136 : 最後の安寧
ひとしきり泣いた。叫んだ。後悔した。だから、もういい。
「シュヴァルツ、出れるか」
「うん」
頬を叩き、気合を入れる。外に出た。そこではすでにロートとロゼが立っている。
「休めた?」
「おう」
隣を通り過ぎる瞬間、強く背中を叩かれる。ありがとう。
ひとまず鷹の目連中の回収に向かおう。浜辺に行くと、四人はぼんやり海を眺めていた。
「おーいニワトリ野郎! とっとと来い!」
「テメェクソ詐欺野郎うるせぇ!!」
呼びかければすぐさま振り返って立ち上がる。その様子を見てリラとグリューンが肩をすくめていた。そのまま八人でジルヴァ達を追う。村へ着くと、村民達がいつもと変わらない様子で出迎えてくれた。
ババアの死を聞いていないのだろう。近くの人に声をかけ、ジルヴァの居場所を聞く。どうやら親父さんのところにいるらしい。
村の中を通り過ぎ、切り立った岩壁を目指す。谷間、壁の途中に張り付くようにして建った家と足場、その一番上にジルヴァの親父さんはいる。登ろうとはしごに脚をかけたところ、上から声がした。
「おーいみんな! 今から迎えに行こうと思ってたんだよ!」
「ジルヴァ、ブラウ!」
足場からふたりが顔を出している。ジルヴァは影など微塵も感じさせない顔つきで言った。
「村の広場へ行こう。そこでボクから説明する」
ふたりは足場から飛び降り、俺達の横へ着地した。長いカタナを握り締め、彼女は手招きする。
「行こう」
俺達は黙ってそれに従った。
ジルヴァの説明を聞き、村の人々が言葉を無くす。この村にとってもババアは偉大な存在だった。故郷を奪った五層の神霊を撃破し、外の世界のことを教えてくれた優しい人間。ババアが俺達と共にこの村へ来たとき、涙を流す人もいたことを覚えている。
原因を辿れば、ババアの死は俺達が原因とも言えるだろう。俺達が進む道を守るために、ババアは国王に──かつての仲間に挑んだ。顔を上げることができない。
そんな中で続けられた言葉。ババアはまだ死んでいない。深い底で、俺達を待っている。正直、夢物語かと思った。ありえないことだと、そんなこと、あるわけがないと。
しかし、それを裏付けるような過去の記憶。シュヴァルツと俺は同時に声を上げた。
「底へ行こう!!」
ここまで来たんだ。ここまで背中を押されたんだ。もう、帰り道は無いんだ。ならば、先へ進む。ババアを迎えに、ババアに会いに!
ジルヴァは笑って俺達の手を掴む。「もちろん!!」と強く声を張った。村の人達も歓喜に湧く。
「らしくなってきたじゃない? やっぱそういうのがあんた達らしいわよ」
「私も同意ですわ」
「沈みきった坊っちゃんなど坊っちゃんらしくありませんからね」
ロート、ロゼ、ブラウの声が聞こえる。
「へっ、次べそかいたらとことん馬鹿にしてやっからな」
「空気壊さないで。オランジェ」
「そんなこと言ってたら、次は自分が泣かされるよ?」
「そういうとこ子供なんすから〜」
茶化したニワトリ野郎の髪を引っ掴み唸る。向こうも俺の頬を引っ張り吠えた。すぐにブラウとゲイブによって諌められたが、それでこたえる俺達ではない。
「とにかく、進むぞ! 変にごたついてたら、いつどこから邪魔が入るかわからねぇ」
「それは同感ですね」
リラが眼鏡の位置を直しつつ同意した。
「我々はすでに十二貴族に真正面から喧嘩を売っている立場。向こうの後ろめたさ、そしてヴァイスさんのお父上のおかげでなんとか今までは無事だった、という状況。もしかしたら彼らは、我々が深層まで辿り着ける実力ではないと甘く見ていたのかもしれないね」
弱ければ、先に進めば勝手に死ぬ。運良く三層四層と降りられようと、実力が伴わなければその先で勝手に消えていなくなる。今まではそうだったのだろう。現にこの二十年間、深層に辿り着いた冒険者はいない。
「しかし、我々はすでに先へ進める力を身に着けていた。彼らの想像を超えてしまっていた。まつろわぬ民と協力してるところまでバレているかはわからないけれど……こうなれば向こうも、本気で消しに来ると思われる」
消す。不都合な真実を暴かれないために。三千年続いた平穏を守り抜くために。向こうは向こうの正義をかざし、俺達という危険な芽を摘む。
「知ったことか! 俺達は『冒険者』だ!」
見果てぬ夢を追いかけるため。知らない世界をこの目で見るため。「未知」を「知る」ためここにいる!
