109 : 月が満ちる夜
──Side Blau──
薄暗い回廊に金属音が響く。ぶつかり合うのは槍と鎖鎌、火花が散りふたりの男を照らし出す。
深い紺色の髪から覗く深緑の瞳は、目の前の男、その顔面にかかる布をじっと見つめた。
「目隠しで相手取るとは、私は随分と舐められているのでしょうか」
「そのようなつもりはない。不快にさせたなら謝罪しよう騎士殿」
面布を被った男、セーリュは鎖を手繰り寄せ距離を置きながら言った。
槍と鎖鎌、どちらも中距離戦に向いた武器。しかし鎖の長さがある分、後者の方がリーチはあると言えるだろう。あくまで、コントロールできる素養があれば、の話だが。
「私は事情があって視覚を失っている。生まれながら故、この状態が常にあたりまえ、なのだ」
「なるほど、承知しました」
ブラウは槍の持ち方を変え、遠慮なく距離を詰める。刃先を掴んだ接近用の持ち方から、棒の先端を握った中距離用に。素早く手を動かし、臨機応変に戦い方を変える。放たれた鎌を弾き、鎖を絡め攻撃を躱した。
力一杯、薙ぎ払うように槍を振るう。先端に絡みついた鎖鎌がしなりセーリュの服をかすめた。
「人の獲物を奪うとは」
「生憎育ちが悪いものでして」
しかしセーリュはしなるその鎌を掴み取る。逆に引き寄せ、槍の主導権を奪った。だがそれに従うほどブラウも油断はしていない。足を踏んばり、槍を回して鎖を解いた。
「貴殿との戦闘は、心が躍る」
「それは結構。しかし、楽しむ余裕は私にはありません」
舞うが如く身をさばき槍をさばく。それに相対して鎖鎌はしなり踊る。差し込む月明かり、ぶつかり合う火花。ブラウの纏った青のマントと、セーリュが身につける青い着物が揺れる、揺れる。
「如何か、貴殿。貴殿も我ら銀月教へと力を貸してみれば」
セーリュの言葉。ブラウは鎌を弾き飛ばしながら目を細める。
「お断りです。私には、叶えるべき夢がある。守るべき人がいる。この世界の終わりなど、私は望まない」
槍の先端へ鎖を引っ掛け、思い切り跳ね飛ばした。神殿の壁に当たり、手の届かない場所へ落ちる。
「何より────」
丸腰になった男に向かい、繰り出されたのは脚。槍を地面に打ち立て軸にし、空を舞いながら蹴りを放った。
「貴方達や一部の十二貴族が望む、不老不死とやらは、私は反吐が出るほど嫌いですので」
蹴り飛ばされたセーリュの体。地面に横たわる彼に向かってブラウは槍を掴み走る。
「──なるほど、なるほど」
振り上げた槍。それを両手で握ったブラウ。セーリュは仰向けに倒れながらも唇を歪めた。
「それは、貴殿の弟がそうだからか?」
「────は」
即座に振り下ろされる一撃。セーリュの面布や髪を掠め、石畳を抉る槍。ブラウは倒れ伏した彼の体に馬乗りになりながら、地面へ槍を突き立てた。
「貴様、何故それを知っている……!」
「ここに来たからには、わかっていると思ったのだが……」
面布越しでは口から下しか確認はできない。セーリュは指を突きつけた。
「一年前、と五年以上前、だったか。十二貴族より使わされた、竜の眼を追う一味。その連中に、情報を流したひとりの男がいる」
ブラウの表情が引き攣り、陰る。
「一年前、貴殿ら兄弟とお姫様を共に発見した際は、思わず運命とやらを信じてしまった。我々にはお姫様さえいれば、竜の眼など必要はない。都合がよいから十二貴族に渡してしまおうとしたが、数年前と同じく失敗するとは、情けない」
「──────か」
ブラウは槍を引き抜く。刃先を向けるは、セーリュの首筋。
「お前かッ!!」
溢れ出す殺気と怒り。叫びと共に振りかざされる槍。その時辺りに、笛の音が響いた。
「恨まれる理由がわからないな。竜の眼は本来我々銀月教が見つけたもの。それを取り返して何が悪い」
「元は誰のものでもない。欲の皮が張った人間にいいように使われるより、彼や弟の心臓となる方が竜も喜んだだろう」
「……話にならない」
