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ウロボロスの胃

作者: 野々

 錆びたパイプの中を歩いているようだと女は思った。彼女は巨大なパイプの左端に取り付けられた鉄の足場を歩いている。右手には気味の悪い蛍光色に染まる液体が川のように流れており所々に生物の残骸らしきものが浮かんでいる。

 女の前には男が一人歩いている。二人共白い宇宙服のような防護服に身を包んでおり、服の背に付けられた巨大な箱に酸素が詰められていた。女はスーツの中の人工的な空気を大きく吐き出す。

「『ウロボロスの胃』……ねぇ」

「入るのは初めてですか? 『人形の女王』」

 男が話しかける。男の顔は女からは見えないが、入る前に見た笑顔を思い出し女は顔を歪ませた。

「その呼び名やめてくれない? 女王なんかに憧れる歳じゃないし」

「『ウロボロスの胃』。まさしく今の時代の縮図。学校の教科書にも載る程の施設ですが、こう呼ばれた後、内部に入った人は数少ないでしょうね」

 私の話は無視か。女は心の中で悪態を着き、再び毒々しい水へと目を向ける。

 「ウロボロスの胃」。それは二足歩行型自立行動機械……アンドロイドの実用化といった科学技術の向上を遂げた現在に起きた公害事件の象徴である。

 今から十年程前。人とそっくりな姿をして、人の生活を豊かにする機械。アンドロイドが民衆の手にも渡り始めた頃、「ウロボロスの胃」は「蜂巣浄水場」と呼ばれていた。

蜂巣浄水場はアンドロイドなどの先端技術のみを集めた工業地帯の地下に作られた浄水施設であり、地上の工場からでた排水を浄水する役割を一手に担っていた。

 ある日、浄水場の一部機能が故障。それにより浄水場に溜まっていた汚水が流出した。浄水場の下流で発生する中毒事件、施設の中でも汚水が漏れ出て中毒症状によって死んでいく職員。二日後になんとか汚水が流れ出ないようにしたが、事件の処理の目途が経たず放置……今では人は寄り付かず、上に立っていた工場も全部撤退。工場跡地には単純作業が得意なアンドロイドに職を奪われた人々を中心にスラムを形成されている。「蜂巣浄水場」内部には汚水は残されたまま。

「そして『蜂巣浄水場』がドーナツ状をしていた事から尻尾を噛む蛇になぞらえて『ウロボロスの胃』へ……死と再生の象徴なのにねぇ」

「この中に生身の人が入れば中に排水から出るガスによって数秒で痙攣、十分間程苦しんだ後、死んでいきます。更に排水自体も強い毒性と表皮を溶かす程の酸性を持っていますので気を付けて下さい。このスーツで落ちたら助けられませんから」

「……ご忠告痛み入りますね。で、何で私をこんな所に呼んだの? 『鼠の王子』」

 女が尋ねた瞬間、男は足を止め、女の方へと向き直った。スーツの中から見える男の顔は女が予想した通りの薄気味悪い程完璧な笑顔であり、待ってましたと言わんばかりに大きく手を掲げた。

「『人形の女王』。私がどういう人間かは知っていますね?」

「勿論、ここの上のスラムもそうだし、首都近隣のスラムの取引を束ねる最底辺の王様(アチュートキング)。それがあなたでしょ? 『鼠の王子』」

「その通り、私はスラムを這い回る事しか出来ない鼠です」

 女の皮肉しかない説明に対して、男は気分が良いかのように笑みを深くする。それに反比例し、女の表情は益々苦虫を噛み潰したような表情へ変わる。

「けれどもまだここは自由に走り回れない」

「まぁ、そうでしょうね。こんな所。鼠が来る場所じゃないよ」

「けれども猫も来ない」

 男はそう言葉を返すと女に近寄り、防護服越しでも顔にぶつかると錯覚する程に顔を近づける。顔はずっと笑みのまま。

「作ってほしい……この胃液に耐えられるほどの装甲を持っていて、水の中を泳げる人形を」






「それで作るんですか? 店長」

 人気のない商店街の一角。「シュウリヤ」と書かれた看板のお店の中で、女は気怠そうにソファに座っていた。その女のもとに長い黒髪が特徴的な少女が、紅茶のセットを持ってくる。

