8 : 燕の旅団
二股の黒猫亭。なんとか日が暮れる前に戻ってくることができた。ぜえぜえ息を吐いて駆け込んできた僕ら、一緒に入ってきた見ず知らずの少女。
ツュンデンさんはびっくりしていたが、とりあえず椅子に座らせて水を出してくれた。留守番だったクヴェルと共に、お菓子を作っている最中だったらしい。
ロゼの方を一瞥しただけで、僕らに問いただす事はしなかった。ブラウが促しクヴェルを二階へ連れて上がる。
少ししてブラウだけが降りてきた。「上で休ませています」とだけ言って、壁にもたれかかる。座るつもりはないらしい。
皆が落ち着くまでに少し時間を要した。扉を叩く音が響く。ロゼのことがバレたのかと思い、咄嗟に背後に庇ったが、外から聞こえるのは「店主の方、いらっしゃいますか?」という呼び声。
ツュンデンさんは中に隠れてろ、と一言だけ告げると棚からフードのついたマントを取り、外に出る。足音が遠ざかるのを確認して、ロゼに質問を投げかけた。
「もう一度聞くがロゼ、君は、何者なんだ」
ロゼは椅子に座り直し、背筋を伸ばし膝の上に手を置き、深々と頭を下げて言った。
「改めまして、私ロゼと言います。銀月教では、教祖を務めておりました」
聞き間違いだと信じたかった言葉が、今度こそはっきりと耳に入る。彼女が教祖。衛兵達に留まらず、評議会が動くほどの新興宗教「銀月教」を動かしていた存在。
「教祖って……マジの教祖……?」
「はい。マジです」
迷いなくそう答える。ヴァイスやロートは互いに顔を見合わせ黙り込んだ。この二人も何もツッコむ気にならないらしい。
「まあ、教祖といっても信者の皆さんに祭り上げられ、ただ言われたことを伝えるだけでしたが……」
少し俯きがちにそう続けた。……確かに、彼女みたいな少女が多くの信者を集めることは難しいと思う。何かがあって、神格化されていただけといった方が納得がいく話だ。
扉の開く音がして、ツュンデンさんが帰ってきた。
「銀月教の本拠地……地下に突入して信者達を捕らえたって連絡が入ったよ」
頭を掻きながらいつものカウンター裏に入る。
「抵抗してきた信者達は確保、重役と思わしき四名は地上にて確保。そして──教祖らしき人物の遺体も発見。聖堂の中央にて、焼け焦げた跡が見つかったらしい。信者の供述曰く教祖が今後を憂い自害……とのことだけど」
そして椅子に座るロゼの方を見、それから順々に僕らの方を見た。ロゼは口元を抑え、驚愕と困惑を混ぜこぜにしたような表情をしている。
「説明してもらえるかな?」
僕らは各々説明した。
そこで発覚したのは、あの暴走荷車を止めたのはブラウさんだということ。ちょっとした災害かと思った。
「……荷車止める方法、もっと他になかった?」
「思いつきませんでした」
前座席を槍で貫き地面に縫い止めるなど、普通思いついても実行しないと思う。
「外したらアタシとコイツ死んでたんだけど」
「坊っちゃんならわかると信じておりました」
「おうともよ」
「アタシが気付けなかったらどうするつもりだったのよ!?」
言い合いをする三人の横で、僕とツュンデンさんは向かい合っていた。残す疑問は隣の少女、ロゼのことである。
「聞きたいことは沢山ある、けど、とりあえず一人一個ずつ質問していこうか」
困ったような顔をしてツュンデンさんが続けた。
「まず私から聞かせてもらうよ。ロゼちゃん、銀月教は何をしていたんだい?何をする宗教だった?」
「はい。銀月教は、ざっくり言うと迷宮信仰です。地上に根付いている創造神信仰ではなく、今目の前に存在する迷宮そのものを信仰する教えでした」
「迷宮信仰ねぇ……」
ツュンデンさんは窓の方をちらりと見た。ここから迷宮を見ることはできないが、元冒険者として思うところはあるのだろう。
「迷宮に眠る神秘を讃え、そこに潜む叡智を崇める……それが、私達の教えです。人に危害を加えるようなことや、争いを促すようなことは何もしていませんでした。ですが……」
「身を隠すように、潜むように地下で活動を行い、挙げ句に御役所の手が入った……どうもきな臭いね」
吐き捨てるようにツュンデンさんが言い、追求をやめた。次、と三人の方を向くと、まずブラウさんが手を上げた。
「先程、『教祖らしき人物の遺体が発見された』とのことでしたが、どういうことでしょうか。貴女は自分を教祖と言った。今貴女はここにいる。どういうことです」
