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あわいさの茶屋  作者: 汐の音
参 名を知らぬひと

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24 思わぬ邂逅(前)

 鈍色(にびいろ)の空を見上げ、はぁ……と少女は吐息する。束の間の温もりは白く形をなし、瞬く間にほどけていった。


許婚者(いいなずけ)、か……」


 離れには今、誰もいない。父は徒弟の皆を引き連れ、城下の町へと繰り出している。

 手掛けていた絵が仕上がったときはいつもそうだ。お殿様お気に入りの絵師である父は、旧家の血筋も相まり、町では持て(はや)されていると聞く。――この家に出入りする、商家の人らによると。


 (みお)は大抵、留守番だ。一人ではない。住み込みの使用人たちは変わらず、母屋に詰めている。だから寂しくはないのだが……


 きゅ、きゅっと足元の、真っ白く踏み固められた上に更に積もった新雪を鳴らして歩む。

 藁靴のなかで爪先がかじかんできたが、何となく母屋に戻る気にはなれなかった。



『――おめでとう、お嬢さん。いい婿どのだね』


『――これで、お(いえ)も安泰というもの。総史(そうし)も果報者だ』


「……」


 耳に甦る、慶事への言寿(ことほ)ぎ。つい、渋面となった少女は思いきり足元を蹴った。

 新雪は、ふわぁっ……と藁靴の上に舞い散る。ちっとも重くない。今日は、特に冷える道理だ。

 ずるずる、と木の()()に括り付けられた縄を引き、移動した澪は縁側の辺り、閉められた鎧戸にもたれてぼうっ……と、雪化粧の裏庭を眺めた。池の水はさすがに凍ってはいない。無音で降る雪を溶かし、飲み込んでいる。


「九つのとき、誰がいいかと訊かれて。そりゃ、一番絵が巧くなると思ってた『総史さんなら』と私、答えましたけどね。父上」


 この場にはいない、父への言葉がつらつらと溢れる。


 (弱ったな。ぜんぜん実感が湧かない)


 澪は途方に暮れた。




   *   *   *




 あれから三年。

 澪は十二歳。総史は十九歳。

 先の正月、未来の夫婦(めおと)としてお披露目された自分たちは、釣り合いとしては申し分ない。


 かれは、六年前から弟子入りした中堅の徒弟だ。仕事ぶりもよい。穏やかな風景画を得意とする父とは異なり、どこか荒々しく、人目を惹く華やかな絵を好んで描く。

 美人画も得意だ。むしろ、そっちのほうが得意かも知れない。そのために町の(くるわ)に足繁く通っているらしいけど。


 問題は――


「それが、ちっとも気にならないってことなのよね……」


 ぽつり、と呟く。声は瞬く間に辺りの雪へと吸い込まれた。

 さらさら……と、結晶がそのまま()り来るかのような、白。それを吐息の雲の向こう側に見つめる。


 優しかった、信頼していた、兄のようだった総史が、最近つめたい。

 一時は内々の婚約にほんのり頬を染め、父の供で町に降りるたび(くし)や鏡、細々とした贈り物を買ってきてくれたけど。


 澪の物欲はもともと、然程(さほど)ない。どちらかと言えば今まで通り、総史を含めた皆と競うように絵を描き、とりとめのないことを話して笑い合うほうが性に合っていた。

 が、それはわかってもらえなかった。


 やがて、十八になった総史は「依頼を受けたから」と、月に二度は町へと赴くようになった。

 廓の女性を写し取った絵姿は感嘆に値する出来映えで、澪は快く送り出していたのだが。

 ……どうも、それも気に食わないらしい。



「ちっとも、わかんないわ。きらいになったんなら、無理に娶ってくれなくてもいいのに。どうしよう……」


 すん、と啜り上げて赤くなった鼻を手の甲で擦る。氷のように冷えた鼻先だった。

 澪は何度目かのため息を吐いて、椀の形にした両手を鼻先にあてた。ちょっぴり、(ぬく)い。


「まぁ、いいか……。風邪ひいてもつまんないし。母屋に帰って卵酒でも作ってもら、お……?」


 ぱっと顔を上げた拍子に、雪ではない、黒い柔らかなものが頬を撫でた気がした。

 羽根だ。一枚、二枚――烏の濡れ羽色。地面にふわり、と落ちている。


 (珍しい。羽音もさせず、鳴きもしない。ずいぶんと静かな()だな……)


 きょろ、と見渡した空は相変わらずの鈍色。屋根にも木々にも、どこにも黒い鳥の姿はない。

 「?」と首を捻った澪は――ふと、冷たくはない風圧を受け、庭で一番背の高い欅の木へと視線を向けた。

 すると。


「……えっ?」


 思わず一声(いっせい)をあげ、そのまま固まった。()()()()()()()()()()()()


 青年だ。

 総史より年上だが父ほど老いてはいない。木肌に右手をあて、顔を上向けて樹上を眺めている。その横顔が息を呑むほど端整で凄艶。男と思えぬほどうつくしい。肩下までの解き髪は、落ちた羽根と同じ黒だった。


 澪は、穴が開くほどその存在を見つめた。背につややかな、大きな黒羽(くろばね)。白雪が保護色になる修験者の装束。真冬なのに、裸足で一本歯の高下駄を器用に履きこなしている。


 ――逃げられや、しないかしら。

 知らず不安をまとった眼差しに、突如、(あか)い闇色の視線が流され、絡んだ。


 (! え、嘘。目、合った……!!?)


 まじまじと瞠目し、口を半開きにする現世(うつしよ)の少女に。

 (くだん)の青年は感情の乗らない、低く艶めく声でさらり、と話しかけた。



「……なんだ、視えるのか?」


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