「ま、作るしかないよねぇ。相手は取引のまとめ役だもの。これを断ったら私の商売にも少なからず影響しちゃうし」

 女の主な仕事は看板の通り機械を修理する仕事を主にしている。普段持ち込まれる仕事は近くの町工場で動いている古い工業機械などの修理だが、一部の人からは、アンドロイドを修理できる数少ない人間として知られている。

アンドロイドの販売や修理はアンドロイドの製造会社が一任している。しかし、アンドロイドを買う人の中には様々な違法改造を行うものが少なからず存在する。勿論そんなことをすれば会社に頼んでの修理が出来なくなり、改造次第によっては逮捕される可能性もある。

「そんな曰く付きを修理してたら、何時の間にか『人形の女王』ねぇ」

「嫌ですか? 結構似合っていると思いますけど」

「……リナちゃん。それ本気で言ってる?」

 女は先ほど紅茶を持ってきてくれた少女に思わず睨むような目を向ける。「リナ」と呼ばれた少女はそれに対して不思議そうに小首を傾げていた。

 「リナ」は女の店に住み込みで働いている。主な仕事は「シュウリヤ」の店のお金の管理、店長への料理などをもう一人居る店員とやっている。

 ちなみに彼女の月収は基本0円。時と場合によって女がお金を支給するという形になっているが、一度も支給されたことは無い。しかし「リナ」としてはそれでも何の不満は無いようだ。

「あ、でも『人形の魔法使い』とかの方が良いかもしれませんね。どんなに壊れたアンドロイドだって修理するんですから。こっちの方が似合ってますよ」

「……リナちゃんにならどんな風に呼ばれたって私としては良いけど、黒いスーツを着たスキンヘッドの男とかにもあの呼び名が浸透しちゃうのがねえ」

「……? それがなにか?」

「……リナちゃんにもこの話が分かるときが来るよ。きっと」






 先ほどの部屋とは打って変わり、巨大な金属の机が中心に置かれた部屋に女とリナは居た。その机の上には身長百七十センチ程の東洋人風の顔の男が仰向けで寝かされており、その男の髪の無い頭部の一部が開いている。頭の中からは頭蓋骨のように覆う金属から端子で繋がったケーブルが飛び出し、近くに置かれたノートパソコンへ繋がっている。

 女はパソコンの画面を横目で確認しながら大量の機材が入った箱を開けて眺めていた。

「天領重機製の特殊災害用の人工皮膚……は流石に店に無いよねぇ。その辺りはレッカーにでも掛け合ってみようかなぁ。後はアンドロイドを水中で自由に行動可能にするには……アンドロイド潜水用装備じゃ『胃液』にやられちゃうし……やっぱり自分で泳がせるのが一番かなぁ。となるとアンドロイドの全体的な軽量化しなくちゃいけない。その辺りは兵器運用に傾倒し始めた最近の天領重機のアンドロイドじゃ難しいから、やっぱり二世代前の……」

「店長」

 思考の海を漂い始めた女にリナは話しかける。

「ん? どったの」

「いえ、今更ですけどどうして『鼠の王子』さんはそんな特殊なアンドロイドを要求したんですか? 『ウロボロスの胃』と関係があるのは分かるんですけど」

「あー、それね、どうせ鼠らしく巣を作るつもりなんでしょ。わざわざあんな深い所にね」

「巣……隠れ家みたいなものですか?」

 女の言葉に「リナ」は人差し指を顎にかけ、「考えるポーズ」を暫くした後に答えた。

「そうそう、王子様的には今は絶好調だろうからね。事業拡大でもしたいんでしょ」

「はぁ……」

 「リナ」は分かったような分からないような複雑な表情をした後、苦笑という返答を行った。それを見た女は「ま、私達には余り関係ないから」と言うとノートパソコンの方へ注視する。

