表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
All be one ! 〜燕の旅路〜  作者: 夏野YOU霊
7章 破滅或いは愛故の救い
122/157

120 : 黒と桃



「……髪、切ったんだ」

「……はい」


 カウンターに並んで座るシュヴァルツとロゼ。他の面々はホールの中央で騒いでいる。わざとらしく「ふたりの邪魔はしないぞ〜」とでも言うような距離の開け方に、シュヴァルツはうなじを掻きむしる。

 気まずい沈黙。いたたまれない空気。うなじを刺激する風に、シュヴァルツは落ち着かない。


「あー……あのときの言葉、覚えて……る?」

「あっ……」


 絞り出した問い、ロゼは一気に顔を赤くした。その反応にシュヴァルツもまた顔を赤く染める。

 狐に満ちた彼女を呼び戻すため、何度もぶつけられた言葉。伸ばした手。冷静に振り返れば、気恥ずかしいことこの上ない。


「覚えて、ます。全部」

「あー……忘れて、欲しいん……だけ……ど」


 消え入りそうな声、しかし彼は口籠る。少しの間を開けた後、いや、と彼は否定した。


「覚えてるなら、いい。覚えて、いてほしい。……あの約束は、本当だから」

「シュヴァルツ様……」


 顔を上げたロゼ。彼は項垂れ、手元を組み交わしながら呟く。


「僕は、誰かに愛される存在になりたかった。僕は、誰かの一番になりたかった。……君の勇者になりたいという願い、例え君の言葉が嘘だとしても、それは本当なんだ」


 微かに開かれた唇。ロゼは一瞬の躊躇の後、手を伸ばす。シュヴァルツの手へ重ねた。


「──嘘じゃ、ありません。嘘なんかじゃ、ありません」


 汗ばみ熱を持った手。彼女の態度にかつてのような溌剌(はつらつ)さは無く、戸惑い、揺れ動く少女そのもの。


「たとえ……(わたくし)の生が、都合良い解釈をするためだけの嘘で塗り固められていたにしても。……あの言葉は、あの思いだけは、偽物とは言いません。言えません」


 苦しい記憶を忘れるための嘘。

 悲しい思いを打ち消すための嘘。

 そんな暗い闇の中でも、(シュヴァルツ)と出会ったときに得た光。


「貴方を一目見たときに、星を見つけたと思ったんです。夜空を見上げても、私の目には月しか映らなかった。私を傷つける世界を滅ぼしてくれる、狐しか映っていなかった。でも……貴方と出会って、貴方達に出会って、知ったんです」


 ぽたり、ぽたりと落ちる雫。重ねられた手の上、握り締めた手の上に。


「光のない生の中でも、私を照らす星はあった。幼い私を連れ出そうとしてくれた名も知らない人。私を慕ってくれたカナタとコナタ。頼めばきっと、私の助けになってくれた四神のみんな。──そして、みなさま」


