139 : 五人
見上げる壁、ひび割れの中。人のような形をした木、目に当たる部分から漏れ出た赤い光。
六層を構成する神霊、神樹ユグドラシル。奴の撃破は六層の破壊を意味し、それは避けなくてはならない。火を放つのは駄目だ。木の虚、その閉鎖空間。シュヴァルツの扱う火でもあるまいし、仲間を燃やさないということは不可能。軽率に火をぶちまけば、俺達まとめてここでおじゃんだ。
何やら割れるような音。虚の入口が塞がれた。逃がすつもりはないらしい。
瞳のような赤い光が瞬いた。俺達の足元に光の軌跡が刻まれる。嫌な予感がしてその場から離れた。その刹那、耳をつんざくような高音。
光の軌跡が走っていた位置に、深い溝が生じている。焦げたような匂い、ぶすぶすと上る煙。マジかよ……!
「熱光線……! こいつもう木じゃねえだろ!!」
地面に機動を描いた後、発動までに一瞬の隙があるのがまだ救い。即時攻撃なら一撃で炭になる! どうすりゃいい。外にいたときみたいな音攻撃は無いが……狭いこの場は相手の思うがまま。おまけに暗い。攻撃の瞬間、その光ぐらいしかない。
暗視ゴーグルをつけた俺。 周囲の「式」を読み取るリラ、獣の本能で察知するグリューン、この三人のみが辺りを把握できている。まずは明かりが必要、しかし火は向いてない。
「ブラウさん! 光を!」
「言われずとも」
リラの声に、ブラウは槍をひねった。がちがちといくつか組み合わせる音。
「略式霊槍、聖光!」
その槍から放たれた光。炎とは違う白のそれは、虚の内部を照らし出す。これでなんとか!
「しかし坊っちゃん、参ったことにこのままでは他の技を放てません」
「その技明かり灯すためだけにあるのか!?」
なんだその技! 熱光線を躱しながら叫ぶ。
「いいえ、この技は本来対人用なのです。『解放』すれば、対象の意識を飛ばすことも可能です。しかし、この場においては無力も同然」
参ったな。ブラウやジルヴァの攻撃は一際抜けた火力を叩き出せる。ジルヴァのいない今、俺がどうにかするしかないのか。
その時、弦が鳴く音がした。真っ直ぐな軌道を描いて矢が飛ぶ。グリューンの矢が人形の中央を貫いた。
「ロートじゃなくて僕が残って良かったね」
続いて一気に三本番える。短い前髪の下から覗く緋色の瞳が、光に照らされ揺らめいた。
「砲撃じゃないから、好き放題撃てる」
光の筋を描いて飛ぶ三本の矢。人形の頭部、木にめり込む両足──に当たる部分──を縫い止めた。地面を揺らす振動、おそらく虚の外ではまた音の激流が溢れ出しているのだろう。ここならば、少しはマシだ。
「へっ、撃破しねぇ程度にぶっとばしゃあいいだけだもんな!」
よし、迷いは晴れた! 五人で逆にちょうどいい。十人揃ってたらうっかり撃破しかねない。
「指示は頼むぜ! リラ!!」
「了解!」
俺は頭を動かして策を巡らせるのは向いてない。今この場において、指示を出すのに向いてるのはリラだ。
「ロゼさん! 貴女の技で壁の破壊は可能ですか!?」
地面に刻まれる赤い光を躱し、ロゼへと問いを投げた。足元の地面から無数の根が伸びる。油断も隙もない!
「分厚く、どこまでか範囲が限定しづらい……! 下手をすれば、この大樹に風穴を開けるかもしれません……!」
ロゼの力は存在の焼却。分厚い壁と威力を高めれば、その破壊は壁だけに留まらなくなる。
「無理そうか!?」
俺の問いに、彼女は真っ向から首を横に振る。手を組み交わし、正面へ構えた。
「可能です! 視界さえ確保でき、充分な時間があれば! ……みなさま、お願い致します!!」
「わかりました、そちらに集中してください!」
大穴を携えた祭壇を塞ぐ壁、ロゼはその破壊に徹する。
「リ……ブラウ君! ロゼさんの護衛と明かりをよろしくお願いします!」
「そちらは任せる」
明かりを携えたブラウが遠ざかる。俺とグリューンは暗中でも行動可能。リラは向かってきた蔓を分解しつつ、俺達の方へ指示を出す。
「ヴァイスさんとグリューンはなるべく壁から離れないようにしつつ、あの人形を牽制してください! おそらくあの部分に過剰に攻撃を加えるのはまずい!」
ずれた眼鏡を直す。その瞳は、俺達では想像もつかないであろう無数の「式」を読んでいる。
「奴が何を頼りに俺達の居場所を察知しているかは、把握できません! 十分な注意を! 援護と足場の生成は引き受けます!」
「頼む!」
こちらへ向かってくる蔦を切り裂く。破片が後方のリラへ飛んだが、どうにかするだろう。
「クロスナイフ!」
「未解放」状態の中距離攻撃技はこれぐらいしかない。解放した攻撃では、致命傷になる可能性もある。ほとんど近接前提、おまけに斬撃故威力が落ちる。斬撃は人形の足元へ飛んだ。さて、どうするか。
「何で俺達を捉えてんだよ……」
伸びる根も、蔓も、熱光線も的確に俺達を捉える。それは一体何故か。見ている? 温度で感知している? ものは試しだ。短剣の柄をカチ合わせ、両刃の剣の形を成す。それを体の正面で回転させた。気流が乱れ、渦が生まれる。
「ファントム・ミラージュ!」
周囲に発生する俺の影。無数のそれ、幻覚の技。実態を伴わない分身を生み出す「ハルーシネーション」とはまた異なる技。この技は辺りの気流と大気、そして流れる魔力を「ずらし」、対象の神経を錯覚させるのだ。
この木に神経があるとは本来ならば信じがたいが……意思を持っている時点で常識は通用しない。あの赤い光を放つ、瞳に当たる部分はこれをどう受け取る?
