103 : 紐解く真理
「……この国の成り立ちは把握しているか?」
「まあね。……伝説と呼ばれたギルド『ゼーゲン』の一員が仲間を売り、それと引き換えに実権を握った、違う?」
鉄格子越しに視線を交わすふたり。枷のついた腕を振り、男は女の答えを否定した。女はその態度に、つんと立てた猫の耳を動かし苛立ちをあらわにする。
「半分あたりで、半分はずれだ。二十年前まではここは国ではなく冒険者達、もしくは彼らを相手取る商人達が集まるほぼ無法地帯だった。……あくまで各領の一部を間借りし、はぐれもの達が集まる法外都市。それが、かつてのゾディアック」
男は石の床を指先で叩く。その音は反響せず吸い込まれて消えた。
「ゼーゲンの一員が仲間と引き換えに、その無法地帯をまとめる権利を得た……それだけなら、この国はここまで大きくなっていない。──その男、現国王はあらゆる手段で十二貴族を脅し懐柔し、各領の土地、それから彼らと対等に話す権利を毟り取ったのだ」
「それがあんたの言う王国の裏の顔、ってなら今すぐあんたをぶん殴る」
「……堪え性のない女だな相変わらず」
ため息、やれやれと肩をすくめる動作はやけにきざったらしい。
「さて、私達烈火団が何故この国で手放しにされていたか、覚えているか?」
「は……? 王宮に女性達を売りつけてたからでしょ?」
甘い甘いとでも言うように指を振る動作、女のこめかみ付近からなにかの切れる音がした。拳を固め、甲冑に覆われた脚を振り上げる。
「待て待て、今度は脚で私の頬を張り飛ばすつもりか?」
「二度と口聞けなくしてやろうか」
「そうすれば私から情報も聞き出せなくなるが?」
盛大な舌打ち。女は不機嫌を隠しもせず、足先で地面を叩いた。
「王宮に女を売り飛ばす、確かにそうだ。しかしその女達はなんのために送られたと思う?」
「王サマやら兵士の相手をさせてたんじゃないの」
「それもあるが極少数。その実態は──十二貴族、また彼らに関係する施設への、被検体としての提供だ」
女の目が大きく見開かれ、口元はぽかんと緩んだ。
「口減らしやら借金やらで売り飛ばされる女子供、たまに男も。そういう奴らは私達がまとめて王宮に流し、そこから各地へ飛ばされる。そこでなんの研究をしていたのやら……」
「待ちなさいよ、それって、いつからなわけ?」
「二十年前、建国の時からに決まってるだろう」
女は口元に手を当て、思考を回す。二十年より以前から行われていた非道な実験。女子供を犠牲にし、各地で行われる研究とは?
「……その研究内容は?」
「さあ。……しかし、おおっぴらにできるようなことじゃないっていうのは、確かだな」
そこで、行き詰まる思考。
「んで、そこまでのことを知ってるあんたはどうして殺されないのかしら? なんでブタ箱でのうのうと生きていられるの? とっとと殺されちまえばいいのに」
「やれやれ、辛辣極まりないな……。それはゾディアックより上──十二貴族が、私を生かすように命じているからだ」
「その理由を教えろって言ってんのよ」
男は地面を指先で叩き、四角い図を描く。かつかつと動かされる指を、女は視線の端で捉えた。
「かつては十二貴族が有していた土地、民衆──国の資産、そして迷宮の権利……それらをすべて、十二貴族達は手放すという、誓約書。平たく言えば、独立権。その証書を、私が持っているからだ」
「──!?」
たかが紙切れ一枚。しかしその一枚が失われ、十二貴族の手に渡れば? それが意味するもの──この迷宮都市ゾディアックの、崩壊。この国は分解され、再び十二貴族の手に渡る。各領の法や文化が混ざる、無法地帯へと逆戻り。
「二十年前、件の男と手を組んだ私の父は、十二貴族へのコネクションを作りながら独立権を得た。その証書は、間違いのない本物だ。各領主達の血印、サイン、それらがすべて揃った代物──王は、それを我々陰の者に託した。十二貴族達も堂々と私達の元に来るわけにはいけない。王宮に置くより安全だと、判断したのだろうな」
「でも、あんたの屋敷はすでに衛兵の手が入った。その時に見つかったんじゃないの!?」
「見つかるものか、その程度で見つかるような場所に宝は隠さん」
