106 : 偽善者
──銀月教総本山襲撃より、小一時間前──
迷宮内へと舞い降りた面々。現れたのは神殿より少々離れた森の中、一同は顔を見合わせる。
「じゃあ、行くぞ──」
「待て」
ヴァイスの言葉を制して、オランジェが発言した。彼は周りの視線を浴びながらもぐっと唇を噛み締め、力強く言い放つ。
「俺達──いや、俺は、施設へ向かう。施設を、壊す。だから、神殿へは行けない」
その宣言に、ヴァイスは眉をぴくりと動かした。
「それは、なんでだ?」
「────俺は、子供達を助けたい」
真っ直ぐに、凛とした、意志の強い瞳。そのオランジェの肩を、リラが掴む。
「やめるんだ、オランジェ君」
「偽善でもいい。偽善者で、いいんだ。……それでも俺は、目の前であんな目にあってる子供達を見捨てることは、できない」
肩を掴むリラの手に、オランジェは手を重ねた。手袋越しに伝わる体温、強く握り締める。
「たとえそれが望まれなくても、ここで黙って見過ごすことなんかできねぇ! あんなもんが存在するだけで、吐き気がする!! 銀月教をぶっ壊せたとして、あの施設がある限り、子供達は酷い目にあい続ける」
「……そのせいで、十二貴族達から狙われても?」
「十二貴族に恨み買おうが知ったことか!! もう既に嫌われてる身だ、今更どうなろうと怖いものなんかねぇよ」
そんなオランジェの横に、グリューンは並んだ。上目遣いにちらりと一瞥し、溜息。
「諦めなよ、リラ。うちの馬鹿は止めて聞くわけないんだからさ」
「うるせえグリューン」
頭を抱えるリラの肩を、ゲイブは苦笑いで叩いた。手の隙間、そこから漏れる微かな声。
「──きっとその判断は、君自身を一番傷つけるんだよ」
その言葉は、誰にも届かない。
オランジェは、鷹の目の四人は、ヴァイス達「燕の旅団」を見つめた。
「と、言うわけだ。施設の方は、俺達が跡形もなくぶっ潰してやる」
「知らねー、勝手にしろ」
吐き捨てるヴァイス。一瞬の間の後、ふたりは同時に鼻を鳴らし、背を向けた。
「行くぞ! 銀月教をぶっ壊しに!!」
「行くぞ!! 子供達を助けに!!」
そして、薄暗い森の中へ溶けていく。皆を見下ろすのは、偽物の銀の月。
駆ける鷹の目、オランジェは月を見上げる。
「……大丈夫っすよオランジェ君。お姫さんはきっと取り戻せるっす! ヴァイスさん達なら十分っすよ」
「……わかってる。それにきっと」
にっと、口元を動かした。
「ロゼちゃんを誰よりも助けたいと願っている、王子様も駆けつけるさ」
──現在──
「儀式の間を、教えろ!!」
神殿へ正面突破したヴァイス、ロート、ブラウにジルヴァ。逃げ惑う人々には何もせず、ただ問いだけを投げかけた。しかし皆も答えない。舌打ちをひとつ、踵を返して走り出した。
「とりあえず奥に向かえばなんとかなるだろ! ジルヴァ、覚えてるか!?」
「大穴は奥だ! でも……中の様子が二十年前とは全然違う! どうなってるかはわからない!!」
「そうか! 仕方ねぇ!!」
粉塵や砂埃が払われている道を選ぶ。走る最中、広間に出た。そこでヴァイス達は立ち止まる。
「……まずいな」
眼前に広がるのは、別れ道。回廊は四方に別れ、薄暗い闇を覗かせていた。
「どれが正解だ……?」
「わかんないけど、都合よく四人じゃない」
ロートは石畳をヒールで叩いた。にやりと笑い、銃砲を背負い直す。
「正解の道を引いた奴が先に行く! 間違いのルートだった奴は引き返して他に行く! 簡単なもんじゃない?」
八重歯を見せて笑う姿に、皆も笑った。
「じゃっ、アタシはここ──!」
「あっ、ずりぃ! じゃあ俺こっち!」
「じゃーボクこっち!」
「……皆さん真剣にやってくださいよ」
各々の方へ駆け出す一同。皆一様に、互いへの心配なぞありはしない。あるのは信頼、ただそれだけ。
ヴァイスはゴーグルを下ろし、装着。暗闇の道を迷いなく進みながら、にやりと笑った。