赤い部分がぎらりと光った。熱光線はまっすぐに俺へ向かって軌跡を描く。視覚は関係ない! 即座に幻影を解除しその場から飛んだ。
「視覚じゃないなら……!」
空中で体を転回。そのときに覗いたリラが、地面へ手を当てるのを見た。地面の「式」が書き換えられていく。グリューンがロゼ達の元へ伸ばされた蔓を矢で射抜いた。
「温度はどうだ!!」
地面の一部、俺達ほどの背丈へ隆起する土。それはほのかに熱を持つ。ちょうど人間が立ってるみたいに。
伸ばされた蔓が、俺達の元と──その土くれを狙った。よし、温度か!
「少し寒くなりますよ!」
「構わねぇ!!」
「やっちゃって」
地面が急激に冷える。元々寒い第六層、芯から凍えるような冷気。だがこんなの、気にもしてられっか!
「ロゼ! どうだ!!」
「────っ!! 行けます!!」
集中攻撃は止んだ。代わりにヤケクソで放たれる攻撃の数々。方向は無茶苦茶、軌道もぐちゃぐちゃ、見境ない分速度も早い。
「鏡花水月!!」
壁が丸く、消滅した。奥に見える祭壇、あの中だ!!
「みなさまっ!!」
「おう! ありがとう、ロゼ!!」
背を向け、一気に走る。あれに飛び込めばこっちのものだ。壁のそばにいたロゼとブラウ。俺とグリューンは共に人形の側、二組の中央にいたリラ。グリューンは流石の足の速さ、闇雲に穿たれる攻撃を身軽に躱しつつ駆ける。
壁の断面、そこが動いた。修復しようとしている!? まずい、急がねば。だがこの中で一番遅れているのは俺、間に合え、間に合え!!
「ヴァイス!!」
グリューンの声。背後に迫る気配。なにかに脚を絡め取られた。殺気ならすぐに気づけるが、相手は木。殺気を抱くことも無かろうし、抱いたとして俺が予知できる範囲ではない。
やべえ、と何故か他人事に思った。何が来ている? 熱光線か? 根か? すぐさま足の蔓を切り裂いたとて、間に合わない。致命傷は避ける。足が動かなくなるのは避ける。身をよじり、せめて片腕で済むよう動いた。視界の隅、鋭く尖った根の先端。
「神槍抜錨、牙突!!」
響いた声、眼前を掠めたのは押し出された大気。爆散した根の破片が頬に当たる。ぼうっとしてる時間はない。足に絡んだ蔓を切り裂き、正面に立っている俺の騎士へ顔を向けた。
「助かった、ありがとう! ブラウ!!」
「油断なさらないでください」
「へへっ、悪いな!」
肩で息をしたブラウ、壁の側からここまでなんとかして来たらしい。それでも間に合いそうになかったため、わざわざ「解放」して攻撃を打ってくれたのだ。
「一気に行きます」
「は? どうやって────」
ブラウは俺を掴んで肩に引っ掛ける。両手で槍を掴み持ち手を回した。刃先は斜め下、地面へ向けて。
「略式霊槍、真空波」
「ちょっと待て──────ッ!!」
刃先から噴出する強烈な風。俺はブラウの肩と背中にしがみつく。上空へ放り出される体。
「そんなことに解放を使うな!!」
「簡易ですので」
「変わんねえよ!!」
ブラウの槍は出力調整できるのが強みである。だからといって、多用しすぎだ! 一気に壁の側へ着地。俺は肩から落とされ、ふたりで走った。ロゼ、グリューン、リラはもう祭壇の上にいる。壁に空いた大穴は閉じかけようとしていた。俺は双剣を、ブラウは槍を走りながら構える。
「双牙抜剣!」
「神槍抜錨」
狭まる亀裂、まだ閉じてはいない。かすかな光を放つ刃、眼前で手を交差させる。ブラウもしっかと両腕で槍を握って刃先を向けた。
「嘆き声!!」
「風花!」
ブラウから放たれる圧縮された風。俺が放った、内部へ衝撃を加える音の激流。閉じかけていた壁に風穴を開けた。中へ飛び込む。段飛ばしに階段を駆け、ロゼ、グリューン、リラ、ブラウの背中を叩いた。
「行くぞ!!」
「了解ですわ!」
「オッケー」
「了解です」
「行きましょう」
石段を蹴る。一瞬振り返った背後、壁に埋まった人の形。その瞳に当たる赤い光が瞬いた。それに背を向け──俺達は黒黒と覗く闇の底へ落ちる。
七つの世界、その最後。二十年、誰も辿り着けなかった場所。その名前は、ロートから聞いた。
「行くぞ────第七層! 虚影の廃都!!」