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第2話:黒猫と死神

 燃えている。自分の肉が焼け落ちていく悪臭すらももう感じられない。

 息を吸えば地獄。だからもう声を発したくない。

 母さんまで巻き込んでしまった。なんの罪もない、自分の母親の悲鳴はとうに聞こえなくなってしまった。

 耳が燃え尽きてしまったのか、それとももうこの世からいなくなってしまったのか。 

 代償は俺だけだと思っていた。あの白猫は、俺の命だけを奪っていくものだと。

 それならまだ構わない。優香を助けられるのなら、元々俺が原因で死なせてしまった人間を生き返らせられるのなら、それでいいと本当に思っていた。

 だけど今、俺は憤っている。あの白猫に対してではなく、自分自身に対して。

 白猫と意味の分からない契約を結んだのは、何にでも縋りたい気持ちからだった。

 そして本当に優香が息を吹き返し、伸明が俺に対して頭を下げた時まではあまり現実味が湧いてこなかった。

 ただ単に、「あぁ、助かってよかったな」とくらいしか考えてもいなかった。

 ……何を考えても、振り返ってももう元には戻らない。

 段々と遠退いていく意識。薄れていく痛み。

 瞼が癒着して開かない筈なのに、妙に懐かしい光景が目に映る。

 剣道を教えてくれた父さん。小学生の俺が関東大会で優勝するのとすれ違うように息を引き取った父親との楽しい思い出。

 幼い頃は公園で遊び、木の枝でチャンバラごっこをよくやってもらった。 

 いくら頑張っても、両手に木の棒を持っても父さんには一回も掠ることさえままならなかった。

 一生かかっても勝てそうにないと思っていた。でも高校生になった今なら、もしかしたら勝てていたかも知れない。

 もし父さんが生きていたら……あぁ、また同じ過ちを繰り返すところだった。

 今燃え尽きかけているのに、俺は何も学んでいない。 

 早く脳まで火が届いて、俺という人間の人格を消滅させてくれないかと不謹慎にも思ってしまう。

 決して自殺願望があるわけではない。体を燃やしながらでも、俺の犯してしまった罪を償いたいと思っている。

 母さんは何も知らずに朽ちたかも知れない。それでも、もう会えない母親に、頭を地面に擦り付けて謝りたい。

 巻き込んでしまってごめんなさい。

 親不孝な息子でごめんなさい。

 人殺しの罪を一緒に被らせてしまってごめんなさい。

 もう謝り出したらキリがないほどに、俺に残された最後の灯火は激しく後悔の火を噴き出している。 

 ……でもそれももう終わりだ。


 …………最後にありがとうと言いたかったな。


 ………………優香にも、あやまりたかっt………。


「死んだか。向こうに着いたら神社まで来い。君に罰を与えよう」


 実体を無くした俺は、聞き覚えのある声に導かれる方向へと身を委ねた。

 荒い激流を下り、雑に放り投げられたような感覚。

 そして何やらふわふわとした物に纏わりつくと、それは俺の思う通りの方向へと進んでくれた。 

 目が見えない。だが感触的には、綿飴だろうか。

 不思議と恐怖心を感じないまま、俺は自分の中にインプットされた地図の通りに順路を進む。

 真っ暗な迷路を、目隠しと耳栓をして攻略しているような感覚だ。

 まるで俺がいるべき場所。例えば母さんと父さんがいて、伸明と優香が待っていてくれているような、そんな懐かしい空間の中を、俺はひたすらに進んだ。

 時間の感覚は分からない。というより、「時間」という単語の意味が自分で思っていてよく理解できなかった。

 そしてしばらく直線に進み、次第に開けてきた視界。

 ただ光が見えるというだけで、視界があるのかどうかは謎のまま。

 しかしその灯火こそが、俺の向かっている「神社」だと、自分の中の誰かが教えてくれる。

 強くなっていく光。俺という存在を打ち消すほどの光量が、罪人である俺を快く歓迎してくれているようだった。


「やれやれ、やっと着いたのか。全く、君は鈍間でたるんどる。まぁ、流石は罪人と言ったところかのぉ?」


 幼女が老人の口調を真似しているかのような声。

 死ぬ前に見た、朽ち果てた神社とは正反対の光り輝く社が目の前に広がっていた。

 金色の本殿。磨き上げられた本坪鈴。そしてあのボロ神社の物と似た輝きをもつ賽銭箱。

 その上には白……ではなく青色の瞳の黒い毛並みの猫が座っていた。


「君が根黒綾人で間違いないな?」