───────
「このへん! だったよな!!」
「そうだけど、通気口の入口はまだ先──って、何を!?」
場面変わって鷹の目一行。オランジェは地面を踏みしめ、剣を抜く。グリューンも頷き、矢を構えた。ゲイブは鞄をリラに預け、脚を振り上げる。リラが慌てた様子で制したが、無視。
「オーバースライト!!」
「ペネトレーション」
「一点牙釘!」
地面へ向けられる、重量ある刃、破壊の力をまとった矢、魔力の装甲を纏った蹴り。足元へ生まれるクレーター、力に耐えきれず、抉れ、土を巻き上げ、沈下する。
「どーせぶっ壊すんだ! 隠密なんぞしてやるか!!」
「もう……ゲイブもノリノリでするんじゃない」
「いいじゃねえっすか、リラ。どうせ兄貴達もやりたい放題やってるんすから」
地下施設を構築するレンガや石も壊し尽くし、開いた大穴に各々飛び込む。目測通り、真下は階段の踊り場だ。施設内は二階にわかれており、入り組んでいる。現在地は二階の中央、オランジェは仲間達へ声をかける。
「子供達は一階と二階ブチ抜きの部屋で、東の端だ。そっちに聞こえるような騒ぎはまずい!」
「見張りの詰め所は二階の西、そっちは俺とゲイブに任せて欲しい」
リラはゲイブに鞄を返し、手袋をはめ直す。
「オランジェ君とグリューンには、一階に他の見張りがいないかの確認と、子供達を見るのを任せるよ」
「了解!!」
駆け出したリラとゲイブ、残されたオランジェ達は互いに顔を見合わせる。階段、真下に広がる闇。
「あーなんやなんやお祭りですぅ〜?」
「世界最後の日に、盛大な花火ブチ上げよかって? 粋なことしなはるわ〜」
よく似た調子をした人懐っこい喋り方。一階から階段を上る影。よく似た顔立ちをした、双子の男女。
「そっちのフードちゃんには前おおたけど、お久しぶりやね、鷹の目の兄さん。……あ、今は燕の旅団なんやてか」
「どーも、御役所役員のルナとステラですぅ」
オランジェとグリューンは臨戦態勢に移る。
「……御役所の人間が、なんでここに」
「あらあらあらあら、そななこと聞きます? まあ教えてもかまへんか」
「はじめからうちらは、御役所やのうて──」
「銀月教側の人間やったってことよ!」
双子の男、ルナは背負った大鎌を抜いた。
双子の女、ステラは鉄扇を構え悪どく笑う。
「兄はんらの企みはわからへんけど、ここの見張りがうちらの仕事や! 仕事はちゃんとするのがうちらのモットーでなぁ!」
「あんたらがここを壊した先で待ち構えるんわ十二貴族やぞ? 死に損ない処分すれすれのガキ共助けて、世界の王から狙われるんか!? 笑わすなや!」
オランジェは長剣を抜き双子へと向ける。
「狙われようが、殺されようが、知ったことか」
彼の額、ハルピュイアに刻まれた傷を隠す額当てが、偽物の月光に照らされ光る。
「俺だって、十二貴族だ!」
双子の姉──ステラは、耐えきれないというように笑った。手を叩き、腹を抱えて笑う姿に、グリューンは矢を構え弦を引き絞る。
「──最ッ高! 最高やわ兄はん! ルナ、あの兄はんはうちがやる。フードちゃんを任せたで」
「ああ悪癖が出とりますがな。……まあええわ」
ふたつの笑顔、そして、張り詰めた新緑と夕焼けの瞳と、楽しげに歪められた黒曜石の瞳が交差する。
「はじめよか! 向こうももう、始まっとら!!」
──Side Rohto──
高い天井が崩落している。ヒールが石畳を蹴る音が響き、止んだ。
「あーあ、よりにもよって女じゃん! あの時のかわいー男の子とか、イケメン君が良かったのに」
上方より響く声に、ロートは眉を顰めて顔を上げた。柱に乗り、長い脚を見せつけ組み交わした女。肩に届かない黒髪、丈の大きい上着は、袖が余って持て余している、
「……見下さないでくれる? ムカつくから」
「しかもとんだ醜女じゃん! 萎えるー」
