130 : 今少々よろしいかい?
──六層突入から二ヶ月後。
俺は上の足場から吊るしたロープを降りながら上に声をかける。ロートが顔を出し、俺の様子を確認してから降りてきた。俺、ロート、ジルヴァ、ブラウ、シュヴァルツの順に降り、ロープを持ったロゼが飛び着地する。その手をシュヴァルツが取りながら地面へと促した。
「さて……どんどん下降りてきたなぁ」
「だんだん木が目に入るようになってきたね」
水晶の地面に太い木の枝が絡みついている。葉っぱがかさりと揺れた。
「この木はもっと下から伸びてるな……」
「枝伝って降りたらもっと早く下降りれないかしら?」
覗き込むロートが言う。シュヴァルツは渋い顔をした。
「もっと下がありそうだね」
ジルヴァがカタナで肩を叩きながら口をすぼめた。うーんと首をひねり、ブラウの方を振り返る。大きく揺れたポニーテールの毛先が枝葉を叩いた。
「今までの足場は壁から伸びたようでしたが、このあたりまで来ると……」
そうだ。上の方の足場はまだしっかり広く、普通の階層と変わらなかった。しかし今となっては……どんどん足場は狭くなり、高低差を伴うようになってきている。
「まるで足場が砕かれてるみたいだ」
砕かれ、木に絡め取られたようになってきている。そのうちロートが言ったように、木を伝って降りることになるのでは?
「良いことは帰還の楔が刺しやすくなったくらいですかね」
「高いところは嫌いだ……」
シュヴァルツの泣き言を無視して伸びをひとつ。あんまりもたもたしているとまた魔物に絡まれる。
この階層は動く鉱石のような魔物が多かった。煌めく水晶と鉱石で築かれた六層なのだから当たり前なのだが……。他にも、水晶の上を這い表面を溶かしながら進むイモムシや、なめくじのような魔物などもいた。
……いやぁこの二ヶ月色々あった。街に帰った矢先、酒場を営むマークさんに助けを求められて一日店員になったり、夏の日輪祭へ参加しに、ゾディアック内でも黒猫通りと真反対にある紅蠍通りに行ったり。たまたま帰還が一緒になった鷹の目の連中と、たまたま近所に来ていたカジノテントで酷い目にあったり。探索の傍ら、かなりハードなことをこなしてきた。
「ぼちぼち街に帰るかー」
そんなことを話していたら、背負う鞄から何か音がした。かすかな振動? いや、雑音? 静かな六層内だからよく響く。ブラウやロートがぴくりと反応した。
「坊っちゃん、何か変なものをお持ちですか」
「持ってねえ……はずなんだけどよ」
「なんか魔物とか入れてるんじゃないでしょうね?」
「入れてねえって! ちょっと待てよ……」
鞄をおろしてごそごそ漁る。コンペから作った飴や、寝るときの敷き布、記念に持って帰ろうと思って採った宝石……どこから音がしている? あ、あった!
「なんだこれ!?」
現れたのは古びた……ベル? のようなもの。よっぽどの骨董品、いや、捨てられていたもののように思える。表面に無理矢理刻み込んだようなひっかき傷? 文字? があった。こんなもの、拾った覚えはないし鞄に入れた覚えもない! それは表面からほの青い光を放っている。しかしこの感じ……覚えがあった。
「これは……遠呼びのベル?」
「……レーゲンか!?」
一部の名家や富裕層が有する、遠くの人とも会話ができる便利な魔法道具、遠呼びのベル。おそらく、そのコピー版。何を勝手に人の鞄に突っ込んでんだあのババア!!
帰還の楔、その開発にも関わっていたと声高らかに言い放ったババアのこと。おそらく遠呼びのベルについても認識していただろう。コピー品を作るなど造作もないだろうが……なんのために? そして今連絡が来たということは、おそらく相手はババアで間違いない。
俺は恐る恐る先端をつまみ、持ち上げた。そこで手を離せば空中で停止する。青い光がまた光度を変えた。
「────あ、あー、あ。聞こえとるか、聞こえとるかなガキ共」
「なぁに人の鞄に放り込んでんだババア!!」
何事もなかったような声色で告げられ、思わずデカい声で返してしまった。シュヴァルツがすっ飛んで横から突っ込んでくる。
「師匠! 今どこにいるんですか今何してるんですかなんで黙って出ていったんですか!!」
「ああうるさいうるさい矢継ぎ早に! 少し待て!」
親かよ。ババアの静止に二人揃って口を閉じる。ベルの向こうからため息が聞こえてきた。ため息を付きたいのはこっちだ!
