102 : お話の時間
石の檻に囲まれ、ふたりの影は睨み合う。赤毛の女と黒髪の男。周りの囚人達が、現れた女の姿にひゅうひゅうと声を上げた。かつて裏社会を牛耳た若頭。そして、その組織に縛られ続けた女。女とその仲間の手によってこの牢へ送られた男。
「相変わらずつれない女だな、君は」
「あんたに見せる愛想はない」
冷たく言い放つ彼女の後ろで、囚人達のはやし立ては更に拍車をかける。下品な言葉や罵声が飛び交う中、女は不機嫌そうに言い放った。
「何の用か、なんて聞かなくてもわかるでしょ?」
「……さあ、わからないな」
へらり、と言ってみせた男に向かい、女は格子を蹴り上げる。耳をつんざくように響き渡った音に、はやし立てていた囚人達は口を閉ざした。
「しらばっくれてんじゃないわよ」
その強気な目。暗闇の中でぎらぎらと光る金の瞳を、男は見つめる。
「……しばらく見ない間に、強気になったものだな。ロート君」
「自分がブタ箱の中だってこと理解してる?」
女は檻を蹴り上げてから格子を握る。それから床に座り込む男を見下した。
「アタシらは今、少しでも情報が必要なの。そのためには使えるものは全部使う。……せっかくあんたが生きてるんだから、出せるだけ絞りとんなきゃいけないのよ」
「……あのとき殺されとけばよかったかもな」
「アタシだってあんたには死んでほしかったわよ。……でも、国はあんたを殺せないんでしょ?」
伸びた前髪の下から、三日月のように歪んだ口が覗く。男はくつくつと肩を震わせ、顔を上げた。
「君は変わったな、ロート君。それはその仲間のせいか?」
「いい女になったって言ってくれる? 仲間のおかげでアタシは変わったの」
その高圧的な言い方。八重歯を見せて笑って見せる彼女の姿に、男は更に笑みを浮かべた。ひとしきり笑い終えた後、鎖に繋がれた腕を前へ伸ばした。ぱちんと音を立てて指を鳴らす。
「いい答えだ、ロート君。……では、話せる限り教えてやろう」
牢屋の中、薄汚れた空間。男はその床に座り込みながらも長い足を伸ばし、優雅に佇まいを直した。かつての若頭、その名に恥じぬ振る舞いだ。
「迷宮都市ゾディアック──この王国、その成り立ち。それからこの王国が抱える闇の部分を、な」
────────
椅子に座り、無言で遠呼のベルを見つめる長身の男。聞きたいことがあると切り出して尚、男は言葉を躊躇していた。それを急かすような真似は、ベル越しの主君も言いやしない。覚悟を決め、男は口を開いた。
「旦那様、あのときの約束に、偽りはありませんね?」
ベルを通して聞こえる息遣い。息を飲む声、少しの間を開け、主君は彼に何があったかを問いかけた。
「……銀月教。その名に、聞き覚えは、ありますか」
「……知らない名だ。その教えに、何かあったのか」
男は目を閉じ、息を吐き、言葉を探す。
「十二貴族とその宗教が手を組み、迷宮五層にて児童を拉致監禁、それから何かしらの研究を行っていました」
「────!?」
明らかな動揺、男は必死に耳を澄まし、向こう側の様子と反応を探る。嘘偽り無いと確かめるよう、主君がそのようなことに関わっていないと信じ込むように。
「ブラウ。私はあの日から、君に嘘はつかない。……そして私は、そのことを知らなかった」
「ええ、信じております。旦那様」
「その件は、適時私に報告を頼む。私の方からも、探れるだけ探ろう。……おそらく、乙女、山羊、蠍付近の連中だと思われる」
その名が上がった瞬間、彼の眉は潜められた。机の表面へ爪を立てる。
「彼らは……まだ、懲りていないのですか」
「ああ……いい加減、諦めたと思っていたのだが」
