閑話休題 白と黒と雨と妖精 1/3
── 十三年前 ──
「近日街で子供達の失踪事件が相次いでおりまして……妻は先日他界し、私はまた遠征。この子が万一行方不明になれば大事……どうか先生、うちの息子を託して良いでしょうか」
「他ならぬお主の頼みじゃ。無下にはせんよ。……しかし、うちは託児所ではないのじゃぞ」
「それは承知の上です。しかし、屋敷に残しても脱走、街に預けても脱走となるとここしか……」
「この森じゃて安心ではないんじゃがなぁ」
「そこをなんとか。ついでに、この子が自力で危険を跳ね除けれるほどの力を、身につけさせてもらえたら……」
「注文が多いのう。……まあ、よい」
年若い少女の声に合わない、成熟した口調の影は腕を組み頷く。そんな彼女へ話しかけていた白髪の男は、安心したように肩を撫で下ろした。そのまま振り返り、少し離れたところでしゃがみ込んだ少年に向かって声をかける。
「ヴァイス」
地面に散らばっていた石を積み上げていた白髪の幼い少年は、名前を呼ばれ立ち上がった。石の塔が崩れるのを見て眉をひそめる。唇を尖らせ少年はポケットに手を突っ込み男を見上げた。
「なんだよ、とーさん」
「……父上と呼べ、馬鹿息子。──今日からひと月、この森にお前を預ける」
少年は大きな丸い目をぱちりと瞬きした。それから目を見開き歯を見せて驚いた顔を浮かべた。
「えぇぇぇッ!?」
「この人は『レーゲン』先生。偉大な方だ、敬意を持って接するんだぞ。お前が女性を苦手なのは知っているが……ついでに克服してくれ」
「でもでもっ! とうさん! おれ、こんなもりの中こわいし……しかも! しかも!」
少年は慌てふためき地団駄を踏みながら、男の眼前に立つ影を指さす。
「なぁにが『せんせぇ』だよ! おれとおなじこどもじゃねーか!!」
「……お前、この方は大丈夫なのか」
「うん」
切り株に腰掛ける、濃紺の髪を持つ女──と、呼ぶには幼すぎる童女。見た目は八、九歳程だろう。背中の中ほどで揺れる髪をかき上げ、彼女は不機嫌そうに眉をひそめ、握った杖で地面を叩いた。
「誰が子供じゃこの小童が……」
「謝れヴァイス。この人は見た目こそこうだが……お前の何百倍も生きている。────私の恩人でもある」
首根っこを掴まれたヴァイスは怪訝そうな顔でレーゲンを見た。
「じゃぁババアってことか?」
「アーベント! この阿呆はお前でどうにかしろ!!」
「あ・や・ま・れ!! ヴァイス!!」
「うわーんごめんなさ──い!! いたいいたい!!」
男──羊領主にして、十二貴族の一員。アーベント・アリエスはヴァイスの頬を引っ張り説教。ヴァイスは頬を押さえながらレーゲンへ深々頭を下げる。
「ごめんなさい……『せんせー』」
「……アーベント、この阿呆、鍛えて良いのだな」
「頼みます。馬鹿息子で申し訳ない……」
レーゲンは切り株から降り、家の扉を叩いた。奥から小さな足音が近づく。
「まあ丁度よい。ついでにこいつと仲良くしてくれ」
「ああ、そういえば……歳が近かったですね」
扉から顔を出したのは、血潮のような赤い瞳を持つ黒髪の少年。アーベントを見て、頭を下げる。アーベントもまた、ゆっくり頭を下げた。ヴァイスの頭を掴んで下げさせる。
「シュヴァルツ君、久しぶり。覚えているかな」
「はい、アーベントさま。おひさしぶりです。……レーゲン先生、どうしました」
「うむ、シュヴァルツ」
レーゲンはヴァイスを指し示す。ヴァイスは目をぱちくりと瞬かせ、シュヴァルツを見た。シュヴァルツもまた、レーゲンの背後からヴァイスを覗く。
「今日からひと月、こやつを家に置く。お前と同い年じゃ。面倒を見てやれ」
「え、え!?」
シュヴァルツ少年はレーゲンとヴァイスを交互に見て戸惑う。レーゲンの服を引っ張りでもでもと抵抗した。そんな彼に構わず、ヴァイスはゆっくり前に歩み出る。その様子にアーベントは驚いた。困惑しているシュヴァルツに向かって、手を伸ばす。
「おれは『ばいす』! よろしくな、『しゅばるつ』!」
舌っ足らずな発音で呼ばれたそれが自身の名前と気づくのに二秒。差し出された手が握手を求めるものだと気づくのに五秒。シュヴァルツはレーゲンを見上げ、アーベントを見上げ、それから恐る恐る手を差し出し返した。
「『シュバルツ』じゃなくて、『シュヴァルツ』。……ん」
「そっかごめんな、しゔぁる……、しゅば、しば……」
「むりなら言わなくても……」
そんな彼らの様子を見て、見守るふたりは肩を撫で下ろした。
「戻ってきたら必ずお礼を。よろしくお願いしますレーゲン先生」
