100 : 白と黒
「……ねぇ、やめようよ。ヴァイス」
「……うるせぇ」
背後から向けられた声に、白髪の少年は短く答えた。長い銀糸を頭の上で束ねた少女は、銀色の瞳を下に向けて、小さく呟く。
「なんで……こんなとこに……」
その言葉に、少年は何も答えない。
打ち付ける潮騒、耳障りなほど強い風の音。迷宮四層、太母の絶海──その空間に、彼らはいた。
「今からでも、遅くないわ。やめさせるわよ、こんなの」
「いや、それは駄目だ」
「なんで、なんでよ!」
赤毛に猫の耳を持つ女は、少年へ掴みかかる勢いで声を上げる。
「ロゼがいなくなって! 更に仲間割れなんて……こんなの、最悪よ!!」
「落ち着いてください、ロート嬢」
長身の男が、女を抑え込んだ。女は歯噛みしながらも引き下がる。少年は砂浜に立ち、顔を上げた。
「……やるしか、ねえんだよ」
向かい側、離れた場所から聞こえる足音。見える影。
「あいつは、一度言い出すと……俺より聞かねぇ」
黒い衣装に身を包み、長い黒髪を束ねた少年。彼は手にした杖を握り締め、真っ直ぐに歩いてきていた。
「……待った? ヴァイス」
「……いいや、シュヴァルツ」
白髪の少年──ヴァイスは、腰から二本の短剣を抜いた。
黒髪の少年──シュヴァルツは、握った杖を構えた。
「行くぞ」
「おう」
二人の少年は、一気に飛び出した。
先手はヴァイス。持ち前の素早さはどうあがいても埋められるものではない。一気に距離を詰め、射程圏内に突入。逆手に握った短剣を一気に振るった。狙うは喉。
しかしそれを許すほどシュヴァルツも未熟ではない。即座に実体化した青い炎を防御に回し受け止める。青い炎が一気に爆ぜた。飛び散る火の粉を目くらましに、シュヴァルツは後退し距離を取る。
「凍星」
片手で杖を回し、一気に薙ぐ。先端から放たれる無数の氷、鋭い刃。広範囲に飛び散るそれを、ヴァイスは真っ向から受け止めた。かろうじて視認できる速度で両手を動かし、氷の刃を払い落とす。
ぱらぱらと散る氷の破片、空から差し込む日の明かりが反射し、眩いばかりの光を放っていた。それを無粋にも蹴散らし、ヴァイスの突貫。
それを待っていたかのようにシュヴァルツは杖を突きだす。狙うは鳩尾、完全に狙ったはず、だった。
「!!」
ヴァイスの姿は揺らぎ、消える。幻の姿に攻撃を繰り出したシュヴァルツは、咄嗟に炎の精を背後へ回した。背後から飛び散る火の粉、ヴァイスはそこにいた。
「ハルーシネーション」
続く二撃目。柄の部分で背中の中央を殴られシュヴァルツは前に一歩崩れる。一年の修行で身につけた、幻覚の技。ヴァイスはそれをすっかり使いこなしていた。
シュヴァルツは杖を地面へ突き立て、それを軸に体を回転。振り上げた脚でヴァイスの顎を蹴る。しかしバックステップで衝撃を殺され反撃の殴打。鼻から一筋血が落ちる。
「もう、やめようよ」
離れた位置、戦う二人を見ながら銀髪の少女──ジルヴァは言う。
「ボク、こんなの見たくないよ……」
赤毛の女、ロートはそんなジルヴァを抱き締めた。二人の姿を隠すように目を覆い、唇を噛み締める。
「アタシもよ、ジルヴァ」
そんな二人をよそ目に、長身の男ブラウはじっと、前を見続けた。
繰り出される掌底。シュヴァルツの顎へ激突したそれ、脳へ直に伝わる振動。歪む視界を感じながらも、シュヴァルツは杖を振った。短剣を振りかざすヴァイス、しかしそれは空中を切る。
その場より数歩離れた位置、そこにシュヴァルツはいた。転移の技だ。かなり高度な技術であり、長距離に関しては未だ道具という媒体に頼らなければならないそれを、詠唱無しでやってのけたのだ。その分身近な距離ではあるが、こと戦闘の場においてはそれで事足りる。
「爆ぜろ、イグニス!」
視界から溢れた白い炎が、ヴァイスの背後を奔る。一瞬の閃光、破裂。至近距離で激しい爆発を喰らい、ヴァイスは距離を飛んだ。その場を予測し、転移。ヴァイスの眼前に迫る杖の先端、咄嗟に身をよじり杖を躱す。地面に手を付き、一気に体を起こした。
接近、向けられる柄。杖でそれを弾き返す。回転、再度振り下ろされた。ヴァイスは両手に握っていた短剣の柄をカチ合わせる。両刃の剣、その様相を成したそれにシュヴァルツは一瞬戸惑う。その隙は致命的だ。両刃を回転、辺りに立ち込める気流。
「ファントム・ミラージュ」
渦を巻いた風、空気。それを振り払った刹那眼の前に広がる光景。
