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あわいさの茶屋  作者: 汐の音
肆 夜明け前、あがくもの

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33/36

32 烏の“力”

 ――暗い。

 茶屋中どこもかしこも軋み、外は唸りをあげる“夜”が猛り狂っている。

 またどこかでカシャン! とひび割れる音がした。


 立っているだけで感じる、潰されそうなほどの圧。

 天音は、屋根と壁越しに伝わる黒い奔流の矛先が――茶屋ではない。自分なのだとはっきり悟り、身をかき抱いた。寒い。


「まずいな」


(からす)


 まだ黒羽を背から出したままの青年が呟く。かれの体からこぼれる仄かな光。それだけが光源だった。


「仕方ない……天音(あまね)?」


「うん?」


「今から、俺の“力”をちょっと分けるから。取りこぼすなよ」


「え。――や、あの……ッ!?」


 言っていることと、やっていることの差異に理解が追いつかない。天音は狼狽(うろた)えた。問い質す間も、避ける(ひま)もなく引き寄せられる。


 ――――我ながら呆れる。

 こんな時なのに、睫毛を伏せた烏の顔と真剣なまなざしに一瞬だけ見惚れた。

 ……腕のなかなのに、ちょっと遠いな? と漠然と感じた理由が、自分の外見が幼くなったせいと思い当たるまで僅か二秒足らず。その間に(おとがい)に手をかけられ、身長差をものともせず唇を奪われた。


 が、いつもと違う。

 合わさる感触は一緒なのに、吹き込まれるのは光に似た熱。

 総史(そうし)を飲み込んで暴虐さを増した“夜”とは対極的な、真っ白な“力”の(ほとばし)りだった。


 くらくらする。それ以前に。


 (何、これ?! (あつ)っ……煮え湯、とかじゃない。熱そのものだ!! ()ける。裡側(うちがわ)がぜんぶ溶かされる……っ!)


 身体が。手指の先まで炉で鋳られる鉄のようだった。

 そもそも生身の身体ではない。本当は、剥き出しの心の一部でしかないのだ。

 かれも言っていた。今の私は魂のほとんどを使って「ここ」を創り維持している。残された僅かな精神――ぎりぎりの器なのだと。


 ある意味、苦行のような口づけのあと(ようや)く烏が離れた。すると、どさり、とその場に倒れてしまう。


「え!! だっ……大丈夫なの? からすっ!?」


 みずからの胸も、胃の腑も光で灼け焦げたような痛みで喘ぎつつ、天音は烏の側に膝をついた。

 烏はもう光っていない。部屋中、真っ暗闇だった。


 ひゅー……と、辛うじて息が聞こえる。とても、とても小さな。

 やがて微かに、あまく掠れる声を耳が拾った。


「い……から。使え。ただし……むだ遣いは、すんな……」


 したら、千倍返しだと。

 最後は囁き声だった。


「!!」



 その声とともに、爪の先まで理解が及ぶ。

 身の裡に荒れ狂うのは光だ。人の亡者には本来手に負えぬもの――気が遠くなるほど永く、修養に明け暮れたまっとうな大妖(おおあやかし)の備える“力”。


 ――できる。


 ()()()



 すぅ……と息を吸い込んだ天音は束の間目を閉じ、集中した。肚の奥底、臍の下あたりから身体中を満たす“力”に喚び掛け、助力を乞い願う。


 (どうか助けて。綺羅、あなたも手伝って)


 変わらず熱い。

 溶けて、周囲との境目がなくなりそうなあやふやな感覚を「……チリン!」と、涼やかな音色が引き戻してくれた。


 ――できる。やる。やらないと。


 だってここは、あわいさの異界。幽世(かくりよ)の狭間に創り出した、主は私だ。

 私じゃないと、できない…………!


 つよい想いを宿したまなざし。

 天音は、かがやく金の瞳をみひらいた。



「『鎮まれ……“夜”!! いま、この一時(ひととき)だけでいい!』」



 まだ、やらねばならないことがある。

 意思を乗せた少女の命に――不気味なほどぴたり、と。


 咆哮と、どす黒いうねりが止んだ。




   *   *   *




 行灯(あんどん)の戸を引き上げ、覗き込む。中の油皿に浸した灯芯(とうしん)は木綿。それに、そぅっと火を灯す。


 何となく息を吹きかけるだけ。

 普通なら消すための仕草だが、茶屋(ここ)の場合、店主の気まぐれですべてが事足りる。


 やわらかな明かりをこぼす、四角い障子紙の白さに目を細める。

 傍らに横になっている、今は目を瞑っている青年――その髪に触れた。


 いとおしい。

 好きでなければ髪など触れない。撫でたりはしない。


 (総史さんも……形はどこかで誤ってしまったにしても、私のことは……欲しいのよね。今も)


 眉がひそめられる。口の両端が微妙に下がる。どんなにやさしい言葉を連ねても、かれの行いに頷けるところなど何もない。



 ふと、閑散とした十二畳間の隅に積んだままの和紙と文鎮がわりに無造作にかさねた(すずり)が目に映った。愛用の筆がその横に転がっている。


 部屋は薄暗いままだ。ただ、見ようと思えば見られる。天音は、つ、と草履を脱いだ素足を畳の上に滑らせた。


 視線を紙に落とす。

 筆を、手に取る。



「やるしか……ないか」


 後ろを振り向いた。眠る烏に目を遣り、唇を噛む。

 が、すぐに前を向く。

 震えを抑えるように一つ、深呼吸。

 祈るように目を閉じ――手に馴染んだそれを、胸元に押し当てた。


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