117 : おやすみ前のおとぎ話
──狐打破より小一時間程前──
走るオランジェとグリューン。ふたりは見張りとして派遣されていた、ルナとステラを各自撃破後合流。それからようやく一階最奥を目指していた。──子供達の眠る部屋へ。
「あっ……大将!」
「ゲイブ! リラ!!」
部屋の前にはゲイブとリラが立っていた。ゲイブは見慣れぬ鞄を手にしている。天井を見ると穴が空いていた。上の階から床を突き破って降りてきたらしい。
「上にあった変な機械とか、薬品とか、全部ぼこぼこにしてきたっすよ!」
「流石! んで、子供達を治せる手がかりは見つかったか!?」
期待に満ち溢れた顔で、希望に満ち溢れた顔でオランジェは顔を上げる。その眩しい瞳を前に、ゲイブは目をそらして口籠った。言いづらそうなゲイブに代わり、リラが手を伸ばす。
「オランジェ君」
「……え?」
一瞬の躊躇。すぐに迷い振り払い、リラは告げた。
「あの子達を治す手段は、無い。あそこまで魔物の細胞が根付いてる以上、分離は不可能だ。……もうすでに、魔物の細胞によって命を繋いでる子達もいる。だから、ここから連れ出すことは────」
「嘘だ!」
壁を殴りつける音。その鈍い響きに、グリューンがびくりと肩を震わせる。オランジェは項垂れ、壁に拳をついたまま髪をかき混ぜた。
「なあ、ゲイブ。お前なら、治せるだろ? お前だけじゃなくて……外に出て、他のお医者さん達にも手伝ってもらえば、大丈夫だろ? なぁ」
「オランジェ君……」
彼の目は困惑に揺れる。しかし、彼自身も心のどこかではわかっていたはずなのだ。リラは歯を食い縛り顔を伏せながら、彼の肩を掴む。
「わかってくれ、堪えてくれ。あの子達を助け出すことは、あの子達を苦しめる結果になる。あんな状態で故郷に帰れて、何が待つ? ……わかってくれ、オランジェ君」
リラの懇願。オランジェは呆然として、彼の背後を見ていた。そこにはなにもない。ただ、子供達の眠る部屋へ繋がる扉があるだけ。
「どう、して……だよ……」
「俺だって助けたいよ! それはこの場にいるみんな同じだ! でも……でも、それはきっと……あの子達を苦しめる」
オランジェの膝が力なく崩れた。リラが手を離し、顔を覆う。ゲイブは俯き目を伏せ、グリューンも項垂れる。
「……ゲイブが見つけた薬品の中に、強烈な麻酔があった。暴れてどうしょうもないときに打っていたんだろう」
響く声も、オランジェの頭の上を通り過ぎる。
「気体にして室内に流せば、眠りにつきあらゆる感覚を忘れる。その状態で、ゲイブが調合した……安楽死の薬を流す。そうすれば、楽になる逝ける。痛みもなく、苦しみもなく、眠ったまま、夢の中で」
子供達は最後まで、自分の身に降り掛かった絶望を直視しなくて済む。
「……て」
消え去りそうな声が響く。オランジェの乾いた唇が震えた。
「せめて、話をさせてくれ……。最後に、あの子と、話がしたい」
彼は今にも泣き出しそうな顔で顔を上げた。その言葉に──リラは、こくりと首を振った。
暗闇の中、ひとつの寝台の側へ影が立つ。苦悶の声と意味をなさない言葉の羅列を背後に背負い、影は少年へ声をかけた。
「……こんばんは、フリューリゲル」
「……おにいちゃん? どうしたの、こんな時間に」
「今日はうっかり遅くなってな。でも、いいお知らせがあるんだ」
「おしらせ?」
「あぁ。もうすぐみんな、病気が治るって、な」
「……本当に!?」
「本当さ。急いで伝えようと、こんな時間に来ちゃったんだ」
「ホントのホントに、なおる? ぼくの体も、まわりのみんなも?」
「ああ。そのための準備を今してるんだ」
「……さっきから外で音がするのは、そのせい?」
「あっ、ああ! そうだ、そうだ! うん、そうだよ」
「……なんか声、大きくない?」
「そんなことないさ」
「……」
「……」
「なあフリューリゲル」
「なぁにおにいちゃん」
「故郷に帰って、したいこととか、あるか?」
