123 : 父の懸念
折れた杖の持ち手、それからリヴァイアサンの光輪、その破片を手にジルヴァは作業へと移った。様子を見守ろうとしたのだが、「ゆっくりしててよ」と鍛冶場から追い出されてしまう。僕、ロゼ、ヴァイスの三人は途方に暮れた。頭を掻きながらヴァイスが聞く。
「どうする?」
「お前こそどうするんだ? ヴァイス」
少し離れたところから聞こえてくる歓声、彼はその場で森に向かってぐるりと背を向けながら言った。
「子供達から逃げる!!」
「お、おう……」
風のように走り去るヴァイス。その後ろを女の子集団が追いかけていった。相変わらず大人気だ。
残された僕とロゼ。ちらりと目線をロゼに向けると、彼女もこちらを見ていたのか、はっと慌てた様子で目をそらした。……昨日から思ってはいたけど、言っておくべきかな。
「ロゼ」
「えっ、あっ、はい!」
ぎゅっと胸の前で両手を握っている。不安、心配、そんな態度。
「前までの事とか、昨日の事もあって気まずいかもだけど……そんな、変に緊張してなくてもいいよ」
「あっ、その……」
以前まであんなふうにくっついてきていたのは、きっと彼女の素ではないのだろう。狐の言った通り防衛本能、というやつなのかもしれないし。距離が近いのも、もしかしたら本当の彼女は嫌なのかもしれないし……今の態度を見ていたら思う。
「罪人だから謹んで……とか、そういうのはみんな、気にしないし。君が嫌じゃなければ、その、前みたいな明るい君でいてくれたほうが──ありがたい、かな」
逆に、プレッシャーだっただろうか。ちらりと顔を上げて彼女を見る。彼女は握り締めていた手を離し、顔を上げて笑った。
「シュヴァルツ様!!」
「えぇっ!?」
勢いよく抱きつかれる。その勢いは以前のまま。背中に回された手はぎゅっと握られる。
「……貴方に告げた言葉だけじゃなく、以前までの私の態度も、狐のせいによるものとか、演技だとかでは、ないのです」
「────あ、え?」
彼女は僕の胸元に顔を埋めたまま。
「全部、全部本心からの行動、です」
「────っ!!」
彼女の見える耳は真っ赤。きっと、僕の顔も。
「今まで通りで本当に──いいんですね?」
「……二言は、ない、よ」
少しだけ、発言を後悔したかもしれない。ロゼはしばらく顔を上げなかった。
「……あ────、失礼」
響いたのは胡散臭い咳払い。振り返るとそこにはゲイブさんとリラさん。ふたりとも気まずそうな顔をして立っている。ロゼは瞬きの隙に離れ横に立った。……気まずい。
「どどどどどうしたんですか、え、あ、ふたり共、はい」
「いやー、兄貴に追い返されちまってですね……」
「馴れないのもあって行き場がないんですよ」
クヴェルを追いかけて走っていったはずだが、ブラウさんひとりで充分だったらしい。ゲイブさんは僕の肩を掴み、少し後ろへ引く。それから肩を組んで囁いた。
「ウチの大将もっすけど……風紀って、大事だとは思わねえっすか?」
「え」
その顔。口元は笑っているが目が笑ってない。目の奥に底知れぬ闇がある。
「ふたりっきりならともかく、周りの目があるところでは……ねぇ?」
はっと気がつく。ここは集落の中、鍛冶場の周りには普通に生活している人達がいる。慌てて視線をやると、さっと逸らされた。……なるほど、なるほど。
「万が一なにかあっても……安心してくださいっす。後遺症が残らない骨の折り方は知ってるっすよ」
「ハイ……」
そんなことは、とか、何言ってるんですか、とか、否定の言葉は出てこなかった。僕に残された道は服従のみ。骨は大事だ。
「さてさて、俺達はオランジェ君達のところに向かうよ。ふたりとも、程々にね」
闇を抱えた笑顔を浮かべたままのゲイブさんを引っ張り、リラさんは笑いながら言った。その彼の目もまた、レンズの向こうで闇を抱えていた気がしたが……忘れよう。
残された僕ら、ひとまずヴァイスを探そうと肩をすくめる。ロゼはそんな僕を見て笑っていた。以前までとは雰囲気が違うその笑顔に、少し視線を引かれて──気恥ずかしくなって、顔を背けた。
「……行こうか」
「……はい」