シュヴァルツを取り囲むように立つヴァイス。ひとり、ではない。ざっと数えて十人弱はいる。離れた位置で見るブラウが目を見開いた。
「なるほど、磨いたのは基礎だけではない、ということですか」
「そりゃそうよ。新技のひとつやふたつ……でも」
幻覚で取り囲む技。それを見ながらロートは悲しげに眉をひそめた。
「こんなところで披露するはずじゃ、なかったけどね」
無数の幻覚に囲まれたシュヴァルツは、歯噛みした後辺りへ炎の精を奔らせる。自身を中心とし、四体の炎で陣を作った。
「なっ……! あれは……!!」
ジルヴァが前へ踏み出した。シュヴァルツが放とうとしている技、修行の最中に彼女はそれを目にしている。
「やめようよ! それは、駄目だ!!」
思わず走り出そうとしたジルヴァの腕を、ブラウは掴む。一気に引き戻そうとする動きに、ジルヴァは困惑した。
「止めないで! あのままじゃ、どちらかが死んじゃう!!」
「なりません。今のふたりを邪魔する権利は、我々にはない」
「権利ってなんだよ!! ボクは、どっちにも傷ついて欲しくなんかない!!」
ヴァイスは刃を分断し、構え直す。シュヴァルツは杖を構え、魔力を一点に集めた。
「こんなの……間違ってる!! どうして……おんなじ目標のはずなのに……」
酷い目にあっている子供達を救いたい。仲間を助けたい。どちらの気持ちも、本当のはずなのに。
「なんで、順番なんかつけなきゃいけないの……? どちらも助けたいじゃ、駄目なの……?」
その言葉に、ブラウは眉をひそめる。
「……それができずに、彼らは争っているんです。すべてを平等に、すべてを優先させるというのは、貴方が思うより難しいんですよ」
向かい合ったヴァイスとシュヴァルツ。先に動いたのはシュヴァルツだった。即座の転移、移動先は火の精が囲う範囲の外。
動き自体、身のこなし、力、全てにおいて敵わない彼だが──魔法の腕は圧倒的だ。こと魔法の発動において、ヴァイスは今のままではけして、シュヴァルツには勝てない。
「囲え、炎天!!」
あたりを囲む四つの炎が爆ぜる。立ち上る炎の柱、それは絡み合い檻を作った。精霊で囲んだ陣の中を焼き尽くす灼熱の炎。神霊の分体おも消滅させた技。
「ヴァイス──────ッ!!」
悲痛な叫びを上げるジルヴァ。ロートは脇目も振らず飛び出した。
「シュヴァルツ!!」
握りしめた拳を振り下ろそうとした瞬間、炎の檻から、声がした。
「双牙抜剣」
ロートは止まる。ジルヴァも、ブラウも。ただシュヴァルツだけが、交戦の体制を崩していなかった。
「旋回」
炎の檻を、消し飛ばす轟風。身構えていなかったロートはそれに煽られ吹き飛ばされた。ジルヴァによって受け止められる。ジルヴァとブラウも各々の獲物を地面へ突き立て風に耐えている。
かつて燕の旅団と鷹の目が一時撃破した、神霊ハルピュイア。その技を彷彿とさせる風。
「承認……できたのですね、坊っちゃん……!」
神霊の素材より生み出された「神造武装」。その真価を発揮することが、可能となったのだ。
炎の檻を消し飛ばしたヴァイスは、真っ直ぐにシュヴァルツへと飛びかかる。消し飛んだ炎の精を再度実体化させるのには、しばしの間が空く。杖で受け止めようとするが、ヴァイスの蹴りによってそれは弾き飛ばされた。
シュヴァルツの手を離れ転がる杖、それに視線を取られた瞬間にヴァイスは蹴りを打ち込む。吹き飛ぶ体、その方へ跳躍、押し倒した。振り上げる、拳。
「もう……やめようよ」
その拳は思い切り、シュヴァルツの頬へと振り下ろされた。激しい殴打音、ジルヴァは耐えきれず目を逸らす。
「これが、望みかよ……!」
血の塊を吐き出すシュヴァルツの横顔を見ながら、ヴァイスは苦々しげに吐き捨てた。再度握りしめた拳を振りかざし──止める。
「俺は、お前より強い……!!」
傍から眺める三人に、ふたりの表情は見えない。地面の上でもつれ合うその姿を眺めながら、立ち尽くすことしかできない。
「お前がロゼを優先させるっていうのなら、もう、俺は止めねぇ」
ヴァイスは振り上げた拳を震わせ、ゆっくりと降ろした。シュヴァルツの上からどき、立ち上がる。シュヴァルツは動かない。
「さよならだ、シュヴァルツ。お前は、好きにすればいい」
ジルヴァがその場にへたり込む。激しく吹く風が、あたりの木々を揺らした。炎に焼かれ、炭化した枝葉が空に舞う。
「迷うのは、やめだ。お互いに、な」
──その日、たった一日のうちに。
「燕の旅団」は、ふたりの仲間を失った。