110 : 強く前へ
──Side Weiss──
交差する爪と刃。鳴り響く金属音。真っ向からぶつかり合う鋼同士が高らかに悲鳴を上げる。
白髪に青い目、燃え上がる闘志を宿し斬りかかるヴァイス。対する青年。短く刈り上げた白髪に、ぎらぎらと光る金の瞳。嘲笑うような表情のまま、両腕の爪でヴァイスの攻撃を受ける。
「素早さは一人前だなぁ!」
「お前こそ、よく息上がんねえなぁ! 強がりか!?」
見え透いた煽り合い。ふたりは同時に攻め手をやめ、後退した。短髪の男は笑いながらヴァイスを指差す。
「気に入った! お前、名前は!?」
「テメェから教えやがれ!!」
吐き捨てるように返答。短髪の男は頭の上に伸びる獣の耳を寝かせ、呆れた顔をした。
「つれねえ奴だな。俺は『ビャッコ』、銀月教を守る最後の砦、ってヤツだ」
「意外に素直かよ。俺は『ヴァイス』。この迷宮の最奥へ必ず辿り着く、世界一の冒険者だ」
名乗りの後、即座に接近。獣の如きビャッコの力、風の如きヴァイスの速さ。互いに拮抗し、崩すことが叶わない。
「神だなんだ、世界がどうとか関係ねぇな! 戦いってのは楽しい! そう思わねえか、ヴァイス!!」
「誰が思うか! こんな無意味な戦い、ゴメンだ!!」
ヴァイスの返答にビャッコは舌打ちをひとつ。上体を倒し、地面に手をついた。獣のような振る舞い、鋭い犬歯を剥き出しにし、笑う。
「悪くねぇ、悪くねぇ。俺は好きだぜ? 最高の気分だ! 生きてきた中で、ようやく骨のあるやつと戦えてよぉ!」
ヴァイスは両手の刃を構え、顎を引く。襟ぐりに埋もれた口元で小さく、「うるせえな」とつぶやいた。
「あ? 口元見えねえと分かんねえよ! 俺は耳が聞こえねえんだぞ!?」
「知るか! 調子狂うなクソ!!」
盛大な舌打ち、常人には視認できないような次元の戦闘が再開される。
「俺は戦うために生み出された! お姫サマだかなんだが別に興味はねえ! 世界が終わるその前に、俺は強え奴と思いっきり戦いたかった!」
眩い銀に光る爪。ビャッコの金の目が月明かりに照らされぎらりと光った。
「世界が終わるその時まで、思う存分戦おうぜ! そこまでお前にゃ、ここを通さねぇ!!」
笑いながら、打ち震えながら、一気に地面を蹴り上げ駆けるビャッコ。彼を前にし、ヴァイスはただ静かに、二振りの短剣を構え直した。
「────双牙抜剣」
──Side Jiruba──
石畳を砕く鞭のような脚。伸び縮みし、たなびき、触手のような挙動で地面をえぐった。その隙間から繰り出される外骨格に覆われた脚。巨大化した昆虫、とでも言えばいいのか。振り下ろされる鋭い爪を刀で弾き、長い銀髪を踊らせるジルヴァ。
「すごいね、おじいちゃんホントに人間!?」
「人間だとも。生憎な」
壺のようなものに収まっていた彼──と言い切ることが不可能な異形の影。ゲンブはその半身を顕にしていた。腰から下、そこから伸びる異形の脚。様々な魔物を寄せ集め、不格好に繋ぎ合わせたような姿。ジルヴァが人間かどうかを問うのも無理はあるまい。しかしゲンブの体をよく見れば、下半身とは融合しているわけではなく、装着しているものなのだと分かる。
「お嬢さん、儂は君達が羨ましい」
「ボクらが?」
顔全体を覆う布。それをじっと見ながら、ジルヴァは繰り出される脚の攻撃を避け続けていた。
「ああ、『まつろわぬ民』……人を逸脱した、竜の民。弱く脆い人間より、遥かに高位の生命体」
その言葉に、ジルヴァは羽のような形をした異形の耳を動かした。
「生まれつき脚を持たない儂にとっては、お嬢さん達は憧れじゃった。おぬしらを目指し、おぬしらに焦がれ──竜に、魅了された」
「でもボクは、キミ達が羨ましいよ」
降ろされた爪を刀の柄で弾きながら、ジルヴァは言い放った。まっすぐ、凛と。真正面のゲンブを見つめる。