集落の人達から向けられるひゅーひゅーといった声、何を意味するのかはわからない……というか、わかりたくない。聞こえないふりをして海岸を目指した。
「ああクソ……ここまでくりゃ大丈夫か」
茂みを抜け、頭に乗った葉っぱを払い落とす。ようやく子供達の声が聞こえなくなった。頭に乗せたゴーグルを首に下ろす。切り立った崖の上、子供達から逃げるうちに岩山の方へ来ていたらしい。
さて、ブラウ達はどこへ行ったのか。いやしかしブラウと合流したらクヴェルがいる、クヴェルはおそらく集落の子供達と遊んでいるから……もう少しここでいるか。
短剣が収まったベルトを緩めどかりと腰を降ろす。ぼんやりと海面を眺めた。真っ青な海、光を反射してきらきらと光るそれは美しい。吹き付ける風は少しひやりとして、寝不足もあって頭がぼんやりする。
「おい」
うとうととしていた俺の背に突然投げられた声。急いで顔を上げ、腰の短剣へ手を伸ばす。立ち上がるより、獲物を抜け! ──振り返った瞬間、目の前にいた姿に目を見開く。
「あんたは……」
「ふん、迷宮内で眠こけるほど豪胆な癖に、中々速い動きだな」
退路を塞ぐのは大柄な男。頭から伸びる角、背中に見える羽根、ジルヴァや集落の人達と比べても大きく立派。そして、ジルヴァと同じ輝きを持つ銀の髪と瞳。
ジルヴァの親父さん、と言いかけて口を塞ぐ。そうだ、この集落では名前が存在しない。皆でひとつの存在、その意識がもたらす古よりの文化。ジルヴァという名前自体が異例なのだ。
……いやまて、確かあの日。ジルヴァが仲間に加わった日、ジルヴァの名を呼んでいなかったか?
「……なんだ、人の顔を見て」
「いーや、失礼」
修行でジルヴァがこの島に戻ってから父親に会ったという話を聞いた覚えはない。なんなら本人が「絶対うるさいから意地でも会ってやらない」と言ってたしな。……なんか、大変だな。
「お前らが来たせいで島がうるせぇ」
「そりゃスンマセンね。武器さえ作ってもらえりゃすぐ帰る」
横を抜けて帰ろうと立ち上がる。……俺は父親という存在が、自分の他人の問わず苦手なのである。しかしジルヴァの親父さんは手に握っていたカタナを杖のように地面へ打ち付けた。完全に道を絶たれる。俺の背には崖、どうしろと。
「どこまで進んだ」
困惑する俺に向けられた言葉。は? と一瞬戸惑うが、俺達の冒険、その進捗についての質問なのだと理解する。
「……五層の、最後。武器ができて街が落ち着いたら、六層へ行く」
「……ふぅん」
親父さんはカタナを上げない。
「馬鹿娘は役に立ってるか」
「役に立つも、うちじゃあいつが一番腕っぷしは強い」
一年前、仲間全員でアームレスリング大会を開いたのだがブラウと拮抗した挙げ句勝利していた。竜の因子というやつはとんでもないらしい。
「そうか」
「……一回、会ってやればいいんじゃねえですか」
人に聞く前に、会いに行けばいい。今は帰って来ているのだし。修行の期間もそうだが、ジルヴァが来ないなら自分から行けばいいのだ。
「断る」
「うわ」
なんでだよ。
「……あいつが外を恐れていた原因は、俺だ」
「え」
ジルヴァと話した明け方を思い出す。
──怖かったんだ。外に出て、拒絶されることが。外の人達に、受け入れられないことが。
「俺は……ゼーゲンの連中が六層から先へ進んだ後、一度だけ迷宮の外を目指した」
彼の目は視界いっぱいに広がる海を見ている。どんなに広く思えても──遙か向こう、空の青に溶けて見える壁。ここは迷宮の中、檻の中。
「ゼーゲンの熱に浮かされた、同じ志の仲間を集めて、意気揚々と上を目指して。あいつには黙って行った。道を確保した後、連れて行って驚かせようと思ったからな」
ぐっと眉間に皺が寄せられる。歯の根を食い縛り、彼は吐き捨てた。
「それは叶わなかった。一層で人間に出会った瞬間武器を向けられた。何もわからず、仲間が倒れた。倒れる仲間を飛び越え、それでも外という希望に縋って、外に飛び出した俺を出迎えたのは────」
目を閉じる、それから開く。
「『ジュウニキゾク』と呼ばれる、人間達だった」