リラは俺の返答を聞いて笑った。皆同じだ。ここにいる全員、言われて止まるような連中ではないのだ。
「銀月教は五層への移動手段を持っていた。おそらく帰還の楔だろうね。それを向こうが持っていると仮定した場合──六層へ追手が来る可能性も、十分ありえる。俺達が各層の神霊を撃破したおかげで、そもそも他の冒険者が追いついてくる可能性だってゼロじゃない」
「でもそいつらは神造武装やまつろわぬ民のことは知らねぇ。俺達が有利なのは変わりねえな」
神霊との戦いを経験していない冒険者に、負ける気などしない。
「こちとら一回死にかけてんだ。街でのほほんと騎士してる奴に捕まってたまるかよ!」
「────随分威勢がいいな」
背後からした低い声に飛び上がりひっくり返る。話を聞いていた村の人々がおおっと湧き立った。
「父さん!? 帰れ!!」
「殴るぞ馬鹿娘!!」
ジルヴァの親父さんだ。長い包みを持って立っている。吠えるジルヴァの頭を小突き、俺を見下した。
「……お前らは、なんのために進む?」
改めて、そう問われる。答えなんて決まってる。
「夢を叶えるために」
「全員か?」
迷いなく頷く。ここにいる全員、夢を抱えてここにいる。ロート、ブラウ、ジルヴァ、オランジェ。そして、大切な人の夢を支えるという願いを抱いたロゼ、グリューン、ゲイブ、リラ。はと、気がつく。──ひとり、知らない奴がいる。
俺がそれを問う前に、ジルヴァの親父さんは包みを放り投げた。咄嗟にそれを受け取る。おそるおそる開くと、赤く光る──鉱石? のようなものでできた歪な剣らしきものが見えた。これはなんだ?
「持っていけ、必ず必要になる。この村の、秘宝だ」
そんなもの、一体どうしろと。困惑する俺らを他所に親父さんは鼻を鳴らした。
「この先を甘く見るなよ。しかもお前達は追手まで連れている、それを深く理解しろ」
懐から煙管を取り出し火をつけた。くわえ、口の端から煙を吐く。
「この先は──俺達も手助けはしてやれん。あまりお前らが滞在して、俺達の存在が知られりゃ終わりだ。一族を全滅させられるほどお前らに恩は無い。この村に入らせてやったのも、レーゲンと馬鹿娘がいたからだ。……何が言いたいか、わかるな?」
「わかってる。もうこの村にも戻らねえ」
俺達のせいでこの村へ被害を与えるわけにはいかない。ここから先頼れるのは自分自身、そして仲間達だけ。
「次ここに来るときは、ババア連れてくるからよ!」
俺の答えに親父さんは顔を下げた。わずかに見える口角が上がっている。俺も笑った。
「となりゃあ……今晩がゆっくり寝れる最後の夜だ」
煙管を手に持ち煙を吐く。こちらへその切っ先を向けた。
「数日分貯めるつもりで食って寝ろ。これがこの村にできる最後の後押しだ」
子供達やその親、村のみんながひときわ大きな歓声を上げる。きっと、きっと二十年前、ゼーゲンが旅立つときもこうして見送ったのだろう。俺達はそれを噛み締めて、深く頭を下げた。
「ありがとうございます!!」
その言葉に、親父さんはへっと一度鼻を鳴らし──森の奥へと帰っていった。
──────
「竜姫様どうか! どうかご無事で!!」
「わかってるよも〜ボクがなにかあるわけないだろう?」
「ヴァイスおにいちゃ〜ん! どこ〜!?」
「あっちかなぁ?」
いろんな会話、賑やかな音。燃える焚き火に照らされて、村のみんなと仲間達は騒いでいる。村の女性陣にゲイブとリラ、ブラウは引っ張りだこだ。ゲイブが女性を導きダンスを踊る。一同は湧いた。そうなれば騒ぎ出すのは早い。皆思い思いに踊り、曲を奏で、歌う。まるで全部終わったかのような騒ぎっぷり。実際は、ここから始まるのだが。