「ひとまず、お前達今どこにおる」
「迷宮内だよ。六層」
「そうかそうか……」
うーんという声のあと、ババアは続けた。
「今から戻ってこれるか。二股の黒猫亭へ」
「急だな。できねえことはねえけど……」
仲間達へ視線をよこす。全員オッケーサインや頷きを見せてきた。肯定的だ。
「アタシもそろそろ休みたいからいーわよ」
「ヴァイスが言うならボクはいいよ!」
「私も構いませんわ」
「クヴェルに会えるのなら大賛成です」
シュヴァルツは言わずもがな。俺はババアにその旨を伝えた。
「でもなんでだよ。そんな急に」
「うむ、まあ、それは戻ってから説明する」
「今しろって」
それはならんと渋られる。なんでだよ。
「あとこれも後で説明するんじゃが、街に戻ったら帰還の楔を回収して宿に戻れ。良いな?」
「よくねえよ」
帰還の楔を役所外へ持ち出すのは原則違反だ。いや、以前も持ち出したことはあったが……あのときだってひやひやしたんだぞ。あのときもババアの命令だったが。コピー品を作るなど違反もいいところだし、見つかれば牢屋の中だ。
「仕方ないことなんじゃ。儂に免じてやってくれ」
「何だよいきなりそんな、説明がいつもにもまして雑すぎんだろ!」
「そうですよ師匠。どうしたんですがいつもらしくない……」
沈黙。少しの間を開けてうむ、と頷く声。
「それも、うむ、事情がある。許せ」
有無を言わさぬ口調に、従うしかできない。俺達は顔を見合わせつつ黙りこくる。
「この話は同じ内容を鷹の目の連中にも伝えるので心配するな。いいか、儂も用を済ませたら宿に戻る。そこで説明しよう。宿に戻ってからの頼みは三つ」
少し早口になりながらババアは続けた。
「ひとつ、皆で一階ホールに留まっていてほしい。ひとりだけ寝ると言って部屋へ上がったりはするな。ふたつ、鷹の目に渡したものとおぬしらに渡した遠呼びのベル、その複製品をカウンターの上に置いておいてくれ。みっつ、荷物や武器はすべてホールに置いておけ。頼む」
「ま、待て待て待って! なんなんだようレーゲン!」
「説明は後、と言ったじゃろう」
何やらただ事ではない空気。ジルヴァが声を張り上げるが、俺はその肩を掴んで引いた。不満げなジルヴァ、それを横目に俺は身を乗り出す。
「わかった。わかった、全部、言われたとおりにする」
「そうか、任せたぞ」
「ババア」
俺は息を呑み、一呼吸開けて口を開いた。
「何時に戻る?」
「──夜明けまでには、戻る」
「そうか」
シュヴァルツが隣から割り込み、顔を突っ込んだ。
「師匠、食べたい料理とか、ありますか。僕、作って待ってます」
ベルの向こうから届く沈黙。かすかに笑うような声が聞こえた。
「ああ。じゃあ、シチューが食いたいの。おぬしの作る飯は悪くない」
「……わかりました。待ってます」
ロートやジルヴァは相変わらず怪訝そうな顔だが、無視。俺はベルを掴み、声を張り上げた。
「言われたとおりに大人しく、待ってるからな! だからよ、ババア! 早めに戻ってこいよ!!」
「……安心せい。言われずとも、な」
そう言って、通話は途切れる。何やら言いたげなロート達を黙らせて、地上へと帰還。その後ババアの指示通りに楔を回収、素知らぬ顔で役所を出た。
「ねえヴァイス、レーゲンの様子は明らかにおかしかったよ。何か、変だよ」
「ジルヴァ」
俺はジルヴァへ人差し指と中指を合わせてを突きつけた。
「ババアが戻ったら説明するっつってんだ。……なら、戻るまで、待つしかねえよ」
そういえばジルヴァは不満げな顔をしたが、渋々という態度を丸出しに、頷いた。
宿に帰還し、指示に従ってベルの複製品をカウンターベル置く。座って一呼吸置いたあたりで鷹の目が帰還した。奴らも驚いたり不思議そうにはしていたが、ひとまず指示に従うという。
ツュンデンさんはその話をすれば、少し表情に影を落とした後小さく「相変わらずだねぇ」と呟いた。クヴェルはずっと、心配そうに眉根を下げている。
言われたとおりに荷物は下に置き、みんな揃ってホールで待つ。シュヴァルツはシチューを作り、俺達はババアの帰りを待った。
しかしその夜、ババアが戻ることはなかった。
事態が変わったのは早朝、夜明け前。まだ日も登る前、最初に気づいたのは寝ずの番をしていたゲイブとリラ。二人に起こされるより先に、俺とシュヴァルツが飛び起きた。遠呼びのベルからした雑音、ノイズ音。ほの青く光るそれを掴む。
次々に起きる仲間達。俺達は時間を確かめ、ババアが戻っていないことを知る。そして目の前の遠呼びのベルからする音。だんだんと近づくそれの音に、俺達は耳を澄ませた。
石畳を踏む、靴底の音。少し湿気を孕んだ夏の朝風。
なあババア、あんたは一体、何をしようとしているんだ?




