108 : 女の戦場
──Side Rohto──
月夜に響く殴打音、石畳を削る音、激しい骨肉のぶつかり合い。銀の月から光を浴びて、舞う姿はまるで夜の華。しかしどうか、彼女達が繰り広げる戦いは華とは無縁。飛び散るのは花弁ではなく、聞くのもはばかられるような罵声。
「脚使うとか! お行儀悪すぎやしないわけ!?」
「アンタこそ! 獲物なんか卑怯じゃあなくって!?」
深紅の翼を持つ女──スザクは高歯の下駄を踊らせ、すらりと伸びた脚から熾烈な蹴りを放つ。対するロート、銃身で受け止めながら押し返す。
「銃砲はアタシの相棒よ! 手脚、もしくは体の一部みたいなもんだわ!」
「はっはァ? ウケる!」
スザクは踊るように脚を振るった。
「結局! 武器に頼んなきゃどうしようもないじゃあないの!! デカい口叩いてんじゃないわ!」
背の翼、炎のように赤いそれから無数の羽が放たれる。鋭い矢のようなそれをまともに受けるのは悪手、ロートは銃砲を盾にして身を隠した。魔物の装甲や骨で作られた銃砲は、羽根程度に貫かれるほど柔くはないということを、彼女は理解している。
──それが、ただの羽根であれば、防げただろう。
「縫い止めなさい、火糸」
銃砲の隙間という隙間、接続部に突き刺さった羽根から魔力の糸が伸びる。それは銃砲を貫通し、地面へと繋がった。
「はぁ!?」
「アンタの手脚、だっけ? ──地面に縛られて、動けるかしらぁ?」
驚愕に目を見開いたロート、その一瞬の隙、スザクは一気に距離を詰め、膝蹴りを放った。頬に入り、ロートの体は背後へ飛ぶ。叩きつけられ、口から乾いた吐息を溢した。
「こんの……アタシの御尊顔に何してくれてんの! よ!!」
頭の上へ落ちてきた粉塵を振るい、ロートは立ち上がる。唇の端へ滲んだ血を指で拭った。スザクは笑う。
「お化粧してあげてるだけだけどぉ? よく似合うじゃん!」
「あったまきた、ブッ飛ばす」
ロートは手を打ち合わせ骨を鳴らした。指をぼきぼきと鳴らし、脚を開く。素手、殴りの構え。
「この私相手に殴り合おうって? へぇ、強気」
月が雲に隠れ、あたりは薄暗く染まった。ふっと短く息を吐く。スザクは高歯下駄で地面をえぐった。瞬きの間に距離を詰める跳躍。背中の翼を用いた、正しく飛ぶような速度。空中で身をよじったスザクから放たれる、弾丸のように撃ち出される蹴り。ロートはそれを、脚で受けた。
脛を覆う甲冑、それを覆う魔力の装甲さえなければ、一撃で脚は吹き飛んでいただろう。地面についた軸足で回転、ロートから舞うように放たれる蹴り。スザクは上着の余った袖を揺らしながら優雅に交わした。ロートの眉がぴくりと顰められる。
「……あんた、ずっと気になってたけど」
「は?」
不機嫌そうに声を低めるスザク。続いての蹴り、それを腕で受け止めながらロートは続けた。
「両手、どしたわけ?」
「──────あぁ?」
スザクのこめかみに、びきりと筋が浮かんだ。ロートから突き出される拳を脛で受け止めながら後退。距離を保ち、ねめつけるようにロートを見やる。
「あ、触れたらまずかった? まあ、アタシは気にしないけどさ」
「最悪の気分、無理、ブチ殺す」
スザクは肩を持ち上げ、揺れる袖で額を拭った。持ち上がった袖、その長さは明らかにおかしい。腕の長さが、明らかに足りない。まるで、肘から下が存在しないように。
「よくもまあズケズケ、人の触れられたくないところに触れんじゃん。キモ」
「初対面で人をブス呼ばわりした鳥女にゃあ言われたくないわよ」
口の中に溜まった血を吐き捨てながらロートは言う。スザクは苛立ちを隠しもせず、石畳を蹴り続ける。
「……余裕綽々、全部敵じゃない、そんなツラ、張り倒したくなる」
ぼそり、と口にした言葉。攻めの構えを取ったロートが、その言葉に反応した。
「は? なんて?」
「アンタはさ、もしもこの世界が『作られた存在』だったらって、考えたことはある?」
突拍子もない問い掛け、呆れたように口を開き、回答した。
「考えたこともない。だから、知らない」
「その回答も、アンタがそうすることも、ぜぇんぶ決められてて、操られてんの。それで、飽きたらぽいってオモチャ箱に仕舞われる……ホコリ被って、捨てられるまで仕舞われたまんま。それをアンタはどう思う?」
「知るか! アタシはアタシよ!!」
間髪入れずに答えたロートの金の瞳を、憎々しげにスザクは睨んだ。
「それがこの世界の真実なのよ! 馬鹿なアンタにゃあわかんないだろうけどね!」
妙な気迫にロートへ一瞬の隙が生まれた。スザクの接近。強烈な踵落としをまともに肩へ食らった。
「作られて、操られて、私達はみぃんなお人形さん! 飽きたら捨てられて、なんの意味もない華もない見せ場もない人生を送る!!」