その問いに、ロゼは少し俯くと口を開く。
「おそらく……信者の方、です。本日の昼頃より私は信者の方に案内され、地上に出るよう動いておりました」
「作戦が行われるという情報が、そちらに流れていたということですか」
「詳しくはわかりません……ですが昼過ぎ頃、私はいつもいる部屋より外に出ることを許されました。四名の信者の方に連れられ、地下空間を移動していたのです」
今回の作戦は、情報の流出を防ぐために、本日中に伝令し決行された。しかし僕らが宿に帰還しヴァイス達に連絡したのとほぼ同時刻に、彼女はその情報を得ていたという。地上からの内通者がいたということだ。
「私が外に出ることに対し、はじめは私も疑問を投げかけました。教祖という立場上、私は信者の方を守らなくてはならないと。──ですが、『身代わりがいます』とだけ答えて、皆さんは黙ってしまいました」
おそらく、その遺体は身代わりの信者。
ロゼは、羽織ったヴェールの裾で目元を拭った。自身を慕った信者が、身代わりとなって死んだ事実が心苦しいのだろう。
「……わかりました」
そう切り上げ、ブラウさんは次へ促す。ロートが恐る恐る手を上げた。
「あんた……こいつを勇者様とか言ったけど、勇者って何? どう見ても勇者ってタイプじゃないでしょこいつ」
僕を指差し言う。たしかに僕は彼女にそう呼ばれた。タイプじゃないって……随分と失礼な事だ。そのとおりだが。俯いたロゼの耳が赤く染まる。……ん?
「ええと……勇者は、その、銀月教の教えの中にある存在です。迷宮の最奥へ進み、その神秘を全て身に纏い、世界を救済する存在だと……やがて世界に現れ、世界を一つに繋ぐ役割を果たす存在である、とされています」
彼女は少し言い淀んだあと、そう告げた。叡智の眠る迷宮、そして勇者という救済者、急に宗教らしくなってきた。……何か引っかかるぞ。
「んで、なんでこいつがそんな崇高な存在な訳? ただの貧弱君でしょ」
いくらなんでも言い過ぎだろう。確かに僕は体力もないし力もない。魔法使いであり剣を振るうわけでもないし、ヴァイスのようにモテもしない。
ロゼは、顔を覆ったまま口ごもる。
「えっと、その……」
そして、ちらりと僕を見た。
「一目見て、こう、感じたのです。この方……シュヴァルツ様こそ、私が追い求めた存在だと」
そして、あの時のように僕の手を取る。
「一目見て、貴方と添い遂げたいと思いました。貴方に、全てを捧げたいと思いました」
上げられた顔は赤く染まり、紫水晶の瞳はきらきらと輝く。
「貴方こそ、私にとっての、勇者様なのです。シュヴァルツ様」
ロートとツュンデンさんは互いにきゃあと短く声を上げ、ブラウさんは黙り込み、ヴァイスは水を吹き出し手にしたコップを取り落とした。
「一目惚れです、シュヴァルツ様。貴方様のお側にいさせてください!」
ロートとツュンデンさんの絶叫じみた悲鳴が響く。ブラウさんは無言&無表情で拍手をし、ヴァイスは大爆笑。当の本人の僕はというと、上限突破で思考停止していた。
「真正面からのド直球! 正々堂々! 気に入ったよ!!」
「甘酸っぱい青春だねぇ!! 若さってやつかい? よし決めた、ロゼちゃん、あんたを御役所になんか突き出させやしないよ」
「おめでとうございます」
「シュっ……シュヴァルツを好きになるなんて……! ロゼだっけ? 多分騙されてるぞ! やめとけやめとけ!!」
「────って、僕を置いて勝手に進めるなぁ!!」
ロゼに手を握られたまま硬直していた僕は、その時ようやく意識を取り戻した。少し躊躇したものの、ロゼの手を振りほどく。
「なっ、なんなんだよ! ひっ……ひとめぼれっ、とか! ぼ、僕だぞ!? この貧弱でモヤシな僕のっ、どこを好きになるっていうんだ!!」
「えっ、ええと……」
「ちょっと男子ぃ! やめなさいよ!! 彼女困ってるじゃない!!」
「なんだそのノリ!!」
謎の女口調でヴァイスが言った。笑いすぎたのか目元には涙が浮かんでいる。
「確かにお前は貧弱でモヤシで陰険で陰気で根暗だ。今回は何かしらの勘違いか奇跡だったとしても、お前を好きになってくれる女の子なんて他にいないぞ!!」
「よしヴァイス。二千回以上の勝負の決着をつけよう。引き分けはナシだ」
