表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あわいさの茶屋  作者: 汐の音
肆 夜明け前、あがくもの

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

31/36

30 向き合うこと

 もう、消えるんだろうなと覚悟すると、途端に何もかもが愛しく思えた。

 荒れ狂う“夜”以外はすべてがぼんやりとした色彩の、あわいさの異界。生家の離れを写し取った茶屋。……玉砂利の庭。



「じゃ、行ってくる。(からす)


「おう」


 縁側から草履を引っ掛けた天音(あまね)は、じゃり、と足裏に丸い粒石の感触を確かめた。後ろは振り向かない。見てくれているのは、わかってる。


 確かめる必要はない。

 ゆっくりと歩を進める。踏み出すたびに風景が変わってゆく。



 ――一歩。

 根本から立ち現れ、駆けあがるように像を結ぶ桜の木々。音はない。

 二歩、三歩と進むたび、白っぽい染井吉野(ソメイヨシノ)綿雲(わたくも)のような花枝で空を覆う。木立と庭は、(たちま)ち散る花びらに包まれた。


 目許はまだ熱い。ちくり、と胸が痛む。


 本当ならあの五日後、祝言を挙げるはずだった。「からす」を忘れることはなかったろうけど。かれも私も、互いに穏やかな幸せは見いだせたはずだ。

 あの日に至るまでの、私達なら。



 ――八歩。翡翠色の池が玉砂利の庭の端に現れた。

 苔むした組石。桜はここにも降り注ぐ。水面に落ちた花弁はしずかに、幾重にも淡い波紋を及ばせた。

 伝う。広がる。その有りように、わずかに目を和ませて。


 天音は顔を上げ、視線を遠くくすんだ山並みと鏡面をなすだけの湖、さらに手前の紅葉林へと向けた。

 一言、ささやくように呟く。


「消えて」


 異界の主の『言葉』に、視界を飾っていた絵のような景色はかき消えた。(くれない)の一葉、ただその一片も残さずに。


 天音は姿勢を変えずに目を瞑る。(えが)く。確かこうだった―――


 桜の木立より少なめの楓の若木。それが池の対岸に並ぶ。葉はまだ青い。

 ……そして、左側。池から離れて六歩。


 す、と両腕を伸ばす。

 喚ぶ。その存在の影を。


「おいで大欅(おおけやき)


 めきめき、と音が聴こえた気がした。

 「……ちょ、お前それ……力業(ちからわざ)にもほどが」と、やや離れた縁側から呆然とした声が届いた気もするが、無視した。


 そう。ここは茶屋。焼け落ちたあの()()じゃない。でも――


 天音は目の前の樹皮に触れた。

 ……大きい。やはり、『影』を少し借り受けただけで存在が違う。


「ごめんね。見届けてもらったら、すぐに送り返すから」


 はるか頭上、かさなる枝振りを見つめて樹に詫びる。大欅はもちろん、返事を返さなかったが。


 天音は笑んだ。右手を幹に触れさせたまま、やがて素の顔に戻ると左の手首に視線を落とす。

 ちりん。

 わざと鳴らす。



 ――怖い。

 怖いに決まってる。でももう死にようがない。ましてやここは、私の庭。


 (いつまでも好きにはさせない)


 眉根を寄せて思いを結ぶ。胸に染み落ちた一滴の恐怖と向き合い、その存在を(えが)く。ないはずの血の気がぐんぐんと下がる。

 ――が、身体中が叫ぶ『拒否(やめて)』を、天音は意思の力で()じ伏せた。



「いるんでしょ総史(そうし)さん」


 きて。



 口にはしなかった命ずる『言葉』。

 けれど、かれは律儀に顕現した。


「あぁ。……(みお)


 じゃり、と後ろで玉砂利の鳴る音。立ち現れた気配。それはすぐ鷹揚な足どりで近づき――


「!」


 天音を背から抱き締めた。

 髪に埋められた、かれの口許から安堵の息が漏らされる。その生暖かさに、ぞくり、と粟立つ。

 (……だめ。負けない)

 震えそうになる両足を内心で叱咤する。右手は未だ樹皮に触れたまま。


 (よわい)十六。

 あのとき、かれと夫婦(めおと)になるはずだった姿――ここで、烏と暮らし始めるまではずっと(まと)っていた姿に無意識に立ち戻り、天音は唇を引き結んだ。


 (……終わらせる。かれを此処に(とど)めちゃいけない。きっぱり、離れてもらうんだ)


 そっと、鈴を巻いた左手で、みずからに回された忘れようのない腕に触れた。

 愛しさではない。あえて言うなら憐憫と、向き合う覚悟のみを乗せて。


「ほんと……どうしようもない人よね、総史さんって」



 自分でも、呆れるほどのお人好しさで呟いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