「うむ。……して」
立ち去ろうとしたアーベントに、レーゲンは最後の質問をする。
「子供らが失踪したのは、夕刻か?」
「ええ、黄昏時です」
その返答に頷く。アーベントは名前の呼び合いをするヴァイスとシュヴァルツを一瞥してから深々と頭を下げ、その場を立ち去った。
──────
レーゲンは少し街の調査に行くと言い残し、森の結界を出た。シュヴァルツは嫌そうな顔をしつつヴァイスを家の中に招く。あの後名前の発音で一悶着あり、呼びやすいあだ名で呼ぶことをヴァイスが決定した。……強制的に。
「ここがぼくのへや。きみもここでねとまりするけど、たなの中にはさわらないでよ」
「わかった!」
「ほんとかな……ぼくは今からべんきょうだから、じゃましないでね」
「わかった!」
「ほんとかな……」
シュヴァルツは本棚から本を数冊抜きとり、机の上に積んだ。椅子に座り、二冊の本を並べて広げる。ヴァイスはしばらくベッドに腰掛けていたが、すぐに立ち上がった。
「なぁなぁ『ルッツ』!」
「……なんだよ『ヴァイ』」
本を読んでいたシュヴァルツは、背後から肩に飛びついてくるヴァイスに嫌そうな顔を浮かべた。
「たいくつだよー! いえの中を『たんけん』させてくれよ!」
「いやだ。ぼくは本をよむんだ」
「本ならいつでもよめるだろ? おれはまだまだわかんないことおおいんだよ」
椅子に座り、机に向かうシュヴァルツの襟を引っ張る。ヴァイスは目をきらきらさせていた。不満げな顔でシュヴァルツはそれを振り払った。
「はなれろよ! ぼくは本をよむんだよ!」
「うーん……それまでまつよ! だからおわったらたのむよ〜」
駄々をこねるヴァイスを突っぱね、シュヴァルツは机に向き直す。ヴァイスはその後ろであぐらをかいて座った。しばらくは黙って座っていたが、それもあっという間のこと。ヴァイスはそわそわとした様子で部屋の中を見回し、立ち上がる。足音を立てないようにベッドへ近づき、棚を覗いた。触りたそうにするが、シュヴァルツの方をちらりと見て手を引っ込めた。
シュヴァルツは小難しそうな本をぺらぺらとめくり、机の上に積まれた他の本と見比べている。ヴァイスはしびれを切らし、部屋を出ようとした。
「あ、おいなにやってるんだよ!」
「え、あ! ごめん……」
「じっとしてられないのかよ……」
一言謝罪しつつも、ヴァイスは口を尖らせた。
「だって、何もわかんないし、いきなりこんなところに置いていかれたし……なにか、教えてくれてもいいじゃんかよ!」
いきなり知らない同年代の世話を任され、勉強を邪魔をされ、幼いシュヴァルツ少年の容量は限界を迎えていた。彼はヴァイスへ指を突き出す。
「家の中は本をよみおわったらあんないしてやる! だからそれまで家の外でいろ!」
「え、いいのか?」
「じゃまされるよりマシだ! 森の中でもたんけんしてろよ!」
ヴァイスはうんと頷き外へ走っていく。静かになった室内でシュヴァルツはため息をついた。
──シュヴァルツ少年は、ヴァイスという少年のことを侮っていた。結界内、小屋の周り。ヴァイス少年の好奇心がそんな狭い場所で収まるはずがない。
シュヴァルツ少年は伝えることを忘れていた。いや、意図的に言わなかったのかもしれない。レーゲンの住むこの家は、森の中に張った結界の中にある。野犬や猪が潜む森の中では、結界が必要不可欠なのだ。
そして、誤算はもうひとつ。
──だいじょうぶだろ、あぶなくなったらすぐ帰ってくるだろうし。すぐ「けっかい」に入れば。
その結界は外から内に入るにはコツが必要だが、内から外に出るのは簡単。シュヴァルツはそれを知らなかった。彼は、ひとりで外に出たことがない。彼は本来、『家の周りから離れるな』と伝えるべきだったのだ。
何も知らないヴァイスはひとり、好奇心の赴くままに外へ、外へ飛び出していった。
──────
民家の戸口、涙を流す女性の話をレーゲンが聞く。
「……して夕暮れ時、少し目を離した隙に消えたのじゃな?」
「はい……どうかレーゲン先生、私の子供を……マンガンを見つけ出してください……!」
泣き崩れる母親の背を擦る。レーゲンは目を伏せ、ため息をついた。
「まったく……厄介な『妖精』共が……!」
母親を落ち着かせ、彼女は次の犠牲者の元へ向かう。路地裏を抜け、被ったフードを引っ張った。見上げる空、日差しは強い。
「……小僧共、仲良くしておるかの」
ぽつりともらした言葉。その同じ空の下──眩し過ぎる程の光が届かない森の中を、ヴァイス少年はひとり歩いている。
彼女はそれを知る由もない。