武器を使うとツュンデンさんに殴られるため、大人しく素手の勝負になる。掴み合いになる僕らをよそに、ロゼはツュンデンさんやロートと話していた。
「あの……本当に、私を役所? に連れて行かないんですか……? 教祖だったことは事実ですのに……」
「いーのいーの。捕まっちゃった信者の方は可哀想だけどね。まあ、流石のあいつらも何百人もの市民をどうこうする権利はないし、すぐに解放されるでしょ」
「話聞く限り、銀月教ってのもそんなに悪いことしてるわけじゃなさそうだしね。オマケに無理矢理ならされた教祖様なら、あんたも被害者よ」
あっけらかんと言う二人と比べ、ロゼは浮かない顔。
「それでも……やっぱり、悲しいです。……皆さんは私を慕ってくれた。なんの力もない小娘を、守ってくれた……。それなのに、私は……」
「気にしなくていいのさ。守られたのなら、それに甘えりゃいいのよ。発見された教祖と思わしき遺体、ってのに、誰も反論を唱えていないってことは、信者のみんなはあんたが無事であることを願ってるってことなんだからね」
信者を思い涙を流すロゼをツュンデンさんが慰め、ロートが背を擦る。
「ところで、ここに置いてあげると入ったもののねぇ。クヴェル君もいるしお客も少ないしそんなに仕事は……」
「あ、その件についてなんですが……」
涙を抑えてロゼが言う。ヴァイスに袈裟固めを仕掛けていた僕もそちらを向いた。
「皆様冒険者の方だと思われますが……。私も、お力にならせてもらえますか?」
思わず、ヴァイスにかけていた技を解いてしまった。審判のブラウが試合終了の合図を出す。
「君がぁ?」
「はい。ご迷惑はおかけしません」
「でも……」
「そうだよ、ロゼちゃん。迷宮は、好きな人を追いかけるためだけに、行く場所じゃない。それなりの危険が伴うんだ」
ツュンデンさんが冷静な声で言う。ロゼは、そっと羽織ったヴェールに手をかけた。始めてみたときからずっと、背中を覆っていたヴェールだ。
彼女はそれを下ろす。北東にある「乙女領」の一部に伝わる、「着物」と呼ばれる服をアレンジしたような格好。その背にあったそれに、僕らは釘付けになった。
「私は、『器の民』の生き残り──その中でも、有数の治癒能力を有する、『白翼種』です」
かつて起こったとされる「大災厄」。その際に、数えきれる程に数を減らした「器の民」。背に鳥の翼を持ち、癒やしの技を使いこなす種族。
その中でも、全身の細胞、血液までもが万病の治療薬にもなるとされる「白翼種」。彼女の背に生えた、雪のような白い翼。それは間違いなく、彼女がそうであると証明していた。
「お役に、立てませんか?」
術で治療ができるのなら薬草を買う負担、病院に通う不便さ、それらを無くすことが可能で──いや、何を流されているんだ! 彼女は戦った経験すらない少女。そんな彼女を危険にさらしては……!
「採用! よろしく頼むぜ!!」
「ありがとうございます!」
「ちょっと待て────ッ!!」
固い握手を交わすヴァイスとロゼを引き剥がす。
「何意見も聞かず進めてるんだ!!」
「ロートとブラウは俺に任せるって」
「僕の・話を・聞け!!」
ヴァイスの首根っこを掴み、ロゼと距離を置く。
「何考えてるんだよ」
「回復役欲しい言ってたし、あの子もそう言ってたし。いいじゃんべつに」
「そういう問題じゃない! ……迷宮は危険なんだぞ。戦闘経験もない彼女を連れて行って、何かあったらどうするんだ」
「いっちょ前に気遣いしてんのかよ勇者サマー」
そのニヤけ面は殺意が湧く。
「勝負の続きをするか?」
「まあそもそも、あの子、心配するほど弱くねえと思うぞ」
「は?」
ほれ、とヴァイスが彼女を指差した。
「あの子、この店来てからずっと座ってるけど、マジで体幹ブレてない。俺が見てる限りじゃな。泣いてても、不安そうにしてても、一切隙が無い。おまけにあの子、あの路地からここまで走って来て息切れしてなかったぞ。俺でさえもくたびれたってのに」
困ったような顔で僕らを見るロゼ。
改めて見ると確かに、全くと言っていいほど隙が無い。何かをしようとしても、即座に避けられるだろうという風格がある。
毎日毎日、護衛の手をすり抜けて森まで走ってきていたヴァイスですら息切れする距離を、呼吸も乱さず走りきった……どんな生活をしてきたんだ。