かつんかつんと、床を叩く。それからまた、指を滑らせた。
「未だ証書は見つかっていない。あの証書が十二貴族の手へ渡ることは、何があっても避けねばならない。そのおかげもあって我々は自由の身だったのだが……あの騒動の日、ついに無罪とはいかなくてな。君達のせいで」
「自業自得の間違いじゃ?」
「ああいえばこういう……。これ幸いとばかりに十二貴族の手下達が調査して回っただろうが、見つからなかったのだろう。今私が生きていることが証拠だ」
四角い図、真っ直ぐ伸びる線を描き、一点を叩く。他愛もない意味もない手遊び。
「もし君達がそれを見つけ出し取引に使えば、王宮や十二貴族とも対等に渡り合えるだろう。どちらに渡しても、私は死ぬから関係ないが」
「じゃあその場所は?」
「教えれるわけがないだろう。いつもどこかで十二貴族達の使いは聞き耳を立てている」
男はお手上げとばかりに両手を上げた。
「これで私の話は以上だ。早く帰ってもらえるかな?」
返答は沈黙。ロートは長いため息をつくと、あっさり踵を返した。緊張した面持ちで口を閉ざす囚人達の前を通り抜け、階段を登る。
薄暗い檻で座り込む男は、その背を眺めてくつくつと笑った。
「賭け事はあまり気乗りしないが、こればかりは期待してもいいだろう」
衛兵の詰め所を抜け、預けていた銃砲を回収し、外に出たロートは空を見上げる。眩しい光、青い空。窮屈から解放され、大きく伸びをする。それから棺桶のような形をした銃砲を担ぎ直すと迷いなく歩き始めた。
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「ぼくらは、病気になっちゃったらしいんだ」
微かな明かり、部屋の中にこだまするうめき声。それを受けながら、青年は寝台の横にしゃがみ込む。体の半分が水晶と化した少年の手を握り、話を聞いていた。
「病気?」
「うん。だから、この場所で病気をなおすんだよって。ぼくら、みんな元気だから……おかしいなって、思ってたんだけど。ここに来てから何ヶ月かしたら、みんな、へんになっていって」
青年は歯噛みしながら頷く。そんなの、誰にでもわかる嘘だ。
「かならず元気になるからねって、いってたんだ」
「……君達がここに来てから、どれくらい経った?」
少年は微かに口を開いたまま固まる。少しの間思案しわからない、と返事。それに対して青年は小さくそうかと返す、
「でもね、もうそろそろ、なおるらしいんだ」
「え?」
少しだけ活気を取り戻した声色、喜々とした様子が伝わる。
「ずっとね、いなくなってた『おひめさま』が帰ってきたらしいんだ。おひめさまがさわると、どんな病気もケガも、なおっちゃうんだって!」
「……」
「さいきん、毎日ひとりずつおひめさまのところへ行ってるそうだよ。病気をなおして、お家に帰ってるらしいの」
「そう、なんだ」
青年の胸の内に、じくじくと突き刺さる痛み。──以前目撃した、運ばれる子供達。そこでの、会話。
──この化物を処分してくれるんだから。
「……今日の質問は、ここまでにしよう。さあ、フリューリゲル。今日は俺達が出会った山羊の魔物の話をしようか!」
「やったあ! おにいちゃんの話、すごく、楽しいよ」
笑顔で話しかける青年の顔は──静かに、影を背負っていた。
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「ここは……」
「聖堂……っすか……?」
地下とは思えない広大な空間。多くの座席、中央の壇上。二人の影は内部を歩き、あちこちを探した。
「流石に何も残ってないっすね……」
「ゲイブ、ここ」
一年前に起こった銀月教の摘発、それによって大方の資料、痕跡は奪われてしまった。
小柄な影がしゃがみ込み、座席の下に腕をねじ込む。
「こんなところに一冊だけ、落としてたんだ」
「おお! これで銀月教について知れるっすね!」
表紙に積もった埃を払う。やけに綺麗な装丁の本。二人はそれを見、顔を見合わせて笑った。
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真夜中の回廊。大きな窓から差し込む月明かりの下に、黒い炎が奔る。迷いなく、まっすぐに。窓の前を抜け、奥へ、奥へ。大理石の床、見事な装飾が施された柱。──迷宮都市ゾディアック、その北東にある王宮。