「当たり前に太陽の下で暮らして、魔物のいない世界で、どこまでも広い世界で! 自由に生きられるキミ達に、ボクは憧れていた」
それから、自嘲気味に笑って見せる。ゲンブの攻撃が止み、一息ついて刀を鞘に戻した。
「ないものねだり、って。こういうことを言うんだろうね。ボク達は互いに、互いへ憧れていた」
「……ない、ならないならないならないならない」
面布越しにも伝わる動揺。震えるそれは、怒りか嘆きか。
「まつろわぬ民は、竜の民は、我々の手の届かない場所にあらねばならぬ。羨望など、浅ましき感情を抱いてはならぬ。ああ、ああ! 我らのような醜く弱い生命体などに、憧れては、ならぬ!!」
びきびきと、脚が脈打つ。肥大し、外骨格は裂け、筋繊維が剥き出しになった。
「キミの勝手な思い込みを、押し付けるのはやめてもらえないか? ボクは、ボクだ!」
凄まじい勢いで繰り出される脚と凶悪な爪。吹き荒れる風を真正面から浴びながら、ジルヴァは柄へ手をかける。
「十色抜刀!」
──Side Weiss──
ぶつかりあった刃と刃。満ちる閃光で全ては決まる。勝者と敗者、瞬きの間に定まった。石畳の上へ落ちる、白銀の刃。
「────報復者」
両手の刃を逆手に握り、交差に構えたヴァイスが小さく言の葉を紡ぐ。ふたりの立ち位置は入れ代わっており、一瞬のうちに駆け、互いに技を放ったのだろうということがわかる。ビャッコが構えていた爪が欠け、地面へばらまかれる。
本来呪文は技を発動する前に口にするものだ。魔力という不確定で呼び名のないものに名を与える、必要不可欠な行為。しかし今、ヴァイスは技を「放った後」に口にした。
神造武装、「双牙」。三層の神霊ハルピュイアより生み出された二振りの短剣。素早さに秀でているヴァイスを存分に活かすために生まれたのがこの技、「報復者」だった。
呪文を口にし、名を与える。その行為を置き去りにし、結論を先手で叩き込む。それが、最たる特徴だった。それが意味すること、この技は相手の思考を追い抜く速度へと到達している────!!
「あーあ……反則だろ、そんなの」
ビャッコの体が傾ぎ、膝をつく。
「今日は世界最後の日だってのにさぁ……」
そのまま倒れ込む影を、ヴァイスは見向きもしなかった。短剣を鞘にしまい、目を伏せる。
「明日も世界が続いてたら、何度だって戦ってやるさ」
そのまま歩き出すヴァイス。うつ伏せに倒れ込んだビャッコはため息をこぼした。
「なんか言ったのか……? あいつ……」
知りもしなかった音の振動を、ビャッコはどこか遠くで感じた気がした。
「ああっ、クソ……」
ヴァイスは白髪をかきまわしながら唇の端を拭った。
「こっちはお前に任せるつもりだったのによぉ……」
ひとり呟き、彼は歩き出す。
──Side Jiruba──
「────黒雲白雨!!」
鞘から抜き出され、真上へと打ち上げられた抜き身の刃。伸ばされた脚を、ゲンブの収まっていた壺を、面布を切り裂く一閃。ジルヴァは不可視の速度で刃を鞘へ仕舞う。
「ボクらはお互いによく似てた。きっと、出会う場所がここじゃなければ仲良くなれてたのかもしれない」
上半身を支えていた脚を失い、地面へ崩れ行くゲンブ。切り裂かれた面布の下には、未だ年若い顔が覗いていた。驚愕に目を見開き、慟哭に打ち震える。微かに震える唇に、ジルヴァは切なげな顔を浮かべた。
「今度、一緒に『太陽』の下でご飯でも食べよう!」
そんな顔も一瞬。ゲンブの倒れ伏す姿に背を向けながら、ジルヴァはまっすぐ顔を上げた。
「ありがとう、ゲンブ。キミのおかげで、ボクはまたひとつ『ヒト』を知れた」
四人の守護者は打ち砕かれ、ひとりの勇者は儀式の間へ向かう。
世界の終わりを止めるため、明日の世界を守るため。彼らは強く、前へと進む。




