114 : 長い夜
「この娘は白翼種……様々な血を持つ器の民の中でも、癒やしの力という特別なものを持つ種族。何故、絶滅したとされる白翼種が生きているのか? その理由は銀月教にある」
かつん、と玉座にも腰掛けた狐は肘置きを叩いた。ロゼの過去、シュヴァルツとしても把握したい情報、攻撃を仕掛けることはできず留まるしかない。
「大災禍……それを引き起こしたのは、勿論我。我でなければひとつの種を絶滅させることなどできぬ。まあそれはいいとして、だ。かつての大災禍、その時我が肉体を借りていた者こそ……器の民、白翼種だ」
狐は依代が存在を否定したとき、その力を振るい、存在を消す。1500近く前に引き起こされた「大災禍」、そのとき依代は器の民でありながら、器の民の根絶を願った?
「あれが今の世で何と言われているかは知らん。しかし、これだけは言い切れるぞ? 器の民を根絶やしにしたのは我よ、それが器の望みだったからな。しかし、『大災禍』と呼ばれる事象を引き起こしたのは────当時の人よ」
狐は手遊びを交えながら話す。
白翼種の癒やしの力だけでなく、種を通して特別な血を持つ器の民。彼らの存在は他の民にとって妬ましいものだった。
その結果引き起こされたのは、器の民、もしくはその血を狙う他種族達の争い。逃げ惑う器の民は背を裂かれ、翼をもがれ、その血を奪われ、飼い殺された。
そしてひとりの少女は世界を呪う。その少女の中にはあるものがいた。願う声に答え、狐は現れた。
「我は一振り、力を使った。その結果器の民だけにとどまらず多くの人間の命も奪ったが……伝わってはいないらしい」
「なんで、世界じゃなくて器の民へ攻撃したんだ」
狐は白く細い指を、シュヴァルツへ向けた。
「あるひとりの者がいた。その者は器の恋人だった。表に我が現れて尚、その者は引き下がらなかった。……其奴は言った、『まだこの世界は壊すべきじゃない。自分達さえいなければ、争いはなくなる』────我はその者の言葉に従い、その者の願いに従い、振るう力を、器の民へ向けた」
その言葉にシュヴァルツの肩がぴくりと揺れる。
「器の心がそうさせるのか、それともその者自体に特別な力があるのか、それは知り及ぶところではない。……しかし、後の世でその者のような存在はこう呼ばれているらしいな──勇者、と」
────お待ちしておりました、勇者様!
シュヴァルツの脳裏で反響する声。
「さぁて、また話が逸れた。そんなこんなで、器の民であった少女が、狐の力を使いひとつの種を絶滅させた。それを見て生き延びた者がいる。その者が我に心奪われ、立ち上げたのが銀月教──銀毛を持つ狐、それから器の民は崇拝の対象となった」
仕方のないことかもしれない。しかし、そのとき狐はたまたま器の民を依代に選んだだけ。他の器の民が狐のことなど、知る由もない。
「銀月教は各地で細々と生き残った器の民を捕え、研究に使った。またしても狐を迎え入れるには器の民でなくてはならぬ、そんな迷信を信じ、血を抜き細胞を調べその肉を喰らった。……そして彼ら彼女らに無理矢理子を産ませ、千年以上の月日を重ね、様々な実験と血の混じりの末に生まれたのが──ロゼだった」
そして、本当に偶然に、彼女の体へ「狐」は舞い降りた。
「血が混じりすぎたが故に、もう白翼種が生まれることは期待できなかったのだが……如何なる因果か運命か、この娘は白翼種で生まれてしまった。待ち受けるのは、実験と祈祷、おまけに折檻」
半地下の牢に囚われ、無数の信徒から期待を背負わされるだけの毎日。儀式のため、滅びのため、我らの救いのためと、与えられる苦痛。十二貴族と手を組んだ影響により、研究と称してその血や細胞を抜かれる日々。不必要な会話をしようとすれば折檻を受けた。責任を持て、貴方は巫女、神の器。すり込まれる教育。
トドメは、一本の短刀。眼の前に転がされた短刀と、縄で縛られ拘束された病に伏せ苦しむ男。
大人達は言う。貴方が救ってあげなさい。神の力を使えないのなら、その手で救ってあげなさい。
手の中にこびりついた感覚。冷えていく体温、流れる熱い血。苦しみに喘ぐ声が少しずつ弱まり、消えていく。それが救い、それが救済。死は、滅びは、救いであると。
幼い少女、弱い五つにして世界を憎むのは、仕方のないことだった。
「そして此奴は我を呼んだ。我に願い、我に身を貸した」
シュヴァルツは無言で口元に手を当てる。狐が淡々と話す内容、ロゼの過去。
「それから、耐え難い際には我が変わってやった。この力を振るってやった。それはもう信徒は大騒ぎ、大歓喜。実験の失敗作や重病患者を連れてきては、救ってやれと懇願する」
救ってやれ、それが意味すること。
「勿論、せがまれれば叶えてやったさ。力を一振り、全部、苦痛など与えず消してやった」