 教えに従うより、ロゼの笑顔を望んだ双子。

 彼女を守るために、戦うために生み出された四神の皆。

 教祖として生きる中でも、彼ら彼女らは側にいた。それは理解者じゃないとしても、彼女が手を伸ばせばきっとその手を掴んでくれた。


「夜空を照らすのは月だけじゃない。遠いどこかで、必ずそこで、星々は燃えている────私は、それを知った。ようやく知ることが、できた」


 ロゼの手は離される。彼女は涙を拭った。


「……それが何故なのか、どうしてなのか、そんな理由はわかりません。けれど、あの日の夕暮れ、空から現れた貴方に、私は確かに『恋』をしました」


 あの日彼女の世界を変えた一瞬。それは運命と言うには綺麗過ぎて、偶然と言うには理想的過ぎた。



「貴方が好きです。貴方に恋をしています。シュヴァルツ様。これだけは、他の誰の言葉でもありません。(わたくし)(わたくし)だけの、思い」



 彼を見据える彼女の瞳。透き通るような紫水晶、その瞳に銀の影はなく。

 紛れもない、「彼女」の言葉。間違いない、「彼女」の思い。


「私は罪を犯し、それでも生きる。生き続ける──貴方様は、そんな私の隣にいてくれますか?」


 シュヴァルツは顔を上げ、手を伸ばす。微かに躊躇しつつも彼女の後頭部に手を置き、抱き寄せる。ロゼの耳に届く脈動。それは早く拍子を刻む。


「言っただろ。僕は、君の勇者。君だけの勇者だ」


 真っ赤に染まる自身の顔を見せないように、なんとも言えぬ顔で壁を見ながら、シュヴァルツは続けた。


「君の悲しみをわかったとは言わない。君の苦しみを知って、同情もしない。僕と君は一生『理解者』にはなれないし、僕は君の罪を許さない」


 それは、知らぬ者からすれば冷たい言葉に聞こえるだろう。だがその言葉は彼女にとっては──もっとも、望む言葉。

 許しなど、第三者が決めることではない。加害者と、被害者。その双方以外に持ち出す話ではないのだ。


「それでも、君の側にいると誓う。君の過去の苦しみも、君がこれから受ける悲しみも──僕が半分、背負う」


 シュヴァルツはロゼを離す。ロゼは涙に濡れた顔を上げた。彼は彼女に指折り示す。



「君の苦しみも僕の喜びも、僕の悲しみも君の幸福も、ふたりで半分。辛いことは二分の一、喜びは二倍。……悪くないと、思わない?」



 ロゼは何度も頷いた。恥ずかしそうに口籠るシュヴァルツへ、彼女は飛びつき抱き締める。驚きはしたが、彼は悩んでその背に手を回した。


「……狐から、君を不幸にしたら今度こそ世界を壊すって、脅されたんだ」

「……はい」

「だから……その、上手くは言えないんだけど……」

「はい」


 彼は黙って彼女を抱き締める。天を仰ぐように顔を上げ、小さな声で続けた。



「……君を幸せにする。これから先、けして君を悲しい目に合わせないと誓う。だから君は、ここにいていい。側にいていい」

「……ありがとう、シュヴァルツ様」



 私の勇者様。そう彼女は心の中で呟く。



 しんしんと降っていた雨は早くも上がった。明かりが灯り、賑やかな声が響く「二股の黒猫亭」。その外で、雨露に濡れる薔薇(バラ)が一輪。それは美しく咲いていた。








 ──と、そんなふたりを見守る影。


「……ヴァイス、水ある?」

「……なんだよロート、泣いてんのか?」

「泣いてないわよ。ちょっとふたりの眩しさに目がくらんだだけ」

「にしても長かったね。二組とも」

「お? リラもなーんかうるっと来てないっすか……って!」

「うるさい、ゲイブ」

「……皆さん出歯亀はほどほどにしてください」

「仲良しに戻って安心だな〜」


 声を潜める野次馬六人。次々に空く酒瓶と皿。そんな彼らの後ろ、扉に手をかける影とそれを見守る影。


「……何もこんな時に出なくてもいいじゃないか、レーゲン」

「ふん、ちょうどいいじゃろ」


 長い髪をまとめたレーゲン。手には杖と鞄。ツュンデンはしゃがみ込み、彼女と視線の高さを合わせた。


「本気なんだね、レーゲン」

「本気じゃよ。今日の一件を見、心残りも消えたしの」


 ホール内を一瞥。レーゲンは色を変える瞳を揺らめかせ、目を伏せた。


「儂はあの日やりそこねたことをしに行くだけじゃ。なぁに、お前が気にすることではないよ。()()はしたしな」


 ひらひらと手を振り、背を向ける。ツュンデンはその背に向かって手を伸ばした。


「……帰ってくるんだよ、レーゲン。今あんたが生きることを祝福するのは、私だけじゃあないんだから」


 レーゲンの手を握り締めるツュンデン。その様子にレーゲンは軽く笑った。最後にもう一度視線をやる。机に突っ伏し寝ていたはずのクヴェルが起きていた。彼は寝ぼけなまこながら、レーゲンを見つめる。彼女は指を立てて唇に当て、「静かに」と訴える。彼は何かを伝えようと口を開いたが、何も言わずに頷いた。


「……さて、動くとするか」


 二十年止まっていた時は動き、うねり、やがて大きな嵐を呼び起こす。



 クヴェル少年は何も言えなかった。何も、伝えることができなかった。彼の見た夢、彼の見た景色。彼の心臓が、竜の眼が伝えた未来。

 レーゲンの体を貫く散弾。レーゲンは笑い、指を突き出す。舞い散る鮮血、それでも彼女は尚笑う。何かを伝えた後、彼女の体は暗い闇へ飲み込まれる。そんな光景。そんな、未来。

 誰が言えるだろう、誰が伝えられるだろう。「お前はもうすぐ死んでしまう」、そんな宣告が可能だろうか?



