138 : 残響が止まらない
──オマえ達──
耳の奥、脳へ直接注ぎ込まれたような音。声と呼ぶにはふさわしくない。耳に届く、神経に届く「音」。不快なわけではない。ただ、体の内側へと侵入されたような居心地の悪さが襲う。それは俺だけではなく全員同じだったらしい。男のような、女のような、年老いたような、若々しいような、つぎはぎの音が流れ込む。
「木が……喋った!?」
神霊は、言葉を話す。それは知っている。この手に握る短剣、神造武装を使う上でそれは知った。真の力を解放するための「承認」。俺はその手段をこの短剣に宿るハルピュイアから直接聞き出している。
だが、倒されてもいないこの状況で、言葉が話せるのか!? なにより、今までと異なりこれは、生物と呼べるのか? どう見ても木だ。
──もウ少シでソトダ!──
──明日ハどこまデいく?──
──助ケて! 助けテ!!──
──この素材ハ高ク売れソうだね──
脳髄を駆け回る声、声、声! 重なり合い、音が歪み、つんざくようなこれは、一体何だ? 俺達の声ではない。これは、今までの冒険者達?
「根や枝を通して……聞いた音を、発してるんだ……!」
シュヴァルツが耳を押さえながら言う。耳を塞いで押さえられるものじゃない。振動を通じて、脳に刻み込まれる。ロートが激しく咳き込んだ。力の民には酷過ぎる。
──なンじゃ、こんなトキデもおヌしは笑ウのカ──
歪な、声。その声に、俺達は動きを止める。思わず耳から手を離した。もとより、押さえていても押さえてなくても変わりはないのだ。
「ババア……?」
そうだ、この迷宮に辿り着いた者の声がするのであれば──!
──昔カラ変わらなイさ。こいつはイツモそうダ──
──何言ってンだよレーゲン、ルフト。コンナときだカラこソ笑うンだ──
「……ルフト、フル」
低い声のあとに響いた、快活に笑う男の声。ジルヴァが震える声で名を呼んだ。シュヴァルツが呆然と顔を上げる。ババアと親しげに話すその声に、シュヴァルツの目が困惑に揺れる。
──あんたっタラ、相変ワラず無茶ばッカするンだから! このツュンデンさンがいなキャ、ドウなってタかしラね?──
「母さん……!」
ロートの叫び。これは、聞こえるはずのない声。聞こえては、ならない声。
──フル、早く行きましョう?──
──おう! 悪イな、ハイル──
「──とうさ、ん? かあ、さん……?」
まずいと脳が判断する前に、体が動いた。座り込むシュヴァルツの体を蹴り飛ばす。真横に吹き飛ぶ体、ちょうど奴が座り込んでいたその位置、鋭い木の根が突き出している。
「全員踏ん張れ! 気ぃ抜くな!! 相手は神霊だッ!!」
ジルヴァ、ロート、シュヴァルツがはっと気づく。他の一同は頭を押さえながらも獲物を構えた。伝説のギルドゼーゲン、その縁者はそこの三人。それ以外は、激しい情報量に精神を揺さぶられることはあれど、そこまでじゃない。
「悪い……ヴァイス」
「言う前に動くぞ! 畜生……こんなデカブツ、どうすりゃいいってんだ!」
リヴァイアサンを見たときもその大きさに震えたものだが、今回はその比ではない。確かに、横幅はリヴァイアサンよりも控えめだろう。しかし、この大樹はほぼ「六層」そのものなのだ。この高さ、そして無数に伸ばされる根や枝葉。どうすれば敵う、どうすれば突破できる!?
「シュヴァルツ! 一気に火を────」
そう任せようとして、言葉をつまらせる。シュヴァルツの火を放てば、確かに周囲一帯を焼き尽くせるだろう。しかしそれは、この六層の崩壊を意味する。
木と水晶で構成された第六層。大きな水晶の破片を取り込み、伸びる大樹。それを燃やし尽くしたら、どうなる? 神霊である以上、神造武装を用いた完全撃破さえしなければ、数ヶ月もあれば復活する。だか倒した場合、素材として残る核の部分以外は一週間程で迷宮に取り込まれ消失してしまうのだ。完全撃破にせよ、一時撃破にせよそれは変わらない。いずれ復活するとして、一度崩壊した六層は元に戻ることができるのか?