ロートの頭から響く血管の切れる音。女はひらりと飛び降りた。捲れ上がった上着から、真っ赤な鳥の翼が覗く。ロートが背負った銃砲を下ろし、構え直した。翼のある女は心底嫌そうな顔をして吐き捨てる。
「気分悪ぅ、あったまきたから、泣くまで蹴り飛ばしてあげる」
「全身蜂の巣になりたくなきゃあ、とっとと退きなさいよ性格ブス」
突き立てる中指。翼を持つ女のこめかみからも音がした。ふたりの女は互いに一歩踏み出す。高歯の下駄、高いヒールがそれぞれの石畳を砕く。
「私の名は『スザク』。今すぐ土下座して泣いて謝ったら頬骨骨折ですませてあげる」
「アタシの名は『ロート』。あんたの方こそ、裸になって土下座するんじゃない?」
女達は、睨み合う。
──Side Blau──
「……そこを通していただけますか」
「……それはできない。こちらこそ、君達には帰ってもらいたいんだが」
「……不可能です」
「……お互いに、だな」
目元を布で隠した男が、回廊の中央に鎮座している。頭から伸びる、奇妙な形をした突起。ジルヴァの角とはまた異なる、枝のようなそれに視線をやった。ブラウは、男を前にし尚も怯まず歩く。眼前、迫るふたり。動いたのは同時だった。
「──かなりの手練と予想しよう。私の名は『セーリュ』、貴方は」
「私の名は、『ブラウ』」
座す男が抜いた獲物を、ブラウは槍を用い片手で受け止めた。互いの獲物が軋む音をバックサウンドに、ふたりの男は名を告げる。
──Side Jiruba──
「へぇー、外には、そんな人もいるんだね」
「ほっほっほ、お嬢さん。そうじゃ、世界は広い」
刀を抱えたジルヴァが、眼前の影をきょろきょろと見分する。影──壺のようなものに下半身を埋めた小柄な姿。顔は布を垂らして隠している。口調は年寄りだが、声はまだ若い。
「そこを通して、おじいちゃん」
「元気じゃなあ、しかし、お爺と決めつけるには早いのでは?」
「でもおじいちゃんからは、お年寄りの匂いがする」
壺の影は笑った。
「気に入ったぞお嬢さん。じゃが儂のことは、『ゲンブ』と呼ぶといい」
「わかった! ゲンブおじいちゃん!!」
うごめく影、ジルヴァは笑いながら刀を抜いた。
──Side Weis──
「お前、あのときの小僧だよなぁ」
上方から見下ろす視線に、ヴァイスは顔を上げる。そこにいたのは、白髪を短く切った年若い男。顔に意味があるのか定かではない化粧を施し、ヴァイスを品定めするように見ていた。
「ロゼを攫いに来たときにいた奴か」
「はははっ、口元見えねえからちょっと降りるわ!」
随分と高い場所だったのにも関わらず、男は猫のような俊敏さで着地した。その時気づく、男の頭から伸びる獣の耳。ロートのものとも、グリューンのものとも異なる形をしている。腰辺りから伸びる尾、長いが太く、縞模様をしていた。
「なんだあ、女のコかと思ってたけど、男じゃねえか。つまんねえの」
ヴァイスのこめかみから響く音。即座に二本の短剣を抜き、男へと振るった。男は手につけていた爪でそれを抑える。
「ははっ! 逆鱗かぁ!?」
「ブッとばす!!」
戦いの火蓋は切って落とされた。
──Side ???──
砲弾によって吹き飛ばされた正面入口。中から逃げ出す人々の波に逆らい、黒衣の影は神殿を見る。すでに騒動は始まっていた。少年は手の中のものを地面へ投げ捨てる。簡易な、作り物の帰還の楔。
杖を握り締め、段を登る。その時、逃げる人々の悲鳴とは異なる音が、彼の耳へ届いた。走る下駄の音、ふたり分。それは明らかに彼の元へ向かっていた。
神殿の脇、崩れかけた柱をよじ登り現れたのはよく似た顔立ちをした双子の童女。着物の裾を持ち上げ、息を切らしながら彼を見る。
「シュヴァルツ様」
「勇者様」
少年──黒髪に、血潮のような赤い瞳を持った彼は、双子の方へ視線を向けた。
「お待ちして、おりました」
「おりました」
双子の童女は深々と、頭を垂れて手招きした。