「……h、い。はい」


 気づけば俺は、見覚えのある肉体を取り戻していた。

 四肢を動かすとギシギシと嫌な音が全身に響き渡り、数十年間言葉を発していないかのように舌が動かしづらい。


「よし、言葉を忘れとらんのは大収穫じゃ。流石は二度も罪を、それも二度目は大禁忌を犯した罪人なだけではある」

「……d、ど、う、いう、事ですか?」

「何を言っておるんだ。君は君以外の百人の命を奪った大罪人なのじゃぞ?」

「s……それは、どう、いう事でs……」

「一度こっち側に来た『霊魂れいこん』を逆流させるのには膨大な対価がいる。今回の娘っ子は死んだばかりで、百一人程度で済んだのじゃが、それでも『霊波れいは』の流れを著しく悪化させたのは確かじゃ……って言っても何がどうなのか来たばかりの君には分からんか」

「ごめん、なさい……」


 本当に意味は分からないが、罪人の俺はとにかく頭を下げることしかできなかった。

 自分が誰かに多大な迷惑をかけてしまった事だけは確かだけど、「二度」という部分がどうにも引っかかる。

 

「うーん、一から説明するのは面倒なのでな。君のやった事を改めて説教する前に、一度これを読んでくれるか?」


 猫がヒョイ、と尻尾を振ると、俺の手元に手のひらサイズの本が現れた。

 『初めての霊界れいかい』という題名の、説明本らしいことは分かる。

 表紙の、安いイラスト臭が漂う幽霊を永遠と眺めている訳にもいかないので、黒猫に言われた通りに本を開くと、最初のページに俺の罪を知らしめる一文が記されていた。

 

【白猫は悪霊である。決して願い、請いてはいけない。もしあなたが白猫に代償を支払った罪人の場合は三ページへ】


 指示通りに三ページ目を開く。


【白猫とは……白猫は、前記の通り悪霊である。人間の命、通称『霊魂れいこん』を引き換えに、なんでも願いを一つ叶えてくれる欲望の化身。願いの規模によって、代償額は異なる。例:勉強で学年一位になりたい=『霊魂れいこん』一つ】


 教科書のように白猫のイラスト付きで書かれている。

 分かりやすいが、絵のクオリティはかなり残念だ。

 そして続く四ページ目には……


【何故白猫に願いを叶えてもらってはいけないのか……人間社会には倫理という概念が存在する。他者の『霊魂れいこん』を代償に願いを叶える事は、倫理的にも罪だろう。しかし、霊界側としてはその常識は関係ない。一番の問題なのは、現世とこちら側を結ぶ、『霊波』という『霊魂れいこん』の流れが乱れてしまう事が原因だ。簡潔に説明するのならば、清潔な河川に生ゴミを投入してはいけないのと同じような感覚。そして、死ぬ予定のなかった人間の『霊魂れいこん』と、こちら側に流れて来るはずだった『霊魂れいこん』がその生ゴミのような役割を果たしてしまっている。そして白猫は……続きは五ページへ】


 勿体ぶっているのか、ただ単に本のサイズが小さすぎるのか。

 しかし色々と理解が追いついてきた。


【白猫は誰の前に現れるのか……白猫が出現するのには、主に二つの理由がある。一つ目は、死が近い事。そして二つ目は、自らの命を捧げる意思の存在。どちらの場合でも、白猫は必ずと言って良いほど現れる。例外は今のところ存在していない。しかし、白猫の問いかけを拒絶する事は勿論可能だ。それ故に、白猫は精神面が弱った者、つまり、前記二種類の人間を『幸福の社』へと招き入れる。ちなみに霊界側から白猫の世界へと介入するのは難しい。まさにお手上げである】


 続きのページが示されていない五ページ目は、ここで終了した。

 しかし、残り三ページほど残りがあったので、折角なので読んでみることにした。


【霊界側は役立たずなのか……我々は、ただの管理者である。『安寧の社』を拠点とし、出来る限り『霊波』の流れを保ち続ける事が仕事。だが二百年程前に『白と黒の契約』が向こう側から放棄されて以来、こちらからも対抗策を練り始めた。その最終兵器が、霊界を実体化した『黒猫』と、『死神』の存在である。黒猫は死神を選び、契約する力を有している。死神の仕事は、死ぬはずだった『霊魂れいこん』の回収。つまり、生と死の境を白猫の手により曖昧にされた生ける屍、『擬死体ぎしたい』を殺す事だ。ちなみに『擬死体ぎしたい』は人間世界で有名なゾンビではない。ただの生きている人間。死ぬはずだった、生身の人間だ。そしてこの教本を手にした君こそ、黒猫により『死神』に選ばれた輝かしい罪人である!】


 俺が……人を殺すのか? 