「店長、分かってるならちゃんと言って下さいよぉ」

 「リナ」ははっきりと答えない女に向けて少しため息をついた後、キッチンの方へと向かっていった。






「思っていたよりも早かったね『人形の女王』」

「その呼び方、やっぱ無いわ」

 「ウロボロスの胃」に入ってから約二週間後。女の前には「鼠の王子」がいつも通りの張り付いた笑みで座っていた。

 今二人が居るのは毒の川とは打って変わって、高級ホテルかと見間違うほどに絢爛豪華に彩られた部屋だった。しかし部屋の扉だけは錆びだらけの鉄の扉であり、そこを開けると古い工場のごみ集積所に出る。角を一つ曲がれば違法薬物の取引が横行している闇市に出る……というホテルにしては奇抜すぎる立地条件の場所である。

 ここは「鼠の王子」の使っている「隠れ家」の一つ。「鼠の王子」はこういった部屋を幾つもスラムの中に所持しており、彼は週毎に移動して身を潜めている。

「それで、君の後ろに居る『彼』が、私が頼んだ人形かな?」

 「鼠の王子」は女を見ながら話しかける。女の後ろには東洋人風の髪の無い男が立っており、虚ろな目で「鼠の王子」を見つめている。

「そう、貴方の要求通りのアンドロイド。『彼』ならあの『毒液』にだって耐えられるし、水中でも泳いで移動することが出来る。どうかしら?」

「……うん、私の望み通りの物を作ってきてくれたんだね。流石だよ。『スズメバチ』が気に入るだけの事はある」

「あなた、彼とも交流あったの? 本当に命知らずね」

 女は疑問を呈すが、「鼠の王子」はそれを無視して、アンドロイドの方へ近づく。そして体を触ったり、目の所で手を振ったりし始める。

「うん、良い! 指もちゃんと稼働するね。けど顔はちょっと古い感じがするかな? 私としては最近万寿蓮花から出されたタットルⅢ型とか好みなんだけど……まあ、そこまでは要求してないしね」

「ねぇ、『鼠の王子』。私は特別気になるわけじゃないけど、『ウロボロスの胃』で何するつもり?」

 アンドロイドの前で子供の様にはしゃぐ男に、女は尋ねた。

「大したことじゃないさ。国が捨てたものを有効利用するだけ。いつものごみ漁りさ」

男の方は女の方は見ず、アンドロイドの背中を注視しながら聞き返す。

「ここのスラムも『ウロボロスの胃』も、国にとっては大問題の凶暴な蛇。でも、私にとっては全てが有益でね……先日、面白い物を見つけたんだ」

「面白い物?」

「そう」

 呟くと男はアンドロイドの元を離れ、金で装飾された棚から紙の束を引き出し、女の前へ出す。

 女はそれを暫く眺める。そしてその内容に思わず目を丸くした。

「これ……『蜂巣浄水場』の設計図じゃない!」

「そうさ、『蜂巣浄水場』を設計した会社はその後、事件によって倒産したらしくて、そこの社員の一人がここ(スラム)まで堕ちたらしい。その時に金になるかもしれないと持ってきたみたいでね。大金出して私が買ったんだ。元々、あそこをどうにかして使えないかと考えてたからね。けれど『胃』の中に入るには毎回特殊な防護服が必要だし、防護服も一回使うごとに洗浄処理しなければいけない。そこまでしても『胃液』に落ちれば溺れてアウトだ……でも、その設計図が手に入ったから」

「『ウロボロスの胃』の中にどんな部屋があるか事前に分かって調査が捗ったって訳ね」

 女の言葉に男の笑みは深くなる。自分の計画が大きく前進したことがとても嬉しいらしく男の口は饒舌になっていく。

「その通り、それで私は『ウロボロスの胃』のコントロールルームを見つけた。それさえあれば、排水もガスも思うがまま。けれどもその部屋の入り口は規定量を超えた排水で水没していてね」

