118 : 明日もまた朝が来る
「……んで、いい加減話してもらいたいんだけど」
無人になった神殿の中を歩く影。ヴァイス、ロート、それからシュヴァルツをおぶったブラウに、ロゼをおぶったジルヴァ。シュヴァルツは魔力切れで今にも寝落ちしそうになりながら、ロートの言葉に薄く目を開けた。
「……え、何」
「すっとぼけてんじゃないわよ! 脱退するとか言いながらここにいる訳とか、なんでロゼと戦ってたのかとか、どうやって情報を得たのかとか、聞きたいことは山程あるんだから!!」
「そうだよ! ヴァイスも!!」
ロートとジルヴァのふたりに詰め寄られ、ヴァイスとシュヴァルツは互いに顔を見合わせる。
「……どっちにしろ鷹の目連中と合流してからも話さなきゃいけないし……その時じゃ駄目なの?」
「せめてなんで今ここにいるのかを教えなさいよ」
「……まあそれなら」
うつらうつらするのを必死にこらえ、シュヴァルツは話す。
「そもそも僕は燕の旅団を抜けちゃいない。正式にギルドを脱退するには、書類や手続きが必要だったじゃないか」
彼の言葉にロートはうっと口籠る。結成時にも手続きが必要だったのだから、冷静に考えるとそのとおりなのだ。
「でも、あの流れは抜けちゃうと思うじゃん!」
ジルヴァがぶすっと頬を膨らませ反論。それに答えたのはヴァイス。
「それも作戦のうちなんだよ」
「へ?」
目をぱちくりとさせた彼女に、ヴァイスはにやりと笑って見せる。
「クヴェルとロゼが拉致されたって話聞いたときからな、『どこかに監視みたいなやつがいる』とは思ったんだよ。俺達の動きを、ロゼの動きを見てるやつがな」
「そいつらに勘違いさせるために、わざと喧嘩したように見せた。ああしてみんなの目の前で抜けるって宣言したら、銀月教も抜けたと思うだろう」
お互いに顔を見合わせるシュヴァルツとヴァイスに、ブラウはため息ひとつ。
「敵を騙すには……というやつですか」
「そうそう、流石だぜブラウ」
「……んで、なんでそこまでして仲間割れを演じたのよ。仲間すら騙して!!」
ロートが腕をヴァイスの首に回し締め上げる。ヴァイスは彼女の腕をばしばし叩きながらもがいた。
「死ぬ死ぬ!! ……あー死ぬかと思った。んで、なんだっけ? ああ、そうやって分断することで、一方に集中できただろ?」
咳き込みながらヴァイスは言う。その言葉にジルヴァは首をひねった。
「シュヴァルツはロゼ奪還に、俺達は十二貴族がしでかしてることの調査に、な。俺達を影で見張ってる銀月教の連中……あいつらが触れられたくないことについては、単独行動のシュヴァルツが探る。そんで、見張られてる俺達は組に別れてそれぞれ調査を勧めた」
崩れた天井から覗く月。宿を飛び出した時間が夜更けすぐだったが、もうすでに日付は超えている。
「情報は僕とヴァイスとだけで共有した。イグニスを使ってね。だから、この神殿のことも知った。今日ここへ来ることも知った」
「てか待って、そもそもシュヴァルツはどうやってここに来たわけ? 帰還の楔はアタシ達で使ったし……」
ロートに詰め寄られたシュヴァルツは瞬きをひとつし、ごぞごぞと上着のポケットに手を突っ込む。取り出したのは、緻密なレリーフが施された杭状の道具。帰還の楔。
「簡単な話だよ。ヴァイス達は『燕の旅団』の楔を、僕は『鷹の目』の楔を遣っただけ」
「……あっ!!」
そう、「燕の旅団」と「鷹の目」がひとつになった際、本来ひとつのギルドに一本しか与えられないはずの帰還の楔は、二本になっていたのだ。単なる回収ミス……いやしかし、役所に銀月教のスパイがいた以上、そうとは言い切れない。……まあ、ここにいる彼らはスパイがいたなど知りもしないが。
