12 : 夢破れ
いきなり入ってきた二人組、声のでかい青年の方は僕とロゼ、ロートにブラウさん、クヴェルと視線を移した後吸い込まれるようにしてロートの元へ駆け寄った。
「お久しぶりだねロートちゃん。一日の終わりに君と出会えたこと、光栄に思うぜ」
「あーはいはい」
心底どうでも良さそうにあしらいグラスを傾けた。目すら合わせようとしていない。それからあいだの僕には目もくれず、隣のロゼの手を握り唇を落とした。何してんだこいつ!
「はじめまして麗しいお嬢さん。俺はギルド『鷹の目』のリーダー、オランジェと申します以後お見知りおきを。あなたと出会えて光栄です」
「え……あ、はいどうもご丁寧に……」
普段は勢いのあるロゼが普通に困惑している。僕の方をちらちら見るなどうしろっていうんだ。そのままツュンデンさんのいるカウンターへ向かう。僕やブラウさん達の方は一切視線をやらなかった。
「ツュンデンさん、今回も無事帰ってこれて俺は果報者です! おまけに今日は三人も女の子が出迎えてくれるだなんて!!」
「相変わらずうるさい奴だね。今日は泊まってくんだろ?」
「はい勿論! 久しぶりにツュンデンさんの手料理を味わいたく──」
そこで、オランジェと名乗った男の視線がカウンターに向いた。そこにはヴァイスが突っ伏している。なにやら静かだと思ってはいたが、眠っていたらしい。ううんと呻き声を上げて、体を起こした。
眉間に皺を寄せて何度か瞬きし、そこで男と目が合う。さらさらと流れる白髪。透き通るような蒼の瞳。男が凍りついた。しばしの沈黙。
「はじめまして俺はギルド『鷹の目』のリーダーオランジェと申しますここ二週間ほどこの宿を開けておりましたがその期間に貴女のような可憐なお嬢さんがいらしているとは存じ上げませんでしたお眠りのところを起こしてしまい申し訳ありません眠り姫様よろしければ今度お茶でも」
あいつ死んだぞ。
こいつに向かってお嬢さんだの可憐だの、間違いなくぼこぼこにされるだろうな。ブラウさんが呆れたようにため息を付いてスープを啜った。
「あんだぁ? てめぇ」
呂律の回っていない声。その声に怒りはなく、強いて言うなら疑問の声だった。
「おらんじぇ、おらんじぇってのかお前! トサカみてえな頭してんなおい!」
「ははは貴女のような方になら引っ張られても痛くなどありませんよ」
げらげら笑いながら、男の髪を引っ張っている。どうにもおかしい。女扱いされても怒らず、謎にテンション我高い。ブラウさんと視線を合わせる。
「ツュンデンさん! ヴァイスに酒飲ませた!?」
「えっ、いや……ってあ!! グラスが入れ替わってる!!」
「やっぱりですか……」
ヴァイスは凄まじく酒に弱い。事故で飲んだときはとんでもなく大変だった。テンションが高くなる上に人に絡むのだ。断ればブチ切れ、情緒不安定。しかも翌朝になると全部忘れているからたちが悪い。
「なんだてめぇ? ああ? 飲めこら俺がついでんだぞ飲め飲め」
「飲めますともいくらでも! ははそれにしても元気なお嬢さんだ俺っ子は嫌いじゃないぜ!」
あれはもう駄目だな。ところであの人は本当に何者なんだろう。ギルドなんとかのリーダー? とか言っていたが。
この宿に宿泊している冒険者なのは間違いないが……。それにしてもヴァイスを止めなくては。
「ちょっとヴァイス……お前もうとっとと」
「うるっしぇえ邪魔すんじゃねぇ!!」
「野郎は散れ────!!」
ヴァイスの怒声は生温い。それを押し潰すような凄まじい剣幕で男が言った。
「……あ、はい」
それから何事もなかったかのようにヴァイスの方へ向き直し、なにやらべらべらと喋っている。ツュンデンさんはカウンターにつっぷして笑っていた。ほんとに何なんだあの男は。