「え、何きゅうに……。えっと……まず、やっぱり、お父さんとお母さんに会いたいな」
「あー……やっぱり?」
「うん。それから、お母さんの作ったスープがのみたい」
「どんなスープだ?」
「とろとろになるまでにこんだ、野菜のスープ。おいしかったなぁ」
「よーし、病気が治ったら、快気祝いにまず俺が作ってやろう」
「えーおにいちゃんのりょうり……?」
「何だその言い方。俺の料理は旨いんだぞー。昔ちょっとだけ、店を持ったこともある」
「うそだ」
「ちがわい」
「……」
「……」
「でもぼく、ほんとは、やりたいことがあるんだ」
「ん? なんだ? 教えてくれよ」
「ちょっとはずかしいけどね……」
「うん」
「ぼく、ぼうけんしゃになりたいんだ。おにいちゃんみたいに、『めいきゅう』に行ってみたい」
「……っ!」
「話を聞いて、思ったんだ。ぼくも見てみたいなって。ぼく、ずっと村かここかしか、知らないから」
「うん……うん。そうだな、その時は、さ」
「……」
「俺と、俺の仲間達で案内してやるよ……っ! 約束、だぞ?」
「うん、やくそく。ゆび、にぎって?」
「ああ……」
「……」
「……」
「……」
「フリューリゲル」
「なぁに?」
「ちょっと、みんなを外に連れ出すための準備をしなきゃいけないんだ。それまで、寝てたらいいから。明日の朝に、迎えに来るから」
「……わかった」
「おやすみフリューリゲル。スープ作って迎えに来るよ。それまでゆっくり寝ててくれ」
「スープは作らなくてもいいよ。……ちゃんとねる」
「……うん」
「おやすみ、フリューリゲル。みんな」
「……」
「……」
「オランジェおにいちゃん」
「どうした? 早く寝ないと明日疲れるぞ?」
「ありがとう」
「……」
「……こっちこそありがとう、フリューリゲル」
「……」
「おやすみ……フリューリゲル」
──────
鉄の扉が音を立てて閉まる。オランジェはその扉へもたれ掛かり、そのまま崩れ落ちた。項垂れ、顔を手で覆い、膝を抱える。その姿をリラは見る。グリューンは廊下の影ですでにしゃがみ込んでいた。ゲイブはいない。天井の穴から上にのぼり、通気口から薬品を散布しに向かったのだ。
「────っ」
鼻をすする音。ぽたり、ぽたりと石の地面へ染みが生まれる。
「俺……っ、は……!」
しゃくりあげる声。膝を抱え、顔を隠し、声を必死に押さえながらもオランジェは言う。
「あの子達を最初から見殺しにして、見てみぬふりをして……っ、何もしないことが! 正しかったとは……思わないっ!」
片手を胸に当て、掻きむしるように押さえる。溢れる嗚咽、頬を滑る涙。
「だから俺は……っ! この痛みも、この悲しみも、この苦しさも……間違いだとはっ、言わない!!」
グリューンも、膝を抱え俯いていた。一枚扉を挟んだ向こうには、痛みも苦しみもすべてを取り除くための薬品が充満している。そして、そこで未来ある子供の、命の灯火が消えている。
罪もない、そんな目に合う理由もない。本当なら、もっと眩しい未来があった。しかしそれは、もう叶わない。
「オランジェ君」
その背に手を当てたのはリラ。優しくさすりながら、彼は目を伏せる。
「君のしたことは、間違ってなんかない。間違ってなんか、なかったんだ」
「──────っ! うぁ、あ、あぁぁ……ああぁぁぁぁ!!」
響く声。ぼろぼろと零れ落ちる感情。伝えたかった言葉、堪えきれない思い。
「俺は、俺はただ……あの子達に、生きていて、欲しかったんだ……。生きていて……欲しかったんだよ……」
その声が止む時まで、リラは手を止めなかった。
──オランジェ君。
──君のしたことは確かに、間違いではなかった。
──でもそれは、『正しいこと』でもなかったんだよ。
──だから俺は、ずっと、君を止めたんだ。
──その結末はきっと、君を傷つけるとわかっていたから。
そんな言葉を告げられるほど、リラは非情では、無かった。




