125 : 海臨錫杖
騒ぎ、盛り上がって寝落ちした。……昨日もこんな調子だった気がするが、まあいい。俺の肩に腕を回して寝こけていたゲイブを引っ剥がし、立ち上がって伸びをひとつ。
ここの集落の人も、最初は警戒心が強かったのに……気を許しすぎだろ。まだ夜明け前、辺りは薄暗い。ふと見回すと、鍛冶場に明かりがまだ灯っていた。結局ジルヴァは昨日、宴にも顔を出さなかったのだ。
近寄り鍛冶場の扉に手をかけた。
「おーいジール……」
開ける直前、慌てて口を塞ぐ。危ない危ない、ここで「名前」は禁句だ禁句。名前を持たないというのはひとつの文化であって、外の人間が気軽に侵してはならない。許されたとしても、特例なのだ。
覗いた窓、人影はふたつ。作業に没頭するジルヴァ、そして、そんな彼女を覗き込む父親の姿。俺は目をこすり、また顔を上げた。……親子揃ってる。まじかよ。
「昨日ああ言っといて出てこねえと思ったら……」
いい酒を出せ、そんなことを言ったくせに昨晩の宴騒ぎには顔を出さなかった。絶対来ると思っていたんだが……まさか娘のところにずっといたとは。
窓の硝子越し、ジルヴァが勢いよく立ち上がった。ぎょっと驚く刹那、彼女が走りこちらに駆け寄ってくる。バレた!? いや、彼女は扉の方へ走る。え、おい待て待てかわせ!!
「でぇきたァ────ッ!! ヴァイス──ッ! シュヴァルツ──────ッ!」
「うおぉぉ──────ッ!!」
間一髪、目の前を扉が凄まじい勢いで走り抜けていった。飛び出してきたジルヴァが一歩踏み出し、驚いた顔でこちらを振り返る。
「うわ──!! いたのヴァイス!!」
「いたわ!! あっぶねえなぁ!!」
騒ぐ奴の手には杖。雑に布で巻かれたそれを抱き締め、彼女はシュヴァルツを探す。ロゼとロート、ツュンデンさんに埋もれていたシュヴァルツの黒髪を見つけだし、駆け寄り引っ張り上げる。
「おーきーてー! シューヴァールーツ!! できたできたよできたんだよ──ッ!!」
「いたいいたい痛い!! な、なに、なに何何!?」
シュヴァルツの上から落とされたロートとツュンデンさんは気づかず寝入り、抱き着いていたロゼはそのまましがみついている。寝ぼけ顔、その目前にジルヴァは杖を突き出した。
「キミの杖だ! 『海臨錫杖』キミの、新たな相棒だ!!」
シュヴァルツの目が大きく、見開かれる。
「先端部にはリヴァイアサンが背負っていた光輪を、軸は骨をベースに、元使ってた杖を入れ込んでる。持った感じに違和感はあるかい? 元の重さがわからないから、少し軽かったり重かったりするかもしれないね」
布を解いた中から現れるそれ。きらきらと、差し込む光を受けて色を変えながら瞬く先端。今までの天球儀を模したものとは違い、星のような形をしている。多面体、とでも言うべきか。シュヴァルツに頬をくっつける勢いで近寄り、俺も覗く。
光が差す角度によって、水色、青、金銀、赤、様々に輝く。ふと気がついたのは、多面体を中心として、細かな破片が浮いていること。
「浮いてんぞこれ!!」
「ああ! 不思議だろう?」
輪を作るように浮いている破片。大きいもので小指の先程、小さいものは砂粒ほどだ。
「飾りを組み立てた直後、何もしてないのに余った破片が突然周りに集められたんだ。不思議に思ってはいたんだけど、これはどうやら魔力の流れが関係してるらしい」
「魔力の流れ?」
ジルヴァは大きく頷くと、髪を一本抜き取り息を吹きかけた。灯る炎、それを杖の先端にかざした。
ゆらゆらと揺れ、炎は飾りの周りを漂う。流れ、渦を巻き、ちらちらと光る破片の隙間を縫うように回っている。
「本体を中心に、渦を巻くように魔力を流しているんだ。以前は魔力を上手く『放出』するのに特化してたけど、今回は違う。周囲の魔力を『集約』させるのに特化してるんだよ」
ふっと息を吹きかければ火は消えた。体内の魔力消費を抑えながら出力できるってことか。それは凄い! そんな杖、今まで目にしたことはない。
「持ち手……」
シュヴァルツが握りながら言う。握りしめた部分の色が違う。他は濃い青なのに、そこだけ深い茶、濡れた木の色をしている。
「以前の杖は、本当にキミを思って作ってくれたんだろうね。持った感じが違うのは嫌だと思って、繋いだんだ。安心して、取れやしないさ」
以前の杖、ほぼ半分以上が消し飛んで尚、まだ残っている。繋がれている。シュヴァルツは長めの前髪の下で口角を上げた。
それから、手先で回すように杖を動かす。身長の三分の一はあるだろうそれを、軽い枝のように振り回す。指の間を通し、手の甲の上を滑らせ、くぐらせ、かざす。一通り確かめた後、シュヴァルツは笑った。
「ありがとう。よく馴染むよ」
「へへっ! どういたしまして!!」
ロゼが目を輝かせ杖を覗く。二人で飾りをつついたりする様子を横目に、俺は鍛冶場の中を覗いた。そこには腕を組み、不機嫌そうな顔をしながらもこちらを見るジルヴァの親父さん。「話せたじゃねえか」と身振りで伝えると、親父さんは黙って顔をそらしていた。
