101 : 変わる情景
賑やかな役所内。所狭しと行き交う人々。カウンターの前に立つふたりの人影。金髪頭と、フードを被った小柄な影。
「はぁ? 今迷宮五層に行っとるギルドぉ?」
「中々おりまへんがなそんなん。ええです? そもそも迷宮三層を突破できる冒険者自体が少ないんですわ。四層突破したのも、すごいことなんでっせ? 兄さんら」
ぺらぺらと捲し立てる双子に困り顔を浮かべながら、ふたりは更に質問をする。
「中々いないとはいったっすけど、今わかる範囲でどれくらいいるかはわかるっすか?」
その問いに双子は顔を見合わせ、しばしの思案。
「二層突破はスピードや。刺激せずうまく躱して、砂嵐に身を隠しながら飛び込みゃあいい。まあ最近は、どっかの誰かが倒したおかげで、ここしばらくはやすやすと三層に行っとる。もうそろそろ復活したやろがね」
「三層突破は運や。ハルピュイアの監視を逃れ、うまいこと飛び込めるかどうかが鍵になる。……まあ、これもどっかの誰かはんが一年以上前に倒したおかげでしばらく行けるようになったんやけど」
「四層突破からは、実力や。完全に穴を塞ぐリヴァイアサン、そこを突破するには──奴を倒すしかない。倒したところで、大穴までの道のりにはそれなりの危険が伴う。今まで戦わんと突っ込んでこれたとしても、ここでは実力がないもんは落とされるっちゅーわけやね」
「つまり何が言いたいかというとやな、あんたらが神霊を倒しまわった後でも、五層突入者はほぼおらへんってことですわ」
その返答を受け、ふたりは顔を見合わせる。それから金髪頭の方はにっこり微笑み、双子へ頭を下げた。
「教えていただきありがとうございますっす」
「あんたみたいなオトコマエの兄さんなら、何でも話したるわよ〜?」
「やめなやステラ姉はん。色気づくんわ気持ち悪いで」
「ははっ、しばくでルナ」
殴り合いでも始めそうな勢いの姉弟へ苦笑いを浮かべつつ、金髪頭はカウンターを離れる。フードの方はやれやれと方をすくめた。
「あっ、待ちぃや兄さん達!」
「? どうかしたっすか?」
金髪の男が振り返り、フードの影は立ち止まる。
「最近、キレイな顔立ちした兄さんと銀髪の姉はんしか見いへんのやけど、何しよんかな、あんたら」
その質問に、ふたりは顔を見合わせて苦笑い。少し悩んだ素振りを見せて、問いに答えた。
「調べもの、っすよ」
「うん、ちょっと大事な調べごとを、ね」
──────
薄暗く湿る石壁の檻。かつかつと響く足音。下卑た笑い声を、女の視線が一蹴する。このような掃き溜めの中にありながら、女は凛と強かった。一歩一歩、臆すること無く目的地を目指す。
日の光も遠く閉ざされるそこに、彼女は立った。金の瞳がその中を捉える。
「……君か」
檻の中、その最奥に蹲る人影。力無く項垂れていた彼は、ゆっくりと頭を上げた。夜の帳を思わせる黒髪、まだ若い男。
「久しぶりだな、ロート君。私に会いに来てくれたのか?」
「牢生活で頭がおかしくなった? そういう睦言は横の石壁にでも言ったらどう?」
そして男と女は、再会を果たした。
────────
静かな室内。紺に近い黒髪を持つ男は机の前で思案する。ひとしきり考えた後、机の上に置かれたそれに手を伸ばした。
かすかな間。とぎれとぎれの雑音が響き、ひとつの声がする。
「久しぶりだな、ブラウ。皆息災か?」
「お久し振りです、旦那様。……皆、無事です」
十二貴族を始めとする上流階級、またはその護衛のみが持つとされる遠呼のベル。
「君からかけてくるのは珍しいな。……何かあったか?」
男は息を呑む。頬を滑る汗が一筋、それからゆっくり口を開いた。
「旦那様、お聞きしたいことが、あります」
────────
遠くまで続く暗闇に、ひとつの石が投げられる。地面の上を転がり跳ねて、音を立てながら遠ざかる。それに耳を澄ませながら、男はゆっくり目を開けた。
「やっぱり反響を聞くに、この施設はかなり広いね」
「……おう」
眼鏡の位置を直しながらの言葉に、その後ろから様子見していた男は答える。
「……わかってるね? オランジェ君。これはあくまでも『調査』、助けるなんてことは、ご法度だよ」
「わかってるよ……」
つんつんと立てらせた明るい色の髪をかき混ぜながら、男はそっぽを向いた。
「その『調査』、のために話しするんだ。別に、いいだろ」
そんな返事に、眼鏡の男はやれやれと肩をすくめる。手にした紙に地図を書き込みながら、前へ進んだ。
