表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あわいさの茶屋  作者: 汐の音
壱 お客さん
4/36

3 満員御礼(後)

 花魁は少女の手元の和紙を、一心に眺めている。

 だんだんと浮かび上がる、濃淡の墨の線で描かれる一人の女性――それが自分なのだと気づいたとき、彼女は驚きに目をみはった。


 少女は廊下に座して、いまだに絵を凝視している。


 (手元が寂しいな……そう、(かんざし)だ。藤の意匠の、漆塗り。誰かから贈ってもらったものを、差せないでいるような……)


 思うと同時に手は動いた。

 三味線の(ばち)のような形。

 扇状に広がった部分には螺鈿と金箔で、ささやかながら藤の装飾が施されている。光を吸い込む黒漆の光沢。大人しいけれど、品のよいもの。


 しかし――絵の女性の手もとに、無事に簪を描き終えた刹那。

 天音の前髪の生え際あたりで、ちりちりと違和感が生じた。……だめだ。()()()()


 察した少女の声音は素早く、鋭かった。


「烏! 目をとじて、手を離して。今すぐ!」


「! …すまん。わかった」


 烏は、即座に従う。

 天音も視線は上げない。



 腹の底がうねるような違和感がする。

 しばらく、それはちりちりと天音の精神を焦がしたが――やがて薄まり、いつも以上に濃厚な、どろりと空気が溶け出す気配を感じさせた。……思わず身体が強ばる。ぎゅっと、目を瞑る。


 ――――どれくらい、経ったろうか。


 ()()が通りすぎるのを、指一本動かさずに遣り過ごした天音は――ようやく目を開いて、そうっ…と視線を上げた。


 目の前で、連ねた座布団に横座りしているのは、絵のとおり楚々とした、うつくしい女性。花魁だった頃よりも幾分か若返っている。

 藤色の着物、控えめな結い髪。手には藤の意匠の漆のかんざし。足の傷も、ない。


「どう?お()さん」


 問いかけた少女に、花魁だった美女は――ふぅわりと、幸せそうな微笑みを浮かべた。


「ほんま、おおきに……そう。うちは、こんなんやった。昔は…」


 す、と伏せた睫毛が、白粉をせずとも滑らかな頬に影を落とす。

 彼女は手に握ったかんざしを、とても大事そうに――胸の前で、祈るように抱きしめていた。


 天音はほうっと息を吐いて、緊張を解く。

 烏も安堵の表情を浮かべて、こちらを見た。


 ――ちょっとは怖い思いをしたのだろう。ふてぶてしい彼には良い薬だと、少女はあえて無視をする。


「よかったです。あの…うち、ほんとは茶屋なんですよ。何か、お飲みになります?」


 天音はにこっと笑って、本業を開始した。




   *   *   *




「へぇ、島原の」


「そうなんよ。江戸の吉原、京の島原いうてな、遊郭の二大聖地や。他にもぎょうさん、あんねんけどな。殿方はほんま、物好きや」


 流れるような京言葉。彼女は見た目よりもずいぶん、饒舌だった。


 けれど、美女が楽しそうに語らうのを見るのは、いい。

 天音は、今はちゃんと座布団に座っている。

 縁側で烏と天音、二人で美女を挟む形だ。


「そう? 物好きかと問われたら、そりゃ好きだよ。男はみーんな、そうだろうね」


 あっけらかんと、烏は笑った。

 美女も、ふふふと笑っている。


 彼女の膝には漆のかんざしと、両手で支えた白磁の湯呑み。中には、澄んだ緑の煎茶があと少し、残っている。――…香りのよい煎茶をご所望だったから。


「うちな…好いた人がおってんけど、お(いえ)が傾いてしもぉて。珍しゅうもない話や。島原に売られてん。けど…うちを身請けしたい言わはるお大尽に、そのぅ……ばれてしもぅて」


 何が、とは聞かないでおく。

 烏もそこは察したのか、黙り込んだ。


「座敷で切られそうになったから逃げてんけど、(くるわ)の裏で追いつかれてな。足、やられて……大事にしてた簪も取られて、井戸に放り捨てられたんや。うち、カッとなって(なん)も考えんとな。それ、拾いたくて………つい、入ってしもてん」


「…井戸に?」


「そう。自分で。阿呆やろ?」


「いや、阿呆というか…つい?」


「そ。勢い、やな」


 烏と天音は、同時に目を丸くした。

 なんというか、凄絶なのだが…


「ずいぶんと、思いきったんですね」


 そう、それ。

 天音は、烏の言葉に無言で頷いた。

 美女は、やはり、ふふっと笑っている。


「うん。まぁ…痛い思いも、辛いことも、悔しいことも…あったけど。これだけは譲れんかってん。意地やな、京女の」


 ふと、思い出す。

 絵を描く前に、天音の胸に浮かんだ“武家の子女のような”印象。

 それを、美女は確かに備えていた。――(つよ)い。


「あぁ、確か、気が強いので有名ですもんね。京の女のひと。そっかぁ…」


 天音は、納得した。そういうことなら……

 かさり、と先ほどの絵を渡す。


「お相手の方、気になります?」


 絵を受け取りながら、美女は一瞬無防備な表情(かお)をした。

 視線は絵に固定されているが、多分見えていない。

 ――それでも空になった白磁の湯呑みを、代わりに、少女へ差し出した。


「そりゃ、気になるけど…」


「結ばれてたら、辿り着けるし、淡い縁なら消えてます。お姉さんは、もう充分がんばりましたよ。

 ……それ、差しあげます。忘れそうになっても、きっと思い出せるから」


「えぇの? えらい…おおきに…! せやな。思うところにおらんかったら、探いて、しばいたったら、えぇねんな。ほんま…ごめんな。有り難う、お嬢ちゃん――美味しかった。ごちそうさま…」


 美女は、言葉のすべてを言い終わるまで、ずっと姿を維持していたが―――やがて、最後に満たされた微笑みを零すと、ふと景色に溶けた。


 自然と、烏と目が合う。


「…なによ」


「いや? 何も?」


 にやにやと笑っている。むかつく。

 天音は、美女が残した湯呑みと絵を持って、すっくと立ち上がった。

 ちらり、とまだ座る男に視線を流す。


「烏、まだいる? あんたが今日は最後のお客だと思う。店じまいしたいから、さっさと注文して」


 言うだけ言って、ふいっと湖のほうを向く少女。

 烏と呼ばれた青年は、右足を立て膝にすると姿勢を崩し、気配を寛がせた。


 「素直じゃねーな」と、呟きながら。


しまった。そんなにきちんと京言葉を勉強してませんでした…!

本場の方がいらしたら、誤字報告していただけると……原型がなくなりそうですね。ほんと、すみません。ふんわり設定で…

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 天音という主人公様の何処か淡々としているというか、浮世離れしているというか……。 物語の神秘性も相俟って、不思議な読み応えです。 絵師?のわりには、彼女自身に色がない。 そんな天音の今後が…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