狐は、ロゼの体を使い、数多の人々の命を奪ったのだ。それが救いと、それが望みと思い込んで。
「そして一年以上前、銀月教襲撃に見せかけた、重要幹部の移動作戦。あれはお前の察した通り、十二貴族を騙す作戦だった。破壊の力を持った神、信仰の対象を失い途方に暮れる集団を演じるための、な。その直前、下級の信徒を奮い立たせ、教祖を守らせるための演説────勇者降臨の予言」
そこでまたしても飛び出した勇者の言葉にシュヴァルツは顔を上げる。狐はにやけた表情を止め、冷めきった顔で彼を見下ろす。
「そんなもの、ただの虚言だった。信徒を転がすための嘘、そのはずだった。ひとつ、誤算があったのだ。隠れて教祖を逃がそうとした幹部達、そやつらの元に降って湧いた────お前だ。シュヴァルツ様」
銀の瞳、視線だけで射抜くようなそれにシュヴァルツは囚われる。
「お前が暴れたせいで作戦は台無し。無事この場所には辿り着けたものの……幹部達も入れ代わり、なにより教祖は行方不明。本当に、無茶苦茶をしてくれたのだぞ?」
「……何故あのとき、ロゼは僕を、勇者と呼んだんだ」
狐は大きく目を見開く。それから、表情を先のにやけ顔に戻した。しれたこと、そう呟く。
「虚言だ、虚言。幹部を失い、下手に出歩けないあの状況で、うまくおだてて丸め込め、守らせようとしただけのこと。お前に勇者の資格など、勇者の素質など、あったわけではないよ」
凍りつく空間、動きを止めるシュヴァルツ。瞳の奥に闇を湛え、そんな彼を見物する狐。
「愛してると言われて、好きと言われて、嬉しかったか? 心が満たされたか? 生憎、それはお前でなくともよかった。お前である必要は無かった」
ちりりと焦げる感覚。思考を焼き消す感情が、彼の胸中で渦巻いた。
「我の、ひいてはこの娘の策のうち────」
「もういい」
焼けるようなそれは何か。天球儀を模した杖の先端が月明かりにきらめいた。血潮のような瞳は揺らぎ、その姿を捉える。
「彼女の顔で、彼女の声で、喋るな」
「ははっ、ご立腹か? 勇者様」
一段一段、踏みしめるように階段を登る。黒のマントを翻しながら、シュヴァルツは杖を握る手に力を込めた。
「愛を知らず愛に焦がれる愚かな勇者様。そんなお前を我は愛そう。愛故に、滅ぼそう」
狐は立ち上がる。段を登るシュヴァルツへその手をかざした。対するシュヴァルツ、二段ほど手前で止まる。
「ウィルオ、ウィスプ」
あたりへ姿を現す炎の精霊。青い光を放つ炎が彼の周りを飛び交った。そのひとつを掴む。魔力の塊であるそれは、シュヴァルツの意志ひとつで実態を伴う武器となる──そして、握り締めたそれは、短剣の形を取った。
「……?」
「『古びた港、枯れ木の漁師、草臥れた網、常闇の壺』」
行動の意味を理解できず首をひねる狐。シュヴァルツはひとつに結んだ髪の束を手に取る。瞳と揃いの色をした真っ赤なリボンが夜風に揺れた。炎の短剣をうなじへ這わす。
「『私は叩く。貴方は語る。私は騙して貴方を囚える』」
ざくり、と。炎の短剣は音を立て、彼の黒髪を切り落とした。真っ赤なリボンはするりと抜けて、遥か下へと舞い落ちる。呆気に取られる狐。シュヴァルツは動じず言の葉を紡ぐ。肩に届かない長さ、耳元で揺れる黒髪を払いながら炎の短剣を解除した。青い炎があたりを飛び交う。
「『喰らう、燃やす、貴方は願う。常世の孤独、永久の闇、灰塵と帰せと貴方は願う』────!」
切り落とした黒髪を後方へ放つ。ひらりはらりと舞い落ちる髪。ぽつり、とその一本へ小さく炎が灯った。握り締めた杖の先端が赤く光り、熱を持つ。
「『彼方の檻より私は呼ぶ』────来い、Ifrit!!」
舞い散る髪が、真っ赤な炎へ姿を変えた。真昼のような明かりに灯される聖堂。吹き付ける熱風に狐は目を見開く。
「────なるほど、見事な」
感嘆の吐息。シュヴァルツは手を伸ばす。あたりへ飛び交う四つの炎。青い炎のウィルオとウィスプ。白い炎のイグニス。黒い炎のアグニ。そして、
「ロゼを、返してもらうぞ!!」
「たかが小娘の戯言ひとつで、本気で勇者を気取るつもりか!? 愚か者め!!」
シュヴァルツの背後、練り上げられた魔力と髪の毛という肉体の一部を媒介として生み出された精霊。燃え盛る炎の体躯、たくましい筋肉に飾られるそれは不定形に揺らぐ。
ああ彼の名は、彼こそは燃え盛る炎の化身、イフリート。
狐の嘲りを受けながら、シュヴァルツは皮肉げに微笑んだ。
「僕は元々、救いへ導く勇者様なんてガラじゃあないさ。ただの、仲間を救うのに全力を尽くす魔法使いだよ」
狐は笑う。シュヴァルツも笑う。交差する視線、脈打つ心臓。互いに一歩前へ踏み出し、勇者と破壊の獣との戦いは始まりを告げた。