黒き炎は壁を通り抜け、最短距離で目的地を目指した。三年に一度十二貴族達が集まる大広間を通過する。
大広間の隣、謁見の間。その玉座の周りで炎は漂う。それから、まっすぐに玉座の後ろ、壁へと飛び込んだ。
黒い炎の周りに、ふたつの青い炎が顕現する。魔力の実体化、青い光がその場を照らした。黒い炎がばちりと爆ぜる。揺らぎ、瞬き、人の形を取る。長い黒髪を結んだ少年。少年は血潮のような赤い瞳を辺りへ向け警戒した。人の目がないことを確認し、立ち上がる。
部屋の中は書斎のような場所だった。王宮内、隠された書庫。──ここには、この国やこの世界にとって、明かしてはならないことが隠されている。
少年は黒い上着を翻し、一心不乱に本を探す。背表紙を撫で、視線を走らせ、目的のものを見つけ出す。明かりを絞った青い炎を隣に浮かべ、彼はようやく見つけ出した。
ひび割れた背表紙、傷んだ紙、ぼろぼろな古い本。紙束を無理矢理まとめたような本と呼べない代物、それから、比較的綺麗そうなもの。背表紙に刻まれたタイトル、「銀の月、並びに滅びの狐に関する記録」。
本を開き、微かな明かりの下で彼は必死に内容へ目を通す。文字を追い、手がかりを探す。読み終われば本を戻し、紙をめくった。紙束のようなもの、それらは報告書をまとめたものだった。日付と内容。とある実験にまつわる日記。
表紙に長い尾を持つ銀の狐が描かれた本。それを読んでいる最中、沈黙を保っていた少年は、思わず声を漏らした。
「……え」
その時、だった。
「そこで何をしている」
少年の背後から響く冷たい声。突き付けられた銀の刃。真っ直ぐな刃を持つ刀が、少年のうなじへと突き立てられていた。長い髪を後頭部で束ね、猫の耳をつんと立てた男。豪奢なマントは今日は降ろされている。──この国の王、その人だ。
「ここは王宮──いや、この世界の秘録庫。十二貴族、ひいては私以外がこの中の情報を持ち出すことは、禁じられている。大人しく──」
「────ッ!!」
少年は勢いよく振り返ると、即座に青い炎を顕現させた。振り返った少年の顔を見た途端、王は大きく目を見開く。刀を向けた手に一瞬の隙、少年は眩い閃光の後、姿を消した。
誰もいなくなった空間で、王は呆然と立ち尽くす。
「……フル?」
誰の耳にも届かない言葉が、辺りへ響いて消えた。
路地裏、積み上げられた木箱が崩れ落ちる。黒髪の少年がぜえぜえと肩で息をしながら、木箱の山に乗っかっていた。
「……危なかった」
手を開いたり握ったり。それらを確かめ、山から下りる。埃を払い、立てかけた杖を回収する。炎の精を顕現させ、辺りへ侍らせた。
少年はちらりと王宮へ視線を寄越し、背を向け、歩き出す。
────────
「おーい、ヴァイスー!!」
「どしたー? ジルヴァ」
白髪の少年はぶんぶんと手を振る銀髪の少女へ駆け寄る。彼女は目をきらきらと輝かせていた。
「これはみんなに言ったほうがいいかも!」
「お、なんだなんだ」
二人並んで瓦礫の隙間へ身を滑り込ませる。本来は壁だった場所が崩れているらしい。かなり分厚い壁だったのだろう、二人はなんとか隙間を抜けた。抜ける瞬間、少年の背中にぞわりとしたものが駆け抜ける。その感覚に疑問を抱きながらも、彼は顔を上げた。
「おお……!」
広間のような場所、そこに荘厳な神殿があった。何故今まで気が付かなかったのかと言いたくなるような、高くそびえ立つそれ。古く、いくつものひび割れが入った柱だというのに、気高さは一切衰えていない。
「覚えてる、ここに、神霊がいたんだ! 五層自体の様子が変わってて、見つけるのに手間がかかっちゃったよ」
「二十年前はここに……ってことは、六層へ繋がる大穴があるってことか!」
「そうだよ!」
二人は笑いながら神殿を見物した。中には入らない。外から覗くだけだ。
「……ん?」
「どした、ジルヴァ」
「いや……これ」
指差す方、それを見た途端、少年の顔が凍りつく。
「こんな印、二十年前にはなかった」
丸い月を喰らう尾の長い狐──その焼き印が、柱の影に刻まれていた。