しかしこれ幸いと、彼らは有り難く活用しまくっていた。
「今日みんなは一本の楔を使って全員で転移した。だから、僕はひとりで残りを使って転移した……それだけだよ」
「……あ〜なんか、手のひらで転がされたみたいでムカつくわ」
頭を抱えるロート。ブラウは再度ため息。
「結局! シュヴァルツもロゼも、いなくならないんだよね!?」
ジルヴァはシュヴァルツとヴァイスへ詰め寄った。彼女のきらきらと輝く目に迫られたじろぐが、ふたりは互いを指差す。
「俺が」
「僕が」
「いないとこいつ」
「いなかったらこいつ」
「死ぬだろ」
「死んでるぞ」
同時に言い放つと、お互い顔を見合わせる。
「何勝手なこと抜かしてんだシュヴァルツ!! お前に俺が必要なんだろ!!」
「そっちこそ何言ってんだ僕がいないと初日から死んでたくせに!!」
「んだと!?」
「またやんのか!?」
「おやめくださいふたり共」
ブラウは身をよじり、シュヴァルツの頭とヴァイスの頭をカチ合わせた。痛みで口を閉じるふたりを見、呆れたようにロートは笑う。
「んじゃま、それ以降のことはまたおいおい聞くとして────」
神殿を抜ける。少し冷えた夜風が吹き付け、木々の揺れる音がした。透き通るような夜空に浮かぶ銀の月。その眩しさに目を細めたシュヴァルツは、ふと視線を感じ振り返る。
神殿の影、薄暗闇の中に立つよく似た顔立ちをしたふたりの童女。彼女達は静かにシュヴァルツを見つめた後、深々と頭を下げた。
ヴァイス達はそれに気づいていない。気づいたのはシュヴァルツのみ。ブラウにおぶられ揺れる背中で、双子の童女を見つめていた。
──ありがとうございました。
──お姫様を頼みました。
そう動く唇に、シュヴァルツは大きく頷き、前を向く。そして彼は疲労の限界を迎え、意識を落とした。
────
一行が迷宮へ突入した際の集合場所に向かうと、そこにはすでに鷹の目の皆がいた。彼らに声をかけようとヴァイスは口を開くが、彼らの沈鬱な面持ちに言葉を濁らせる。
「施設は壊せたのか?」
「……ああ」
その一言に、そうか、とだけ頷くと、帰還の楔を突き刺し街へと戻る。
──────
「おかえりっ!!」
二股の黒猫亭へ帰還した彼らを、満面の笑みを浮かべたツュンデンが出迎える。背負うシュヴァルツとロゼの姿を見、ツュンデンは安堵したようにため息をついた。
「ホントに……人騒がせな子達だね、全く」
眠こけるシュヴァルツの頬を突き、彼女は笑った。ひとまず、とシュヴァルツにロゼはホール内の椅子を並べてそこに寝かされる。口を半開きのまま眠るシュヴァルツの顔にレーゲンは苦笑い。机に突っ伏して眠るクヴェルを見つけ、ブラウが驚く。
「この子、『兄上達が帰ってくるまで起きてる!』って言ってね……心配してたんだよ?」
「……ありがとうございます」
ずり落ちた毛布を持ち上げながらブラウは微かに口元を緩めた。ヴァイスが起きろとシュヴァルツの頭を小突く。シュヴァルツはぶすっとした顔で目を開けた。
「……何」
「いつまで寝てんだ早く説明しろよ」
「……僕は狐の件を話すから、それ以外は頼む」
「おうおう」
そして語られる、これまでの出来事。
シュヴァルツ脱退の真相、それから銀月教の正体。そして、世界を破壊する「狐」の事。一同質問を交えながら、その話は長く続いた。
「……まさか、ロゼにそんな秘密があったなんてな」
椅子の背もたれに肘を置くヴァイスがぽつりと呟く。銀月教によって生み出された赤子、歪んだ教育によって苦しめられた過去。そして、幾多もの人を消し去ったという罪。
「……それを知ってなお、みんなはロゼを受け入れることが、できるか?」