 沈黙を保った不死身の魔女、彼女の旅立ち。それは大きな嵐の前触れであったことを──(つばめ)達は後に知ることになる。
















「あーやれやれ……さぁて、これからどないにしましょ?」

「逃げ出した信徒の皆さんまとめて、俺らで新しい教祖にでもなる? なーんてな」

「馬鹿なことを言わないでください」

「ください」


 魔女の門出より時は少し遡る。まだ夜の雨が降り注ぐ路地裏に、四人の影があった。よく似た顔立ちをした双子の男女に、幼い双子の童女。

 迷宮より楔を用いて帰還した四人。多くの信徒はすでに脱出し、四神の行方はしれぬまま。


「ま、自分らは最悪素知らぬ顔で御役所に戻ればええわな。まだスパイやとはバレとらへんし。あんたらがどないするかやけど」

「私達は信徒の元へ向かいます」

「向かいます」

「もう二度と、ロゼ様のような方を生み出さないために」

「私達が銀月教を変えます」


 救いのために、滅びのために人を犠牲にする。命を弄び、生み出す行為を止めさせる。狐を宿した教祖の世話係という立場の人間は、惑う信徒には希望の光となり得るだろう。

 なにかに縋ることは悪ではない。しかし、その縋るなにかのために他を犠牲にするのは誤りである。


「ふぅん。ま、俺らはこの騒動に紛れて抜けさせてもらいまっせ」

「ルナ君とステラちゃんは死んだって伝えとってな。信徒は知らへんけど、四神の方に見つかりゃいやぁよ」

「そうそ、特にセーリュの兄さんはいやよ? あの人俺らに無茶言うもんな」

「四神の方も大変ねぇ。腕やら脚やら、目やら耳やらが不自由な戦うことしかできん命て、これからどないするんやろ」

「……それも、私達で考えなくてはなりませんね」

「なりませんね」


 雨に濡れる。ステラはくしゃみをひとつした。


「ううさぶ! このままやとアカンわ、あんたらも信徒探す前に、ちょっとうち寄ってき?」

「せやな、急いだところで信徒は逃げへんよ。もう地下施設も地下神殿もあらへん。世界各地の支部に飛んでも……ヘボ格下信徒達やったら、もう実験や研究はできへんやろ」

「ありがとうございます」

「ございます」

「そうだなァ、もう実験や研究はできねェよ」


 路地裏の闇から聞こえた声。四人はすぐさま振り返る。闇の中に、褐色肌の青年が立つ。布を巻き付けたような衣装に豪奢な飾り。濡れネズミにもかかわらず、張り詰めるような緊張感を放つ。思わず跪きたくなるような緊迫感。青年はにやにや笑い、芝居ぶった仕草で両手を広げた。




「ご機嫌麗しゅう畜生腹(ちくしょうばら)生まれのみなさん!!」




 身動きも取れない空気の中、ルナとステラは即座に判断を下す。カナタとコナタを抱え、路地裏から抜け出そうと走った。痛む体など気にしてはいられない。即座の離脱、彼らの判断は正確だった。



「狐には寄生虫が沸くからよォ、しっかり『駆除』しとかねェと、なァ!!」



 男は手を振り上げる。駆けるルナとステラ、路地を抜け、街の明かりに感嘆の息を零す。一歩、踏み出した刹那。眼前に突きつけられた白銀の刃。



「け、け、け。安心しろ、二度と銀月教は酷いことなんてしねェよ。銀月教はその名、存在すら、残さねェから」



 飛び散る赤、崩れ落ちる音。地面に投げ出される体。目の覚めるような赤を吸い上げる衣服。赤の中に浮かぶ白い手、細い足首。青年の足元に赤が飛ぶ。一滴の雫に彼は不機嫌そうな顔をした。


「何汚してんだてめェ! 俺を誰だと思ってやがる! 無様に生きる狐の寄生虫が! 俺に血なんか飛ばしてんじゃ! ねェ!!」

「ト、トルマリン様……」

「あァ!?」

「すでに、死んでおります……」


 憤慨し動かない体を踏みつけていた青年は、黒衣の影に呼び止められ足を止める。


「あー……そういや、俺に血が飛ぶように殺したお前らがわりィよなァ、うん、そうだな」

「お、お待ちをトルマリン様! トルマリン様!!」

「うるせェのは嫌いだ。不快でしかねェ」


 腰から抜いた、宝石に彩られた見事な剣で首を薙ぐ。飛び散った赤は民家の壁を汚した。赤に染まる壁、石畳。青年は愉快そうに笑う。


「……にしてもやってくれたなァ! (つばめ)の旅団!! 好き勝手暴れて、十二貴族(オレ達)を敵に回して、こりゃァ傑作だ!」


 先程は返り血の一滴で憤慨していたのにも関わらず、彼は血溜まりを蹴散らし路地から出る。街の明かりは消えていた。いや、その空間は街から切り離されていた、と言ったほうが正しいか。青年は笑う。



「け、け、け。好き勝手暴れろ()()()()()()()()。名もなき()()()()!! 人も果実も、腐りかけが一番美味い!!」



 見上げる夜空、雨はとうに止んだ。



「全部、ぜェんぶ搔き混ぜろ!! どうせやるなら、無茶苦茶にしろ!!」



 青年は──トルマリン・スコーピオンは、高らかに笑う。



「また会おうぜ『燕の旅団』。次会うときは、竜の眼も白翼種も、全部お前らから奪い取ってやる。二度と夢なんて、言えねェようにしてやる」



 け、け、け、と響く笑い声。



「世界の真実を知って嘆け、ヴァイス・アリエス、名もなきタウラス。お前らには、消して拭えぬ醜い血が流れてる」



 狂った夜、その夜が明けるのは──まだもう少し、先の話。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