いじめを解決した話
いじめられているあなたへ。
いじめをなくす方法なんて、ありません!
でもいじめをかわす方法は、少しだけあるようですよ?
それを伝えたいと思い、筆を取りました。
私が小学二年生の時です。
私は体が小さくガリガリだったので、いつも決まった男子達からいじめられていました。
ある時駄菓子屋で買い物をしていたら、
複数の男子に取り囲まれました。
私がお釣りの70円を持っていたのを知っていて、彼らはカツアゲに来たのです!
(今思えば小二がカツアゲってどうかしてる地域だよなあ)
私は殴られ、70円を奪われました。
男子達はそのままそれで買い物を楽しんだようです。
さて、私はどうしたかというと……
トントン。
「おばちゃーん、O君にお金取られたよぉ」
はい、カツアゲ野郎のカーチャンに即報告です。
だって、大切なことは報告しなきゃ駄目なんですよ?何事もホウレンソウですよね?
O君のお母さんは玄関を開け、私の姿を見てびっくり。一応Oの母は私のことを知っていて、謝ってくれました。
「話を聞いてくれる大人で良かった〜」
私はO君の家しか知らなかったので、そのまま家路につきました。
その夜、何やら私の家周辺が騒がしくなりました。
なんと、私を殴っていた男子達のご両親らが、手土産片手に詫びを入れに来ていたのです。
私の母はびっくりしていました。
なぜなら私は、肝心の母には話を伝えることをすっかり忘れていたからです。
「申し訳ありませんでした!全くこの子は!」
と息子の頬をばんばん張るカーチャンから、
「ふざけた息子なのでボコボコにしておきますね」
と息子を殴り出すトーチャンまで、色々いらっしゃいました。
阿鼻叫喚の我が家の玄関口を覗き見、子供の私が感じたことは、侮蔑でもなく憐れみでも胸のすく思いでもなく、
「子供を殴っている親がこんなに存在するのか……」
という事実への端的な驚きでした。
いや、今大人になって思えば、このカツアゲ男子達が私を殴るという当然の帰結をした理由が分かります。
彼らは日常、殴られているから、人を殴っていたのです。
カツアゲ男子とその両親からの手土産を肴に、母は私に伝えました。
「みんなあんたが羨ましいの」
案外そうなのかも知れない、と私も思いました。
「あんたが幸せそうだから、殴ったの。いじめる人は、どこかでいじめられているからいじめて来る。反撃しなさそうだと安心した相手に、反撃出来なかった自分を投影しているだけなの」
「だからあいつらはこの世で一番不幸で弱い人間なの」
「あんたは幸せなんだよ。いじめられたかもしれないけど、幸せだからいじめられた。あんたは決して不幸にはなれない。だからまたいじめられるかもしれないけど、幸せだからしょうがないと思うしかない」
それを聞いて、小学二年生の私は
「そうか、私は不幸にはなれない。いじめる方が不幸なのだ」
と思いました。
その強烈な感覚は、大人になってからでも変わらず脳裏にこびりついています。
いじめとは、圧倒的な被害者意識が、次の被害者を欲しているだけの行為です。
それに付き合う暇も労力もかける必要はありません。
ただ、彼らより強い味方を付けるだけで、いじめは終わります。やはりあの後、私をいじめていた男子達は私へのいじめをやめました。
やられたらやり返して来る奴に、自分を投影出来なくなったのでしょう。
世間は春休みなので、街中ではしゃぐ学生さんを横目に、ちょっとそんなことを思い出しました。
私も社会人なので、やはり職場でいじめられることはあります。けれど、自分は不幸ではない、仕事も誰よりこなせている、と再確認してから先輩や上司に相談すると、何とかなることが多いです。
今日もいじめ報道の絶えないテレビを見る朝がやって来ます。
もうすぐ新学期、気を強く持って行きましょう。
以上です、読んで下さってありがとう。