最後にシュヴァルツは、そう問うた。全員の目を見つめ、それから視線を降ろす。皆は苦い面持ちで互いに顔を見合わせた。目を閉じたままのロゼを一瞥し、シュヴァルツは俯いたまま続ける。
「許してやってくれとは言わないよ。罪は罪だ。それを『仕方がなかった』とか『しょうがなかった』で済ます真似はしない。狐が囁いたとして、そうしなければ酷い目にあったとはいえ、それを選んだのはロゼなんだから」
彼の言葉に、誰も口を挟まない。
「許しはしない。でも、責めもしない。それが一番だと僕は思う。────そうだろ、ロゼ?」
向けられる視線。一同が驚いてそちらを向くと、目を伏せていたロゼはゆっくりと目を開いた。紫水晶の瞳、いつもの光はなく、唇を噛み締めて顔を上げる。
「……はい」
「ここからは、君の言葉で伝えたほうがいい」
シュヴァルツの言葉に頷くと、彼女は羽織った毛布を握り締めながら立ち上がった。
「……私は確かにかつて、この世界の滅びを願いました。かつて、この手で人を殺めました。狐の力とはいえ、私自身の手で。それを選んだのも、私自身です」
見つめる手。その手に張り付いた感触も、熱も彼女は忘れない。
「何をしてでも、拒めばよかった。何をされても、逃げ出せばよかった。それをせずに受け入れ、考えることを否定したのは、私です。私の、選択です。全部諦めきった顔をして、何もかもを投げ出していたんです」
ぎゅっと拳を握り締める。泣き出しそうな顔でも、涙は消して流さない。
「それでも……シュヴァルツ様と、みなさまと出会って、私は願ってしまった。抱いてしまった。──この世界でまだいたいという欲を。みなさまと共に生きたいという、願いを!」
ロゼは顔を上げ、膝を降ろす。床に手を付き、深々と頭を下げた。そのうえで彼女は声を張る。
「私は、この罪を許されるとは思いません。許されようとも思いません。仕方がなかった、こうするしかなかったなんて、けして言いません。私が選んだ、私がこの手で招いた結果です。
──故に、この罪も、苦しみも、全て抱えて生きていきます。この世界から呪われようと、あらゆる人々から蔑まれようと、私は投げ出したりなんかしない。私はこの生をかけて、罪を償い、自身の行いと向き合います」
だから、とそこで一呼吸開けた。一瞬の躊躇の後、彼女は決意をあらわに叫ぶ。
「けれどもどうか、どうかひとつだけ甘えが許されるなら──私は、みなさまの行く末をこの目で見届けたい! みなさまの旅路を共に追いかけたい! 大切な人と、共に生きていきたい!! それが、私の夢であり、願いなのです!!」
ロゼの夢、ロゼの願い。ヴァイスは瞬きの後、地面に膝をつくロゼに向かって手を伸ばした。
「いい夢だ、ロゼ」
彼女は涙の膜に覆われた瞳で、彼を見上げる。
「俺達はお前を許して甘やかしたりなんてしない。罪は罪、それは変わらない」
ヴァイスは無理矢理ロゼの手を取る。勢いよく引いて立ち上がらせた。
「それでも、お前は仲間だ。『いちれんたくしょー』、共に泥舟、沈みゃあ笑い話ってな」
「ちょっとそれ誰のセリフよ」
「まあとにかく……ロゼ」
彼女の瞳に映る、仲間達。
ヴァイス、シュヴァルツ、ロート、ブラウ、ジルヴァ。オランジェ、グリューン、ゲイブ、リラ。それからツュンデンにレーゲン、クヴェルも。
「俺達は皆『共犯者』。ここにいていい、生きていていい。償うために、贖うために生き抜け、ロゼ」
彼女の頬を一筋、涙が落ちていく。顔を手で覆いながら、彼女は泣いた。十七年、堪えた思いが溢れ出す。それは春先に降る雨のように、押し寄せる潮騒のように。
「ロゼ、お前の夢、俺が預かった」
深夜の街に雨が降る。美しい銀月は陰り、その姿を覆い隠して尚──黒雲の向こうで、星は強く燃えている。