がり、と爪がめり込み、表面に傷を作る。
「研究などでは、人の手では、叶うはずもない……不老不死などという、愚かな願いは」
「……ええ。クヴェルさえ、渡さなければ」
しばしの沈黙。
「旦那様、くれぐれもお気をつけください」
「心配しないでくれ、ブラウ。……こんなことしか、君に対する償いにはならないのだから」
その後、通話は切断された。無言になった室内で、彼は机を引っ掻き続ける。
────────
「いいかい、オランジェ君。五分だ」
眼鏡の男は指を突きつけ、言い放つ。
「五分を超える会話は即座に引き離す。そして、情報を聞き出す以上の会話も引き離す。いいね?」
「……わかったよ」
その返事を聞いた後、眼鏡の男は扉の前に立った。錠の部分へ手を添え、分解する。扉が開いた向こうには、先日見たばかりの光景が広がっていた。
うわ言、悲鳴、苦悶の声。異形と化した子供達が寝台に拘束されている。異臭、悪臭。顔をしかめながらも、ふたりは前へ進んだ。真っ当な状態の子供を探す。しかし、どこを見てもそんな子供はいなかった。
「誰か……誰か、話せる子はいないか? 誰か!」
声を張り上げ、返答を待つ。返ってくる声を探して青年は歩き回った。眼鏡の男はその様子を壁際に立って眺める。
「──だ、れ?」
弱々しく響いた声に、青年は駆け寄った。体の大部分を水晶で覆われた少年。
「は、話せるのか!?」
「うん……おにいちゃん、このまえの人……? ひとり……?」
「あ、ああ! ひとりじゃない、今日はふたりだ! もうひとりは……恥ずかしがり屋だから、離れたところにいるよ」
男達がこの施設へ初めてやってきたとき、かすかに声を出した少年だった。青年は彼の横たわる寝台の側に駆け寄り、しゃがみ込む。体から突きだす水晶、憎らしいほど透き通ったそれに視線をやりつつ、手探りに伸ばされた手を掴んだ。
「どうしてお兄ちゃんたちは、ここにいるの?」
「お、お兄ちゃん達はな、探検してるんだ! うっかりこの中に入っちゃって、それで」
「たんけん? なら、『センセエ』たちに言えば、あんないしてもらえるんじゃ……ないかなぁ。ぼくから、言おうか?」
「えっと! そ、それはやめて欲しいな……。お兄ちゃん達、こっそり入ってきちゃったから、怒られちゃうんだ。だから、このことは秘密にしてくれるかな? み、みんなにもそう言って……」
しどろもどろながら、どうにかこうにか取り繕う。みんな、そういった途端少年は首を横に振り始める。
「だいじょうぶ。もう、みんな、おはなしできないから……たぶん、聞こえてないよ」
響くうわ言。意味をなさない言葉の羅列。青年はあたりを見回した後、ぎゅっとその細い手を握りしめる。
「……そっか」
「うん。……ねえ、お兄ちゃん」
なんだ、と答えを返す。少年は手を握り返すが、その力はとても弱い。
「お兄ちゃん、ここのたんけん、おわった?」
「え、う、ううん。まだまだ、見てないところがあるよ」
「そっかぁ」
水晶になっていない口元。それが笑顔の形に開かれる。
「ぼくね、外のはなしを聞きたいな。お兄ちゃんたち、『ぼうけんしゃ』さん、なんでしょ?」
「えっ、あ……」
青年は眼鏡の男の方を見る。壁際で立つ彼は視線を受け、お好きにどうぞと肩をすくめた。青年は少年の手を握りながら、必死に明るい声を出す。
「うん、もちろんいいぞ! 代わりに、お兄ちゃん達も君に聞きたいことがあるんだっ!」
「へへ……じゃあ、こうかんね」
「ああ!」
差し出された小指に、小指を絡ませる。
「お兄ちゃん、おなまえは?」
「あ、俺の名前はオランジェだ。……君は?」
