104 : 聖典
──ロゼ、シュヴァルツ離脱から一ヶ月。
それぞれ分かれて情報収集に励んでいた「燕の旅団」一行は、二股の黒猫亭へ帰還していた。各々いい空気、とは言い難い様子である。
「……まず、報告と行くか」
口を開いたのはヴァイス少年。彼は隣に座るジルヴァと共に、迷宮探索を続けていた。
「俺達は探索してて、大神殿を見つけた。ジルヴァによればその内部には六層へ繋がる大穴があるらしい」
「二十年前、ゼーゲンによって倒されるまでは、そこに神霊がいたんだ。……でも」
「ああ、あったんだ」
紙に取った写しを見せる。それを見せれば、一同の表情は強張った。二人は席に付き直す。
「じゃあ、次は私から」
挙手したのはブラウ。隣に座るクヴェルが足をぶらぶらさせながら見守っている。
「旦那様……坊ちゃんのお父上に直接確認を取りました。羊領は迷宮内での実験などには関与していない、それは確かです」
「マジで直に聞いたのかよ……」
ヴァイスが少々引いていた。ブラウはそれに頷き、流す。
「旦那様の情報によれば、おそらく乙女、山羊、蠍領付近であるそうです。あの近辺の方々は、以前より研究に凝っていたそうですから」
「その、研究内容は?」
ブラウは口ごもり、躊躇したが、口を開いた。
「不老不死、なるものです」
一同が唖然とする。そんな、突拍子もない言葉。子供でもわかる、不実現なこと。
「かねてより一部の十二貴族がそれを目指していたことは知っておりましたが……人体の魔物化まで行っていたとは、驚きでした」
「待て待て待て、知ってたって……んなの、なんでだよ!」
そこで隣に座るクヴェルを指す。
「十二貴族は研究を進めながらも並行し、秘密裏に組織を作って竜の眼を探させていました。数年前、クヴェルが襲われたのも、彼らの手によるものです。その時に手下の男をボコボコにして、聞き出していましたから」
「おま……それで、よく、親父に仕えたな……」
ヴァイスの言葉に、ブラウは首を傾げる。
「言っておりませんでしたか? 私はもとより、十二貴族は好きではありません」
「おい待てお前それでも星見の騎士かよ」
衝撃的な告白に、ヴァイスは頭を押さえた。ゲイブやリラも思わず苦笑いを浮かべる。
「お前怖えよ親父の首狙ってんのか?」
「旦那様……いや、羊領は別です。羊領だけは何をしてでも仕えると決めてますので」
「まあ今更寝首かかれても噛みつき返すけどな。俺が」
まあとにかく、と話を転換。
「此度発見した施設は以前より十二貴族が主体として行っていた、不老不死の研究施設である。そして、羊領は無関係である……更に加えて、もうひとつ」
ブラウは指を一本、突き立ててみせた。
「近年乙女領の関係者が、怪しげな宗教団体と密会していたとの、報告が」
皆察することは同じ──誰も、口は開かなかった。
「じゃあ、次はアタシよ」
立ち上がったロートは、一本の筒を取り出し、机の上に投げ捨てた。木目が艷やかな表面に、緻密な金の文様が施されている。
「アタシはある馬鹿と接触して、この国に関する情報を集めてた。聞けばこの国の王サマは、裏組織を通して女子供を十二貴族の元へ送っているらしいわ。……何をされているかは、さっきの騎士サマの答えがあるから、言わなくていいわよね」
押し黙る空気、ロートは腕を組み、目を伏せた。それで、この筒は? とヴァイスが問うた。彼女はああ、となんでもないふうに顎で示す。
「この国の、独立権。十二貴族の血印サイン入りの、ホンモノよ」
「ちょぉッ!?」
思わず立ち上がったのはヴァイス、ゲイブ、リラ。筒を掴み、明かりに透かす。その他の面々も興味深そうに筒を覗いた。
「馬鹿がね、丁寧に隠し場所を教えてくれたのよ。間取りを知ってるアタシに、見えるように図まで描いてくれてさ」
「とんでもねえもん持ってきてんじゃねえか……!」
筒を開け、中身を確認したヴァイスが額から汗を滲ませ呟く。この書簡は王宮にとってはもちろん、十二貴族にとっても重要なもの……。これが手の内にさえあれば、王宮や十二貴族とも対等に渡り合える、ロートよりその旨を聞き、ヴァイスはつばを飲み込んだ。
「それだけのものを見せられたら、見劣りしてしまうんだけど……。次は、俺達から」
続いて手を挙げたのはリラ。隣で渋い表情を浮かべていたオランジェも立ち上がる。
「俺達は迷宮五層、地下施設の探索と調査を進めていました。それで、施設内の簡単な内図と見張りの配置、見回りの時間帯を把握することができた」
紙の束、大まかな地図や表が描かれている。