ブラウの槍、向けた刃先は、男の皮膚に触れる寸前で止まった。見えない力が攻撃を弾いている。
「生など、ただの苦しみだ。一度死に、救われたものをこの世に連れ戻すなど、何という苦行か」
「──────ッ!!」
セーリュは手にしたそれを強く握る。再度響く笛の音、それはセーリュが握るものから発されていた。
「故に我らは、銀月教は滅びを望む。この苦行でしかない世を終わらせ、人々を楽園へと導かんとするために」
「……何が楽園、だ」
セーリュの握った笛。歪な形、白い表面、手に収まる大きさ。息を吹き込みもしていないのに、握るだけで音がしている。
「我ら『四神』は、お姫様の生誕に合わせ『作られた』存在。その身に世の苦行を体現した障害を宿し、儀式の日までお姫様を守ることが、生きる意味」
ブラウの槍を弾き飛ばし、セーリュは立ち上がった。笛を咥え、息を吹き込む。高らかな音が夜闇を割いた。吹き荒れる風の牙。
「略式霊槍、真空波!」
ブラウは槍を捻り、風で相殺する。
「神造武装の解放は、しないのか」
「……」
神造武装の解放。それさえすれば、圧倒的な威力でこの場を切り抜けられるだろう。しかし彼はそれをしなかった。
「まあ深く問う理由もあるまい。……そして、我々は役目を与えられ、そのために身を粉にして尽くした。定められた道であっても──」
風が止む。セーリュは駆け出した。
「この世は、まことに生きづらい。目的も、使命もなく生きる人は────我らの何倍も、苦しいのであろうな」
地面に転がった鎖鎌を取る。吹き荒れた風は無意味なものではなく、鎖鎌を手繰り寄せるためだった。長い鎖を踊らせ、咥えた笛を吐き出しながらセーリュは叫ぶ。
「おとなしく、滅びに従え愚かな兄よ。すべての民が滅びを迎えれば────家族も、友も、貴殿からは離れまい」
ブラウは目を見開いた。
脳裏によぎる、かつての家族。
憧れた父、優しかった母。 今はもう亡き、懐かしい故郷。
大切なものはすべて手から溢れた。彼の周りのぬくもりは、すべて消え去った。
彼の人生は、たしかに苦行だったかもしれない。何度も、救われたいとは願ったかもしれない。
否、それは間違いだ!
ブラウは真っ向から向かってくるセーリュに向け、刃先を突きつけた。まくれた面布の下、焼け爛れた顔の上部が姿を現す。
「それでも、俺はこの世界を否定はしない」
多くを失った彼にできた、新しい家族。大切な友、故郷、そして、今もまだ帰りを待ち続ける弟。
「滅びは、終わりだ。たとえこの世界が苦行の連続だとしても──私達は、痛みを知ったぶんだけ何かを生み出すことができる。先に、進むことができる」
刃の付け根を、ひねる。先端からちかり、と。光が爆ぜた。
「神槍抜錨────光星」
あたりが真昼のような光に包まれた。視界を焼くような鋭さ。しかし、瞬きの刹那にその「熱」は「ぬくもり」へと変化する。
冬の寝雪を溶かす春の日差し。母が子を撫でる手の温もり。穏やかな昼下がりに差し込む斜陽。あらゆる言葉でも言い表せない「ぬくもり」が、あたりを包んだ。
セーリュの閉ざされた瞳。それを貫き、「ぬくもり」は伝わった。閉じた瞼の裏に浮かぶ景色。春の日差し、暖かな家族。心の奥底に、染み入るような感覚。
「この世界は終わらせない。家族が、友が、仲間が────大切な人達が愛した世界を、私も愛そう」
かつてブラウが手にしていた槍は、不完全故に火水風雷の四属性しか持ち合わせていなかった。
彼の親友、クライノートの墓碑に眠った槍の片割れ。それは土と光、そして闇。それから「貫く」力を有していた。
ここに、彼の手に。神造武装、八属神槍は復活した。
セーリュの体が崩れ落ちる。圧倒的な光、見たものの精神を照らし出すそれに、彼は敗した。道標、希望、見たものによって光が照らし出すものは変わる。それがセーリュにとって何だったのかは──知る由もない。
ブラウは槍を仕舞い、崩れ落ちたセーリュの横を通過する。
目指すのは奥。ロゼがいるであろう、最奥へ。