 死に損なった人間を?

 こっちに来るはずだった『霊魂』って例えば……優香とかの事だよな?

 いや、でもこの教本の感じなら次のページに「冗談です!」とか書いてあるかも……


【この話を信じきれていない哀れな綾人へ……君はもう既に二度も罪を犯した。最初は小さいながらも、二度目は『霊波』の大混乱を巻き起こすほどの予期せぬ数の『霊魂』をこちらへと送り、更にはここに到着した『霊魂』をそちらへ引き戻すという異例を成し遂げた。これは『白と黒の契約』が破綻して以来初の事だ。自らの『霊魂』と繋がりの濃い『霊魂』を持つ者、例えば家族を犠牲にする事でしか成し遂げられない暴挙なんだよ。だから君の親戚はもう既に全滅しているだろうね。救う価値のない小娘の『霊魂』を拾い上げるための対価が、これほどだなんて思っていなかったかい? 全く哀れだ。君のやった事は自己犠牲にもなっていない。人間としての美徳すらも成し遂げられなかった残念な君には、最高の罪を与えるよ。精々、死にながら苦しむ事だね】


 …………


「どうかの? 色々と理解してもらえたかな?」

「……はい」

 

 手が震えて次のページを開くことすらできない。

 そんな俺を見つめている黒猫は、腹を抱えながら肩を小刻みに揺らし始めた。


「っぷ。あははははははははは! 最高だよその顔。絶望したかい? 自分の罪の重さを実感したかい? くだらない感情に任せて、文字通り悪霊に魂を売ったことを後悔しているのかい? でもね〜、もう遅いんだよ。だからこれからも、償いの為に自分を戒めないとね! ……じゃなかった、戒めるのじゃ! 良いかの、『死神』綾人よ?」

「……分かりました。謹んでお受けします」

「うんうん、それでいいそれでいい……じゃなくて、その粋じゃ! 『死神』綾人よ。では早速現世へと参ろうか?」

「はい。罪人としての役目を全うします。罪人として……罪人としt………………母さん、本当にごめんなさい………………………」


 涙を流したのはいつ以来だろうか?

 もうあまり記憶にもない、小学生の時の父親の葬式を断片的に思い出す。

 あの時俺は、何故だか涙が出なかった。

 親不孝者はいつまで経っても変わらない。

 親戚までも巻き込んで、それだけでは足りず見知らぬ何十人もの命を俺は代償として捧げてしまった。

 追い討ちをかけるように、唐突に四方八方に現れたテレビスクリーンが現世のニュース番組を流している。

 そのどれもこれもが、俺の家の火災、そして全国で発生した約二十五件の不審火を報道している。

 【根黒家に対する恨みか?】という見出しの新聞記事。

 そして死者数は、合計で……百一人だった。

 これら全てが嘘ではない事は嫌でも分かる。

 全て俺が引き起こした、二百年間で一番規模の大きい『霊波』の大災害。

 俺が優香を殺してしまったせいで。俺が優香を生き返らせてしまったせいで。

 一人で慎ましく罪を受けるのが、一番の最善手だった。と後悔したくても、俺にはその資格すらない。

 やってしまった事はもう元には戻せない。俺にできる事といえば、白猫と接触をした『擬死体ぎしたい』を殺す事だけ。

 生きている人間を……生きてしまっている人間を、殺生する義務がある。


「それでは、この『魂剥刀こんぱくとう』を渡しておく。黒猫である私が君を選んだ理由、それは君の剣の腕にも関係している事じゃ。その刀身で誰を切るのか、どの部位を切ればいいのかは刀が教えてくれるだろう。それでは教本の八ページ目を開いてくれたまえ。それが君と私を現世へと繋ぐ一ページじゃ!」

「……了解しました」


 俺の心は全て読まれている。 

 俺がどのページで手を止めるかも、どんな気持ちでページを捲るかも。 

 どんな感情も筒抜けらしい事は、目の前にいる黒猫の不吉な笑みが一番物語っている。

 流石は死を与える存在の実体だ。

 俺かこの黒猫か、一体どちらが本当の『死神』なのか、存在するなら本物の神様に問いかけてみたい。


「ほれ、さっさと開かんか!」


 意味の分からない老人の口調を演じ続けるこの黒猫のいう通りに、右手に漆黒の刀身を持つ刀を携えた俺は、死に地獄へと続く最後の一ページを開いた。

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