「施設内は全て見回ったわけではないけど、それでもかなり広いことは推測される。見張りは二人から八人、ここ最近になって増えている印象だったね。十時、十三時、十八時と二十二時、その時間に二人一組でチャイルドルーム……子供達のいる部屋を見ていた」
しげしげとそれを眺め、ロートは顎に手を当て思案する。
「割とガバガバね」
「そうみたいです。俺とオランジェ君が部屋の中で待機していても見つかった様子がないので、監視等はないかと」
ああだこうだと話をする中、オランジェがぽつりと言葉を漏らした。
「あそこにいる子供達は、みんな自分が実験材料として扱われていることを知らない。あの子達は、みんないつか病気が治って帰れると思っている」
その新緑を映したような瞳は動揺に揺れていた。
「それと……ここしばらく、部屋の子供達が減っている」
親指の爪をがりと噛む。すでに噛み過ぎてがたがたになっていた。
「……病気を治してくれる『おひめさま』が、帰ってきたと言っていた。みんなは『おひめさま』の元へ行って、病気を治してもらって、家に帰っていると」
答えは、ひとつ。
「ロゼちゃんが銀月教の連中の元へ帰った頃と、同時期だ」
彼は額の傷跡を指で引っ掻く。歯痒げに唇を噛み締め、俯いた。遠慮がちながら、続いて立ち上がったのはゲイブとグリューン。
「まず俺達は役所へ行って、現段階で五層にいる冒険者を調べたっす」
「でも、僕ら以外にはいないって。……死亡報告が出てる、迷宮突入から五年以上経過した帰還してない冒険者を除けばね。まあ、その可能性は低いだろうけど」
「つまり、あそこにいるのは完全に、冒険者外ってことっす」
ヴァイスが下唇を噛み締める。その反応を気の毒そうに横目で見ながらも、ゲイブは話を続けた。
「それから……地下空間になにか痕跡がないかと探しまくってたんすけど」
「地下空間の地図が完成したよ。大まかなものだけどね。それと、見つけたものがふたつ」
そう言ってグリューンが取り出したもの、一枚は大雑把な地図、それと──
「内容に目を通したけど、間違いなく、銀月教の聖典だ」
片手で持てるほどの大きさをした本、ヴァイス達は直様飛びつくようにしてそれを開く。
「……さっぱりわからんな」
「……同意だわ」
何やら小難しい文言が並び、ヴァイス、ロート、ジルヴァの三人は疑問符を浮かべていた。その中で、ブラウが目を見開く。中の一節、描かれた文言に目をつけた。
「この言葉……聞き覚えがありませんか?」
それは、詩のような、経文のような言葉の羅列だった。
救われよ 救われよ
我らが人よ 救われよ
求み願うは果ての楽園
やがて通ずる救いの願い
救われよ 救われよ
やがて命は腹の中
報われよ 報われよ
我らが祈りよ 報われよ
全てここより生まれ落ち
ここに朽ちいる定めなり
報われよ 報われよ
我らの願いは闇の中
許されよ 許されよ
我らが罪よ 許されよ
救い導く銀の月
十七の夜に獣は満ちる
許されよ 許されよ
勇者が目指すは果ての空
「これ……ロゼが唱えていたものだ!!」
「まって、続きがあるわ!」
一年以上前、燕の旅団結成直後に迷宮に潜った際、ロゼはその言葉を口にしていた。ロートが続く言葉を指差す。
満たされよ 満たされよ
我らの神よ 満たされよ
器喰らいて現れし
獣世界を喰らう者
満たされよ 満たされよ
滅びの救いよ訪れよ
「こ、れ……」
「何言ってんのかはさっぱりだけど、よくないってのは確かみたいね」
全員の元へ駆け巡る緊張、その中でヴァイスはひとり──ある一節を、見つめていた。
「おい、ロゼは今、何歳だ」
唐突な問いに困惑しながらも、ジルヴァは答えた。
「確か……今年で十八になるっていってたから、十七歳だとは思う……」
ヴァイスは聖典を捲る。常に本など読みもしないのに、必死でページを捲り、文字を目で追った。本を投げ出し、窓に飛びつく。硝子の向こうに見える空、夕日はすでに西へ傾いていた。東の空、微かに姿を現し始めたもの、常より大きく、美しい月。
「ヴァイス?」
「今夜だ」
一言、口にした。
「急げ、迷宮へ行く支度をすませろ。五分で向かう!!」
「ちょっとヴァイス! どうしたってのよ!!」
指示に従い装備を固めながらも、ロートは様子のおかしいヴァイスへ問うた。二本のナイフと一本の短刀を腰のベルトに仕舞いながら、ヴァイスは応じる。
「銀月教の教祖として育てられたロゼは今、十七歳。そして今夜は数年に一度の十七夜。俺は聖典も説法も気にしいやしねえが……何か起こるとしたら! 十七の夜……それはおそらく、今夜だ!」
少しずつ、日は沈む。