まったく、父親ってのは頑固なやつが多いもんだな。
それから約三日間。街での買い出しや素材売却を行いながらも、ほとんどの時間を集落で過ごした。街はまだ騒ぎが落ち着いておらず、連日役所の前には衛兵が突っ立っている。冒険者の迷宮入りはやはり停止されており、たまたま帰還した何も知らないギルドが困り顔を浮かべているのを見た。
「んじゃ、そろそろ行くか!」
そして三日後の朝。俺達は身支度を整え海岸へ立った。大量のお土産を抱えさせられたツュンデンさんとクヴェルも一緒に。集落のみんなが見送りに来ている。女の子達から距離を開けつつ、俺は少し離れたところに立つオランジェ達へ目を向けた。
「任せたぞ、鷹の目ェ!」
「お前に言われなくても任されてるさ! クソ詐欺野郎!!」
生意気なニワトリだ。
六層攻略、それを前に俺達は再び別行動となった。きっかけはジルヴァの親父さん。ここしばらく上の神霊が落ち着かないという話をされた。
普段神霊は住処を侵しさえしなければおとなしい。一部の例外を除けば、基本住処の外へ被害が出ることはない。しかし稀に落ち着かないように暴れることがあるとのこと。「その度馬鹿娘や腕っぷしの強い奴を向かわせてちょっとばかし小突いていた」と言っていた。小突くって……二層のセトも三層のハルピュイアも、四層のリヴァイアサンだって必死になって戦ったぞ俺達は。
しかし今ジルヴァは俺達と共にいて戦力ダウン。神霊の動きはリヴァイアサン完全撃破をきっかけに、さらに活発になっているらしい。そこで、鷹の目の連中が手を上げたのだ。街にいるツュンデンさんやクヴェルを守る役目も兼ねて引き受けてくれた。……ほとんど、ジルヴァの親父さんが言ったことに惹かれたのだと思うが。
「撃破しない程度に殴るんだが、その際に採れる素材で武器を作ってやれなくもない」
俺の短剣、ブラウの槍、ロートの銃、ジルヴァのカタナ、そして今回シュヴァルツの杖。俺達が手にしている「神造武装」。ジルヴァの親父さんはこうも続けた。
「これから先、下は神造武装の力が無ければ進むのは困難だ。少なくとも、上層の神霊をぶちのめせる実力がなきゃ、ってことだ」
そんな理由があり、鷹の目は六層へ行きたい気持ちを抑えつつ、集落の仕事を引き受けてくれた。
「お前が帰ってくる頃にはセトもハルピュイアも完全撃破しておいてやる詐欺野郎!!」
「ハルピュイアで死にかけてた奴が偉そうだなニワトリ野郎!!」
「それはお前もだろうが!!」
「馬鹿共……」
シュヴァルツのうめき声。ツュンデンさんやロゼの笑い声。
ひとしきりいがみ合った後、俺達は向かい合った。
「んじゃ」
俺達は帰還の楔を取る。
「おう」
見送る集落のみんなに手を振りながら、俺は「二股の黒猫亭」へ繋がる楔を突き刺した。
一瞬の浮遊感と奇妙な感覚、その直後俺達の足は硬い床を踏みしめる。戻ってきた、二股の黒猫亭。ツュンデンさんやクヴェルへ軽い挨拶を交わし──ブラウだけは軽くなかったが──俺達は街へ出た。
今朝確認したように、役所の騒ぎはもうおさまっている。入口の衛兵が俺達を見て申し訳無さそうに頭を下げた。それに頭を下げ返し、中に入る。
いつも絡んできた人懐っこい双子の姿が見えない。また二層で待機してるのか? まあ、元気にやってるだろう。廊下を歩けば、疲れた顔の職員達とすれ違う。五層に施設があり、それを俺達がぶっ壊したというのは知られていないらしい。助かった。
帰還の楔置き場へ。無数の針山置き場にも見える。俺達は「燕の旅団」と書かれたそれの前に立つ。
「さあここからは、地図もない深くだ」
皆を振り返る。
「地図なんて、アタシ達が作り出してやろうじゃないの」
中に二層の神霊セトから生み出した銃を備えた、偉大な銃砲を背負ったのはロート。赤髪と猫の耳を揺らし、金の瞳で俺を見据える。
「こまめに街へ戻ることは約束してください。私と、家族のために」
かつて一層の神霊から生み出された槍を肩に乗せ、指をつきたてたのはブラウ。黒に近い紺の髪、その隙間から深い緑の目を覗かせる。
「ボクも知らない、第六層……! ゼーゲンのみんなが通った場所!!」
ゼーゲンのリーダー、竜鱗のフル。彼のために五層の神霊テュポンから作られた剣を打ち直したカタナを手に、笑うのはジルヴァ。毛先に行くごと紫に染まる銀髪、そこから伸びる角をフードで隠し、銀の瞳を煌めかせる。
「必ず、みな様の役に立ってみせますわ」
新たな武器、右中指と薬指に嵌めた指輪を光らせ、決意新たに息を呑むのはロゼ。目にかからない位置で切り揃えた淡い色の髪。後ろに伸びるおさげを揺らし、もう銀の光を宿さない紫水晶の瞳は横を見た。
「僕だって無茶苦茶したからな、次お前が無茶苦茶しても、見逃してやるさ」
四層の神霊リヴァイアサンから作り出された杖を背に差し、俺の肩を叩いたのはシュヴァルツ。もう後ろに揺れる髪は無い。短く切り揃えられた黒髪、奴は血潮の色をした瞳を歪めて笑った。
「行くぞ、第六層──『常世の晶窟』!!」
俺は楔を抜き、勢いよく突き刺した。