「うちの馬鹿が、すんません」
あの男と一緒にいた、小柄な人物が声を発した。少し高さを残した声。フードを被り、口元まで隠しているため顔はよくわからない。あの男の髪とよく似た明るい朱色の目がこちらを覗いていた。
「あれは女以外見えない馬鹿だと思って。迷惑かけるね」
「いや……ご丁寧にどうも……」
「僕はグリューン、あの馬鹿はオランジェ。僕らはギルド『鷹の目』、この宿に泊まってる冒険者」
こういった場合に慣れているのか、淡々と説明を続ける。
「暫く迷宮に滞在してた。これからよろしく」
丁寧な挨拶。お辞儀をされて思わず僕もお辞儀を返した。こっちも紹介をしなくては。
「あ、どうも……。僕はシュヴァルツ、こっちの彼はブラウさんとクヴェル。それからロゼ」
「どうも」
「はじめまして!」
「よろしくお願いしますね」
ロートの紹介……と思ったが、さっきの男はロートを知っているようだった。
「ロートとは……知り合いなんですよね」
「はい。久しぶり、ロート」
「やっほ〜グリューン。あの馬鹿の世話は大変だねぇ」
酒の入ったロートはテンションが高い。
「僕らはギルド『燕の旅団』です。あそこにいるのがヴァイス、一応リーダー。一週間前くらいにこの街に来ました」
オランジェの背中をしばきまくるヴァイスを、みんなで眺める。それからグリューンが小声で言った。
「あの人、男だよね」
その小声につられてこっちも小声で答える。やっぱりと呟くと、またちらりと向こうを向いた。
「面白いから黙っててもらえるかな」
「わかった」
オランジェと言う彼は極端な女尊男卑野郎──まさか声をかけただけで「散れ」と言われるとは──らしく、彼は今ヴァイスを女だと思いこんでいる。そんな彼がヴァイスの性別に気づいたときには……。
「絶対クソ面白い」
「君とは仲良くなれそうな気がするよ」
グリューンはオランジェのことをリーダーとは呼びつつ、全く敬意を抱いてはいないようだ。
「そろそろ眠いですか? クヴェル」
「うん……」
ブラウさんが膝の上のクヴェルに声をかける。確かに日が暮れてしばらく経つ。八歳の少年には眠くなる時刻だろう。クヴェルはうとうとと船を漕ぎ始めた。
「そういえば、あとの二人は?」
ロートが言った。だいぶ酒が抜けてきたらしい。確かに、ギルドというからには最低でも四人いるはずだ。
「ああ、二人なら今素材の換金に──」
「ただいま戻ったっすよ〜!」
「人に雑用を任せておいて早帰りとはね……」
扉が開いた。金髪の青年と、眼鏡をかけた青年が入ってくる。机に座った僕らと目が合い、硬直した。よくよく見れば、その視線は──ブラウさんと、その膝の上のクヴェルに向いている。
「おかえりゲイブ、リラ」
グリューンの言葉にも反応せず、二人は体をぷるぷると震えさせる。ブラウさん達の方を見る。ブラウさんはぎこちない動作で二人から視線を外し、グラスを傾ける。その中にはもう、何も入っていないのに。
「ブラウさ」
「兄貴ぃぃぃぃぃ──────ッ!!」
「リィィィィダアァァァァァァ──────ッ!!」
二人はすごい叫び声を上げると、ブラウさんに向かって飛び込んだ。クヴェルを片手で抱えたまま、抱きつこうとした金髪頭の顔面を足裏で、眼鏡の方を片腕で抑え二人を止める。
笑っていたツュンデンさんもなんだなんだとこちらを向いた。ロートが中途半端にグラスを握ったまま固まり、ロゼも目を丸くして口元を押さえている。
「……………………どちら様でしょうか」
「なんでそんな冷たいこと言うんすか兄貴!!」
「そうですよ! 何年ぶりだと思ってるんです!?」
目を逸らしたまま呟くブラウにぐいぐいと押されながら二人が文句を言う。一体何が起こっているんだ!?