「……成程」

 女はそれを聞くと、満足したかのように立ち上がり、虚ろな「男」を置いて、鋼の扉へと歩を進める。

 「鼠の王子」はその背中に向けて、いつも通りの笑みのまま言葉を投げる。

「分かってはいると思うけど、この事は秘密の話だ。もしばらすようなら……」

「分かってるよ。『人間』には誰にも漏らさない……あ、でも一つ良い?」

 女は振り向き、男に笑顔で言った。

「機械の部品。私に安く売ってね」






 「シュウリヤ」の一室。女は鼻歌を歌いながらソファに座り、淹れてもらった紅茶を啜る。女の前には「リナ」が座っており、紙媒体の新聞を広げている。女の後ろには金髪が特徴的な美しい少女が佇んでおり、そんな二人の様子を瞬きひとつせず見つめていた。

「『二足歩行型自立行動機械企業利用法。通称アンドロイド労働法の制定。企業からの反発によって制定は困難か』だそうです。店長」

「そうなの? ま、何十年も金を払わなくちゃいけない人間よりも、初期投資と数年おきのメンテナンスだけで大体済むアンドロイドを取るよね。他に面白いニュースは?」

「そうですね……あ、英雄社が新作アンドロイドの発表をしたそうです。『価格設定は従来の物よりもよりリーズナブルに』」

「ふーん……ルナちゃん、紅茶おかわり」

「畏まりました」

 女の言葉と共に後ろの少女は直ぐに動き、カップに紅茶を注ぐ。女は少女に感謝を伝えると直ぐ口を付ける。

「うん、良いね。これはリナちゃんに負けない位紅茶淹れるの上手くなってる」

「そうですか。ありがとうございます」

「店長、機嫌良いですね」

「そう?」

 「リナ」の言葉に女は「ルナ」との会話を止め、振り向く。

「そうかも、『鼠の王子』からの報酬のおかげで暫くのんびり出来そうだしね」

「ああ、そうですね……結局、『鼠の王子』は何をしたいんですか? 『ウロボロスの胃』をコントロールしたいというのは分かったんですが」

「コントロール出来るってことは中の汚水とガスを出すことも自由自在。まあ、それは副産物だろうけどね。『鼠の王子』が欲しかったのは『換気扇』じゃないかな?」

「換気扇?」

 思わぬ言葉に「リナ」は女の方へ目を移す。「ルナ」はその言葉には興味を全く見せず、女の手にある紅茶の動きを目で追っていた。

「そ、汚水もガスも事故の時みたいに外に流せば凄い被害が出る。ちょっとした兵器ね。でも『鼠の王子』はそんなもの求めてない。彼が欲しいのは武器じゃなくて隠れる場所。いや、隠す場所が欲しいのよ。戦わないで、逃げたいのよ」

「はあ」

「『ウロボロスの胃』にはガス対策で沢山の換気扇も取り付けられてる。それは一度空気洗浄されて外へ出す為の物みたいだけど。上手く使えば、一時的に特定の場所のガスの濃度を下げるのに使うことが出来る。生身の肌でも大丈夫な位にね。一々洗浄が必要な防護服を着ずに中へ入れて、用が無いときはガスの濃度を濃くしておけば入るのは一気に難しくなる。そういう環境って彼らには天国みたいな場所じゃない」

 ま、どうせ密輸した銃器をとかを隠したいだけでしょ。女はそう言うと再び、紅茶を口に入れる。

 「リナ」はあっさりと言う女に思わず口を挟みたくなるが、碌に効果はないだろうと口を噤んだ。

「ルナちゃん」

 女は再び紅茶を要求する、「ルナ」はそれに対して首を横に振って返答した。

「すみません、紅茶が切れましたので、再び淹れなおしますね」

「あ、良いよ。そんなには飲む気無いし。捨てたら勿体ないし」

 そう言った後、空になったカップの中身を女は覗きこむ。


  国に殺された蛇は再生した。蛇は再び牙をむく。

  国から捨てられた人々は怒りを燃やす。鼠に唆されて、武器を握り。


「鼠が派手に動くときは良くないことが起こる……か」

 しかし、自分にはどうでもいい事だ。女はその先には興味を示さず、カップを置いた。



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