「こんなところにいたのか。ヴァイス」
「シュヴァルツ」
パンのようなものをかじりながら、シュヴァルツが隣りに座った。俺は村の子供達から逃げるために木の上にいる。よくもまあ気がついたものだ。
「ロゼはどうした?」
「ロートや村の子達といる」
シュヴァルツが掴んでいたパンらしきものを毟って口の中に放り込む。じんわりと甘い。
「ゼーゲンが六層へ進む前も、こうやって宴してたんだってさ。騒いでこの先の厄を吹き飛ばすとかなんとか」
「厄、ねぇ」
村の女性に紛れてロートがダンスに参加した。村の子の腰を引き見事な足さばきを見せる。激しい動きにも関わらず、不慣れな相手を絡まないようにリードし、さばき、こなしてみせる。中々だ。
「そういえばよ、シュヴァルツ。お前の夢ってなんなんだ?」
仲間達の中で唯一、ずっと昔から共にいたシュヴァルツ。彼だけ、何を目的としているのかを知らなかった。改めて考えて、それでもわからなかったのだ。
「何を目的にお前は、深層を目指す? なんでお前は、まだついてきてくれるんだ?」
俺の問いにシュヴァルツは固まり、それから嫌そうに表情を歪めた。なんでだよ!!
「なんだその顔!」
「は? いや、何を今更って……気持ち悪」
「うるせえよ!!」
うげーと吐くような素振りをしながらシュヴァルツは答えた。
「なんのためにって改めて聞かれたらな……。まあ、僕がいないとお前死ぬし」
「ふざけてんのかお前」
そんな母さんみたいな目線で来る場所じゃねえぞ。
「知識を満たすために深層へ行きたいって思いはある。ロートがツュンデンさんを追うみたいに、師匠が見たものを見たいって気持ちもある。でもまあ、ブラウさんみたいに、『ここに来ないと叶わない』みたいな夢は、僕にはないな」
とんとん、と木の表面を叩く。焚き木の周りはさらに盛り上がっていた。ジルヴァが子供達を三人抱えて回る、回る。渋るニワトリ野郎の手を引いて、グリューンが火のそばへ向かった。ぎこちないダンスが始まる。
「強いて言うなら……願いは、あったけど。それは、もう、叶ってる……し」
「え、何だそれ」
「お前には関係ない」
視線がロゼの方を向いているのを見逃さなかった。
「まあ、今なにかしたいことがあるかといえば────」
大きくのびをひとつ。空を見上げた。
「帰って寝たい! 羊領の森の中、あの家へ」
もちろん、と言葉を続けた。
「ロゼやみんな、師匠と一緒に」
知らず知らずに、俺は自分の口角が上がるのを感じた。シュヴァルツがこちらを向く。真っ赤な血潮のような瞳。そこに映る俺の姿。
「いい夢だ、シュヴァルツ」
「そうか? お前やみんな比べりゃ小さいし、しょうもない夢だよ」
俺という人間を知っていて、その上でこいつはそんなことを言うのである。
「ばーか。俺は人の夢を笑わねえよ」
「そうだったな」
手を伸ばす。シュヴァルツは強く、その手を掴んだ。
「世界一の魔法使い、ルッツ。お前の夢、俺が預かった」
「預けたぞ、ヴァイ」
そして、最後の宴は更けていく。夜の闇、それを照らすように焚き木の炎は燃え盛る。
そして翌朝、俺達は四層を後にした。特に語ることはない。俺達は別れを終えて、先へ進む。それだけだ。
もう戻れない。すべてを見る、その日まで。
ここに来てようやく──俺達は、かつてのゼーゲンと同じ位置に立つことが、叶ったのだ。