「そっちの金髪がゲイブ、眼鏡がリラ。鷹の目の残りメンバー」
いつの間にか卓に付き料理を摘んでいたグリューンが言う。口元は隠したまま、一瞬で口に食べ物を放り込んでいる。フードが変形しているのを見るに、力の民なのか。
「でがクヴェルも大きくなってるじぃ……俺っ、感激で涙がぁ」
「なんでこの街になんでクヴェルを聞きたいことは山程あるんですがとにかく元気で嬉しいですよ俺は!」
「ドチラサマデスカ」
とことん無視するブラウさん。こんなに目に見えて困惑と動揺をあらわにする彼は初めて見た。
「シュヴァルツ様……止めなくていいんですか?」
「うん……多分僕じゃ、どうにもならない」
「そうですか……」
ロゼの懸念も納得だ。酔っぱらいのヴァイスと、別の意味で酔っているオランジェは、この騒動も無視して話し込んでいるし──いや、オランジェの話は二割も聞いてないだろうが──、ブラウさんと二人はまだ押し合いをしている。
「シュヴァルツ様、こちら美味しいですよ」
「もらう」
無視しかないだろう。
「あーねみぃな」
ヴァイスが言った。あれから小一時間過ぎて、ふとそんなことを言ったのだ。ブラウさんはクヴェルをもう寝かせると言って二階に上がった。
今僕らは鼻を啜るゲイブさん、水を飲むリラさんと向かい合っている。ロートは酔っ払って寝た。ロゼは隣でタルトを齧っている。グリューンは風呂を済ませて一息ついていた。
「うっし、お前、ニワトリ。風呂行くぞ、背中流せ」
僕とオランジェは同時に水を噴き出した。待て待て待て待てちょっと待て。グリューンは机に突っ伏しばんばん机を叩いている。
「えっ、ちょっとそんな大胆な……」
「うるっせえ早く来い。は・や・く! は・や・く!!」
完全に悪酔いしている。男同士なのだから風呂に関しては何も問題はない。……オランジェがヴァイスを女だと思っていなければだが。
「ちょっ、流石にヴァイスお前それは……」
「邪魔するんじゃねェ──────!!」
「あ、すいません」
鼻血を流したオランジェに凄まじい剣幕で怒鳴られた。
グリューンに腕を引かれ、耳打ちされる。
「死ぬほど面白くなる」
「君本当に彼の仲間!?」
下手したら一生モノのトラウマを植え付けられかねないと思うが。グリューンは階段を上っていく二人の背を眺めている。
「ツュンデンさん! あれ、いいんですか!?」
机の下からスケッチブックを取り出し広げる。そこには「続けて!」の文字が。いい大人が悪ノリするな!!
「ところで……兄貴、いや、ブラウさんのお仲間さん……」
「あ、シュヴァルツです」
「シュヴァルツさん……ブラウさんについて教えてもらえますか?」
「構いませんけど……」
ゲイブさんの質問に答えるより先に、聞きたいことがある。
「ブラウさんとは、どんな関係だったんですか? お二人共」
俺の名はオランジェ。ギルド「鷹の目」のリーダーである男だ。冒険者になってから半年、俺は今、かつてない危機に直面している。
しばらく迷宮内に滞在しており、今日は久しぶりに憩いの宿「二股の黒猫亭」に帰還した。そこで俺は未だかつて出会ったことのないドタイプな美少女と出会えた。
俺っ子属性持ちでやんちゃな彼女。勝ち気な瞳を縁取る睫毛は長く、酒が入っているのか赤らんだ頬は薔薇のよう。そんな彼女と会話が弾み──そして今、一緒に風呂に入ろうとしています。
今までの、十七年の人生を振り返る。女性を口説きに口説き回ったが、こんなことになるのは初めてだ。初めての迷宮で魔物に遭遇したときより心臓が脈打っている。落ち着け、落ち着けオランジェ。俺ならイケる、裸を見ても動揺しない。
「何してんだニワトリ、早く行くぞ」
「ぶぁいッッ!!」
背後から声。腰に巻き付けたタオルを掴んで大声で返事をした。落ち着け落ち着け、大丈夫、大丈夫だ。
「なぁんだよ早くしろお前」
「ええっ、そんなやだ大胆な……」
肩を掴んで振り向かされる。そんな大胆なレディ初めて出会ったが俺は嫌いではな────。
「……は」
「…………ああ?」
「はあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ──────っ!??」
俺はその夜、人生最悪の絶望を味わった。