133 : ありがとう
「竜の魔女だァ! テメェら、捕獲しろ!」
ノイズにまみれた声を聞きながら、シュヴァルツとヴァイスはベルを掴む。
「師匠、師匠! 師匠!! 師匠!!」
「ババア! おい、返事しろババア!! おい!!」
しかし向こうから聞こえるのは掠れた呼吸。ヴァイスはカウンターを力いっぱい叩いた。
トルマリンの周りに立っていた星見の騎士が彼女を囲む。構えた槍の刃先にも怯まず、彼女は騎士達を睨みつけた。その迫力に気圧され、彼らは近づくことがかなわない。
「竜の血肉を食らい、三千年という長い時……転生を繰り返し続ける女。なァ、レーゲンサン?」
足音が響く。臆する騎士達の中、彼だけは堂々たる態度でレーゲンへと近づく。レーゲンはベルへと手を伸ばした。その手をサンダルをつっかけた足が踏みつける。
「テメェが手に入れば、不老不死計画がぐゥんと進むんだ。わざわざ変な宗教に頼ることもねェしなァ」
レーゲンはその瞳を金に光らせ、男を見上げる。その反抗的な目つきに、男──トルマリン・スコーピオンは目を細めた。その横面を蹴り上げる。レーゲンの体は石畳を転がり柵にぶつかった。
「生意気な目ェしてんじゃねェよ。この遠呼のベル、繋がってんだろ? 弟子達に悲鳴は聞かせたくねェだろ」
トルマリンはベルを拾い上げる。ヴァイスとシュヴァルツは声を抑えた。け、け、けとわざと聞かせるようにトルマリンは笑う。
「テメェらのししょーは死ぬ。そんで、死体はオレ達が有効活用する。手も届かないそこで、黙って見てろ、『燕の旅団』」
突然呼ばれ、一同は困惑する。何故十二貴族が一介のギルドを知っているのかと。ただひとり──ヴァイスを除いて。
「おい、トルマリン・スコーピオン」
「おおその声は、生意気な子羊チャンか」
ヴァイスはベルを掴む。息を吸い込み、あくまでも平静を装った声色で問うた。その様子にブラウを除く皆は驚く。無理もない。彼とトルマリン・スコーピオンとの会話はあの場にいた者しか知りはしない。
蠍は羊の正体を知っている。ヴァイスが屋敷を出、燕の旅団というギルドを率いていることを。
「なんのために、撃った。なんのために、そこにいる」
ふーむ、と胡散臭い声。ひとつ、と続けた。
「撃ったのは不死の魔女を捕えるため。どうせ復活する化物だ。一回殺したほうが連れ帰りやすい。ふたつ、オレは──オレ達は、蠍領にはいられねェ」
不死の魔女、その呼び名自体がヴァイス達には引っかかる。確かにレーゲンは見た目と実年齢が合致しない。しかし、一度死んでも蘇るなど、ありえない。だがそれより謎の多い発言──スコーピオン家は、自身の領地にいられない?
「どこぞのアホ冒険者が、愚図で間抜けな民衆を率いてよォ、俺達の城へ攻め込んだ。民衆達──あー、ムシケラ共は数で俺達を制圧した。他の十二貴族共が荒れ狂うムシケラを退かせてくれたが、もうムシケラ共は一度落とした王の命令など聞きやしない。オレ達は国を捨てた」
十数年前、ゼーゲンのリーダーにして十二貴族の血を引く者、フルの起こした革命運動。それにより彼らは蠍領を手放した? ヴァイスは首を振る。ならば、何故彼は定例会議に現れた? 領地を奪われた時点で、王としての地位は失われるはずである。
「十二貴族が十二貴族たる所以、それは、血だ。この身に流れる血が変わらぬ以上、領地がなかろうと民がいなかろうと、王であり続ける。それは変わらない」
け、け、け、と笑い声が辺りに響いた。
「民を閉じ込め、搾取し続けた王を殺せ、吊るし上げろ。そう言って武器を持ちムシケラ共は城へやってきた。あの政策を始めたのはもう何代も前、オレが生まれたときからそうだった。それなのに何故、裁かれたのはオレ達だ?」
ベルを掴み口元へ添え、囁くような声色で彼は続ける。
「なァ、被害者はどっちだ?」
長きにわたり閉じ込められ、搾取され続けた人々。