「フリューリゲル」
「格好いい名前だな」
「そうでしょう?」
────────
ぱちぱちと焚き木が爆ぜる。薪を突きながら、少年と少女はしゃがみ込んでいた。
「五層は夜でも明るいな」
「そうだろう? あの『ツキ』のおかげらしいよ」
指差す空。真っ暗な闇の真ん中に、白く光る明かりが見える。この迷宮五層に、本物の月などありはしない。日中の日の明かりと同じ、偽物だ。
「偽物にしてもでっけぇな。十七夜みてえだ」
「じゅーしちや? なにそれ?」
疑問を口にした銀髪の少女へ、白髪の少年はおっと声を上げる。
「そっか、ジルヴァはまだ見たことねえよな。えっと、外じゃあ秋頃に『十五夜』っていう、月が綺麗に見える夜があるんだ」
「へぇ〜修行ばっかせずに、見に行けばよかったな」
「それで、満たされまくったとかもう限界、とかって意味で、『十二分』ってのが使われるんだけどよ」
「なるほど、十分にかけてるんだね」
「そう。それで、春先──そろそろか、秋の十五夜を超えちまうほどデカくて綺麗な月が、何年かに一回見れるんだよ」
身振り手振りで、その月がいかに大きく立派かを示す。
「十分の上が十二分、だから十五夜の上を行く十七夜、ってわけだな」
「よっぽど綺麗なんだね! 今年あるの?」
「おう、ひと月後くらいだったかな……」
そっか、と少女は呟く。その十七夜によく似ているという偽物の月をじっと眺めた。
「見たいね、みんなと」
それに少年は──何も、答えなかった。
────────
ぬかるみを踏み、足を取られる。揺らいだ体を男が支えた。
「おっと、大丈夫っすか、グリューン?」
「ありがと、ゲイブ。大丈夫」
ランプの灯りを手に、二組の影は通路を進んだ。
ここは迷宮都市ゾディアックの地下。新興宗教組織、銀月教の総本山……だった場所。
「情報も全部持ってかれちゃったっすかねぇ……」
「前にここに入ったのも、一年前だしね」
壁伝いに通路を進みつつ、ふたりは紙に地図を記す。その時、小柄な影が立ち止まった。
「どうしたっす?」
「いや……ちょっと、思い出して。……来て」
そのまま先に進む。広場のような場所に出て、それから詰め所のようになった場所を覗く。
「ここが例の、クヴェルやお姫さんが捕まってたっていう部屋っすか?」
「正確には、ここの奥……隠し部屋、なんだけど……」
壁に設置された棚を弄ると、ごとんと音を立てて動いた。奥から通路が現れる。慎重に中へ入った。あまりにも広くはない。鉄格子、それから古びた椅子、壁にかけられたランプ。急に押し寄せた奇妙な臭いに、ふたりは思わず鼻を押さえた。
「なんすか……この臭い……」
「ゲイブ」
足元で、かしゃんと軽い音。ランプの火を近づけ、確認。
白く軽い、なにか。奥へ奥へと灯りをずらす。細長いもの、妙な形をしてるもの、それから丸っこいもの。細い糸のようなものが絡みついたそれを見つけたとき、ふたりの喉は微かな音を立てた。
「人の、骨……?」
「でも、変だ、ゲイブ」
震える指で、指し示す先。その骨は、明らかに足りない。頭骨、肩や腕の骨、大腿骨から足先までは揃っているのに──背骨の中枢、股関節が、見当たらない。
「地下の環境、まだ骨に肉片がついてることからも……死後一年少し。完全に風化して、なくなったなんてことはないっす。──その部分が、そっくりそのまますっぽ抜かれてなきゃ……」
ふたりの視線は、鉄格子へ向く。そこに空いた、奇妙な穴。丸い円の形に鉄格子はえぐりぬかれていた。焼いて溶かしたり、刃物で切断した跡は無い。
ただはじめからそういう形だったとでも言わんばかりに、綺麗な断面をしていた。




