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あわいさの茶屋  作者: 汐の音
結

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36/36

千倍返しの約束を※

「……で? それが、そんときの絵なわけ?」


「あぁ」


 かさり。

 不思議なことに――その和紙は消えずに残った。人の世に属するものではない。あのとき、彼女に貸し付けた“力”が込められているからかもしれない。


 ねぐらとする広大な山林。その一本杉の上で、烏は枝に腰掛けている。片膝を立てる癖は変わらない。修験者姿だ。背に大きな黒羽(くろはね)を出している。

 傍らで、器用に一本歯の下駄で枝を踏みしめる少年――こちらも修験者姿。烏によく似ている――は、ふふん、と斜め上から兄者と仰ぐ存在を見下(くだ)した。


「ほんっと、どーしようもねぇ女に引っ掛かってやんの。兄者のばーか。とんま」


「うるっせえ。突き落とすぞ」


「飛べるけど?」


「わかってる。綺羅(きら)に羽だけ凍らせてもらう。いい考えだろ?」


 うへぇ……、と、よほど苦いものでも口にしたように、少年は顔をしかめた。

 「勘弁してくれよ」と、ぼそぼそ反論している。

 烏はそれを綺麗に聞き流した。すっと視線を落とす。膝の上。広げた和紙に。



 ――――天音(あまね)がいた。

 年の頃は、烏とともに暮らしていた乙女の姿。十八、九ほどの。

 崩した着流し姿の自分に寄り添い、はにかんだ笑みを浮かべている。


 自分も。


 (……こんちくしょう)

 今の自分は、ただただ静かだ。


 あれから半世紀ほど、むしゃくしゃして暴れ回った。そこら辺の妖(あやかし)どもに喧嘩を吹っ掛け、勘当寸前だったのだ。べつに、望むところだったが。


「……あんまりさ、自棄(やけ)になんなよ。杜(もり)の守(かみ)も仰ってたじゃねぇか。『そこまで好いた女なら次こそ連れてこい』って。――『清い身のままなら、嫁として認めてもいい』って」


 しょうがねぇ兄者だな、と呟く声には間違いなく肉親の情が宿っており、烏はつい苦笑する。


「末(すえ)の。お前に慰められるようじゃ俺も地に落ちてるよな。……次の総領、お前がなれよ」


「やだよ」


 即答。烏と末弟との、何度となく行われたやり取り。わかりきっていたし、諦めもついている。

 ――しかし。


 きらり、と山並みの向こうに視線を投げ掛けた烏の黒瞳が紅の光を帯びた。


「多分だけどさ。見つけたんだ。……あいつ。また、人の子として生まれてる」


「! ……まじ、いつ? どこで? 近辺?? ちゃんと女か??」


「女だよ。今、六歳」


「……うわぁ……」


 末弟は何とも言えない表情(かお)になった。


「知ってる? 兄者。最近の人の世でさ、『ろりこん』て……――」


「煩(うるさ)い黙れ」


「あ、はい」


 烏の目が据わっている。膝の上の和紙を丁寧に折り畳み、再び懐へと仕舞った。


 傍らの少年は、これまた器用に一本歯の下駄を履いたまま、しゃがみこんでいる。

 ぷるぷると震える背中に黒羽。顔をすっかり覆う様子から察するに――中々(なかなか)つらそうだ。

 烏は、思いっきり横目で末弟を睨みつけた。


「笑ってろよ、くそガキ。番(つがい)も見つけてねぇくせに」


「ぶっ……ふはっ! 無理無理。こんな、たった一人の人間の女に振り回された兄者をずーっと見てんのにさ、どうやって番なんか持つ気になれんだよ。おれは要らない。せいぜい―――」


「? 何だよ」


「何でもない」


「?」


 おかしな奴だな、と微笑(わら)う烏に、少年も片頬を緩ませる。

 その、どこか大人びた表情で。心の内で呟いた。


 ――――いつか。


 いつか、無事に約束を果たして。姉ちゃんを迎えに行けたなら。そんで、うまいこと子宝にも恵まれたなら。

 そんときは、子どもと子々孫々、厳重に守護してやるよと今は言わない。言えるわけがない。



 大荒れに荒れていた長兄の姿は、まだ記憶に新しい。

 それほどの深い疵(きず)なのだ。杜の主(ぬし)様が調伏に乗り出すほどまでの。


 (さすがに怖かったもんな……あのときは。山野に林、全部総崩れ起こすかと思ったぜ)


 まったく、と。

 溢した声はやはり、聞き流された。



 見はるかす地平の先。その何処かで生まれた『天音』だった娘に。


 烏のまなざしはずっと、注がれている。



 〈了〉







挿絵(By みてみん)


 最後まで読んでくださり、ありがとうございました!


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― 新着の感想 ―
[良い点] どこか儚くて状況を受け入れているようでいて、はっきりと意志を持ってかけがえのない思いに自ら手を伸ばしていく天音さんのヒロイン像がすごく素敵でした。 生前の「澪」さんの生き方と、今の「天音」…
[良い点] 妄執の果ての蛮行と斬って捨てるのは簡単ですが、総史さんの想いを知れば、やはり切ないものがありますね。 烏のイイ男っぷりが最後まで眩しくて、天音が惚れるのも納得です。 繊細で絹の様ななめらか…
[一言] 全体的に、言葉の選び方がどれも素敵で、ほう……と溜め息を吐きながら、拝読しました。 和の空気の中で流れる、静かな時間。 天音が絵を描くたび、水墨調の世界にぽんと色が落とされて、色数が増える…
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