「『助ける』なんていう言葉は、意味をちゃんと理解してから言うんだよ」
誰に聞かせるわけでもなく、眼鏡の男は呟いた。石の地面に靴底が当たる音、反響。遠く響いて耳によく障る。
「当人が望まない場合、それはただの自己満足なんだから」
髪をかき混ぜる手を止め、男は立ち止まる。俯き、しばしの沈黙。それから首をぶんぶんと横に振り──顔を上げた。
「わかってる……わかってるよ、俺は」
後半の言葉はかき消されるほどに弱く。そんな姿を眼鏡の男はただ、どこか達観したような目で見つめていた。それから先へ進み、立ち止まる。
「静かに」
廊下の突き当り、曲がり角から声と物音。何かを転がすような音だ。二人は息を殺しながら耳を澄ます。
「──れは──どこ──ようやく」
「口より──不気味──ガキ共──」
跡切れ跡切れに聞こえる声。目を凝らす先、大きな台車らしきものを押す二人の影。その台車、布の被せられたそれがぴくりと動いた。振動、などのせいではない。微かに布が動く。ひらり、と布がずれた。
「おい馬鹿、ちゃんとかけとけよ。クソ、あんま見たくねえのによぉ……」
「わりぃわりぃ、でも、なんで急に連れ出せって話になったんだよ」
眼鏡の男は、咄嗟にもうひとりの体を抑え込んだ。布の隙間、むき出しの表面をふたりは見た。ねじくれ、掻き回したような醜い肉の塊。それから伸びる、細い腕。
「どうやら、噂の『教祖様』がお帰りになったそうだ。教祖様は奇跡の血によって、化物になったガキ共を『救って』くださるって話だぜ?」
「うさんくせえや」
「まあいいじゃねえか。この化物を処分してくれるんだから」
眼鏡の男は歯を食いしばりながら、地面へ男を抑え込む。明るい髪色をした彼らは必死に抜け出そうとしたが敵わない。血が滲む勢いで拳を握り締め、その場から飛び出そうとしていた。ふたりの影が遠ざかり、完全に消えるまでその攻防は続く。
「なんで!! いかせてくれなかったんだリラ!!」
「あの場で君を行かせたら、大騒動になっていた」
その返しに言葉を詰まらせる。しかしすぐに頭を振って叫んだ。
「騒ぎになってもいい!! 子供達を処分だなんて……そんなの、そんなの!!」
「落ち着くんだ、オランジェ君」
口元に指を突きつけ、眼鏡の男は冷たく言い放った。
「今、目的を忘れるな。やるべきことを見間違うな。わかったか? オランジェ」
その言葉に──男は、オランジェは、無言で目をそらすことしか、できなかった。
────────
崩れかけた石壁、張り付く蔦。それらを蹴散らし、踏み越えながら歩く影がある。少女のような顔立ちをした白髪の少年と、長い銀糸を束ねた少女。ふたりはそれぞれ手に獲物を携えながら、おそれを知らずにどんどん進む。
「ねえヴァイス」
「なんだよジルヴァ」
「ボクらだけ、のんびり探索してていいのかなぁ」
少女の言葉に少年は少し反応したが、すぐに前を向いて歩き出す。
「いいんだよ。俺達ふたりは、調査とか隠密とかには向いてねえんだから」
「うーん……まあそうだけど……」
少年は地図を取り出し、広げて書き込みながら言った。
「俺達は五層の探索、他の奴らはそれぞれの調査。適材適所、俺達は俺達のやるべきことをするんだ」
────────
高い天井、差し込む光は弱々しい。一段高い場所、そのかすかな光を一身に浴びるそこに、彼女はいた。少女の傍らには双子の童女。少女の髪を梳き、帯を整え仕事をしている。
「お姫様」
「さま」
「髪は痛くありませんか?」
「帯は苦しくありませんか?」
「ありがとうございますふたり共。大丈夫ですよ」
ふたりは深々頭を下げる。少女はじっと、自分の手を見つめていた。
「今宵より、お姫様の『お役目』が再開します」
「します」
「お辛ければ、いつでも我々にお話ください」
「ください」
「大丈夫です」
少女は双子の頭を撫でる。それから、優しく微笑んだ。
「もう、慣れたことです。今宵もまた、多くの人を救いましょう」
その返事に双子の童女は、再度深々と頭を下げた。
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路地裏の影をねずみが走る。足元の隙間を駆けるそれを横目に見つつ、少年はじっと外を見つめた。建屋の隙間、青い空を背負って立つ荘厳な城。
長い黒髪を束ねた少年は、その血潮のように赤い瞳で、じっと城を見張り続ける。