ある日突然、先祖の犯した行いを償えと迫られる王達。
胸を張ってどちらが正しいと言える度胸は──彼らには無く。
「格下を作ることは人間の本能だ! いつも誰かを見下して、自分は大丈夫と思い続けねェと生きられねェ! そうしねェと、恐怖に押し潰されちまうのさ!」
周りの民衆には聞こえないように、潜めた声で楽しげに言う。ベル越しに吐息が伝わりそうなほどだった。
「半端な思いで不老不死を目指す乙女や山羊の連中とは違う。少なくとも、親父やオレは本気だ。不老不死の力を得ることで、オレ達は紛れもない『格上』になることができる」
トルマリンはベルを口元から離した。割れた石畳の破片を蹴り飛ばす。
「──二度と、見下されやしねェようになァ」
転がる石は地面へ崩れたレーゲンの肩にぶつかり音を立てる。伸びた前髪の隙間から、色を変える瞳を覗かせたレーゲン。彼女は力を振り絞り腕を上げた。指先から放たれる風、トルマリンの手を掠める。
「テメェ……!」
その手からベルが転がり落ちた。地面を転がるそれを、這って移動し掴む。苛立ったトルマリンが彼女の元へ一歩踏み込んだ。レーゲンは血を吐きながらベルを抱くように握り締める。
「今すぐ各地の衛兵に伝えろォ! 黒猫通り、『二股の黒猫亭』に全戦力突入!! 誰一人逃がすな、全員捕らえて牢屋に送れ!! 十二貴族命令だ!!」
腕を上げ号令。トルマリンの指示に従い、彼の周りへ立っていた星見の騎士数名が散る。ルフトは通り過ぎる彼らを無視し、レーゲンを見つめるしかできなかった。
「おま……え、たち……っ」
咳き込みながらの言葉。彼女は震える脚を奮い立たせて立ち上がる。背後には黒々とした谷を湛える崖、眼前にはトルマリン・スコーピオン。
「なにがあっても、振り返るな……。なにがあっても……すべてを見るまで、帰ってくるな」
「し、しょう、師匠、師匠、師匠!!」
「おいババア! おい……! 先生!!」
悲痛な声が彼女へ届く。どうあがいても死ぬ、その状況でなお、レーゲンは笑った。ルフトが目を見開く。その笑みはかつて、ゼーゲンで共に戦った際のような、仲間達と共に歩んできたときのような──屈託のない、暖かな笑顔。
春の日差しの下、思う存分はしゃぐ子供のような。それでいて、初めて我が子が立つ姿を見た母親のような。相反するふたつを備えた笑顔は──ヴァイス達には届かない。遠呼びのベルに、映像を伝える手段はない。
レーゲンは息を吸った。もう呼吸することですら全身が耐えられないであろうというのに、彼女は息を吸い、言葉を吐く。
「儂は必ず、そこで待つ!!」
刹那、言葉の意味を理解したトルマリンが銃口を向けた。その引き金に指をかける前に、ルフトは駆けた。銃弾、ルフト、その双方が到達するより先に、レーゲンは最後の言葉を告げる。
──彼女にとって、大切な宝物へ。
「愛しておるよ、お前達」
レーゲンはベルを上へ放り投げた。青い朝の空、そこへ吸い込まれるように青く光るベルは遠ざかる。彼女はトルマリンかその背後のルフトか、それは定かではないが、ふたりに向かって指を突きつけた。
「必ず、あの日の予言は真となる」
到達した銃弾が一発、彼女を貫いた。それでも、それでもまだ彼女は笑う。
「ヴァイス。シュヴァルツ。私をひとりにしないでくれて、ありがとう」
彼女は、地面を蹴った。その体は柵を飛び越え──暗い谷底へ沈む。トルマリンが続けて放った弾丸はなにもない空を切り裂くのみ。ルフトが辿り着いたのは、なにもない血溜まりだった。
レーゲンの手から離れたベルは、崖の際へぶつかり欠ける。遠く離れた黒猫通り、二股の黒猫亭ではその激しい音の直後、通信中を示す青い光が止んだ。
ベルを囲んだその場の一同、何を言うこともできない。
ヴァイスとシュヴァルツは揃い、力強く唇を噛み締める。そのままベルに向かって深く、深く頭を下げた。
有り余る感謝と、別れへの思いを込めて。