
「……お母さんとの約束で立派な王様に、か」
「へ?」
「ん?」
ロートの言葉に素っ頓狂な疑問符が溢れる。ヴァイスの夢が、立派な王様? それは違う。
「え、だって騎士サマが来た日、父親との話でそう言ってたじゃない。世界一の冒険者になって、立派な王様になるって」
「違うよ。それらは目標。あいつの『夢』はまた別だ」
「ボクが聞いたのとも違うよ!」
ジルヴァは聞いたのか。ロート、オランジェ、ゲイブさんの反応を見るに、ほとんどの仲間には話してないんだな。……まあ、あんな馬鹿げた夢、話さない方がいい気もするが。
「何、なんでアタシらには教えてくれてないのよ。シュヴァルツ、ジルヴァ、知ってるなら教えなさい!」
「水臭せぇっすよ〜!」
「はっ、俺と詐欺野郎どっちの夢が大きいかは興味あるな!」
もうすっかり聞き出すモードじゃないか。勝手に言うと何か言われそうなんだが……仕方ない。
そして僕は口を開く。幼い日、初めて聞いたとき思わず何も言えなくなるほど呆れてしまった──ヴァイスの馬鹿みたいに大きくて、馬鹿みたいに非現実的な、夢を。
──Side Weiss──
夢を見る。少年はただ、夢を見る。
甘いまどろみの霧の中、彼は幼き日の夢を見る。
「なんでおれだけ、るすばんなんだよっ!!」
「仕方ないだろう。お前はまだ幼い」
「おれはもう! 『ごさい』! だ!!」
「幼いじゃないか」
大人の男に押さえられながら、両手足をばたつかせる幼い少年。可愛らしい顔立ちを歪ませ暴れる。真白の髪、空色の瞳。在りし日のヴァイス少年だ。
そんな彼に頭を押さえるのは、彼の父親。羊領領主アーベント。その隣に立った女性がアーベントの肩に手を置いた。
「ふふ、幾多の領民をまとめ上げても、たったひとりの子供には敵わないのね」
「リリーベル……」
薄茶の髪に空色の瞳。少年とよく似た愛らしい顔立ち。彼女こそがアーベントの妻、ヴァイスの母、リリーベルである。
一般家庭の羊飼いの娘。彼女は本来出会うこともない身分ながら、アーベントと出会い、結ばれた。快活で気持ちのいい性格をしている女性である。
リリーベルは駄々をこねるヴァイスの元にしゃがみ込むと、彼と視線を合わせた。
「いい? ヴァイス。私達は他所の領地に行くのよ。あんたはまだ、この屋敷とこの街しか知らないでしょう?」
「だからだよ! いろんなところをみたい! こわくなんかない!!」
「そうよねぇ……あーんな立派な夢を持つあんただもの、こんなところでとどまってられないわよねぇ」
溜息混じりにそう言い放つ。アーベントがぎょっとした顔をし、ヴァイスは対照的に顔を輝かせる。
「じゃあ!」
「でもヴァイス? あんたこの街のこと、ぜぇんぶ知ってる?」
ちょんっと唇に当てられた指。丸い目をぱちくりとさせ、ヴァイスはリリーベルを見上げた。
「あの路地裏を通ったらどこに行くの? とか、森の奥には何があるの? とか、あんたはまだまだこの街のことも知れてないのよ」
口を尖らせて目を背けるヴァイス。リリーベルはそんな彼の頭を撫でて立ち上がった。
「帰ってきたら、一緒に街を歩きましょ! 今まで連れてってあげてないところにも連れて行ってあげる。母さんとの約束よ!」
「ほんとに!?」
「本当に」
そう言ってリリーベルはぱちんと音がしそうなウィンクをしてみせる。
「森の中でも、橋の上でも、路地裏でも。私が連れてってあげるから!」
「リリーベル、それは……」
流石に危険だと静止ようとしたアーベントへ振り返り、彼女は笑う。
「あら、心配? ならあなたも着いてきてね」
「……敵わないな、君には」
ヴァイスは約束! 約束! と小躍りしている。そんな彼を見て夫婦は笑った。出発を待つ馬が鼻を鳴らす。ふたりは馬車へ乗り込んだ。
「ヴァイス! 母さんのお花、よろしくね!」
「うんっ!!」
坂を下り、その姿が見えなくなっても──母と息子は、手を振り続けた。
──羊領主奥方、事故により死亡──
──原因は迷宮より連れ出された魔物。──氏の調査が進み──
──羊領では悲しみの声が──
雨が降る日が続いていた。ヴァイス少年は傘を指し庭にいる。母が大切に育てている花を枯らさないように、彼は毎日庭で見張っていた。長雨続きで花が弱らないよう、彼は二本目の傘を花壇へ置いている。
花壇の横に生えた大きな木、茂る枝葉が雨の勢いを殺すといえど、幼い彼は不安で仕方ない。母に頼まれたのだ。枯らすわけにはいかないと。
ヴァイス少年は顔を上げる。坂道を登ってくる馬車。彼は顔を輝かせた。父と母が戻ってきたのだ。靴や脚が濡れるのも構わず走る。庭先へ飛び出し、必死になって手を振った。すぐにでも母が窓から顔を出し手を振ってくれるはずである。
──が、馬車が止まるまで手が伸ばされることがなかった。傘もささず、俯いた父が降りてくる。濡れる父を不思議に思いつつ、ヴァイス少年は駆け寄った。
「おかえりっ! ……かぜひくよ?」
うんと背伸びをし、父親へ傘をさしてあげようとする。父親の肩越しに馬車の中を覗こうとしたが、どうにも見えなかった。父はぬかるんだ地面に膝を付き、傘の中に入る。ヴァイス少年はきょとんと首を傾げながらも、父親を傘に入れてあげた。
「とうさん、だいじょうぶ? かあさんは?」
「ヴァイス」
ただ黙って、ヴァイス少年を抱き締める。その後ろ、馬車の中へ入る御者達。彼らはゆっくりと、四角い大きな、長い箱を出して出てくる。少年にはそれが何かわからない。何故母は出てこないのだろうと不思議に思う。
「母さんは、遠くに行ってしまったんだ」
その手から、傘が抜け落ちる。
遠くへ行く、その言葉に込められた意味が理解できないほど──ヴァイス少年は、幼くはなかった。