「何より──そんなに不安ならよ」
僕の手を振りほどき、肩に手を乗せてヴァイスは言った。
「守ってやれよ、勇者サマ」
それからにやりと嫌な笑いを浮かべる。手をひらひらさせながらカウンターまで戻った。
守る? 僕が? 自分の身を守るのが精一杯な、魔法使いという職業。そんな僕が、彼女を守ってやれと?どうやってやれと言うんだ。
顔を押さえれば、暗闇に浮かぶ彼女の顔。屈託のない笑顔で、僕を勇者と呼んでくれた。僕に一目惚れしたと言ってくれた。
悔しいが、ヴァイスの言った通りこんな僕を好きになってくれる子なんて、後にも先にも彼女くらいだろう。勘違いだとしても、なにかの間違いだとしても、彼女は、僕を好きになってくれた。ずきずきと心臓が痛む。
ツュンデンさんが棚に貼り付けた紙をロゼに渡す。冒険者の申請書だ。
「とにかくこれで──」
ロゼが名前を書くのを確認し、ヴァイスは両腕を天井に突き上げた。
「ギルドメンバー、揃ったあぁぁ────っ!!」
僕の思考や悩みを打ち消すような声。結局、僕の意見などこいつは聞かない。あの日も、そうだったのだ。こいつは、自分勝手に周りを振り回す。でも、不思議とそれに逆らう気は起きないのだ。生まれ持った素質とでも言うのだろうか。
「おめでとさん! これでようやくギルド立ち上げかい?」
「やったぞ!! 明日は早速手続きして迷宮だ!!」
「急!!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐヴァイスとロート。ブラウさんはクヴェルを連れ戻しに二階へ行った。ロゼがふとこちらを見る。目があった。それから、少し照れたように笑う。
「改めて、よろしくお願いします。勇者様!」
もう、考え事はやめだ。僕は彼女の側まで歩き、隣の席についた。
彼女が僕を勇者様と言うのなら、勇者らしくなってやろうじゃないか。
「シュヴァルツで、いい」
「はい、シュヴァルツ様!」
顔が熱い。顔を背けるとにやにや笑うロートと目があった。
「……何」
「いやぁ〜〜?青春だな〜って」
「……何歳だよ」
「十八だわ! あんたらと二つしか変わらないっての!!」
そうこうしていたらブラウさんがクヴェルを腕に抱いて下りてきた。……八歳の子を当たり前のように抱いてるの何なんだ。
ヴァイスがテンションの高いまま、ブラウさんの腕からクヴェルを奪い、高い高いの状態で振り回す。ブラウさんが殺気を出しているのにも気づいてないらしい。相当喜んでいる。
「ところでヴァイス、あんたギルド名は決めてるのかい?」
ツュンデンさんがはしゃぐヴァイスに言う。思いっきりブラウさんに後頭部を殴られ、クヴェルを下ろした。後頭部を押さえながら、ヴァイスは「おう」と答える。
「変な名前じゃないだろうな」
「ダサかったら契約解除ね」
「恥ずかしい名はやめてください」
「まだ何も言ってねえだろ!!」
ツュンデンさんが懐かしそうに目を細めた。思うところがあるらしい。ヴァイスはギルド立ち上げの申請書を掴み、ペンを握った。ヴァイス、シュヴァルツ、ブラウ、ロゼと名前を刻む。そして、一番上のギルド名のところを叩いた。
「俺達はここから、長い冒険をする」
それぞれの顔を見る。ロートだけが、少し表情に影を落としていた。
「目指すは迷宮の深層! いくつもの世界を抜けて、俺らは必ずそこに辿り着く!!」
そう言って、インクをつけてペンを走らせた。僕らの静止も聞かず、文字を刻んでゆく。
「『燕の旅団』! 海を渡り、世界を翔ける燕のように、どこまでも俺達は自由だ!!」
ペンを掲げ、高らかに宣言するヴァイスを他所に僕らは皆黙っていた。
「え、何……?」
「いや、ヴァイスの癖に……」
「普通にマトモな名前だなって」
「坊っちゃん熱でもありますか?」
「しばくぞお前等!!」
全員から指摘を受けてヴァイスが顔を真っ赤にして怒る。顔立ちのせいで迫力もないが。
「んで、旅団ってどういう意味?」
「知らん! 響きで作った! かっこよくないか?」
──そうして、冒険者ギルド「燕の旅団」は人知れず立ち上がった。深層目指して、僕達は駆ける。まるで海の向こうに広がる大陸を目指し、空を舞う燕のように。
……などと、カッコつけてみたものの。この後備考欄に誤字が発覚してヴァイスは赤っ恥をかくことになるのだった。