113 : 世界が始まった日
くすくすと、声が響く。向い合うシュヴァルツと少女。シュヴァルツは突きつけた杖の先端をにらみつける。
「全部知った……ですか。一体、どんな手を使ったのです? そのような文献、もう銀月教にしか存在しないと思っていましたが。燕の旅団が調査をしていたのは知っていますが……シュヴァルツ様はギルドを抜けたのでは?」
「抜けたからこそ、だ。僕は単独で王宮の秘録庫へ侵入した。……あいつらがいないぶん、自由に動けてよかったよ。そこで、銀月教や創世に関わる書物を読み漁った」
「おや、熱心」
唇に指を当て、にやりと微笑む顔。シュヴァルツはぐっと下唇を噛みしめると、言葉を紡いだ。
「その顔で、その声で────似ても似つかない言葉を吐くのは、やめてもらえないかな。狐」
狐、そう読んだ瞬間に彼女の目から一切の光が消えた。冷たく鋭い銀、口は三日月のように開き、笑う声も止む。
「……あぁ、本当に、よく調べたらしい」
口調が、変わった。
ぴしり、と天井に亀裂。ぱらぱらと落ちる破片を躱したシュヴァルツ。落ちてきた破片は少女に触れる前に弾けて消えた。差し込む銀の月明かり、その下で笑う少女は顔を上げた。
「我に名は無く、勝手につけられた呼び名さえ縁はなく。我はこの世界の終末機構。名も意思も持たぬが、人はこう呼ぶ────世界を喰らう、銀毛の狐、とな」
髪留めを抜く。はらりと落ちた髪、かつてのような少女の面影はなく、ただそこにあるのは不気味な影。
もうそこに、ロゼはいない。
「世界を生み出した創造主。其奴と対になる存在として生み落とされた存在、の、分霊体とも言うべきか。まあ、そのあたりも承知の上で……ここにいるのだろう?」
「……まあね」
感心したように頷く彼女へ、シュヴァルツは再度杖を向ける。
「でも、本で読んだのと実際に聞くのとでは話が違う。お前の口からはっきりと、聞かせてもらおうか」
シュヴァルツの言葉に少女──狐は笑う。
「大層な若造よ。我を何だと思っておるか……まあ良い。これも一興」
狐はどさり、と巨大な玉座へ腰掛けた。傲慢に、優雅に脚を組み肘をつく。放たれる威圧感にシュヴァルツは目を細めた。
「この世界の成り立ち──まで話すと、夜が明けてしまうな。大まかに話そう。この世界は創造主というひとりの存在が生み出した世界、それは知っておろう? しかし、その者は如何にして産み落とされたのか……まぁ、これも良いか。創造主と共に生み落とされたのが我、創造主が生み出す神ならば、我は滅ぼす神。不出来な世界を、不要な世界を滅ぼす獣、よ」
白い華奢な指先を動かしながら楽しげに話す。
「お前達の今生きている世界……それは、ひとつだけだと思ったか? 違う、違う。世界は無数に存在する。分霊体をこしらえて、創造主が各々好き勝手に世界を練り上げる。手にしたねじくれた木の杖を振るってな」
狐は目を細めて笑った。
「我は、その世界が不出来、不完全、不要と判断すれば破壊する。跡形もなく、人も、大地も、すべてを喰らう。創造主が作った箱庭、遊び飽きて捨てた玩具を我が片付けてやるようなもの、か」
「……その判断はどうやって行うんだ。それは、載ってなかった」
簡単よ、と狐はとんとんこめかみを叩く。
「世界と世界の狭間、人が如何にしても辿り着けない場所に眠る我の本体が、無数にある世界を見る。人が死に絶えた世界、文化も文明も発展しなかった世界、醜く汚い世界……それらを見、我は尾を振るう。さすれば勝手に世界は滅びる。
まあ、我の主観じゃな。しかし、かなり猶予を持って見ているのだぞ? それでもどうしょうもない世界は破壊している」
「……じゃあ何故今、お前はここにいる?」
本来、世界と世界の狭間に眠るという狐。何故そんな神が、今ここで少女の肉体を借り顕現しているのか。
「この世界は、特別だ。創造主が練り上げた無数の世界、それらの文化、人種、自然、生物……それら良い点をかき集め、こね合わせた世界……それっぽく言えば、創造主にとって『お気に入り』の世界だから、の」
「……は?」
シュヴァルツの口から溢れる疑問符。狐はにやにやとした笑みを崩さない。
「考えたことはないか? 使う言語、生態系、文化……それらは、何故生まれた? どうやって生まれた?」
「そんなの……先人達が工夫し、知恵を振り絞りながら生み出したものだろう!? そうじゃないと……」
「どんなにお勉強をしても、そこまで知恵は回らなかったか」