「────ッ!! クソ!!」
もう負けないと、逃げないと決めたはずだった。それなのに、それなのに! 本当なら躊躇なんかせず、進むために倒せばいい。ずっとそうやって進んできた。今の六層が崩れ去ろうと、深層にさえ辿り着ければいいはずなのだ。でも、でも!
──俺は、今の六層を、その姿を、美しいと感じたんだ。
「全員、大穴へ飛び込めェ!!」
獲物を構えていた一同、その号令に頷き走る。皆同じ結論に至ったらしい。俺の言葉に疑問を持ち出すこともなかった。この葛藤を二十年前、ゼーゲンも抱いたのだろうか? この大樹が存在している以上ゼーゲンもまた、この神霊を倒さないと決めたのだ。この六層を、保つと決めたのだ。
着地した位置の都合で、先頭がシュヴァルツとロゼ。シュヴァルツは体力がないからその位置でいい。最悪ロゼの加護もある。続いて俺、オランジェ。その後ろにグリューン、ジルヴァ、ゲイブ。後方にはロート、ブラウ。
「倒さないんだな!」
「倒してぇよ!! でも、この六層を壊したくはねぇ!!」
ニワトリ野郎がへっ、と鼻を鳴らして笑った。
「珍しく同感だ! 綺麗なものを壊すのは趣味じゃねぇや」
目指すは根本、巨木の虚。上空から放たれる刃のような葉の雨嵐。地面から突き出す鋭い根。飛び上がり、手を付き弾く。壁のように立ちはだかった根、俺が動くより先に真横を貫く閃光。
「向日葵っ!!」
ロートの砲撃。根に穿たれた大穴が道を開く。一瞬踏み止まったロートの体をブラウが担ぐ。
「ありがとっ! 騎士サマ!」
「ロート嬢、リラ! 突破口は任せます」
「オッケー! 耳塞いでなさい!!」
「任された!」
彼女の砲撃は強力だが、装填、発射に一瞬の隙を有する。ブラウのカバーで機動力は大丈夫だろう。降り注ぐ鋼鉄のような葉、ゲイブが飛び上がり、リラが上空へ手を伸ばす。
「邪魔ァ!」
「ディコンバゼーション!」
ゲイブの蹴りがひとつを打ち砕く。そして残りのふたつ、リラの伸ばされた手に触れる寸前で分解され、散った。新たな物質を作り出す技の派生だ。一年の修行で習得したらしい。
木の幹が近づく。大穴の入口を隠すように幹がうねった。閉じさせは、しない! 十字に重ねた刃、それを引き剥がすように思いっきり、振る!
「クロスナイフ!」
「オーバースライト!!」
「七天✕!!」
俺とジルヴァの斬撃、ニワトリ野郎の剣技が閉じかけていた幹を斬り開く。見えた、大穴!!
地鳴り、振り返った先から見える、背後から俺達を狙う根。ひときわ大きい! ロートがブラウの肩から飛び降りた。視界の隅を白い影が通り過ぎる。
「ロート嬢!」
「これ、反動デカいのよ!」
「合わせます!!」
滑空したロゼ。ロートは銃口を構えて深く、早く息を吸い込んだ。
「牡丹!!」
「鏡花水月!!」
放たれた弾丸、着弾と共に大きな爆発。表面を焦がしただけだが、迫る根は押し留められる。その直後、再度の爆発。先程の比ではない。激しい閃光と共に吹き荒れる爆風。煽られて思わずつんのめった。
しかしそれも、迫る根全部を吹き飛ばすとまではいかない。今までのように縦に伸びてきたものとは違うのだ。地面から曲がり、向かってきていた。弾丸によって貫けたとして、まだ伸びてくる!
