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あわいさの茶屋  作者: 汐の音
参 名を知らぬひと

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29 選択(後)

 どちらからともなく近づいた顔に、引き寄せられるように唇があわさる。瞳を閉じ、意識の境目が蕩けるほど深く、相手のことだけに集中した。


 ……好き。

 だいすき。


 触れられなかった、生きていた頃よりも。

 無惨だった死のあと、今のほうがずっと幸せだと思う。けれど――


「天音」


「……ん?」


 つ、と。

 青年が、少しだけ距離をとる。伏した長い睫毛が(やわ)く頬をくすぐり、互いの鼻の頭は触れたまま。どこまでも優しいぬくもりが肌を伝う。


 切なさだけで、もう一度死ねるんじゃなかろうか、と。


 天音は埒もないことを考えた。

 あまやかに下唇を()んだ烏が、見透かすように淡く微笑む。


「やっぱ、お前って泣き虫なのな」


「うるさい。へたれ烏……! 何で()()()()姿を消したの。せめて……」


「せめて?」


 さら、と弄ぶように右手指が耳下からうなじの髪を()いた。そのまま耳朶と首筋を、なぞるように愛撫される。

 天音自身の右手は今も畳に縫い付けられている。

 振りほどく気はもちろん、ない。


 ――目が。胸が。喉元が。

 死んだ瞬間のあのときとは違う。ぎゅっ……と、締め付けられるようにつらい。いとしさがこみ上げ、涙と嗚咽が勝手に(あふ)れた。


 このひとが好き。

 ――ずっと。ずっとこうしたかった。間近で声を聴きながら、思うままに触れてほしくて。

 (このひと)のことだけ、感じていたかった。



「あ」


 肩を引き寄せられ、そのまま抱き込まれる。たちまち広い胸に体重を預けるはめになり、両の(かいな)に包まれた。

 容易く溶け込む幸福感に、頭の芯が酔いしれる。


 ――……普通の死者では、ありえない。

 みずからが魂を削ってまで作り出した異界だからこそ可能な力業(ちからわざ)

 それだけ、このひとを欲していた。


 ()()に、命も何もかも奪われたからこそ、ささやかだが譲れないもの。


 (からだ)の真芯が疼く。半ばひらいた唇。もの言いたげなまなざしで見上げている自覚はあった。

 案の定、(おとがい)に指をかけられる。のけ反るほど上向かせられ、落とされた口づけをあまく受け入れた。


「……ちょっと、休むか?」


「いい。……そもそも、まだ眠くない」


「そ? 残念。見せつけてやろうと思ったのに」


「? え、……誰に?」


総史(そうし)……だったか。お前を殺した奴。だいぶ前から“夜”に紛れ込んでるだろ? いっつもこっち視てるし、だんだん強くなってる。すげぇ厄介だよ」


 言うや否や、スゥッ……と烏の指先が天音の胸元に触れた。


「! ん……っ」


 返事も許さない、噛みつくような再度の口づけ。どさくさに紛れ、器用に着物の(あわせ)をまさぐっている。こじ開けられた歯のあいだから差し入れられた熱い舌に、いいように翻弄された。


 (…………だめ。ここで流されたら、またうやむやにされる……!)


 必死で。なけなしの理性で天音は身を(よじ)った。その、僅かな隙に問いかける。


「あ、ぁあのっ!! そういうのよくないと思う。そ……総史、さんは……今も会いたくない。でも、会わなきゃ」


「ふーん? 俺との逢瀬より?」


「!?」


 ――来た。烏お得意の混ぜっ返し術だ。今まで何度、この手に乗ったことやら。


 天音は、大仰にため息を吐いたみせた。

 本気で落としにかかっているとき特有の熱を帯びた眼差しに、あえて微笑みかける。


 笑みながら、つきん、と痛む胸をおさえて。


「好きよ、烏。生きてた頃も、死んだあとも。比べようがないし、あんたさえ居たらいいと思う。……でも」


 鬱金色の視線を落とす。

 きゅ、と瞑目し、軽く唇を噛んだ。


「総史さんを、狂わせたのは……あぁまで、させた因果のもとは私にもあるの。かれなりに出した結論――落とし前が、“澪”としての私を殺すことだったなら」


 ちり、とわざと音を鳴らす。左の手首にきつく巻いた、朱色の糸の綺羅の鈴。

 ……多分、できると思う。喚べる。確証はないけれど。



「私は、かれを解放しなきゃいけない。でないと、()()()()()()()()。会いたくないけど、会わなきゃいけないって、ずっと思ってた」


 右手の指で、そっと鈴に触れる。温もりを吸ってすっかり肌に馴染んだ金色のそれ。

 顔を上げ、(まなじり)をつよめる。挑むように烏の、深い色合いの瞳を見つめた。


 あわいさの茶屋は、もう閉店かもしれない。けれど、()()をつけないまま、ここで“澪”だったころの残滓(ざんし)に取りすがって霞のように消えるより、ずっといい。


「ごめんね、烏。……見つけてくれて。偶然だったろうけど、ありがと。これで充分ってことはきっと、ないだろうだけど……ずっと、あんたと一緒に居たかったけど。わざわざ危ない橋渡ってまで私に《過去観》させたのって、つまり『そういうこと』よね?」


 ひた、と見据える。

 言い逃れも誤魔化しも許さない。

 ながい、ながい根比べに先に音を上げたのは――――



「……っはぁぁああ…………くそっ!」


 長大なため息をつき、くしゃくしゃと自身の髪を掻き乱す烏天狗の青年だった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 前回戴いた感想への返信で、『間男』とか書かれていましたが、男性目線としてはどうかなぁ? 総史さんに同情したいなぁ~~。(笑) まあ、嫉妬に狂って破滅願望丸出しでは、男としてどうよとは思いま…
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