やれやれ、と言わんばかりに肩をすくめた。
「それも、創造主の設計のうち、よ。良いものを寄せ集め、綺麗なものだけを並べた玩具箱。そんな特別な世界、故に我もわざわざ分霊体を放ちこの世界に舞い降りた」
指先で髪を弄る動作に、シュヴァルツは唇を噛みしめる。夜の風がふたりの間を走り抜けた。
「分霊体とはいえ、我がそのまま舞い降りてはこの世界は持たぬ。抜け毛の一本で厄災が起こるからな。故に、我は人の肉体を借りて顕現する。此度それはこの娘じゃった訳、よ」
「なんでわざわざ……他と同じように、高みの見物を決め込めばいいじゃないか!」
払い退けるようにマントを翻すシュヴァルツ。理不尽な滅びに、身勝手な神に、不条理な真実に、こみ上げる怒りは収まらない。
「それはならんよ。特別な世界、その滅びは、人と同じ目線で見極めなくてはならぬ。それが、我の信念よ。……人の身を借り、人の心と共に見、その者が『この世界は不要』と判断したとき、我は表へ現れる」
シュヴァルツの動きが、止まった。
「……は」
「その者がこの世界は『まだ存在すべき』と望み生きた場合、我は表に出ることなく、十七歳を超えたとき我は他の肉体へ移る。
しかし清らかな時期……具体的に言えば十も行かぬ歳、最も世界を見、世界を知る時期に『この世界は不要である』と判断した際は──十七、満を持して、我は表舞台へ舞い降りる。二度も言わすな、面倒な」
「待て」
乾いた唇が震える。シュヴァルツは一歩、傾いた体を支えるように脚を前へ出した。
「それは、つまり、ロゼは」
「ああ。この娘は齢五つにして、この世の破滅を願った。我を呼んだ。そして今時が満ち──盟約通り、我は来た」
シュヴァルツの脳裏へ浮かぶロゼの姿。いつも笑顔で、楽しげで、真っ直ぐに見つめてきた姿。そんな彼女が生を呪ったという事実を、噛みしめることができない。
「仕方あるまい。……さて、お前は銀月教の歴史を知っておるかな? 本で読んだか?」
「……銀月教は、今から1500年近く前に起こった『大厄災』を始めとして、生まれた宗教とされる」
かつて、器の民を絶滅まで追い込んだとされる厄災。それは天変地異なのか、戦なのか、それは誰も知り得ない。当時の文献など残されていない。ただ、事実として器の民は絶滅と言われるほど数を減らした。
「うむうむ、賢い賢い。それで?」
「信仰対象は銀の狐。大厄災を引き起こしたとされる、神の存在。そして、狐による『破滅』こそ、平等な救いと崇め奉るのが彼らの教えだ」
狐はにやにや笑ったまま。
「現在確認できた範囲で教祖は百六十二代目。五代ほど前から十二貴族との接触を図り、彼らの『不老不死』にまつわる研究へ手を貸す一方で権力と信徒を増していた」
王都の地下にあったかつての総本山、世界全土に散らばった支部、それらは十二貴族と手を組んだから得られたもの。
「教祖は皆『器の民』……百六十二代、洩れなく。そんな集団が何故昨年捕らえられたのかは僕にはわからないけれど……おそらく、それすらも作戦のうちだったんだろう?」
一年と半年程前、シュヴァルツとロゼが出会うきっかけとなった出来事。迷宮都市ゾディアック地下、銀月教総本山への襲撃。
「教祖は死んだ……そう十二貴族に思い込ませ、路頭に迷う弱い集団の姿を装った……僕はそう推測してる。
そうすることで、十二貴族はつけあがる。おかげで迷宮内という安寧の地を手に入れることができた。そこで、大人しくか弱いフリをして十二貴族に手を貸しながら、着々と準備を勧めた。違うか?」
「なんの準備を?」
わかりきったことをわざとらしく聞く姿に、シュヴァルツは目を細めた。
「世界の滅び──このクソ喰らえな儀式とやらと、ロゼを迎えに行く準備だろ」
狐はぱちぱちと手を叩く。
「正解、だな」
嬉しくない報告に、眉間に皺を寄せシュヴァルツは唇を噛んだ。
「……こんな話が、なんだって言うんだ。なんで、ロゼが世界を憎むって話になるんだよ!」
「やれやれ、短気め」
ひらひらと動かした手、その手は狐の形を作る。月明かりに照らし、地面へ大きな影を象った。
「一口に話しても飲み込むことはできなかろう。我なら可能だが、な」
影絵は口を開き、ぱくりと虚空を飲み込んだ。
「さて、歴史の勉強だ。お前は本で読むより、話を聞く方がわかりやすいらしいからな」
ぱっと解けた影絵、白い石の上で向い合うふたり。月明かりは煌々と、静かに夜を見物している。