ロゼが組み合わせた指の隙間から銀の光が溢れ出す。彼女は着地し、ロートの腰を抱いて飛んだ。予め加護をかけていたのだろう。爆炎が晴れた視界、その根は跡形もなく吹き飛んでいた。距離が取れたのを確認し、ロゼはロートから手を離す。
「流石! ロゼ!」
「みなさま、早く大穴へ!!」
わかっている、もう穴は眼前だ。虚の中に入った。一層のときは虚の中いっぱいに大穴が覗いていたが、ここは違う。外から差し込むかすかな光、ゴーグルを降ろす。広大な内部、その中央に祭壇のようなものがある。今までと比べれば随分狭い入口だ。
「ウィルオ、ウィスプ! 明かりを灯せ!」
青い炎が辺りを照らす。先頭は以前シュヴァルツ。続いて俺、ニワトリ野郎、ジルヴァ。その後方よりグリューンとゲイブ、リラ。少し後にブラウ、その後ろにロゼとロート。
虚の中という閉鎖空間、攻撃の手は弱まったか?
飛び込もうとした刹那、俺は気づく。このゴーグルを下げた俺には、見える。青い炎、それに照らされない影まで!
暗視のゴーグルをかけた俺。力の民の中でも存在しないとされる狼、その嗅覚と聴覚、そして本能を有するグリューン。世界を構成する「式」を読み解くリラ。俺達は先に、それへ気づく。
「ルッツ──────ッ!!」
「な────!?」
前方を走るシュヴァルツの背中を、蹴り飛ばす。奴の体は持ち上がり、吹き飛んだ。前方の祭壇、その中腹ほどの高さまで。困惑と怒り、どちらともつかない顔で俺を見下ろすシュヴァルツ。
「ヴァイス!? 何やってんの!?」
問うジルヴァ。俺は叫ぶ。
「止まるなジルヴァ!! 走れ!!」
「────!?」
考えながらも彼女は地面を踏み込み、蹴った。圧倒的な速度で前へ飛ぶ。ジルヴァも間に合う!
「ゲイブ、オランジェ!!」
「は!? おまっ、な、うおおおぉ────ッ!?」
「グリュ────ンッ!?」
「しっかり──捕まってください!!」
グリューンがニワトリ野郎を蹴り飛ばし、ゲイブの襟首を引っ掴んだ。そのままぶん投げる。
リラが地面へ手を当てた。地面がブラウ、ロート、ロゼを乗せ隆起する。三人はばねのように跳ね出され、空中にて混乱はありながらもブラウは確かにこっちを見据えた。
「ロート嬢、任せます!!」
「待ちなさいよ、騎士サマ────」
ブラウはロートに脚を掛け、傾いだ体を無造作に担ぐ。そのまま、もののようにぶん投げた。吹っ飛んだその体をニワトリ野郎と駆け上がったジルヴァが受け止める。これで、なんとか!
眼の前に、壁が生えた。視界の隅、木の幹の裏側、暗中でそこがめきめきと動くのを目にしていた。大穴を塞ぐ壁か、俺達を拘束する何かかは予想していたため、そこまで驚くことではない。それまでの僅かな時間、仲間を半分大穴へと送り込むことができた!
「────イ! ヴァイ!! おい!!」
叩く音、呼ぶ声。シュヴァルツだ。
「お前ら! 先に行け!!」
壁のこちらに残されたのは、俺、グリューン、リラ、ブラウ、ロゼ。壁の向こうにいるのはシュヴァルツ、ジルヴァ、ニワトリ野郎、ゲイブ、ロート。向こうもこちらも、同じ五人だ。
「ぜってぇ追い付く!! 進んでろ!!」
ババアの言葉。────振り返るな!!
「七層で、待ってろ!!」
音を立てて割れる壁。その中央、先程覗いた顔のようなものとは異なる──人、のような形を成す、なにかが現れた。
壁の向こうは沈黙。一瞬の間、息を吸う音も聞こえない。
「先に──深層へ行ってても、文句言うなよ!!」
「ああ、上等!!」
武器を抜き、息を吸い込む。人のようななにかは指先に当たる部分を動かし、目のようなひび割れを開いた。奥から覗く、真っ赤な光。俺は乾いた唇を一度だけ、舐めた。
 