畳み掛けるような脇腹への蹴り。
「私に関してはそれ以下! 器の民の血から作られた人造兵器のなりそこない!! 生まれつき両腕がないのに加え、よりにもよって不完全な女の体を与えられた!!」
脚を引く。上着が揺れて、袖をたなびかせる。肘から下が消失していることを示唆する袖。
「男連中には何をしても勝てない! どんなに努力しても認められない! どんなにどんなに特訓しても、私の『見せ場』は訪れない!!」
ロートはよろめきながら後退するが、スザクの蹴りはやまなかった。叫ぶように、訴えるように言葉と同時に蹴りを放つ。
「私は!! アンタみたいな、『世界は自分を中心に回ってる』と思ってるような奴が、大嫌いなのよ!! 同じ女の癖に、弱い女に生まれたくせに!!」
最後と言わんばかりに蹴りつけると、ロートの体は空を舞った。地面に倒れ動かない彼女を前に、スザクは肩で息をする。
「私の、私達の生きる意味は、世界が壊れる瞬間、その時までお姫様を守ること」
からんころんと、高場下駄を鳴らしながらスザクは歩み寄る。
「世界の終わりを見届ける瞬間、私は名もなきお人形さんから抜け出せる」
崩れた天井の隙間から覗く空。雲が途切れ、覆い隠されていた月が微かに姿を現し始めた。明かりに照らされるスザクとは対象的に、満身創痍のロートは影の中。ロートは地面に腰を下ろしながらも確かにそれを掴む。
「お人形さん遊びにふけるクソ野郎に一泡吹かせ────」
「ごちゃごちゃうっせえのよ」
低く呟いた声。がちゃり、と音。ロートがうずくまる暗がりに、月の光が差し込んだ。
「乱華装填」
暗闇から覗く、真っ黒な銃口。闇より深く、暗いそれ。スザクへまっすぐ向けられたもの、しなやかに伸びる散弾銃。
「大千本槍」
引き金にかけられた指、それが動く一瞬が、スザクの目にははっきり映し出された。疑問符を口にするより早く、スザクの体は傾く。銃声さえどこか遠くから響き、彼女は大きく目を見開く。
「世界が作られた? なめんじゃないわよ。アタシは教会育ちよ? 創造主様の伝承くらいソラで言えるわ」
銃砲に背を預け膝をついた体制で、細長い散弾銃を抱えたロートは皮肉に笑う。
「お人形さん? 飽きたら捨てられる? ──なんで従わなくちゃいけないわけ?」
彼女の背もたれとなっている銃砲。側面が引き出されるようにして開いている。ロートは立ち上がり、散弾銃をそこへ仕舞った。
「例えこの世界がえらーいカミサマのお人形遊びだったとしても、おとなしいお人形さんでいるのはまっぴら! 好き勝手暴れて、迷惑かけて、駄々こねて、むしろ向こうから捨てたくなるようにしてやるわ!」
けらけらと、八重歯を見せてロートは笑う。
「アタシはつまんない人生はイヤ。どうせ生きるなら主役でいたいの。そのためならなんだってやるし、カミサマだって敵に回してやる。おとなしーく従うなんて、やってやるわけがない」
散弾銃を仕舞ったスペースに、ロートはまたしても手を突っ込む。
「あんたは女を弱いと言ったけど、それは違うわ。実際アタシはこんなに強い。それに、アタシは今のアタシが大好き」
スザクはそれらの言葉を聞きながら、激しく動揺していた。撃たれたはずだ。胸に感じた衝撃は本物だった。それなのに、血は出ていない。ただ呼吸が詰まるような衝撃が走り続けている。
「女として、母さんの娘として生まれて、全力で強くカワイく生きてるアタシ、最高じゃない? 男として生まれてたらきっと考えは違ってただろうけど、今のアタシは少なくとも今が最高」
必死に地面へ爪を立て、ままならぬ呼吸を堪え、膝と肘を使ってスザクは身を起こす。立ち上がり、走ってロートを蹴り殺す。そのイメージだけは明確に彼女の脳裏に浮かんだ。
「だから、銀月教なんかに世界は終わらせない。今の最高な冒険を終わらせはしない」
駆け出したスザクの眼前に、ロートは銃砲から抜いた手を向けた。
「乱華装填」
その手に握られる拳銃。艶めかしく光る黒の銃身、そこに走る赤の筋。引き金に指をかけながら、ロートは金の目でスザクを捉えた。
「香散見草」
撃ち出されたのは風の弾丸。不可視のそれは、スザクの内部だけを揺さぶる。外傷は無く、内部への損傷もなく、ただその感覚が彼女を襲った。
────彼女の銃砲へ仕舞われた、一丁の拳銃と散弾銃。それらは、第二層に住まう神霊セト。その肉体から生み出された、神造武装であった。
一年の修行期間、ロート達は自らの手でセトの一時撃破を叶えたのだ。それによって生み出された武器、ロートにとって、第二の手脚。
スザクが昏倒したことにより、銃砲を縛っていた魔力の糸は解けて消える。ロートは痛む体を押さえつつ、銃砲を背負った。
「ロゼは絶対、連れて帰るから」
月明かりの下、まっすぐに彼女は歩き始める。




